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二章 雷帝の消息

 セリアの夢に現れたインファの言葉に従い、図書室へ来たインジュは、司書のコマドリに、金色の羽根が描かれた本というキーワードを伝えてみた。

すると、6人掛けの大きなテーブルが埋まるほどの、山ほどの本が運ばれてきた。

「これは……予想外です……」

インジュは顔を引きつらせながら「読書の趣味ないんですけど」と言いながら、1番上から順番に、手当たり次第確かめていくことにした。

風の城の図書室は、インファとゾナが読書家ということもあり、かなりの蔵書があった。司書のコマドリがいなければ、この知識の海に溺れているところだ。1山ですんで、よかったと思うべきなのだと、インジュは前向きに捉えた。

 どれくらい没頭していたのだろうか。

インジュは思いの外読書が楽しくて、全く関係のなさそうな鳥の図鑑を、食い入るように読んでしまっていた。

「おーい、インジュ!」

「うひゃあ!リ、リティル?帰ってたんです?」

リティルは、大げさに驚いたインジュに苦笑しながら、インジュの手元の本を覗き込んだ。

「おまえ、何始めたんだよ?鳥なんか調べてどうするんだ?」

「え?えっとですね、鳥が知りたいわけじゃなかったんですけど、脱線しちゃいました。読書舐めてました。楽しいんです!」

インジュは「ほらほらここ!オオタカのことが書いてあります!」と目を輝かせていた。リティルは、どこか懐かしそうにインジュの顔を見て、目を細めて笑った。

「ハハ、インファがひな鳥の頃、そんな顔してたぜ?」

リティルは、インジュの隣の椅子に腰を下ろした。

 リティルがここへ来たのは、ゾナがインジュはここだと言ったからだ。あいつが図書室?と意外に思いながらここへ来ると、確かにインジュはいた。その後ろ姿を見た時、リティルは思わず「インファ」と呼びそうになった。前のめりに本を読みふけるその姿が、彼にソックリだったのだ。

インファは、知識欲の塊だ。暇があれば本を読んでいた。

同じく本の虫であるゾナが、この城に暮らすようになり、図書室の上にある時計塔にインファが入り浸り、城の業務が滞るから応接間にいろ!と、ゾナを引っ張り出すことになったなと、思い出が蘇ってきた。

「お父さん、そんな昔から本が好きだったんです?」

「あいつな、女嫌いだろ?ホント閉じこもってたぜ?」

「ああ、苦手な理由わかります。そんなんでよく、お母さん、お父さん落とせましたね」

インファはその男性的に整った顔立ちに、優しい微笑みで女性人気が高い。時にはそれを武器に使っているようだが、女性に対してガードが半端なく堅いのだ。昔、何かあったんだろうなーとインジュは、漠然と思っていた。

「おまえ、知らなかったのかよ?落ちたんだよ。セリアが落としたんじゃねーんだ。インファが勝手に落ちたんだよ」

「えっ!落ちたって、それで結婚してからも追いかけっこしてたんです?今はラブラブしてますけど」

雷帝夫妻は、セリアが照れ屋でインファは逃げ回られていた。しかし、今では一転、インファが帰って来るとセリアは「おかえりなさい!」と言って、抱きついていた。その幸せな光景が、つい昨日まで普通に行われていたように感じてしまう。

夢の中で、偽物だとわかっている父に、真っ直ぐ抱きついていった母の姿が、とても痛ましかった。インジュ自身も、両親は政略結婚だと思っていた時期があるほど、2人が仲良く一緒にいる姿を見ることは稀だった。仲がいいんだなという姿が見られるようになったのは、200年くらい前からだろうか。信頼は感じていたが、愛し合っているのかどうかは、長年インジュも疑問だった。

それくらい、インファの愛情は受け取り辛かった。息子のインジュが、ボクが好きなんだからそれでいいと、親子愛すら拗らせるほどには。

――やっぱり死んでるの?

――ええ、残念ながら

胸が痛かった。もうちょっと言い方ないんです?インジュは恨めしく思った。

「はは、セリアのヤツ、インファが手に入ったって自覚した途端、あいつが超絶美形なことに気がついたんだよ。すげーよなあいつ、あの顔が目に入ってなかったんだぜ?インジュ、おまえも顔いいのに、言い寄られねーよな?何かコツでもあるのかよ?」

「何もしてませんよぉ?グロウタース行けば恋愛相談ばっかりですし、イシュラースでは……あんまり話しかけられませんねぇ。怖いのかもですねぇ」

「怖えーか?インファの方が、よっぽど怖えーと思うけどな」

「最上級精霊だからです。精霊は、それがなんか大事みたいです。だから、お父さん、気にしちゃってたんですよねぇ。そんなもの、気にしてほしくなかったです。でも、ボク、最上級なんで、お父さんの気持ち、わかってあげられなかったんです……」

「歯痒い。か……オレも思ってたな。原初の風を継承して、最上級に返り咲くまでは、オレも弱さに苦労してたぜ?毎日が綱渡りだった。インファがいなかったら、とっくに代替わりしてたぜ。おまえは、強えーオレしか知らねーからな。オレが最上級になってから、インファは、自分のことを悩むようになった。あいつは、頭が良すぎたんだ」

インファは、強くなろうと足掻いていた。だが、力の理解力の高いインファは、すでに完成された精霊だった。生命力も霊力も上限を上げることはできず、基本的な力は強化のしようがなかった。

正面切っての戦いを好むリティルとは違い、インファは戦略を練る。彼は1人よりチームを率いた方が強さを発揮する。後ろで指揮を執る軍師の方が向いているのだ。それを、彼自身もわかっていたはずだった。軍師に必要なのは、状況を見極める目と、頭脳だ。自分自身の力量は、攻め込まれない限りは関係がない。

それなのに、インファが力を求めざるを得なかったのは、オレのせいだとリティルは思っていた。トラブルを引き込んで、勝手に窮地に陥る父を、インファは助けようと足掻いてくれていたのだから。

「オレが、あいつの重荷になってたんだ。インジュ、おまえが気に病むことねーんだぜ?」

「リティル……」

寂しそうに笑うリティルの様子に、インジュはやっと手に入れた情報を、彼に話していいものかと、悩んでしまった。今のリティルは、リティルらしくない。前向きで、光り輝く笑顔で、強引でもなんでも、生かせると思ったら全力で命を守る、15代目風の王の強さがなかった。

雷帝・インファを取り戻せると知れば、リティルは疲弊した心を奮い立たせて、また力強く飛んでくれるだろうか。それとも、風の王の正しさとの間に押しつぶされ、破滅の未来を導く手助けとなってしまうのだろうか。

