コンフリクト
二階はめちゃくちゃだった。
ドアは破壊され、血まみれのカーテンだか人肉だか分からないものが床に引きずられていた。そして通路の奥には、もはや人の姿を失った肉塊。
いや、まともな人間もいる。
金髪でポニーテールの女だ。私服だから、きっと弁当屋だろう。へたり込んでしまい、絶望的な顔で怪物を見ている。
「がう……がう……ぼき……がう……」
怪物は、哀しげな声でなにかを訴えていた。
背の高いなめくじのようだ。ぶよぶよの身体に、うねうねとした触手。実験に失敗したクリーチャーのような外見。いや、違うな。「のような」ではない。彼は正しく「実験に失敗したクリーチャー」なのだ。過剰に活性化したサイキック・ウェーブが、みずからの身体を怪物に変異させてしまった。
彼の体は、本人の意思に反し、勝手に人を殺めてしまうのであろう。
肉に埋もれた目は、涙で潤んでいた。
まるで助けを求めるように。
俺は挨拶より先に、ニューナンブのトリガーを引いた。狭い廊下にパァンと音が反響し、怪物の肉に穴を開けた。
「ひがぁっ!」
恨みはない。それでも殺す。金のために。分かっている。俺だって主任のことをどうこう言える立場じゃない。
トリガーを引いていると、すぐさま五発の弾は尽きた。
怪物は血液を流し、苦しそうにうめいている。
「ぼき……なも……わる……にゃあ……」
倒れない。
だが、反撃もしてこなかった。
肉のせいで倒れることさえできないらしい。
ずる、と、かすかに足をひきずり、こちらへ向きを変えた。
「かぁだ……いひゃい……」
楽に殺してやれればよかったんだが。
あとは岡持ちでぶん殴るくらいしか策がない。こんなことなら、ちゃんと狙いをつけて頭を撃ち抜くんだった。
などと反省していると、物陰から、佐々木双葉が飛び出してきた。彼女は素早い身のこなしで怪物の首へナイフを差し込むと、さらに背後へ回り込み、刃でザクリと傷口を広げた。切断面からごぼごぼと血液が溢れ出す。
「あ、あひゃ……あひゃい……ひふ……へ……」
怪物はすでに思考を失っている。
出血多量だ。まもなく絶命するだろう。あまりに弱々しい断末魔だった。
佐々木双葉は「ふぅ」と汗を拭った。
「二宮さん、ナイス! てかそんな武器、どこで手に入れたの? あたしも欲しいんだけど」
「主任が貸してくれた」
彼女には驚かされる。平然と殺すんだな。俺はこんなカジュアルにやれない。
金髪ポニーテールが、血液を避けるようにこちらへ這ってきた。
「あ、あの……あの……」
おっと。ピンチに颯爽と駆けつけてしまったせいで、気を引いてしまったかな。ま、俺はいまフリーだから、べつに構わないが。
彼女は震える声で、こう続けた。
「それ、うちの岡持ち……」
「あ、これ? 武器の代わりにと思って」
「か、返してもらえます?」
「はい。すみません。勝手に……」
「いえ……」
ヒーローではなく、窃盗犯だと思われたわけか。いや、いいんだ。人間は完璧じゃない。誰にでも誤解はある。
「ひゃひぃっ」
女が突然悲鳴をあげた。
まだ敵がいたか?
