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三章 殺戮の衝動

――さて、小童ども、揺さぶってやるか

インジュの目の前で身構えたヒクイドリは、瞬間視界から消えていた。

『インジュ!』

エンドの声がなければ、まともに蹴られていたことだろう。咄嗟に張った風の障壁のお椀型の中心に、ヒビが入っていた。

「真っ正面から来ます?」

だというのに、インジュには、ヒクイドリの姿が蹴られるまで見えなかった。エンドにはすかさず「耳で聞けよ!」と怒られた。表情は取り繕ったが、背中を冷たい汗が伝うのは止められなかった。

『ほう?ワシの速さに反応するとは、なかなかやるな』

トンッと降り立ったヒクイドリは、再び身構えた。

「ゴーニュ!争いに来たわけじゃねーんだ!インファに会いてーだけだ!」

再びインジュが襲われるのを見て、リティルはラスの上から退かないまま叫んだ。

『会ってどうする?血を分けた息子を狩るか?そなたら、気がついておらなんだではないか』

ヒクイドリはあざ笑いながら、防戦一方のインジュに鋭い蹴りを放ち続けた。

「何をです?」

もう何枚風の障壁を砕かれたかしれない。シールドを張り直しながら、インジュは問うた。

『イヌワシについた、深刻な傷だ。水瓶の底に入ったヒビのように、あやつは力が漏れ出しておったぞ!緩やかに死に向かっておったのだ。それを放置しおって。最も死に近い精霊の、それも最上級が聞いて呆れるわ!』

「待ってくださいよ!それでどうして、あなたが怒ってるんです?」

スタッとヒクイドリは廊下に降り立った。そして、ギッとリティルを睨み付けた。

『15代目、なぜに過ぎた力を与えた?あやつの殺戮の衝動がイヌワシでなければ、とうの昔に死んでおったわ!イヌワシは、見事役目を果たしたが、2回の暴走には耐えられなんだわ!』

――インファを殺したのは、オレなのか?

上に乗られたままのラスは、リティルの手の震えを感じた。

薄々感じていたことを、こうも真っ正面から突きつけられるときついなと、リティルはトホホだった。手が震えてしまったが、さて、彼からどう情報を引き出したらいいものかと、こういうことはインファとノインが適任なんだけどなと、リティルは案外冷静だった。

「……勝手なことを!1度目の暴走は誰のせいでもない!2度目の暴走はインファが望んだことだ!リティルのせいなんかじゃ、ない!」

ドンッとラスは風を放ち、リティルを飛び退かせていた。

「力を与えた?それは、インファに生き残ってほしかったからだ!それはリティルの、父親としての贈り物だろ!」

――ごめん、ジャック、力を貸してくれ!リティルを、オレ達の王を傷つけられたくないんだ!

「ラス!」「ああ、やっちゃいましたねぇ」

焦るリティルとは裏腹に、インジュは小さくため息を付いた。そして、このヒクイドリ、どういうつもりなのかな?と思った。

 鎧うようにハヤブサの羽根がラスの体を覆っていた。丸く鎧われた体から伸びた両腕、その指の10本の爪が刃のように長く伸びていた。

「殺して……やる」

「インジュ!」

ラスの底冷えしたつぶやきを聞いたリティルは、インジュに警告を発していた。

「あのぉ、親方あの人のこと、任せていいんです?」

『そなた、気がついておったのか?』

「はい。口調は怒ってましたけど、感情動いてませんでしたからねぇ。お父さんを出し抜いたその手腕、見せてくださいよぉ!」

インジュはトンッと道を譲った。ラスは、脇目も振らずにヒクイドリに躍りかかっていた。標的となったヒクイドリは、ラスの初撃を難なく躱した。

『ふーむ。元古参の殺戮、どんなものかと思うておったが、動きは直線的、攻撃力も並か。拍子抜けだな』

トンッとヒクイドリは踏みきると、ラスの攻撃を躱し、その背を踏みつけた。

 背中の羽根をえぐり取られて、血と羽根が散るのを見て、リティルは加勢しようと翼を広げていた。その軌道に割り込んだのはインジュだった。

「インジュ?」

リティルは止まれずに、インジュの胸にぶつかっていた。

「安い挑発ですよぉ。あの人、わざと怒らせたんですよぉ。どうしてなんでしょうねぇ、籠もってた割にはこっちのことよく知ってるみたいですねぇ」

「!情報源はインファだって言うのかよ?イヌワシが傷ついてるってあれ、本当の事だと思うか?」

「はい。お父さん、いなくなるちょっと前、怠惰でしたから。自分でも、緩やかに死んでいってることに気がついてなかったとは思いますけど。わかってたら、何かしてたと思いますよぉ?お父さんですし。それよりリティル、過ぎた力って何のことですかぁ?」