インジュは迷ってしまった。

 リティルはパッと明るく笑うと、おもむろに席を立った。

「さあ、インジュ、もう寝ろよ?副官代理、やるんだろ?」

「はい!でも、もうちょっと読みたいんです。お父さんに似てるって言われると、子供っぽいんですけど嬉しいんです」

父に似てる――リティルは14代目風の王・インの手によって作り出された精霊だが、父親であるインには似ていない。容姿的に親子だと見られることはまずないほど、似ていない。そして、血を分けたインファとも似ていない。インファの方がインとソックリだった。

新米風の王だったころ、インファを連れて飛ぶと、インファはあり得ないことなのにインとよく間違えられていた。そして、オレの息子だと告げると更に驚かれた。

そんな親子だった。インファとは。

インファとインジュは、そんなことはない。親子だと告げると、皆は「ああ」と言って納得する。美しさの路線は違っても、二人の容姿はちゃんと血縁を感じさせていた。そんな2人が、リティルは少しだけ羨ましいなと思っていたのだった。

インファの容姿は、トンビがタカを生んだのではない。歴代風の王の容姿に準じていないのは、リティルの方だった。インファは、正しく風の精霊なのだ。

「ハハ、あんまり根詰めるなよ?インジュ、おまえとインファが親子だって言って、納得するヤツはいても、驚くヤツはいなかっただろ?おまえ達は似てたよ」

リティルはポンッとインジュの肩を叩くと、図書室を出ようと、インジュから離れようとした。その手を、急に掴まれた。僅かに見下ろすと、インジュがインファに似た鋭い瞳で睨んでいた。インファは、セリアが邪眼使いではないか?と訝しがるほど、その瞳に力がある。彼の睨みは、風の王・リティルでさえも怯ませる。

その瞳を、インジュが?それより、なぜインジュに怒られているんだ?とリティルは身に覚えなく驚いていた。

「リティル……過去形になっちゃってますよ?お父さんはまだ、戻ってくるかもしれないのに!」

インファが戻ってくる?唐突な言葉だった。何を言ってるんだ?リティルはインジュの言葉に戸惑った。リティルがそうであるように、インジュもインファの死を理解している。リティルは、それを知っていた。そのインジュからの言葉に、リティルは更に驚いていた。

「はあ?おまえ、何言って――」

「ボクが、何でもないのに図書室で調べ物すると思います?リティルだって、おかしいと思ったからここに来たんですよねぇ?」

目がそらせなかった。インジュのインファとは違う、白に青と緑の入り交じった宝石のような瞳に、雷帝・インファを見ていた。

「ボクも、リティルと同じなんです。お父さんは死んでます!葬送の力は弱くても、ボクは風の最上級精霊ですから、わかっちゃうんです。それでもボクは、お父さんが帰ってくる方に賭けてます。そして見つけました。リティル、リティルが、お父さんに会っても有無を言わさず狩らないって約束してくれるなら、会わせてあげます」

インファに会わせる?

リティルは驚きに瞳を見開いた。

 魂が――残っている?そのことも寝耳に水だった。

死した者の一生がかかれた本の眠る、鬼籍の書庫で記録される、始まりと終わりの地・ドゥガリーヤに帰っていない魂の名が記される迷魂リスト。そのリストに、雷帝・インファの名はない。未だに鬼籍は空白のページを追加し続けているが、8年も経って魂がこの世に残っていて、迷魂リストに名が載らないのは不自然だ。

雷帝・インファは死んでいる。

それは、王の本能が告げていた。インジュもそれを悟っている。帰って来ることは、もうあり得ない。インジュもそれをわかっていると思っていた。いや、わかっていた。

インジュがセリアとルキルースに行ったのは、セリアを送っていったのだと思っていた。現に彼女はルキルースから戻っていない。

彼女は元々、幻夢帝・ルキの手足だ。インファがいなくなり、風の城にいる理由がなくなったことと、セリアの著しい衰弱を見かねてのルキの要請だと思っていた。リティルは、それをルキに確かめなかった。リティルの脳裏を過った答えが帰って来ることを、恐れたのだ。それは、インファがもう帰ってこないのだということを、結果的に他者から突きつけられることになるからだった。それには、さすがに、耐えられそうになかった。

ルキルースから戻ったインジュが図書室だと聞いて、どうして?と確かに思った。何かインファのことで情報を掴んだのか?と思った。

しかし、机の上のおびただしい量の本は、鳥に関係した本ばかりで、リティルはまたどうして?と思ってしまい、いやいや、すべてをインファに結びつけるのはないよな?とも思ってインジュに問えなかった。

8年。8年経った今も、リティルは雷帝・インファの死と向き合えていなかった。城の皆の淡い希望も手伝って、リティルは息子の死に向き合うわけにはいかなかった。リティルが、彼はもう死んだのだ、戻ってこないのだと悟っていることがバレてしまったら、皆の8年間の想いを砕いてしまう。哀しみに飲まれてしまったら、戦えない。風の城の仕事は、命を奪うことなのだから。

「イ――ンファに――会え――会えるのか?どこだ!あいつはどこにいるんだ!」

教えろ!とリティルはインジュの肩を乱暴に掴んでいた。そんな必死なリティルの瞳を、インジュは冷ややかに睨んでいた。

「覚悟、決めてきてくださいよ。決して絶望しないって!何者にも翻弄されないリティルの正しさ、貫けるって!勢いじゃなくボクに誓えるなら、教えてあげます」

そういうとインジュはリティルの両手を引き離し、図書室から有無を言わさず追い出した。

 そして、ドッと椅子に腰を下ろして、インジュは頭を抱えた。

「やっちゃいました……お父さん、死んでることは確かなのに……ボクじゃ、リティルに勝てないのに……お父さん……」

――おまえ達は似てたよ

リティルのその言葉に、怒りが湧いてしまった。リティルは、インファを取り戻せるかもしれないことを知らないのに、インジュは、彼が諦めていることを目の当たりにして感情が先走ってしまった。リティルは今でもずっと、本能に逆らって城の皆の心を守っているのに……。

 後悔した瞳でインジュは、目の前に開かれたままの鳥の図鑑のページを繰った。そして、茶色で雄々しい猛禽類のイラストをそっと、指で撫でた。

狗鷲――首の後ろに金色の羽根が生えているから、ゴールデンイーグルとも呼ばれている。

”イヌ”という名には、諸説あるが、取るに足らないという意味がある。

取るに足らない……けれども、山岳の王者と呼ばれているなんて、お父さんみたいだなとインジュは思った。

オオワシやオジロワシより小さくて、尾羽の美しさがクマタカに劣る。

目が凄く良くて、飛びながら樹間を見極めて、突入可能かどうかを瞬時に見極める。そして、行けると判断すれば迷わない。長く大きな翼で、小回りがきかないのに、そこへ突入できる大胆さ。連携して狩りをするところ――