いや、彼女が見たのは佐々木双葉だ。その佐々木双葉は、怪物の解体を始めていた。ビルにいたころの悪癖が出たようだ。頭蓋骨かち割ってサイキウムを取り出すつもりなのだろう。
こいつ、じつは結構なサイコ女なのかも。
「あ、あった! ラッキー!」
ラッキーではない。
ずいぶんぐちゃぐちゃにして、あとで職員になにか言われるぞ。
女は「もうやだぁ」と泣き崩れている。
俺だってヤだよ。
*
女を立たせ、俺は岡持ちを持って執務室へ向かった。
「二宮です。終わりましたよ」
ドア越しに告げると、内部からおそるおそるといった様子で返事が来た。
「終わった? ホントですか?」
「ウソでもなんでもいいから開けてくださいよ」
対応した職員は、なかなかドアを開けようとしない。監視カメラを確認すればすぐにでも分かるはずなのだが。
しばらくすると、内部でなにかコソコソやってから、ようやくドアが開いた。
俺は中へ入ると同時に岡持ちを置き、ソファへ腰をおろした。
「この銃、ひとまず返却します。弾は使い切りました。死体は上に転がってるんで、あとでご確認ください」
主任は銃には触ろうともしない。指紋がつくのがイヤなのだろうか。適法という話だったが。
「あ、ありがとうございます。のちほど、指定の口座に、規定の額をお支払いします」
「それで?」
「……」
尋ねても、無言。主任は助手のような男と目配せをするだけだ。
俺は思わず笑った。
「あの人、なんであんなことになったんです?」
「さ、さあ……」
「薬を過剰に投与したんでしょ?」
「えっ? いえ、知りませんよ。なんですか過剰って。言いがかりでしょう!」
「逆ギレできる立場か? あんなデカい声で言い合ってて、聞こえてないとでも思ってんのかよ。素直に認めろ。また人体実験してたんだろ?」
ここまで往生際が悪いと、さすがに腹が立ってくる。
主任は目を丸くした。
「な、なんですかその言い方! こちらは希望者に対して、あくまでガイドラインに基づいて適切にですね……」
「いったん口を閉じろ。ガイドライン? あんた、前もそのガイドラインに基づいて、俺の仲間を釘で打ち付けたよな? ちょっと想像してみてくれ。あんたの一番大事なヤツは誰だ? そいつを俺がつかまえて、釘で壁に打ち付けたら、どういう気持になる? ん? 八つ裂きにしたくなるだろ? なのにそいつは謝罪もしないで、また同じことを繰り返してるんだ。だいたいのヤツは怒るぞ。もちろん俺も怒ってる。分かるよな?」
助手が信じられないものを見るような目になった。
おそらく彼は、主任の悪行を知らないのだろう。
主任は目をキョロキョロさせた。
「ち、違う! 勝手なことを! いまのウソ! ウソです! 捏造! だってガイドラインにはそうあったし、その通りにやるのが私の仕事だもの、ねっ?」
こいつはいったい誰に同意を求めてるんだ?
机を蹴り飛ばしてやりたい気分だ。
が、俺は静かに立ち上がった。
「あともう一点。上に出前のお姉さんがいるなら、先に言っておいて欲しかったな。危うく手遅れになるところだった」
「ど、どこへ……」
「別に逃げませんよ。見送るだけです」
彼女はしかし壁にしがみつき、ぶるぶる震えていた。
「いまバイクとかムリ……死んじゃう……」
「じゃあベンチで休みなよ。少なくともここにいるよりはいい。案内するから」
ひとりで歩かせるとへたり込んでしまいそうだった。
*
一階の休憩所へ座らせた。俺は財布を持っていなかったので、彼女に缶コーヒーをおごってもらった。
「災難だったね。配達?」
「そう。よく夜食のオーダーがあるんで」
下はジーンズで、上はジャージだ。配達のために急いで着替えたのだろう。
イメージが貧困で申し訳ないが、ぱっと見ではヤンキーっぽい印象を受けた。たぶん歳は俺と同じくらい。さっきはあんな目に遭っていたから気づかなかったが、気の強そうな顔立ちをしている。まあどんな顔立ちであろうが、怪物に襲われれば誰だって泣きそうになる。
彼女は少し警戒するような目でこちらを見た。
「あたし、鬼塚明菜って言います。お兄さんは?」
「二宮渋壱です」
「そう。二宮さん……。あのー、なんか鉄砲撃ってたけど、プロの人なの?」
「いや……。えーと、以前、ちょっと撃ったことがあって、それで代表して対応したって感じで」
無職とは言い出せなかった。たぶんカッコつけたかったんだと思う。
俺はコーヒーを一口やり、こう尋ねた。
「なんで二階にいたの? オーダーしたの職員でしょ? そしたら一階じゃない?」
「うん。そうなんだけど。悲鳴が聞こえたから、助けなきゃって思って」
見上げた正義感だ。
正直、ひとりで逃げようとした自分が恥ずかしくなってくる。あのとき気まぐれを起こして引き返したからよかったものの、もしひとりで逃げていたら、俺は人として落ちぶれていたかもしれない。