「わからねーよ。あいつは産まれた時からイヌワシだ。けど、腹から産まれてくるヤツを、操作なんてできるわけねーだろ?」

「こっちも無意識ってことですねぇ。まあ、いいです。今問題なのは、ラスですねぇ」

インジュはチラッと視線を巡らせて「エーリュ、先に行きましたね」と言った。え?とエーリュの気配を探すと、ずっと向こう、廊下の先にかすかに気配があった。

ノインの言っていた立ち位置とは、こういうことか?とエーリュがインファの所へ飛んだことを、リティルはやっと知った。

「殺戮形態って、いろいろ底上げされますけど、頭悪いですねぇ。あと、見境ないですね」

インジュはリティルに「追いますよ!」と促した。見れば、ラスは何かを見つけたようで、ヒクイドリを置いて廊下の先へ飛び行こうとしていた。

「親方!逃がしちゃダメじゃないですかぁ!」

「化身ではやりにくくてな。まあ、見ておれ。鍛冶屋の秘技、見せてやろう」

「翼のない風の精霊って、初めて見ましたよぉ」

「ハハハハハ!ここにいると、飛ぶ必要がないからな。産道に出た事すら、初めての経験だがな」

化身を解いたゴーニュは、筋骨隆々のずんぐりした金色のひげ面の男だった。豪快に笑うと、彼はグッと足に力を込めた。そして、駆け出す。

「……にしても、速すぎじゃないです?はあ、生きてると退屈しませんねぇ。リティル、置いてけぼりになってる場合じゃないです。ちゃんとついてきてくださいよぉ!」

「はは、オレ、頭固てーよな……」

「リティルは真面目なんですよぉ。不真面目に生きましょう?本当に、お父さんがいないとダメなんですからぁ!」

リティルはインジュに「ほらほら早く!いいとこ見逃しちゃいます!」と背中を押されて、飛び立った。


 インファに一足先にたどり着いていたエーリュは、飛び込んできたラスと見つめ合っていた。

血に染まった赤い瞳が、ニタリと獲物を見つけたと笑った。

『逃げなさい!エーリュ!手負いは、更に危険ですよ!』

手負い?見れば、空中にいるラスの背中から、ポタポタと血が滴っていた。早く癒やさないと。そう思ってしまい、エーリュはどう動けばいいのかを完全に見失ってしまった。

『エーリュ!』

背後でインファの焦った叫びがしたが、エーリュは爪の刃を振り上げて迫るラスから、目をそらせなくなっていた。

インファが背後で息を飲んだ。エーリュは、瞳を見開いた。

 突如躍り込んできた影が、ラスの背中に巨大で柄の長いハンマーを振り下ろしていたのだ。振りかぶったラスの手から、爪の刃が風に解れて消えていった。体を鎧っていた羽根が抜け落ちて、部屋中に散った。ドッと、ラスはエーリュの足下に落ちて動かなくなった。

……と、エーリュはヘナヘナと透明な壁を背に座り込んでいた。

『親方、ヒヤヒヤさせないでください』

インファの安堵する声に、エーリュは初めてラスの後ろに立つ、その人を見たのだった。

「争い自体初めてなのだ。そう言うな」

金色に透き通る巨大なハンマーを肩に担いだずんぐりとした大男は、髭に埋まったような顔にニカッとがさつな笑みを浮かべた。

『初めてで、よくそのメンバーを相手にしようと思いましたね?』

「ハハハハハ!そなたの息子、ワシに敵意がないこと見抜いておったぞ?ほれ、感動の再会、してやらぬか?」

ゴーニュは、後ろを体ごと振り向いた。インファが視線を向けると、そこには、リティルとインジュが立っていた。

 ああ、やはり、オレは会いたいと思っていたんですね?と、インファは、2人の姿にこの隔たれた壁を抜けて駆け寄りたいのをグッと堪えていた。今のこの状態が、風の獲物だったとしても、インファは、父と息子を抱きしめに行きたかった。