イヌワシという鳥は、知れば知るほど雷帝・インファの様だった。

「お父さん……必ず助けます。リティルに殺させませんから、ボクが!」

インジュはもう一度、狗鷲のイラストを撫でた。

 翌日、図書室に音楽夫妻と共にいたインジュのもとへ、リティルは姿を現すのだった。


 旋律の精霊・ラスと歌の精霊・エーリュは、インジュから夢の中でのことを明かされていた。

ラスはインジュの相棒で、エーリュは彼の妻で友人だ。巻き込まない手はなかった。セリアはルキの手で、ルキルースに閉じ込められてしまい手が貸せない状態にある。セリアは当然抗議したが、ルキがフンッと鼻で笑って「インファが戻ったとき、そんなやつれた姿見せるつもりなのかな?」と言われ大人しくなった。

「セリア、そんなことになってたのか?……オレはまだ、頼りないな……」

左目を金色の長い前髪に隠した、真面目そうな若者が、インファの代わりに四天王の一角を担っているのに……とセリアの悪夢に気がついてやれなかったことを真面目に悔やんでいた。そんなラスに、インジュは「真面目君ですねぇ」と苦笑した。

「お母さんは基本、ノインしか頼らないです。ノインはリティルのフォローに忙しかったから、遠慮しちゃったんですねぇ。肝心なときにしおらしいお母さんが悪いんです!なので、ラスが気に病む必要ないです」

自業自得!とインジュはピシャリと言い切った。それを聞いて、快活なショートヘアーの、ラスとインジュと同年代の容姿のエーリュが、遠慮なく笑った。

「あはは、そんな風に言ったら可哀想よ。インジュも結構落ち込んでたでしょう?ラスが、ガラにもなくよく歌ってたの気がついてた?」

「ああ、そう言えばラス、インサーフローの歌、完璧なコピーで歌ってましたねぇ。ノートン達が凄いって絶賛してましたよぉ?」

ピアノホールと呼ばれる部屋には、インフロバンドトリオと呼ばれる、恐ろしく楽器の扱いの上手い風の妖精が住んでいる。彼等はかつて、インサーフローの専属バンドのメンバーだった3人の人間のコピーだ。

彼等の「オレ達の演奏で以外、インフロの歌を歌わないでくれ」という遺言に従い、彼等に妥協してもらうためインファが作ったのだ。コピーであるため、当人ではない。当人達は輪廻の輪に乗り、今は新たな生を生きているはずだ。

「精神安定の要音仕込んでたの。インジュが泣いてる!ってわたしが灼けちゃうくらい必死だったんだからね?」

「エーリュ……バラさない約束……」

「インジュが立ち直ったんだから時・効!でも……リティル君が、インファさんのこと諦めてるんだってこと、知らなかったわ……」

エーリュは、傷ついた顔をした。それを見たインジュは、リティルがずっと前向きな姿を演じ続けている優しさを、改めて実感した。

「リティル、風の王ですからね、仕方ないです。それでも、3年前まで信じてくれてましたよ。ボクも、それくらいまでは何とか平気でした。8年はさすがに長いです。戻れる可能性があるのに、これだけ時間かかるって、お父さん、だいぶ苦戦してますねぇ。何やってるんでしょうか?」

「それを調べるんでしょう?インファさんの為なら、何だってするわ!でも……リティル君、来ると思う?」

エーリュは顔を曇らせて、本のページをめくる手を止めた。

「来ます。リティルは正しさを守りながら、抗ってくれます!ずっとそうやって、飛んできたんですあの人は。ボクはリティルを信じてます。一家を血祭りに上げて全部壊すなんて、リティルじゃないです」

「それは、本当に信じられない。赤い風……リティルの殺戮形態?」

「そうです。あれは化け物です。でも、お母さんの話だとリティルっぽくないんですよね。夢の中のボク、リティルと話してるみたいじゃなかったって、別の誰か、完全に敵対してる誰かと話してるみたいだったって、そう言ってたんです。ボクがリティルを『おまえ』呼ばわりって、ブチ切れてたとしても信じがたいですよぉ」

「エンド君は、何か言ってるの?」

殺戮の衝動のことなら、エンド君でしょう!と、エーリュはインジュのもう一つの人格である、オウギワシのエンドの名を呼んだ。インジュは、誰かの声に耳を傾けるようにしばらく押し黙った。そして、口を開いた。

「リティルの殺戮の衝動、完全に封じられてるんで、全く見えないって言ってます。過去2回暴走してるんですけど、どっちにもボク、関わってませんし、そのころエンド君いなかったんです」

「外から見えるの?わたしやラスのも?」

「見えるって言ってます。ラスは、十本爪の怪人ですけど、相手の能力の一部をコピーする固有魔法付きです。怖いですねぇ。反属性返しする切り裂きジャックなんて、勝てる気しないですねぇ。エーリュは死神の歌姫です。歌声でジワジワ力を抜き取って、枯れ木にしちゃう。と、ゾッとしますねぇ。2人とも、見かけ倒しなボクより強いんじゃないんです?」

「そうかな?オウギワシって、ハーピーイーグルって呼ばれてるだろ?ハーピーっていうのは、グロウタースの架空の化け物なんだ。美しい女性の姿をした怪鳥で、歌声で人々を惑わせるんだ。殺戮形態のインジュの歌にも、何か力があるんじゃないかな?」

最上級だし、攻撃力のみっていうのは信じがたいと、ラスは言った。

「オウギワシって、そんな呼ばれ方もあるんです?怪力で耳がいいだけじゃなく、歌えたら確かにボクっぽいですねぇ」

 そんなことを話していると、インジュの背後の、重々しい図書室の扉が開いた。

「リティル君?」

インジュの正面にいたエーリュが、驚いた顔で呟いた。

ああ、来てくれましたねぇ。インジュはゆっくりと振り返った。

「インジュ、あいつを取り戻す覚悟、決めてきたぜ?」

「わかりました。知ってること話します。ただし、勝手に行かないでくださいね?今回リティルはボクの敵ですからねぇ」

リティルはおそらく、インファが死んでいるからだと思ったことだろう。これを聞いて、どんな反応を示すのだろうか。楽しみですねぇ。インジュは、注意深くリティルを観察することを怠らなかった。エンドも、インジュの内側からジッとリティルを窺っていた。

