77.未帰還
名も無きモブ視点
「これまでの調査によって、ダンジョンの奥へと続く道があるのはこの五ヶ所だと思われる」
土魔術によって造られた風よけの防壁に四方を囲まれた中で、それぞれの第二から第五までの班長に示すように地図に石を五つ置く。
焚き火の熱と神官が使用する祝祷術による聖域効果で、悪霊達は壁内に侵入したはしから浄化されて消えていく。
「ダンジョンもまたルールに縛られている。最奥への道を完全に閉ざす事は出来ない。その為、部隊を五つに分けてそれぞれの道を目指し、道が開いているような進み、閉ざされている、または発見できなかった場合は速やかに現時点での情報を持って各自撤退とする」
奥へと進むほどにダンジョンの難易度は上がるであろうに、進む為には部隊を分けて人員を減らさねばならない。
だがそれでもいい。我々は情報を少しでも持ち帰る為に死ぬ覚悟は出来ている。人類全体を活かす為に捨て石になれるのなら本望だ。
「それでは明日に備えて解散」
「「「「はっ!」」」」
「班長! 何処にも見当たりません」
部下からの報告に眉を顰める。昨夜アデリーナ隊長に示唆された通り、ダンジョンは奥へと続く道を閉ざしたらしい。
「本当になにも無かったのか?」
「いえ、正確には先に空間がありそうな壁はありました」
「罠ではない事は私が確認しています」
斥候の補足に唸り声を上げる。
「うーむ……しかし、どうやっても道が開かず、無理やり破壊する事もできないと」
「その通りです」
我らがアデリーナ隊長であれば無理やりダンジョンの壁や床を破壊して進めるのであろうが、この場に居る者たちの中にそんな事が出来る人材は居ない。
私にもっと力があればと思わなくもないが、仕方ない。ここは当初の予定通り撤退するとしよう。
「先に進めないのであれば仕方ない。当初の予定通り撤退する」
俺たちの目的はダンジョンの攻略ではなく、できる限りの情報を持ち帰る事だ。そこを履き違えてはならない。
「では即座に動くぞ」
「了解です」
即座に隊列を組み直し、冷たい強風が建物の合間を走り抜ける都市の中を歩き出す。
相変わらず周囲の建物の中からは大量のアンデッドの気配がしており、いつ奇襲を受けるのかと気が抜けない。
かといって全ての建物内を虱潰しにしていく余裕はなく、結局のところ常に警戒を続けて神経をすり減らすしかないのがこのダンジョンのイヤらしいところだ。
「……ん? なんだこの音は……」
何処か遠い場所でなにか、巨大な門が開くような音がしたかと思えば、続いて腹の底に重く伸し掛るような地響きが生じる。
何が激しく衝突する音、そして地響きと共に大量の水が流れるような――
「洪水です――!!」
「!?」
何かが迫って来ていると気付いた時にはもう遅く、最初の違和感から僅か数秒程度でそれは俺たちの前に姿を現した。
一目見て危険だと分かる大量の汚水が、ゾンビやスケルトン、大小様々な岩を巻き込みながら物凄い勢いで迫り来るのだ。
「た、退避――」
全てを言い終えるよりも先に、周囲の建物の隙間から荒れ狂う濁流が飛び出し、逃げ場を失くした俺たちに四方八方から押し寄せる。
「がぼばば――」
いかん! 部下の一人が大量に水を飲んで閉まっている!
何とかして助けたいが、流れが酷すぎる上に大量の岩やアンデッドにぶつかってそれどころじゃない!
(クソっ、分断された!)
建物の存在が水流に変化を生み出しているせいで、部下たちとは違う方へと流されてしまう。
姿が見えなくなった彼らを救い出す事はもう出来ない――ならば、自分だけでも生きて戻らねば。
(あそこに掴まれば……!!)
流されていく先に見えた尖塔に手を伸ばし、何とかこれ以上流されないように踏ん張りながら水面へと顔を出す。
「ぶはっ――……なんだ、これは……」
尖塔の先にしがみつく様にして周囲を見渡せば、視界に入る都市のほぼ全てが水で満たされているのが分かった。
ハッとして街壁の方を見れば、まるで複数の滝が急に現れたかのように大量の汚染水を垂れ流しているのが見える。
「おーい!」
自らへと解毒と賦活の奇跡を行使していると、頭上から自分を呼び掛ける声が聞こえる。
声の聞こえる方角へと振り返ってみれば、壁の上に第三班の者たちが必死に手を振っているのが見えた。
「こっちだ! 上がって来れるか!?」
……ダメだ、殆どの建物が屋根まで沈んでしまって足場に出来ない。
土魔術で壁を作ろうにも、大量の汚水と共に迫り来る岩が破壊するだろう。
「ロープを投げてくれ!」
「分かった!」
危険だが、ロープに掴まって引き上げて貰うしかないだろう。
「それ!」
元々壁の上にあると思わしき道の担当だった第三班は人員に欠けもなく、投擲に優れている一人が寸分の狂いもなく俺の手元へとロープの先端を投げた。
それらをしっかりと掴み取り、腕や身体にしっかりと巻いて固定する。
「いいぞ! 引っ張ってくれ!」
また流れの早い濁流に飛び込むのは勇気が居るが、このままここに居ても凍死するだけだ。
意を決して飛び込み、ロープを決して離さないように力を込める。
「登って来い!」
何度も岩などに身体を打ち付けている内に、どうやら壁際に辿り着いたらしい。
俺は即座にロープを掴み、登攀していくが――
「クソっ! 風が強い上に滑る!」
この強風の発生源が壁にあるのではないかと疑ってしまうほど、全身ずぶ濡れになった俺を凄まじい風圧が襲って来る。
その上あまりにも急激に体温が奪われる。気が付けば濡れていた筈の衣服や靴がパキパキに凍って踏ん張りが効かなくなる上に、ロープと手のひらがくっ付いて剥がれない。
「すまない! 登れない! そのまま引っ張り上げてくれ!」
「わかっ――」
頭上から降って来たのは了承の返事ではなく、上でロープを支えていた同僚の生首だった。
「なっ!?」
いつの間に現れたのか、見た事もない細身の剣を振るう黒髪の女が頭上の仲間達を次々と斬り殺し、そして壁の下へと突き落としていくを呆然と眺めるしかない。
「だれ、だ……?」
「さて、誰でしょう?」
その言葉と共に、俺を吊るしていたロープが切断される。
「神核か――」
血のように赤く、妖しく光る女の瞳から最期の瞬間まで目が離せなかった。
悠里ちゃん「ほう、これでも生き延びますか」