許されなくても戻りたい。それが、オレの素直な願いなのだと、インファは2人の姿に悟ったのだった。

 8年間、どんな気持ちで?2人にはたぶん、怒られるなと、インファは覚悟したその時だった。

「お父さん!」「インファ!」

インファが止める間もなく2人は踏切り、見事に仲良く透明な壁に顔面からぶつかっていた。そして、エーリュの両脇に落っこちると唸りながら顔を押さえていた。

『大丈夫ですか?お2人とも、シールドの存在くらい気がついてください』

インファは笑いを堪えながら、膝を折った。

「無理です!お父さんの姿見ちゃったら、他の全部目に入りませんよぉ!痛たた……鼻が折れるかと思いました……」

リティルにも治癒魔法をかけながら、インジュはインファに噛みついた。

『インジュ、髪をまだ切っていなかったんですか?』

「切りそびれたんです!変に切ると、お父さんのこと諦めたんだと思われると思ってですねぇ!3年くらい前から諦めてたんですけど……無事で良かったです!」

『諦めていたんですね?』

笑いを堪えながら、インファはインジュの言葉を遠慮なく拾った。

「もおおおおお!8年ですよ?ボク、風の最上級精霊なんで、わかっちゃうんですよ!リティルも、地獄だったんですからね!わかってます?じ・ご・く!ボク達の涙返してくださいよぉ!2人で応接間いっぱいにするくらいは泣きましたよ!」

そう言ったそばから、インジュの宝石のような瞳から透明な雫が溢れだした。「応接間いっぱいかよ?おまえ、言い過ぎだろ?」と鼻を押さえながらリティルは笑った。

『すみません。イヌワシに思いの外手こずっているんです』

「おまえ、何してるんだよ?」

「無論、殺戮の衝動の鍛え直しだ」

ゴーニュは難なく透明な壁をすり抜けて、インファの隣に立った。インジュはすかさず「狡いです!」と不満がっていた。

「教えてくれよ、オレが与えた力って、何のことなんだよ?」

「そなた、己のことをどれだけ理解しておる?いや、答えずともよい。そなたは、己の力を理解しておらぬ。歴代3位とは、どれだけとぼけておるのだ!」

ゴーニュはズバリ言い切った。頭ごなしな怒りに、リティルは思わず息を飲んだ。

『親方が言うには、父さんは最上級になる前から、歴代最強でなければおかしいらしいんです。殺戮の衝動の強さが、風の精霊の強さであると言っても過言でないほどなのだと、聞きました』

「え?ええと……インファさん、イヌワシよね?」

インファは風の城最弱だ。エーリュの反応は最もだった。

『ええ。体が耐えきれないので、イヌワシが力の大半を封じてくれていたようで、無理がたたって壊れてしまったんです。けれども彼、頑なでして、封じた力を解放してくれないんですよ』