 話を聞いたリティルは「おまえ、よくオレに話そうと思ったよな?」と苦笑された。そして言った。

「セリアの夢に出てくるオレは、もうオレじゃねーな。正義ってヤツが、オレは大っ嫌いだ。そんなモノ振りかざしてる時点で、オレじゃねーよ」

リティルは険しい顔をしていたが、絶望してはいなかった。むしろ、その瞳には確かな光があった。

「それから、深淵って場所の事だけどな」

「知ってるんです?」

インジュの驚きを含んだ声に、リティルは頷いた。

「風の王が目覚める場所だよ。オレはそこで産まれてねーけどな」

「ああ、リティルはグロウタース出身でしたねぇ。行き方、わかります?」

「わからねーな。インファに本を探せって言われたんだろ?とりあえずそっからだな」

そう言いながらリティルは、机の上に積まれた本の山を見た。

「これはゲンナリだな。インジュ、キーワードなんだって?」

「えっとですねぇ、金色の羽根が表紙に描かれた、最も古い本です」

リティルはそのキーワードを反芻して小さく呟いた。そして、ああと顔を上げた。

「コマドリ!魔書・風の城、出してくれ」

リティルが召使いのコマドリを呼ぶと、数羽の金色のコマドリが飛んできて、机の上の本をあっという間に退けた。そして、1冊の本が残された。

金色のオオタカの羽根が描かれた、古びて分厚い本だった。それは、ゾナの本体である魔道書に装丁がどことなく似ていた。

「風の城、深淵の項目教えてくれよ」

しかし本は、何の反応も示さなかった。すかさずコマドリが飛んできて、リティルの肩に留まるとさえずった。

「はあ?充填切れ?わかったよ。インジュ、エーリュ、風の奏でる歌、歌ってくれよ」

指名された2人は、え?と顔を見合わせたが頷いて、風の精霊の力ある歌を歌い始めた。インジュは、あれ?そう言えば最後に歌ったのはいつだったかな?とふと思った。

2人が声を合わせて歌い出すと、金色の風が渦巻いて、本に吸い込まれていった。風を纏い、魔書・風の城は空へフワリと浮かんだ。そして、パラパラとページが独りでに繰れた。

そして、あるページを開いて本は机の上に降りた。

本のページを、4人はそっと覗き込んだ。

 そこに書かれていた説明文は、意外だった。

「風の王って、そのまんま剣なのか?これ、鍛冶場って刃を作って鍛えるところだろ?」

ラスが驚いたように言った。彼の驚きはもっともだ。本に書かれているイラストは、とても、生き物が産まれる場所とは思えない場所だったからだ。

インジュは、ミリスヴィールのくれたヒントで、この部屋のことを知っていた。知っていたが、風の王が産まれる場所だとは思いもよらなかった。

「風の王の、殺戮の衝動を鍛える場所ってことみてーだな。インファ、なんだってそんなところにいるんだ?」

「殺戮の衝動使って戦いまくったから、壊れちゃったんでしょうか?」

インファが、インジュ以外使えないはずの殺戮形態を引きだして戦ったのには、理由があった。それは、敵の手に落ちたインジュを、取り戻す為だった。だとしても無茶は無茶だ。風の城最弱の精霊だったインファが、行っていいわけはなかったのだ。

やはり、インファは、見えないどこかに傷を負っていたのだ。そういえば、消えてしまう前、お父さんにしては怠惰だったとインジュは俯いた。

ノインは、肩の力が抜けたようでいいではないかと言っていたが、そうは思ってもインジュは、インファが何か重大なことを隠しているような気がしてならなかった。エンドにも相談したが、何も感じない、気にしすぎだと言われてしまった。

「インジュ……怖いこと言わないでよ!」

「殺戮の衝動って、本来死ぬときにしか出てこないんですよね?エンド君が導いたっていっても、その後大暴走してましたし……この”ゴーニュ”っていう人が呼んだんです?」

インジュは、説明文に出てきた名を指さした。

「何の為に?ここ、風の王を作るところなんだろ?」

風の王ではないインファを、呼び寄せる理由がわからないと、ラスはもっともな意見を述べた。

「お父さん頑張ってるからご褒美的な?」

ラスは一瞬押し黙って、クルッとリティルの方を向いた。さすがに呆れられちゃいましたねぇとインジュは苦笑した。

「リティル、これ、クーデターなんじゃないか?ゴーニュが主犯なのかはわからないけど、インファ、陰謀に巻き込まれてるんじゃないのか?」

「うーん、それだと、インファが復活したらオレと全面戦争だよな?オレの暴走前に、インファが復活したら丸く収まるんだろ?辻褄が合わねーよ」

「ボクご褒美説に賭けます!リティル、行くしかないですねぇ」

「ご褒美は置いとけよ。けど行くしかねーな。それで、インファに聞いた方が早いな。あいつは、無事なんだろ?8年経ってて正気を失ってねーなら、それは迷魂とは言い難いよな。迷魂リストにもあいつの名前は未だにねーしな。一体全体どういう状態なんだろうな?なんか怖えーな」

話せる封印状態?もしくは、精神ダイブで話をすればいいのだろうか?封印されている、もしくは休眠状態なら、とりあえずはセーフだ。精霊は傷を癒やすために、一時的に眠ることがある。インファは、インジュが言ったように魂に傷がつき肉体を一時的に捨てて、休眠状態なのかもしれない。それならば、風の獲物ではない。それは死んでいるのではなく、眠っているだけなのだから。

リティルもインジュも、休眠状態の精霊が、鬼籍の書庫や自分達の本能に、どのように認識されるのかを知らなかった。鬼籍を管理している無常の風、司書・シャビ、門番・ファウジにも聞いてみるかと、リティルは思った。

「夢の中のお父さん、本人に聞けって言ってたんで、話ができる状態だと思いますけど。お父さんが風の精霊でよかったです。リティルに見つかった時点で、潔くってできないですから」

風の精霊は、命を導くという仕事のために、自分の命を自分で絶てないのだ。インジュの言葉に、リティルはゾクッと身を振るわせて自分の体を抱いた。

「インジュ……怖えーこというなよ。オレ、行かねーほうがいいんじゃねーか?」

リティルは急に弱気になって、尻込みしだした。

「オレは、リティルには留守番していてほしい。オレ達で確かめに行くから、報告待っていてほしいんだ。偽ったりしないから」

ラスが控えめだが、ハッキリと意見を述べてきた。彼の考えはもっともだと思う。そう思うのだが、リティルはそれを飲めなかった。

「それは……信じるけどな……」

「リティル君、気が進まないの?」

わたし達、リティル君を裏切らないよ?とエーリュは首を傾げた。

「いや、おまえらを信用してるぜ?違うんだ。会いたいんだ。インファに早く会いてーんだよ。どんな姿でもいいんだ。どんなおぞましい姿でもなんでも、あいつに会いてーんだ」

