小章二 深淵
『どうしました?親方』
「……どうやらここが暴かれたようだ。15代目はこの場所を知らぬはず……誰だ?」
『ノインですね』
「ああ、ヤツは14代目の生まれ変わりであったな。ワシの最高傑作だった。極限の美と強さを込めたのだが、折れてしまったわ」
『彼を、上級にしては法外な強さに作り上げたのは、親方、あなただったんですね?』
「うむ。風の王は死を導く精霊故、死に最も近い。代替わりを止めたかったのだが」
『初代以外はあなたの作なんですか?』
「5代目からだ。世界は、やっと風の王の重要性を悟ったらしい。だが、止めることは叶わなんだ」
『代替わりが止まらなかった原因は、別の所にあると思いますよ?しかし、止めたいですね。今代の王は、オレの父ですから』
「血縁か。死を導く者が、産み出すとはな。知れば知るほど、特異な王よ」
『風は、誰よりも生きていますよ。だからこそ、死を導けるんです。ところで、来客ですか?』
「そのようだ。風の王直々に来るようだ。止めてやらねばな」
『ここへ来ると、もれなく暴走するんですか?』
「殺戮の衝動を鍛える場所故な」
『誰が来るかわかりますか?』
「オオタカ、オウギワシ、ハヤブサ、シロハヤブサ。危険な取り合わせだな」
『父が直々にと言っていましたね?では、父は暴走しないでしょう。父の衝動は封じられていますから。オウギワシも暴走しません。問題なのはハヤブサの2人ですかね?』
「何故オウギワシは暴走せんのだ?」
『彼には、殺戮の衝動を制御する人格がいるんですよ』
「ほう?それはまた面白い。それでどうする、インファ?会ってやるのか?そなたがイヤだと言うのならば、追い返してやるが?」
『オウギワシが来ているということは、問答無用で狩られることはなさそうですが、探りを入れていただけると、ありがたいですね』
「ハハハハハ!ではついでに、どれほどのモノか、見てやるとしよう」
『ほどほどにしてください。彼等はオレの大事な家族ですから』
「ワシは専門家だ。ワシの目の前で、風の命を散らせはせぬ」
『了解しました。親方、よろしくお願いします。ところで、オレの体、いつ返してくれるんですか?』
「それは冗談か?そなたが仕上がらねば、返せぬわ。せっかくここに招待したのだ。中途半端で出せるか!」
『それはありがたいんですが、このままでは芸術品が仕上がる前に壊されますよ?』
「ハハハハハ!そうはさせぬよ。ついでだ。おまえの父、見てやろう」
『見るだけにしてください。オレが仕上がるまで刺激しないでください』
「そなた、父親と戦うつもりか?」
『必要であれば。その時は、息子2人も巻き込みますけどね』
「ワシの記憶違いか?息子は1人であろう?」
『二重人格ですからね。2人ですよ。親方、羽目を外しすぎないでくださいよ?』
「ハハハハハ!こんなことは目覚めていらい初めてだからな、大いに楽しませてもらおう」
深淵という場所は、目の前の金色の炎の燃える音以外、何の音もしない。
親方――彼は名はないと言い張り、インファは仕方なくグロウタースの民が使う呼び方で彼を呼んでいた。
彼のことは、深淵の鍛冶屋という以外何もわからない。
何度も問いかけているが、インファがここに招待された理由が未だわからなかった。
ここは、風の王が目覚める場所。彼からは悪意を感じないが、王でない者を、彼の作の王から産まれてもいない者を、なぜ気にかけたのだろうか。
――そなた、父親と戦うつもりか?
彼には珍しく、驚いた瞳をしていた。やめろよ?という心遣いも同時に感じた。
薄々、オレを16代目に仕立て上げて、得体の知れない殺戮の衝動を持つ15代目を討とうとしているのでは?とインファは思っていたが、それはどうやらないようだ。
はぐらかし続ける彼は、何を隠しているのだろうか。
本当に、善意のみ?いやいや、まさか。彼が肩入れする理由がわからない。
外の様子はわからないが、親方は鉄の扉を開けていった。しかしインファは、金色の炎のそばから離れなかった。
彼が出て行ってから、しばらくして、インファは気配を感じて炎から視線を外した。
懐かしい気配が、開け放たれた扉を越えて飛び込んできたのを感じたからだ。
『それ以上近づかないでください。エーリュ』
飛び込んできたのは、金色の1羽のシロハヤブサだった。
「インファさん?どこ?」
シロハヤブサは舞い降りると同時に化身を解いた。だが、エーリュはキョロキョロと視線を彷徨わせ、目の前のインファに気がつかなかった。
『ここですよ。炎の右脇です』
見たところ、エーリュは正常なようだ。インジュが何かしたのだろうか?とインファは思ってしまった。
「…………魂だけ、なの?」
『そうです。体は取られてしまいましたからね。外では8年経っていると聞きましたが、皆さん健在ですか?』
「みんな、体は元気よ。でも……みんな元気ないの。インファさんがいないから!」
そう言ってこちらに向かい飛んでこようとしたエーリュに「来てはいけません!」とインファは声を張った。インファに怒鳴られた事のなかったエーリュは、驚いて舞い降りていた。インファを見返すその瞳が、明らかに傷ついていた。
『すみません。壁があるんです。見えませんよね?親方は意地悪ですからね、わざと見えにくい魔法をかけているんです。手を伸ばしてみてください、ここです』