うんうんと隣に立っていたゴーニュが頷いた。

「解放すると、お父さんが危ないからじゃないんです?ボク、話してみます。……あのぉ、親方、ボクも入れてくださいよぉ!」

「ダメだ」

「むう!わかりましたよ!ここから聞きます!」

そう言うとインジュは、両手を透明な壁について、瞳を閉じた。

「殺戮の衝動と話をするとな?ワシでもそんなことはできぬぞ?」

『エンド君なら可能でしょう。オレのイヌワシを制御して使ってくれましたよ?ところで、ハヤブサは大丈夫なんでしょうね?』

立ち上がったインファは、遠慮なくゴーニュを睨んだ。

「そう睨むな。そのうち目を覚ます。ハヤブサらしい動きだったが、こやつらしからぬ姿だな」

何か引っかかるのか?と、問おうとしたとき、小さく足下のエーリュが悲鳴を上げた。見れば、昏倒させられたラスがガバッと体を起こしていた。

『気分はどうですか?ラス』

身をかがめて、透明な壁とエーリュの頭越しに声をかけると、ラスは、面白いほど機敏に反応した。

「インファ!インファなのか?」

『透けていますが、オレですよ?ラス、親方に警告されたはずですよ?なぜ、引き返さなかったんですか?』

「そ、それは……インファがこうなったのは、リティルのせいだって言われて……」

『それで頭に血が上ったんですか?フフフ……ラス、熱いですね』

「!何とでも言ってくれ!でも、ごめん……ジャックはもういないのに、制御なんて無理だったよ……」

ラスは悔しそうに項垂れた。

「そうですねぇ。ジャックだった時の方が、強かったですよぉ?攻撃がワンパターンで、あのラスならエーリュでも簡単にやれたと思いますねぇ。暴走すると、強くなる人とならない人がいるんですけど、どうしてなんです?ボクはエンド君がいないと弱いですけど」

シールドから手を放しながら、インジュが首を傾げながらゴーニュを見た。

「使ってはならん力だぞ?この力が心を乗っ取るとき、それ即ち死を目前にしたときだ。この力は風の精霊を守るための闘志。考えられるとすれば、危機感の差ではないか?」

ゴーニュは、意見を求めるようにインファを見た。インファは、オレに聞きます?と言いたげに肩をすくめた。

『親方……オレは弟子ですよ?自分の力すら思い通りにできないというのに、わかると思いますか?』

「そなたなら、理解していると思ったが?」

「イヌワシ君、お父さんの心配ばっかりしてますよぉ?親方、お父さんをここへ引っ張り込んだのは、イヌワシ君が助けを求めたからだったんですねぇ?本当に、イヌワシ君の声、聞こえないんです?」

「ワシの真上で、まさに安楽死しそうな風の精霊がいたのでな。邪魔な肉体を奪い取って招待したまでだ。して?イヌワシは何と言っておるのだ?」

「……この力をお父さんが使えるようになると、風の王より強くなっちゃうそうです。それから、その肉体じゃ保たないから、もっと丈夫に作らないとダメだって言ってます。それは、たぶん、ボクが何とかできるんで問題ないですけど、リティル、お父さんがリティルよりも強くなっちゃうと、ダメなんです?」

インジュは変な理由だと思ったようで、首を傾げた。

「へ?何か問題なのかよ?煌帝・インジュっていう、もうすでにオレより強えー精霊がいるのに、今更じゃねーのかよ?」

『親方、この力を、父に返せませんか?』

「インファ?」

『父さん、よからぬことを考える者は、どの世界にもいるものですよ?』

「おまえがオレを脅かすって?はは、あり得ねーだろ?」

『帰ってくれませんか?』

インファの言葉に、リティルはすぐに反応を返せなかった。

『オレは、戻るべきではないのかもしれません』

「インファ?おい!何言って――」

「リティル、ラスとエーリュ連れて戻ってくれません?」

インジュは、透明な壁に手をついて、インファに詰め寄ろうとしたリティルの言葉を遮った。そして、その手を掴んでいた。

「インジュ?」

「ボクがここに残りますから。お願いします」

インジュはラスとエーリュを立たせると、初めはなぜいきなり?という顔をしていた2人は、ややあって僅かに頷いた。そして「とりあえず戻ろう」と、リティルの両脇につくと部屋から連れ出して行った。

「インファ!オレは、諦める気なんてねーよ!たとえ、おまえが諦めてもな!」

ゴーニュはすかさず扉を閉ざしてしまった。この扉は、外からは開けられないと、彼は言った。だから、本来なら、この場所は1番安全だとも言った。


 インジュは、閉ざされた鉄の扉を見つめていた。

強引にリティルを遠ざけたが、正解だったのかどうなのか自信がなかった。だが、インファには、言っておかなければならないことがあることは確かだった。

「お父さん」

キッとインジュは、インファを睨んだ。その瞳を見たインファは、なぜかその瞳を知っている様な気がしてドキッとした。

「リティルに、戻れないようなこと、仄めかしちゃダメです。ボク達がここへこれたのは、お母さんが予知夢を見たからなんです」

予知夢と聞いて、インファの脳裏には、あのしなやかな肢体を持つ、コバルトブルーの蛇型のドラゴンの姿が思い出されていた。気が向くとゾナの傍らに寝そべっている、未来を司る時のドラゴン・ミリスヴィール。