ゾンビみたいになってても、頭だけになってても、指1本でも!と言ったところで、エーリュに「やめて!怖すぎるわよ!」とリティルは怒られた。

「じゃあ、一緒に行きましょうよぉ!お父さん真面目ですから、慌てふためくと思います。きっと、リティルに見つかったらアウトだと思ってますよぉ。死んでることは確かですからねぇ。慌てふためくお父さん……フフフフ……レアですねぇ。楽しみですねぇ」

「楽しそうで、黒いなおまえ。まあ、どうしようもねー状態でも、最後まで抗ってやるって決めたからな。オレも行くぜ!」

「大丈夫なのか?オレはやっぱり、賛成できない」

そうはいっても、風の王であるリティルには、王として守らなければならない理がある。その理に触れていたら、誰であろうとリティルは引導を渡さなければならないのだ。ラスは、会わなければまだそれを先延ばしにできると、言ってくれているのだ。

「殺しそうになったら、オレのこと殺してでも止めてくれよ。息子殺しなんてな、どう考えても正しくねーよ。ラス、おまえの素早さならオレを止められるぜ?」

なあ?と言って、リティルは曇りなく笑った。その笑顔は確かに風の王・リティルのモノで、ラスは不安を感じながらも息を詰めると頷いた。

「で。ですねぇ、肝心の行き方なんですけど、書いてないですねぇ」

「……ノイン、あいつなら知ってるかもな」

「覚えてます?前世の記憶の、一番古い記憶ですよぉ?」

ノインは、リティルの父である前王――14代目風の王・インの生まれ変わりだ。インとは性格は違うが、知識と技を継承している。深淵の行き方を知っているとするなら、この城には彼しかいなかった。

ノインと聞いて、エーリュがガタンッと席を立った。

「わたし、ノインに聞いてくるわ!」

 待ってて!と言って、エーリュは止める間もなく図書室を飛び出していった。

「……なあ、ラス、おまえとエーリュにとって、インファはどういう認識なんだ?」

エーリュとインファに血の繋がりはない。インファは、なぜか例外はあるが年下の容姿の精霊に、兄と認識されることが多く、実際に彼を兄と呼んで城に住んでいる精霊もいる。エーリュもその口だったのか?と意外そうにリティルは、エーリュの出て行った扉を見つめていた。

「オレにとっては上司だよ。でも、たまに……兄さんって呼びそうになるんだ」

「ハハ、呼んでやればいいじゃねーか。あいつ、慣れてるからな、驚かないぜ?」

「い、いや……インジュにつられてるだけで……。……リティル、オレのこの共感力、何とかならないか?」

「それのせいで、暴走男性恐怖症だったですからねぇ。でも、もうかなり制御できてるんじゃないんです?それに、共感力は旋律の精霊の力使う為には、必須じゃないですかぁ。それなくしちゃったら、ラスじゃなくなっちゃいますよぉ?」

「そうだけど……インファを兄さんって呼んでしまったら、いろいろ崩壊する気がする……」

エーリュとラスは新参精霊だ。出会いはグロウタースのある大陸だった。その大陸に、インファとインジュは人間の歌い手・インサーフローとして潜入した事案で出会い、リティルの導きで風一家に加わった精霊だった。

エーリュはそこで、エリュフィナという名の歌って踊れる歌い手をしていたのだ。その時、インサーフローとは人気の拮抗したライバルだったのだ。

ラスは古参の精霊が人間に転成した、異例の人間だったのだが、そのために人間にしては強すぎる力を持ってしまい、それによって受けてしまった暴力のせいで、極度の男性恐怖症となってしまった。その恐怖症は根強く、今もラスを苦しめている。

人間だったころに関わりを持ったリティル、インジュ、インファには耐性があり、ラスは触れられても暴走することはない。風の城に来た当時は、同じ空間に数人の男性がいるだけで力が暴走していたが、努力の結果今はそんなことはなくなった。

「ハハ、いっそ崩壊したほうがいいんじゃねーのか?あいつはこの城のブレーキ役だ。おまえはたぶん、まだどっかで自分を恐れてるんだよ。インファを頼るヤツは大抵そうだからな」

ラスは、憂いを帯びた瞳で俯いた。

「インファは、頼られてばかりだった。あの笑顔の下で、無理してたんだと思うと、オレが兄さんとは呼んじゃいけない気がする。支えたいんだ、インファのことを。今からでも遅くないなら……」

「遅くねーよ。おまえ、恐怖症を克服したのはインファの為だろ?応接間に常にいるためなんだろ?」

「お父さん、そういうとこ鈍いんで、ボクのためにラスが頑張ってるって思ってたと思いますけどねぇ。ラス、お父さん帰ってきたら、兄さんって呼んでみてくださいよ。あの余裕の笑顔、壊しちゃいましょうよぉ」

「え?いや……うーん……それも何か違うんだ。オレはインファとどうなりたいんだろう?」

「おまえ、補佐が得意だよな。バリバリ戦闘系なのに、前衛に立つより少し後ろからサポートするって戦い方だ。応接間にいるときも、気がつくとシェラとお茶配ってるよな」

「ああ、そういえば、ノインが言ってたんですけど、ラスがこの城にいるようになって、デスクワークしやすくなったって。何かしてるんです?」

「え?別に何も……」

「おまえ、ハトたちと何やってるんだ?」

金色のハト達は、風の城の召使い精霊だ。世界中から集まってくる情報を集め管理してくれている。そのハト達とラスが何かしていることを、リティルは知っていた。

「何って……いろいろな情報が集まってくるんだなって、どんな情報がどれだけあるのか知りたくなって、ジャンルわけしてみただけだよ」

「ええ?あれ、整理してたんです?もの凄い量ですよぉ?ああ、それでデスクワークしやすくなったんですねぇ。ノインもお父さんも、起きてくるとまず情報の整理から始めてましたからねぇ。それが終わってたら、仕事の割り振りもしやすいですよねぇ」

「人間だった頃、ダークムーンっていう組織にいたこと知ってるだろ?ボスはオレの魔導士の師匠だった。都中から集まってくる依頼書の整理は、オレの仕事だったんだ。風の城は、量も内容も桁違いだけど、こんなことまで?って情報もあって、初めは興味本位だったんだけど、やってたら楽しくなってしまったんだ」

「ラスは、風の城の執事だったんですねぇ。お父さんが戻ってきたら、四天王お抱え執事でいいんじゃないんです?」

「執事って……そんな大層なものじゃないけど、風五人衆よりはいいかな……」

「おまえ、裏方気質だな。インファは、おまえのこと買ってたぜ?気にかけるのは、あいつの性分だ。そこはまあ、気にしてやるなよ。負担じゃねーよ。一家の状態を把握することは、副官の仕事だしな。おまえが執事やれるなら、そういうインファの助けになれるぜ?」