インファは炉のそばから離れると、エーリュに向かって手を差し出した。エーリュは、恐る恐るインファの、淡い金色に透けたその手の平に、手を重ねた。
「捕まってるの?」
『オレに逃げる気がありませんから、捕まっているとは言い難いですね』
「帰りたくないって事?どうして?みんな待ってるのに!インジュもラスもリティル君も、みんなよ!」
『落ち着いてください。帰らないと言ってるわけではありませんよ。エーリュ、泣かないでください。今は胸を貸してあげられませんからね』
「イン――ファさ……」
儚く透けていても、インファの優しい笑みは健在だった。ホッとして、エーリュは涙を止められずに更に泣いてしまった。「慰められなくて、すみません」と言われ、エーリュは思わず「インファさんだ……」と当たり前のことを言って笑いながら泣いてしまった。
インファとは、人間の歌姫に転生していたときに出会った。その時は、人間の常識にあわせて、インファはインジュの兄と関係を偽っていた。インジュと友達だったエーリュにとって、冷静で余裕のあるインファは年上の男性で、友とは呼びにくい人だった。
彼が、雷帝・インファという精霊だと知った後、いろいろなことがあり打ちひしがれて泣いてしまったエーリュに、インファは、何も言わずに胸を貸してくれた。その後、古参の精霊だったころとは違う力を司ることになり、その頃の記憶もなくしているエーリュには、人間だった21年がすべてで、精霊としても戦いにも不慣れで翻弄されていた。イシュラースに来た頃は風の城に住めず、でも城に通っていた。あの広すぎる応接間のソファーにいるインファの、変わらない優しい笑みに、いつもホッとしていた。
けれどもエーリュは、風の精霊となった時に、リティルとインファに攻撃を仕掛けてしまったことを引け目に感じていて、頼ってくることを待ってくれていたインファに、近づけなかった。見かねたノインが師匠となってくれ、エーリュはますますインファから遠ざかることとなってしまったのだった。
今、当たり前に応接間にいたインファがいなくなり、それと入れ替わるようにエーリュとラスは城に暮らしていた。やっと、問題が解決して、風の城に住めるようになったのに、応接間にインファがいない。いてくれるだけで安心する彼の不在を、距離を詰めることができなかったエーリュも、大きな喪失として感じていた。
『エーリュ、父さんとインジュ、ラスが来ていると聞きました。皆さんはどうしました?』
「ヒクイドリに襲われて、インジュが応戦してるの。ラスは、殺戮の衝動が暴走しそうでリティル君に押さえられてて……」
顔を上げたエーリュは「インジュが反撃できないでいるの!」と訴えた。
『ラスは追い返されますね。そして、インジュ相手にですか……親方強いですね。大きいのは態度だけではなかったということですか』
侮らなくてよかったですねと、インファは飄々と笑った。その笑みから、インファが深刻な状態ではないことを、エーリュは何となくわかったが、ここにはインファ以外の気配がなかった。とすると、あの”親方”と呼ばれているヒクイドリがインファをここへ連れてきたということで、いいのだろうか?とエーリュは恐る恐る訪ねた。
「親方さんが、インファさんを?」
『そうです。暗殺した張本人ですよ。ですが、ここに留まっているのはオレの意志です』
もっとも、抗ったところで出ることは叶わないですけどねと、インファは口には出さずに思った。
「ここで、何をしてるの?」
『もっともな質問ですが、肝心なところはよくわからないんですよ。この炎、どう見ます?』
え?とエーリュは燃えさかる金色の炎に目を向けた。
「何でも燃えそう。でも、熱くないのね。荒々しいけど、どこか優しいような?」
シールドのせい?とエーリュは首を傾げた。
『この炎は、オレの殺戮の衝動です。親方は、どうにかしてオレを最上級精霊にしたいようですが、その意図は不明です』
「思惑のない善意は、とりあえず信じない主義です」と、インファは苦笑した。
「最上級精霊……ラスが、クーデターじゃないかって。インファさんは陰謀に巻き込まれてるんじゃないかって心配してるわ」
『オレも考えましたが、親方は風の命を散らせないと笑っていました。悪意はないようなんですが、とにかく不明ですね。オレもこの通り元気ですしね』
インファは困って笑っていた。本当に酷い仕打ちはされてないんだと、エーリュはホッとした。
インファは見つけたが、これ以上どうすればいいのかエーリュはわからなかった。
囚われているのなら、救出しようと思ってこっそりここへ来たが、インファは魂だけの状態だったが元気そうに見えた。そして、自分の意志でここにいると言われてしまったら、連れ出すこともできない。
困っていると、インファの視線が鋭くエーリュを飛び越えて後ろを見やった。何?と振り返ると、鋭い金色の風が部屋の中に躍り込んできた。
その姿に、ハッとしてエーリュは身を強ばらせた。
『エーリュ!逃げなさい!』
インファの声に我に返ったが、体が動かなかった。久しぶりなその気配に、人間だったころの心が呼び覚まされて、臆してしまったのだ。姿は異なるが、この気配の彼に、エーリュは命を狙われ、守ってくれたインファとリティルは大怪我を負わされた。その記憶が、ありありとエーリュを支配してしまっていた。
エーリュ目掛けて飛んできたのは、10本の鋭く長い爪を持つラスだった。
彼の瞳は、血の色に赤く濁っていた。