『予知夢、ですか?ミリスが、それを見せるとは、にわかには信じがたいですね』

「そうですねぇ。でも、このまま何もしなかったら、世界が終わるとしたらどうです?さすがのミリスも、何とかしようとしますよねぇ?」

『終焉の予言ですか?オレが関係あるんですか?』

「はい。お父さんの死が、リティルを終焉の破壊神にしちゃいます。その引き金引くの、誰だと思います?」

インジュは、インファを窺った。答えないその沈黙に、インジュは告げた。

「リティルです。風一家皆殺しのオプション付きです。ボクはなぜか最後に戦いますけど、リティルの殺戮形態に殺されて、リティルは、世界を道連れに滅びます」

『……父さんが、オレを……』

さすがに声がうわずった。インファがリティルを脅かすことがあり得ないことと同じくらい、リティルが風の敵ではないとわかった今、インファを害することはあり得ない。

父さんに何が起こると言うんですか?インファは、焦りとともに、あり得ないことが引き起こす、あり得ない終焉に狼狽えていた。

「リティルは、強いですけど脆いんです。誰だかわからない人に乗っ取られて、ボク達を殺すんです。正気に戻ったリティルは――ってことだと思います。なので、お父さん、何が何でも戻ってくださいよ。養生中だってことはわかりましたから。それに、あんまりリティルを虐めないでくださいよぉ!あの人、5年ですよ?風の王なのに、死んだお父さんが戻るって、5年待ったんですよ?予知夢の話したら、絶対連れ戻すって言ってくれました。それが、どんな意味があるのか、お父さんならわかりますよねぇ?」

『オレは、死んだことになっているんですね?』

「はい。鬼籍もきちんとあります。ただ、白いページが今も追加されてるんですよねぇ。それで、無常さんとノインが生きてるんじゃないかって」

『ノインは無事なんですか?』

体を取り上げられ、1番心配していたのはノインのことだった。彼は、インファの霊力を得て存在している、守護精霊だ。この、生きているのか死んでいるのかわからない不確かな状態で、ノインは無事だろうかと心配していた。

「はい。ノインは自分の存在こそ、お父さんが無事な証拠だって、言い続けてくれました。みんな、ギリギリの精神状態です。お母さんなんてすっごく弱っちゃって、ルキルースから帰れなくなっちゃったんですよぉ?」

予知夢の話をしにルキを尋ねたら、軟禁されちゃいましたと、インジュに聞き、インファは、セリアがずっと風の城に留まっていてくれたことを知った。

セリアのことを、インファは考えないようにしていた。戻れたとして、彼女がすでに城から出ていることを、考えたくなかったのだ。彼女の中で、雷帝・インファが思い出になっていることを、考えたくなかった。口では迎えに行くと言っているが、いざその時、その勇気が持てるのか自信がなかったのだ。

『セリアは、迎えに行きますから問題ありません。親方、父の殺戮の衝動、見ましたか?』

「熱血ハヤブサが釣れてしまったのでな。しかし、ヤツに闘志はあるのか?ワシの言葉に動揺していたが、どこか冷静だったぞ?」

「リティルって、麻痺してますからねぇ。ほとんど怒らないですし、憎しみなんて、シェラが死なない限り湧かないんじゃないんです?」

『あなたは、よく怒っていますね』

「今も怒ってます!お父さん、夢枕に立つとか、えっと、ほら、何かあるでしょうが!無事だって、伝えてくださいよぉ!もう戻ってこないんだってわかりながら、みんなには帰って来るよって笑わないといけないボクの気持ち、察してくださいよぉ!リティルも同じでしたよ?肖像画の前で泣いてましたよ。それで、ノインに慰められてました!ノインに、オレの存在がおまえ達を苦しめているなって、すまないとか言わせちゃってましたよ!お父さん!どうしてくれるんですかぁ!」

完璧にノインの口調を真似てみせて、インジュは大いに憤った。

『言い訳のしようもありません』

「言い訳してくださいよぉ!」

ドンッと、インジュはシールドに両手の拳を叩きつけた。俯いて肩を震わせるインジュが、泣いているのは明白だったが、インファにはどうしてやることもできなかった。

『すみません。オレはここから出られないんです。イヌワシの傷は癒えていますが、彼の考えがわからず、鍛え直しが上手くいかなかったんです。8年ですか……インジュ、皆をよく守ってくれましたね』