十分だとリティルに言われ、ラスは控えめに嬉しそうに笑った。

「オレは、エーリュほど音魔法に精通してないし、上級精霊でしかない。それでも、役立つことがあるならよかったよ」

「そういえば、エーリュ、あんまりお父さんとは関わらなかったですよねぇ?」

「精霊としての師匠はノインだし、インジュを気にしてたから。インファともっと話がしたかったって言ってたよ」

「ええ?お父さんと離れてたのって、ボクのせいです?」

「そんな大げさじゃないけど、インジュが笑顔なら、みんなを笑顔にできるからって、そう言ってた。インジュが元気なら、インファを癒やせるって。インジュは、インサーフローだからって」

インサーフロー……グロウタースの言葉に訳すと風の奏でる歌。

風の奏でる歌は、風の精霊にとって大事な、力ある歌だ。歌う者によって、聞く者にもたらす効果の変わる、風の魂の歌。

過酷な風の精霊の心を癒やす、癒やしの歌だ。


『心に風を 魂に歌を。あなたは、風の奏でる歌その者です。歌う者によってその姿を変え、聴く者に様々な効果をもたらす、オレ達風にとって、大事な癒やしの歌です。忘れないでください。歌うことを。歌と共にあるときのあなたは、向かうところ敵なしでしたよ?』


ラスの言葉に、インジュはまるで目の前にいるかのように鮮明に、インファの言葉を思い出した。すぐに迷ってしまうインジュの標となる言葉だった。インファが応接間にいたときは、忘れなかったその言葉を、インジュは忘れてしまっていたことに気がついた。インファのいない穴を埋め、風の城を維持しようとしようとした結果、インジュはもっともインジュらしい歌うということを、いつしか忘れてしまっていた。

インファのくれたこの言葉は”インジュ”という魂を守る、大事な言葉だったというのに、インジュは失っていたことをやっと思い出した。

「お――父さ――」

インジュの瞳から、堰を切ったように涙が溢れて流れ落ちた。

インファを見ていると、精霊の強さに、最上級だとか上級だとか関係ないんだと思えた。

インジュは、風の城最強の精霊で、インファは、最弱の精霊だった。だのに、インジュは、インファに守られてきたのだから。

「お父さん、ボクのこと、風の奏でる歌その者だって、そう言ってくれたんです。でもボクは、すぐに歌うの忘れちゃうんです……お父さんが言ったことを、すぐに忘れちゃうんです!」

インジュは、机に突っ伏すと声を殺して泣いた。ラスは、そっとインジュの背中に手を触れた。どんな言葉をかけていいのか、慰め方がわからなかった。

「それ、しかたねーだろ?インサーフローは、ピアノの方があってこそじゃねーか。ヴォーカルだけじゃ、ダメなんだよ。おまえとインファ、2人でインサーフローだろ?インジュ、何が何でもインファ取り戻せよ?オレに勝つんだぜ?」

リティルは、インジュの背中を撫でながら、言い聞かせるようにそう言った。インジュは顔が上げられないまま2人に寄り添われて「はい……はい」と繰り返した。

 この城で、インファとインジュは、親子でインサーフローの相棒で、そして最弱と最強の精霊だった。風の城の最弱の副官は、そうであるのに皆の上に君臨し続けた。誰も、彼に逆らえなかった。優しい笑顔で優しく、時に厳しく、一家の命を守り続けたインジュの父。その消失は凄まじく、副官代理という場所にいなければ、インジュは自殺のできない風の精霊のボクでも死ねたと思っている。

今、インファを取り戻せるかもしれない希望を手に入れて、その為に、主君と――リティルと争うことになったとしても躊躇わないと、インジュは、リティルの小さくて暖かい手に慰められながら誓ったのだった。


 インジュが泣き止む頃、エーリュがノインを引っ張って帰ってきた。

「何事だ?深淵に行きたいとは、どういうことだ?」

「ノイン、悪いな。なんかな、インファのヤツ深淵にいるらしいんだよ。オレ、そこで目覚めてねーからな行き方がわからねーんだ」

インファがそこにいると聞いて、ノインは仮面の奥の瞳を険しくした。

「……魔書・風の城、産道の項を頼む」

ノインが命じると、魔書・風の城は金色の風を纏ってフワリと浮き、独りでにページを繰ると机の上に戻った。

ノインは、どこかの廊下の絵が描かれたページを指さした。何の変哲もない、窓のない廊下。天井には、翼を広げたオオタカを下から見た絵がずっと並んでるようだった。

「深淵は産道を通った先だ。逆戻りした王はいない。それに、王以外入ることのできない聖域だ。インジュ、ラス、エーリュ、おまえ達も行くのなら心して行け」

「ノイン、あなたが行くわけにはいかないのか?」

知識のあるノインが一緒に行ってくれれば、心強いのでは?とラスは留守番でもいいと思った。

「オレは、城の業務を滞りなく回さなければならない。インファが戻ってくるのなら、尚更。リティル、天井のオオタカを逆に辿れ。産道の出口までは送ってやる」

「ああ、ありがとな!あと、ノイン、これはたぶん未来視なんだけどな、おまえも聞いてくれねーか?」

そう言ってリティルは、インジュに目配せした。「わかりました」とインジュは応じて、滅びの未来を再び語った。

 話を聞き終わったノインは、あからさまに瞳を見開いた。

「おまえが正義?そして、インファを守ろうとした一家の皆を殺し、世界を壊す?おまえはまた、何をしでかす?」

ノインはあり得ないとは言わず、明らかに呆れていた。

「はは、呆れるよな?オレもだよ。信じられねーけどな、確かにそれをしでかす可能性が、オレにはあるんだよな」

「可能性って、どんな?」

あり得ないと思っているラスは、そんな可能性がどこにあるんだ?と眉根を潜めた。

「オレの殺戮の衝動だよ。オレは2度目の暴走の時、あいつの声を聞いてるんだ。抗いようがなかった。未来視だと応接間が舞台だよな?その未来でオレは深淵に行ってないんだろ?インファが鍵なら、あいつに会うしかねーよ。それか、今ここでオレを封印するか?」

「それ、あんまり解決にならないかもです。リティルの心の中でのことなら、物理的に封じても出てくる時は出てきちゃいますよ。夢の中のお父さんは、何もしなければ導かれる未来だって言ってました。行きましょう。リティルが動かないといけないんです」

「……正直、インファに会うのが怖えーよ。インファがどんな顔するのか、想像したくねーんだ。あいつにとってオレは、招かれざる客だとしか思えねーからな。それでも、行くよ。ノイン、今後オレは敵になるかもしれねーから、みんなのこと頼むぜ?」

