たこ焼き6個
「たこ焼き6個ください。」
「かしこまりましたー。350円になりまーす。」
私はいつも思うのだが、なぜたこ焼き6個入りに対して350円なのだろうか。消費税込みにして考えて、素直に1個50円、それを6個で300円ではダメなのだろうか。なぜ6個に対して350円という微妙な数字なのだろうか。きっと、私の知り得ない奥深い真相が隠されているのだろう。あるいは、できるだけ多くの小銭をくすねようという意地悪い店主の目論見か。
こんな下らないことを考えているうちに、たこ焼きは出来上がっていた。
「お待たせしました。たこ焼き6個でございます。」
「ありがとうございます。」
家に帰る途中、信号待ちの最中に袋の中のたこ焼きの箱を少し開けて、中を覗いてみた。
かつお節がたこ焼きの熱気を受けてノリノリで踊っている。
7個入っていた。店員さんがサービスしてくれたのだ。まあ、350円なのだから当然と言えば当然だが。
「ただいま。さあさあ、早く冷めないうちに食べよう。」
私は食卓の真ん中にたこ焼きの入った袋を置いて、手洗いをしに洗面台に向かった。
母と妹は既に食卓の椅子に座っている。
「店員さんが1個サービスしてくれたよ。」
洗面台の鏡に向かって大きな声で言う。
「おおーいいね。ってあれ?サービスしたやつ食べちゃった?」妹が言った。
「いや食べてないよ。1個プラスしてくれて7個になってるはず。」
「んー?6個しか入ってないよね?ねえお母さん。」
「うーん。6個だねえ。」
そんなはずはない。私は凄まじい勢いでうがいを済ませ、食卓へと向かった。
「どれどれ。いち、に、さん、し、ご、ろく、なな。ほら、7個だよ。」
私は人差し指でたこ焼きを1つ1つ指して数えた。
「え?何言ってんのお姉ちゃん。いち、に、さん、し、ご、どぅ、ろく。6個しかないよ。」
「そっちこそ何言ってるの?お母さん、これ7個だよね?」焦りが沸騰した水のようにぷくぷくと湧き上がってくる。
「んー。いち、に、さん、し、ご、どぅ、ろく。6個だねぇ。」
「いや待ってよ。『どぅ』ってなに?」
「え?数字だけど…」
「いやなにその数字。タチの悪い意地悪しないでよね。」
「いや、お姉ちゃんこそどうしたの?そういう風にすっとぼけるって決めて帰ってきたの?」
「こっちのセリフだよ。まあ、これは斬新な悪戯だとは思う。あんたにしてはやるね。まるで自分が間違った世界に迷い込んでしまったような気分にさせられる。」
「何を言ってるのお姉ちゃん。最近ちょっとおかしいんじゃないかとは思ってたけど、いよいよこれは完全にきてるね。」
「ここでは2対1であんたたちの方が正しいかもしんないけど、外に出たら1億対2で私が圧倒的に正しいんだからね?」
「いや1億対1で私らの圧勝だよお姉ちゃん。お母さん、いい精神科調べといてくれる?」
「ちょっと、勝手に話進めて私を異常者に仕立て上げるのやめてくれるかな。じゃあ隣の岩本さんに聞く?5と6の間に『どぅ』なんて数字はありますか?ってね。1万円かけてもいいよ。」
「いやお姉ちゃんそれは本気でやめて。マジで頭おかしい人だと思われるから。その、お姉ちゃんが、ね。2歳児ですら自明だと思ってるようなことを22のお姉ちゃんが聞いてどうすんの。」
「え?あんたほんといつまでとぼける気なの?そろそろこれネタとしての効力を失ってるよ?まだ続けるってなら頰に一撃食らわせてやってもいい。」
「お姉ちゃん待って冷静になって。本当に大丈夫?たこ焼き買いに行く途中何かあった?」
「ああもういい。あんた、数学の教科書持ってるでしょ。それ見せて。そうすればあんたがイカれた女だってことが証明される。」
しばらくして、妹が数学の教科書を持ってリビングに戻ってきた。