「仕方ないじゃないですかぁ!ボク、雷帝の息子ですよ?風の城最強精霊ですよ?副官代理ですよ!お父さんが帰って来るまで、守り続けるしかないじゃないですかぁ!」

ボクがどんな思いで!と泣きながら顔を上げたインジュは、真っ直ぐにインファを睨んでいた。こんな風にインジュに睨まれた事などなかったなと、8年の歳月が彼を少しだけ変えたことを知った。

「髪は切ります。もう必要ないですからねぇ。お父さん、何が何でも戻ってもらいますよぉ?リティルより強くなったっていいじゃないですかぁ!リティルの精神は、もとからお父さんより下です。年功序列なら、下から数えた方が早いのが風の王・リティルですよぉ!今更、何心配してるんです?」

『……自信がないんですよ。長い間、さほど強くない精霊の座に、甘んじていましたからね。今更、皆さんを守れる力を得て、どう振る舞えばいいのかわからないんです。父さんは――風の王・リティルは、特に高い壁なんです。手の届かない天空。それが、オレにとっての風の王・リティルです。支える側にいたいんです。越えたくないんですよ』

「力を得ても、越えられるとは限らないじゃないですかぁ。お父さん、本当に嫌みですねぇ。最上級のボクを、ボコボコにしたの忘れたんです?最強と最弱の対決ですよ?ボク、リティルにもノインにも勝ったことないです。ノイン、あれで上級ですよ?」

 いなくなるまでの数年、インファは落ち込むことが多かった。

加えて、ゴーニュが安楽死しそうだったと言った。あれは、比喩なのではない。本当の事だったのだ。延命しなければならない事態だったのに、それをしなかった。見えていたゴーニュはなぜなにもしないのかと、疑問だったことだろう。

だが、事態はもっと深刻だった。誰もインファでさえ、インファの状態に気がついていなかったのだ。風の精霊を守る本能のイヌワシが、ゴーニュに助けを求めてくれなければ、インファは、本当に手の届かないところへ逝っていたと、今ならインジュにもわかる。

ずっと、心労が絶えなかった。魂にまで傷をつけて、弱気になるなと言う方がどうかしている。わかっている。けれども、インジュには寄り添うという癒やし方が苦手だった。奮い立たせるという方法しかできなかった。

「お父さん、ボクがいます。ラスもエーリュも、みんないます。お父さんはチーム戦の方が得意でしょうが!インサーフローのピアノの方が、ヴォーカル差し置いてどっか行かないでくださいよ!」

放してやるもんか!この壁がなければ、飛びついて無理矢理体を再構築してやるのに!と、インジュは強がってくれない父の様子が悔しかった。

――インファ!オレは、諦める気なんてねーよ!たとえ、おまえが諦めてもな!

諦めて、いたんですよね?訴えかけるインジュの声を聞きながら、リティルもインジュも、一度は諦めたのに?と、インファはボンヤリ思っていた。そのことを、責めているのではない。拗ねているのではない。2人を、案じているのだ。

それでももう一度、夢を見られるんですか?その夢が、夢のまま終わってしまったら、あなた方は、どうなってしまうんですか?インファは、自分の命の重さを改めて認識した。

そして、おちおち死んでいられないなと、尻込みしている場合ではないかと思った。

 インファは、何も戻りたくないと言っているのではなかった。最上級精霊になれれば、もう少し体が丈夫になる。もう少し強い魔物も相手にできる。リティルと共に、気兼ねなく再び飛ぶことができると、単純に思っていた。それが、予想以上の力が手に入ってしまうとわかり、そのことで父と――リティルとの関係が変わってしまうのでは?と恐れてしまった。

――父さん、オレは意図せず、あなたを脅かす存在になるかもしれませんよ?それでもオレに、あなたは戻れと言うんでしょうね

そういう人だと思い返していた。いつまで経っても危うい人だなと思った。

そんなリティルを、ノインと2人しれっと守ってきた。これからは、インジュとラスとも共に、リティルを支えていくのだと思っていた。

その矢先の消失だった。インファも本意ではなかった。だからこそ、戻ろうとしていた。

それを、一度たりとも諦めたことはなかった。

 時間が経ちすぎてしまいましたね。インファは、臆せず放さないと言ってくれる2人に報いるため、選び取った未来に起こるであろう不具合や葛藤のすべてに、今は蓋をすることにした。

