66.悪魔の心臓
ドッドッドッドッドッ――
ドッドッドッドッドッ――
その鼓動が世界に響いた時、生きとし生けるものは皆全てかつての恐怖を、本能に刻まれた絶望を思い出した。
「なん、だよこれ……」
「嫌ァ! 死にたくない!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
各地で心の弱い者たちが狂騒し、獣達が行く宛てもなく逃げ惑う。
かつてと比べれば遥かに弱々しいそれに――かの大悪魔の心の臓が動き出したというだけでこの世界の人類を恐慌させるには十分だった。
「【あぁ、イイ――】」
今、私とアークは一つになっている。
俺様の黒鎧を纏い、ラピスラズリのように青い炎を鎧の隙間から噴き出すユーリの姿は異様の一言に尽きた。
顔はアークの組んだ手に隠され、全身の皮膚に赤い葉脈が走る様を見れば、私とアークが一つの存在になった事がハッキリと理解できるでしょう。
「【行きますよ――】」
【防御をッ!!】
一瞬で距離を詰め、咄嗟にクロスさせた腕ごと、隻眼のマスターを殴り飛ばす。
刹那の邂逅の瞬間に魔眼で受けたダメージを、持ち歩いていた《迷宮の種》からDPを取り出して即座に回復する。
あぁ、心地良い……自らの肉体を直接DPが巡れば巡るほど、この肉体の性能も加速度的に上昇していく。
本来であれば神素や魔素、それらを一纏めにした魔力として加工しなければ人類は肉体を強化できない。
けれど、悪魔の心臓は別です――人にとって毒でしかない純粋なエネルギーを余すことなく、身体の隅々まで巡らせる事ができる。
「ごっ、がっ……ぁあ……!!」
「【両腕の欠損と、顔面の崩壊止まりですか】」
そんな純粋なエネルギーで強化された拳だったのですが、やはり総量が少な過ぎた様で、何千年もダンジョンをやっているマスターは生き延びてしまいました。
「ププラァ!!」
【分かっている!】
なるほど、私にメイン効果は効かなかったとしても相手の権能は未だ発動中という訳ですか。
壁や床、天井に開いた夥しい数の目が一斉に多種多様な魔眼へと換装されていくのが見えます。
これだけでも十二分に脅威ではありますが、今の私にとってそれは障害になり得ない。
「【輸血――5万DP】」
更なるDPを身体に送り込み、思いっ切り地面を踏み割る――足下にあった目は全てバラバラに砕かれ、瓦礫と一緒に血飛沫を上げて壁の視界を遮る。
一部の壁と天井から送られる視線を肉体の強化と修復でゴリ押しで耐えながら、逃げ回る隻眼を追い越し、反転、驚愕に目を見開く彼の顔を再度ぶん殴ってやる。
「――ゴハァ!?」
その衝撃だけで一部の目が潰され、どんどん隻眼が使用できる魔眼の数も視線の数も減っていく。
そして破壊される度に私へのダメージや阻害は減っていき、時間が経てば経つほど私の全身を巡るDPが馴染んていく。
【コンラートッ!?】
おっとそういえばと、マスターのピンチに悲鳴を上げた事で隻眼本体の存在を思い出す。
彼女――彼女? もまた人一人では到底御し切れない量の魔眼を運用しているだけあって、非常に煩わしく面倒で邪魔です。
吹っ飛ぶ直前の隻眼のマスターの足首を空中で掴み取り、そのまま遠心力を付けて隻眼本体へとぶん投げる。
【なっ!?】
「がァ――ッ??!!」
そして投げると同時に空を蹴り、隻眼のマスターと重ねて本体へと強烈な飛び蹴りを敢行する。
その一撃はそのままマスターの胴体を貫通し、隻眼の一部を砕いてもまだ止まらず、衝突の衝撃で大地を捲れ上がらせた。
――ピシッ
空気が割れる音がする。このダンジョンの限界が近い。
そもそも最初からDPはなく、出入り口も作っていなかったらしいのですから、耐久性に難があるのは仕方のない事なのでしょう。
「【さっさと私に――】」
もはや意識もないマスターの心臓を貫き、そのまま隻眼本体へと手を伸ばす――
「【――喰われろッ!!】」
彼女の顔の一部を握り潰し、そして直接 のブランクルーンを打ち込む。
【――ァァァアアアアアアアアア!!!!!!】
ガラスが割れるような金切り声の悲鳴を上げながら、何とか離れようとする隻眼を逃さないように力強く抱き締める。
「【終わりです】」
あーん、むっ……と私と隻眼本体で挟み込み、押し潰しているマスターごと一緒に隻眼へと歯を立てた。
――カシャァァァァン
私の中の、長らく欠けていたピースがカチリと嵌ったのが感じ取れる。
それと同時に一時的に生み出されたダンジョンが崩壊し、私もアークとの融合が解けてしまう。
「……っ、うど……一分ですね……一秒の更新です……」
以前の練習では五十九秒が限界だったというのに、本番で自己ベストを記録するなんて、私も捨てたものではありませんね。
しかしその代償で未だに鼓動を激しくする心臓が苦しく、そして全身を巡っていた毒が抜けていく激痛に知らず膝を着いてしまう。
視界が回り、呼吸だって安定してくれません。
「ぐっ、はぁ……はぁ……」
「神田さん!」
あぁ、そうでした、この場には私と隻眼との戦いであまり役に立ってくれなかった同郷の勇者達が居たのでした。
さて、彼らの対応をしたいのですが……残念な事に余裕がありません。というより、本当に今すぐに寝込みたいくらいです。
【――街を破壊しろ】
そんな、アークの小さな呟きが耳に入って来たかと思えば全て私の領地となった隻眼のダンジョンから次々とゴーレムやアンデッドが現れ、そして住民を襲い、家屋を倒していく。
なるほど、成長したお陰で何かしらが解放されたのか、それとも最初から出来たのかは知りませんが、アークも強制力を持った命令を配下へと下せるのですね。
【コイツの事は俺様がしっかりと面倒見るから、お前らは勇者として一人でも多くの住民を避難させろ】
「しかし、ここに神田さんを一人で置いていくなんて!」
【マツイヨウスケって言ったか? 俺様が信用できねぇのか?】
「っ、いや! そうだね、ここはアークさんに任せてみんな行こう!」
アークの手元から、ᚨの刻まれた石が砕けて砂となって溢れ落ちる。
……なるほど、そういえばアークもまだ勇者達に味方だと思われていましたね。
最初から疑ってもいませんし、アークが私の面倒を見るのも本当の事なので効力は抜群という事ですか。そもそも本来の使い手ですし。
【……立てるか?】
「……ちょ、と……厳しい、ですね……」
【そうか、運んでやるから奴らが戻って来る前にずらかるぞ】
「え、ぇ……」
やけに優しく、まるで乱暴に扱えば壊れてしまう大切な物のように私を抱き締め運ぶアークの、何処か優しげな瞳と目が合った。
アークに片目が生えたよ!やったね!