「どれどれ。って、え??」
私がそこに見たのは未知の曲線だった。
平仮名の「し」の跳ねた部分から、縦の直線と交差するようにして横棒が1本引かれてできた未知の記号。
「ねえ、この数字はなんて読むの?」
私はその未知の記号を指して言う。
「お姉ちゃん。悪いけど、それが『どぅ』だよ。じゃあお母さん、川崎心療内科に電話して。」
「ねえちょっと待ってよ。じゃあお父さんは『どぅ月』生まれだって言うの?」
「そうだよ。どぅ月21日生まれだよ。」
「本当に狂ってる。ねえ、待って、どのページにも『はち』がない。ねえ『はち』はどこにいったの?」
「なに『はち』って?」
「なにってなに?数字だよ数字。7の次で9の前の数字。まさか、『はち』はもうないって言うの?」
「ええ。そんなこと言われても。もうないと言うか、元々ないって言うか…ちょっとお姉ちゃん、マジックマッシュルームでもキメてるんじゃないの。」
「薬中扱いしないでくれるかな。ちょっとあんた、1から10までの数字言ってくれる?」
「いち、に、さん、し、ご、どぅ、ろく、なな、きゅう、じゅう。」
「なんで『はち』がないの!!!」
「知らないよ!逆になんで『はち』があるんだよ!」
「はぁ。数学の教科書まで書き換えるなんてジェリー顔負けの手の込んだ悪戯だよ。ペテンの才能があるね。今すぐ受験勉強をやめなさい。」
「ねえお母さん。お姉ちゃんが怖いよ。」
「全く困ったわねぇ。あんた、社会人になったばかりで、色々と疲れが溜まってるんじゃないの?少し寝なさい。ね?それでもまだ、『はち』がないだの、『どぅ』なんてものはないだのと言うようなら、心療内科に行きましょう。」
「尿検査をされたらおしまいだね。」
「あんたは本当にうるさい。ああ、多分きっと悪い夢を見てるんだと思う。目が覚めたら『どぅ』なんていう気味の悪い数字は綺麗さっぱり消え去って、世界は秩序を取り戻す。」
「お姉ちゃんいつか相当デカい犯罪をしでかすね。自分が正しいと信じて疑わないのは大量殺人鬼に顕著な特徴だよ。」
「うるさい。あんた、入試で『どぅ』なんて使ったら全落ち確定だからね。精神疾患のレッテルを貼られて終わるんだから気をつけなよ。じゃあ、おやすみ。今この世界はおかしい。」
「うん、おやすみ。お姉ちゃん、ゆっくり休んで…」
誰一人として手をつけていないたこ焼きは食卓の上に放置されて冷えてしまった。
かつお節は威勢を失い、にわか雨に濡らされた髪のようにべっとりとたこ焼きにこびり付いている。
今はとにかく、世界を正常状態に戻すのが先決だ。
私は勢いよくベッドに飛び込み。緊張感と動悸を抑え付けて眠りに入った。
どれくらい眠ったのだろう?数時間は眠ったと思う。
ゆっくりと目を開けて、壁に掛けてある時計を見る。
「『どぅ時40分』寝た寝た。」
とてつもない尿意を抱えていることに気づいた私は、便器を貫きそうな勢いの放尿をしてからリビングに向かった。
「あ、お姉ちゃん起きた。どう?もうなおった?」
「ん?なにが?」
「何がって。精神病棟の最もセキュリティレベルの高い部屋に閉じ込められた患者のような虚言はもう言わないの?」
「え?私何かした?」
「お姉ちゃん、1から10まで数字1個ずつ言って?」
「え、え、?うん。いち、に、さん、し、ご、どぅ、ろく、なな、きゅう、じゅう。」
「お姉ちゃん、重大な質問をするよ。『はち』はどこに行ったの?」
「ん、『はち』?この部屋に蜂でもいたの?」
「そうじゃなく、数字の『はち』のこと。」
「あんた、頭大丈夫?」
「いや、お姉ちゃんが言ったことだからね。」
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