『インジュ、状況を細かく教えてください』

インファの声に顔を上げたインジュは、父の手の平が、拳を握った手に重ねられているのを見た。壁に阻まれていても、彼の温かな風を感じるようだった。

インジュは、瞳に溜まった涙を拭うと「はい!」と返事をして、得たすべてをインファに話した。

 話を聞き終えたインファは、しばらく思案していたが、2人が固唾をのんで見守る中、やっと口を開いた。

『未来を変えることは、非常に難しいんです。リティルを乗っ取る者が誰なのか見当はついていますが、この城にいる誰も彼のことを知りません。インジュ、ファウジにインを呼び出してもらってください』

「イン?それって、ノインの前世の人ですよねぇ?リティルのお父さんの。ノインに聞いてもダメなんです?」

『ノインの持っているインの知識は、15代目風の王・リティルに関することが抜けています。心当たりの者は、リティルを造るために関わった人物でもあるので、抜けている可能性があります。本人に聞くのが硬いですよ?』

「あのぉ、ファウジ、死者の呼び出しができるんです?」

『死者といっても、魂というわけではありません。鬼籍の中に眠る死者の心です。鬼籍の門番であるファウジには、それを呼び出すことが可能なんです。ですが、リティルに知られてはいけませんよ?インはリティルの父親ですからね。関係者は会うことができないんです。そして、今回鍵を握る者はおそらく、インのよく知る人物です』

「誰です?」

『双子の風鳥島のウルフ族の英雄・レルディードです。風の王・リティルを造るため、体を提供した人物です』

「リティルの殺戮の衝動のオオカミの方の人です?その人、合意の上じゃなかったんですかぁ?」

『合意だったかもしれませんが、リティルは融合に失敗している可能性があります。レルディードが危険思想の持ち主でないか、彼の鬼籍も当たってください。できればリティルには内緒で動いた方がいいでしょう』

内側から見られていないともかぎらないと、インファは慎重だった。

「わかりました。ラスに頼みます!」

『……ここに残るんですか?』

「当たり前です!ボクは、お父さんの体を作るっていう仕事がありますから」

 ちょっと待っててくださいと言って、インジュはそっとシールドから離れると、その場に座り込んで瞳を閉じた。

「何をしだした?」

『わかりませんが、どうやら、ハヤブサ君とオレの息子は、直通の連絡手段を持っているようですね。息子はいろいろ規格外なので、8年も離れていたオレでは把握しかねます』

しばらくすると、インジュがいきなり顔を上げた。

「あ、お父さん『ワイルドウインド』部屋にあります?」

『ありますよ。たぶん……部屋に入って右の本棚のどこかです。見られて困るモノもありませんから、どうぞ家捜ししてください』

「了解です!あれ読んだら、ラス驚きますねぇ。反応が見られないのが残念です」

『戻ってもいいんですよ?ここにいても、退屈でしょう?』

「イヤです!退屈したら親方に絡むんで、お父さんはイヌワシ君どうにかしてくださいよぉ」

インファは、変わらないインジュの態度に、思わず笑っていた。それを端で見ていたゴーニュは、インファの魂の輝きが増すのを目の当たりにしていた。

確か、あのオウギワシは精霊の至宝・原初の風の精霊だったなと、インファの影から観察していた。あの至宝は、受精させる力の結晶体だ。最高の産む力ではあるが、インファが親である以上本来なら生み出せる精霊ではない。彼が、最上級精霊として産まれる事ができたのは、イヌワシに封じられた力があったからだ。

15代目風の王・リティル。能ある鷹は爪を隠すというが、隠しすぎではないか?とゴーニュは不穏なモノを感じた。

「よし!そなた、名を何と言ったか?ワシが話し相手になってやろう!」

「やったー!煌帝・インジュです。早速ですけど、ここでどうやって風の王を造るんです?」

目を輝かせたインジュを尻目に、インファは炉の中の炎と向かい合ったのだった。


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