ふと、武装集団が入り込んできた。黒い防護服を着用し、腕には緑の腕章をしている。クソ主任の呼んだ「専門のチーム」というのは、俺のよく知る「サイキスト」のことだったらしい。
俺は気づかれないよう、窓の外へ顔を向けた。
いや、気づかれてもいいのだが、なんとなく気恥ずかしかった。
彼らの対応に当たった職員は、申し訳なさそうに、すでに事態が沈静化したことを伝えた。
「ンだよ、それ。無駄足じゃねーか。俺の貴重なプライヴェートを返せっつーの」
「どうせ暇しておったのでござろう?」
「まあな。けどよ、なんなんだよここ。キャンセラー効かせすぎだろ。頭がおかしくなりそうだ」
「はて? 拙者にはなにも分からんでござるが」
「そのうち分かるぜ」
目を向けずとも、聞こえてくる声から、知り合いのメンバーであることが分かる。彼らも急に呼び出されて迷惑したことだろう。
ひとしきり文句を言いながら、彼らはぞろぞろと施設を出た。
鬼塚明菜は顔をしかめた。
「うわー、なにいまの? 武器持ってた。軍隊?」
「たぶん警察じゃないかな」
「へーっ」
よく考えたら、あんなふうに武装した集団を見る機会もそうそうなかろう。
しばらく無言になった。
互いに缶コーヒーをすするだけの、虚しい時間だ。
「あのー、あたし、そろそろ戻るね。店の人心配するから」
「ああ、そう。じゃあ気をつけて」
「うん。助けてくれてありがと。ちょっとカッコよかったよ。じゃね」
小さく手を振って、彼女はその場を去った。片手に岡持ちを持ちながら。
*
鬼塚明菜と別れた俺は、そのまま主任の執務室へ戻った。
彼らはまだ議事録がどうのと言い合いをしていた。
「ちょっといいですか?」
俺が顔を出すと、ピタリと会話がやんだ。聞かれたくない話なら、もっと小声で話したほうがいいと思うな。
主任はさすがに不快そうだ。
「まだなにか?」
「今後の予定を聞きたくて。事故が起きたわけだし、研究は中止になるのかと思って」
すると彼は、面倒臭そうに溜め息をついた。
「逆ですよ。さっきも言った通り、この研究所はロックダウンされてるんです。封鎖ですよ、封鎖」
「封鎖? 弁当屋のお姉さん、普通に帰りましたけど」
「彼女はいいんです。ただ、参加者は帰れませんよ。いま野放しにしたら、バイオハザードですからね。我々がフェストを悪化させたことになる」
「素直に教えてくれるのは嬉しいんですが、それって明らかに俺らを実験材料かなにかだと思って言ってますよね」
「だ、だからそれは……そのぅ……いわゆるガイドラインに……」
こいつはガイドライン通りに動く機械か?
ひどいポンコツだから、いますぐスクラップにしたほうがいい。
俺は思わず笑った。
「そのガイドラインとやら、いちど見せてもらえませんかね?」
「ダメですよ、それは。守秘義務がありますから」
「そのガイドライン通りにやってたら、またクソみたいな事態を引き起こしますよ。想定外のことが起きたら、俺だってカバーできないし、あんただって死ぬかもしれない。他の職員もね。事前に共有できることがあるなら、共有しておいたほうがいいと思うんですよ。たとえばここの地下に、なにか飼ってるとかね」
「な、なぜそれ……えぇっ? 誰がそんなこと言ったの? 誰か言ってました? 誰です?」
焦りすぎだろう。
「ンなことすぐ分かりますよ。こっちは感染者なんだから。下で強めにキャンセラー動かしてるでしょ? 俺、そういうの気になるほうなんで」
すると助手が主任へ詰め寄った。
「本当なんですか? 私、なにも聞いてませんけど?」
「君は知らなくていい話だ」
「なんなんですか、それ。所長は知ってるんですか? 次長は?」
「幹部クラスは知ってるから。安心して」
俺の前で内輪揉めをやるんじゃない。
助手はしかし納得しなかった。
「いや、ここでハッキリ言ってくださいよ。地下になにがいるんです? 私、前々から不審に思ってたんですから。ただの地下貯蔵庫に、ずいぶん維持費がかかってるって」
「だからそれは政府からの要求で……」
「信じられない! みんなフェストの治療法を研究するために集まってるんですよ! 私たち、騙されてたってことじゃないですか!」
「騙すとはなんですか! 撤回しなさい! 私は中央からの派遣で来てるんだから。ぜんぶ政府の意思なの。イヤなら辞表でもなんでも出せばいいじゃないの!」
「……」
辞表ねぇ。真顔で震えてるところ悪いが、必要なら俺が代筆してやってもいいぞ。なにせ経験者だからな。俺は詳しいんだ。
助手は「失礼します!」と出ていってしまった。
主任は鼻息が荒くなっている。
俺も無言でその場をあとにした。いまはなにを言っても聞いちゃくれないだろう。地下になにかいることだけは分かった。あとで機械の姉妹に報告してやろう。
(続く)