「了解した。気をつけて行け、リティル」

ノインは難色を示さず、二つ返事で背中を押してくれた。

「ノイン、オレ達も行っていいのか?城の事は?」

最近、本当に大型の魔物が多いけど……とラスはノインの負担を思った。

「問題ない。風の城は元々、風の王1人が運営していた。深淵まではそんな長期の旅ではない。今城にいる者達で何とかなる。気にするな。ラス、インファに会ったら早く戻れと念を押せ」

「わかった。必ず伝えるよ。ありがとう」

ノインは、真っ直ぐに僅かに見上げてくるラスの肩に手を置いた。ラスはもう、暴走する男性恐怖症によるトラウマに翻弄されることがなくなっていた。ノインのくれた、霊力を遮断する首飾りを霊力解析して、自分が暴走するメカニズムを説き明かしたのだ。

リティルには何度か止められる事態にまでなったが、ラスはやりきった。インジュは「そこまでします?」と苦笑しながら命を守りきってくれた。すべては、この城に、応接間にいたいがためだった。男性恐怖症はなくならないが、皆はわかってくれている。インファの眼差しのような優しく暖かいこの城を、ラスは自分の手で住処として勝ち取ったのだった。

行くぞと、ノインに促され、4人は図書室を後にした。


 産道の出口は、客室の扉が延々と続く廊下の壁にあった。

「隠し扉?」

エーリュが、何の変哲もない扉と扉の間の壁を見つめた。

「いいや。リティル、触れてみろ」

言われるまま、リティルは何の変哲もない壁に触れ――

「うわっ!」

手は何も触れずに、壁を突き抜けていた。リティルは息を飲むと、意を決して壁の中に頭を突っ込んだ。

「真っ暗だぜ?」

「ラスが光を灯せばいい。風の王は、この道を通り抜けるとき、王として必要な知識を得る。逆に辿ることで、何が起こるかわからない。王以外の者が通った記録もない」

「何が来ても、返り討ちです!」

「インジュ、慎重に行こう」

そう言うとラスは、皆に少し離れてと言うと、自身の周りに6つのオーブを呼び出した。6つの異なる魂を持つラスは、風の精霊でありながら、風、火、水、地、光、闇の力を等しく使える、六属性フルスロットルなのだった。ラスは、力の内包されたそのオーブの1つ、光を内包したオーブに触れて光の球を呼び出すと、自分の頭の斜め上に浮かべた。そして、サッサと壁を越えてしまった。

「ああ、待ってくださいよぉ!」

インジュはギョッとして、ラスの後を慌てて追った。そんな2人の姿を見ながら、リティルはノインを見上げた。

「ラスのヤツ、珍しいな」

「おおかたおまえが踏み込む前に、安全を確認したかったのだろう?エーリュ、自身の立ち位置を忘れるな」

「はい。あなたを失望させないわ」

ノインとエーリュの間に、師弟の信頼を感じて、何となく、ノインがついてこない理由を見た気がした。

「リティル、しんがりはエーリュに努めさせろ」

「ああ、わかった。エーリュ、頼むな!」

「任せて!」

エーリュは緊張気味に、でも意気込んで答えた。リティルはそんなエーリュに「肩の力抜けよ」笑うと、ノインに城を託し産道へ入ったのだった。

 先に中へ入ったラスは、光を巡らせ廊下を確認した。高い天井には、こちらに向かいオオタカが翼を広げた絵が描かれている。本の挿絵そのままの廊下だった。天井の絵以外、取り立てて何もない。赤い絨毯がずっと奥まで伸びていた。

「?緩やかに傾斜してる?」

「じゃあ、城の地下に通じてるんです?深そうですねぇ」

壁を越えてきたインジュは、ラスに並ぶと目をすがめてみたが、到底先は見えそうになかった。

「ハヤブサって、夜でも狩りできましたよねぇ?見えます?」

「……先で道が枝分かれしてる。リティル、飛ばない方がいいかもしれない。何か、得たいがしれない」

「ああ、何か、とんでもないモノがいるような気がするよな」

行こうとリティルが号令をかけ、インジュとラスが先行した。

 風の城は、数々の尖塔が槍の様に立った、大きな城だ。15人所有者が変わる間に、部屋が増えていき、リティルでさえ把握できていないほど入り組んでいる。他の四大元素の王の城と比べると、人間――グロウタースの民の築く城に造りが似ていた。無骨でシンプルに見える部屋が多いのだが、置かれている家具や飾りの美術品などはラスにもわかるくらい上質な物ばかりで、天井や床、壁もかなり凝っている。応接間は一見無骨でシンプルなのだが、その床は象眼細工で、描かれているフクロウとクジャクは、生きているかのような躍動感で床中に戯れている。

この、天井に描かれているオオタカの絵、その絵も生き生きとして著名な画家の作だと言われても信じてしまうだろう。実際は、城の修復や増改築を担当している、召使い精霊のスズメたちの作だ。

「どこまで続くの?もう何回道を折れたのかわからないわ……」

「胎児の最初の旅だな。大丈夫だ。終わりは必ずあるさ」

リティルの揺るがない輝きに、エーリュは思わず目を細めていた。

 リティルは、確かに迷うが、道を決めた後は本当に揺るがない。こんな人が、誰かに乗っ取られて一家と世界を壊すの?エーリュにはとても信じられなかった。

「リティル君……心細く、ないの?」

「はあ?おまえらがいるのにか?音楽夫妻とインジュだぜ?」

戦闘力申し分ないと、リティルは太鼓判を押してくれた。

「ノインじゃなくてよかった?」

彼の包容力は半端ない。リティルも、ノインを頼りにしていると感じていた。見た目よりも大人なリティルが、ノインにはどこか張り合うような子供っぽさを見せるのだ。年の離れた兄弟?リティルはノインに憧れているのかな?とエーリュは薄々思っていた。

「あいつオレには厳しいからな。初めからついてくる気なんて、ねーよ。それにな、あいつは味方じゃねーからな」

「予知夢のこと?」

「いや。あいつは、いつだってそういう立ち位置だぜ?」

「騎士で補佐官なのに?」

「あいつの1番はな、オレなんだよ。風の王・リティルじゃねー、何の肩書きもないオレを守るっていう願いを受けて、来てくれたんだ。だからな、インファを斬らなけりゃならねーかもしれねー今回、あいつがオレに味方することはねーよ」

「だったら、尚更一緒に来ないといけなかったんじゃないの?」

「あいつは今ルキルースだと思うぜ?」

「え?」

「オレの暴走が止められねーなら、一家を守らねーといけねーだろ?」

エーリュは、リティルが一家を皆殺しにするという言葉を思い出して、口を噤んだ。エーリュには信じられなくて取り合えなくても、ノインはそれを想定して動いているのだと、リティルがそれを信じていることを知った。

ノインはいつかエーリュに言った。「一家は誰も欠けてはいけない。風の王・リティルの名の下に、多種多様な能力を持つ精霊が集まっている。風だけでは対処できないことも、一家の誰かが知恵や力を貸してくれる」だから、1人で抱えるなとそう言って、ラスが極度の男性恐怖症で城に住めなかったとき、共に城に住まなかったエーリュにいろいろ世話を焼いてくれた。エーリュにとってノインは、ただの家族ではなかった。師匠。そういう存在だった。

「あいつのベースは伝説の風の王だ。オレの父さんだよ。父さんの遺した武器と、その所有者のノインなら世界を守ってくれるさ」

「武器?」

「14代目風の王のすべてだよ。父さんは、上級精霊で歴代2位だ。オレは最上級で3位。オレより格段に強えーんだよ。頭も力も格が違うんだ。あいつ、出し惜しみするけどな」

半歩前を行ってしまったリティルの表情は、薄暗がりで見えなかったが、声は明るかった。


 先行するインジュは、エンドの声でラスの不調に気がついた。ラスは、大して早足でもないのに、俯いて僅かに息が上がっていた。

「ラス、休みます?」

「え?いや……大丈夫だよ」

「ラス、どうした?」

「え?なんでも――」

「エンド君には隠せないです。殺戮の衝動、刺激されてますよねぇ?リティルとエーリュは大丈夫なんです?」

「ああ」「うん」

2人はケロッとした顔で、同時に頷いた。

「でも、何か声がしてるわ。これも音魔法なのかも。音魔法ならわたしには効かないわ」

わたしはプロの歌手よ!とエーリュはその聞こえてくる声に、対抗しているらしかった。

「さすが歌の精霊ですねぇ。でも、リティルが何も感じないのちょっと心配です」

「ああ?なんだよ?」

リティルはキョトンとした顔で、首を傾げた。エンドが止めていたらしく、インジュには聞こえていなかったが、ラスが変調をきたしたことで、エンドはインジュとそれを共有した。その声は、歌うような調子で猛り狂えと呷ってきた。旋律の精霊であるラスは、他の風の精霊より音楽と同調しやすい。その上、共感能力が高い。故に、無駄に呷られているらしかった。もっと早く教えてくださいよと、インジュは声に出さずにエンドに抗議した。エンドはすまんと素直に謝罪を口にしたのだった。

「誰かが、語りかけてくるんだ。本能を解き放てって、その声が徐々に大きくなってる。オレはもう、進めない。これ以上行ったら、ジャックになってしまう」

ジャックとは、ラスの殺戮形態の名だ。10本爪の怪人。力を大半奪われていたとはいえ、リティルに瀕死の重傷を負わせた殺人鬼だ。

「あいつの人格はもうねーんだよな?出てきたら暴走だよな」

「うん……オレはここで待つよ」

「それも心配なんですけど?」

「1本道だ。後ろから来ることはないだろうし、来るなら前からだろ?」

角は何度か曲がったが、間違った道を行くと、行き止まりになっていることはすでにわかっていた。

「そうですねぇ」インジュは、そう返答しようとした。だが、その声は別の声に掻き消されていた。

『その通りだ。ここを風の王の産道と知っての侵入か?この先は、産まれる前の腹の中。それが何を意味するのか、わかっておるのか?』

「これ以上行ったら、胎児に戻っちまうって?時は戻せねーよ。風にそんな力ねーからな。おまえは誰だ?」

リティルは、胸を押さえて浅く息をつくラスを庇うように、先頭に立った。廊下の先に、1羽の大きな鳥が立っていた。立っていると表現するのがふさわしい大きな爪の、長い足をしていた。頭部から長い頸部にかけて羽毛がなく、青い鮮やかな色をした皮膚が剥き出しだった。風の精霊であるらしく、金色の風をベールのように纏っている。

気がつけば廊下が明るい。窓もないのに、いつの間にか昼間の様な明るさに廊下は照らされていた。

「ヒクイドリです。蹴られると痛いですよ?」

そっと隣に立ったインジュが囁いた。「よく知ってたな」と顔を見ずに返すと、インジュは「図鑑で見ました」と答えた。

『名乗るほどの者ではない。15代目風の王よ』

「そうかよ。それで?追い返しに来たのかよ?」

『警告に来たのだが、そなたら、平気そうだな。オウギワシにシロハヤブサか。どんな手を使っておるのだ?』

金色の炎のような風を纏ったヒクイドリは、皆の化身の姿を言い当てた。

「手の内を、晒すと思います?」

『それもそうだな。ハヤブサ、そなたは引き返せ。無駄に死ぬことはないゆえな』

「ふざけるな!ここで引き返せるわけないだろ!」

ラスは翼を広げて、ヒクイドリに襲いかかっていた。だが、背中に衝撃とのしかかる重みを感じて、廊下に墜落していた。

「リティル!」

ラスは、背中に乗られて体を起こせないまま、リティルを見上げた。

「落ち着けよ。おまえ、インジュがいるから止まれると思ってるだろ?実際そうかもしれねーけどな。魂が6つあるおまえは、魂が脆いかもしれねーんだよ。インファが心配してたんだ。だからな、危ない橋、渡るなよ」

インファが心配していたと聞いて、ラスは大人しくなった。前々世が古参の精霊であるラスだが、インファにはずいぶん指導してもらったのだ。拗らせた男性恐怖症で、光と闇の反属性が暴走する、反属性爆弾を克服したのは、帰って来るインファにもう大丈夫と言いたいが為だ。兄のような顔で、見守り続けてくれていたインファの帰る場所を、守りたかったのだ。今、不本意ながら四天王の一角を担わされているが、インファが帰ってきたら身を引きたい。四天王の執事という位置があるのなら、そこへ収まりたかった。

「あなたが鍛冶屋のゴーニュです?」

ラスの上から退かないリティルに並び、インジュがヒクイドリに対した。

『ワシに名などあったのか。呼ぶ者もおらんゆえな。しかし、いかにも。ワシは深淵の鍛冶屋だ。不肖の弟子には親方と呼ばれておる』

「不肖の弟子?です?」

『そなたらが雷帝・インファと呼ぶ精霊だ』

「お父さん!弟子って、どういうことです?」

『そなたがインファの息子か。なるほど、見た目の優美さに反して凶悪だな。聞いていた通りだ』

「話ができる状態なんです?親方!会えます?」

『会わせてやってもよいが、歓迎されぬぞ?』

ヒクイドリは、不穏に足を開いて立ち前傾姿勢を取った。インジュは皆の前に立ちはだかると、手刀を構えたのだった。そんなインジュの姿を最後尾で見ていたエーリュは、そっとインジュの背中に隠れた。まるで、ヒクイドリの視界から逃れるように。


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