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岡持ちは鈍器

 内線が鳴った。

「はい、二宮です」

 すると受話器からは若い研究者の声がした。

「ああ、よかった。ご無事ですか? 大変恐縮なのですが、主任がどうしても会ってお話ししたいと」

「……」

 無視したわけではない。返事に詰まった。

 率直な感想として、こいつはバカなのか、と思った。口にはしないが。不審人物が侵入したから部屋に鍵をかけろと言われたのに、その部屋から出て自分たちのところへ来いというのだ。

「あの、もしもし? 二宮さん?」

「聞こえてます。そちらの提案があまりにも……現実的でなかったので、少し戸惑ってしまって」

「危険なのは承知しています。しかしなにぶん、緊急事態でして」

「まずは不審者をなんとかしてくださいよ」

「いえ、ですから、そのためにも主任と……」

 いまなんと? そのため? 不審者をなんとかするために、俺が主任のところへ行かねばならんのか? また俺に迷惑をかける気マンマンってことかよ。

 俺は溜め息を我慢できなかった。

「お断りします。用があるならそちらから来てください」

 すると別人が受話器を握ったらしく、声が変わった。

「どうして来てくれないんです! このままじゃみんな死んでしまいますよ!?」

 主任だ。

 まあこいつに関しては勝手に死んでくれればいいと思うが。「みんな」というのは聞き捨てならない。俺は正義のヒーローじゃないから他人を救うつもりはない。だから唯一の問題は、その「みんな」に俺も含まれているということだ。

 いまさら惜しい命でもないが、しかし契約書にはそんなこと書かれていなかった。善良な市民のひとりとして、行政の契約違反を許すわけにはいかない。

「警察は?」

「来るわけないでしょ! ここ、危険な感染症を扱ってるんですから! 問題が起きたら、警察だって立ち入れなくなるんです! 封鎖ですよ、封鎖! だからあなたに頼んでるのに!」

 なぜ彼がキレているのか分からない。俺がキレるならともかく。

「ずいぶんいい加減だな。次にあんたのツラ見たら、かなりの高確率でぶん殴りますよ? それくらいムカつくこと言ってるの、分かってます?」

「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。警察は来ませんけど、専門のチームには出動を依頼してますから。ただ、到着までかなり時間がかかるらしいので……」

「特殊部隊でも来るんですか?」

「ええ、まあ、似たようなものが……」

「じゃあそいつらにやらせてくださいよ。俺はジェイソン・ステイサムじゃない」

「ジェイソン? 誰です?」

 映画は観ないタイプらしい。

 さて、俺はさっきから受話器を叩きつけて電話を切ろうと思っているのだが、良識が邪魔してなかなか実行できずにいた。

「いちおう聞いときますけど、俺になにをさせるつもりなんです?」

「私の部屋に、防衛用の拳銃が配備されてるんです。あ、もちろん適法ですよ。法令に基づいて配備されてます」

「それで?」

「あなたには、被検体を始末して欲しいと思いまして。うちの職員、誰も射撃の研修受けてないから……」

 自分の身を危険にさらしたくない上に、自分の手を汚したくもない、というわけだ。

 俺は今度こそ電話を切ろうと決意した。

「行政が市民に人殺しの依頼とはね……」

「正当防衛ですから!」

「そんなクソみたいな提案、受けるわけないでしょ。そちらで対処してください」

「お金も払いますので!」

「切りますよ」

 まだなにか喚いていたが、俺はそっと受話器を置いた。そして、またかけてくると鬱陶しいので、すぐに受話器をあげて、デスクへ置いた。

 あとはベッドで寝ていればいい。


 廊下ではずっと中年男性が喚いている。というより、すでに喋っている言葉さえ怪しくなっている。とんでもない衝撃音がして、悲鳴があがった。

 俺の気のせいでなければ、ドアをぶち破られて、人が襲われているようにも思える。

 となると、ここも安全ではないということか……。


 見えていないのですべて推測になるが、おそらく彼は、すでに人の姿を放棄しているのだろう。みずからの発するサイキック・ウェーブにあてられて、身体が変異してしまい、制御不能になっているのだ。

 フェストによる症状では、こうはならない。

 きっと薬のせいだ。

 主任ども、いったいなにを投与したのやら。

「だえぇ! だえか……しゅげぇぐでぇ! だぁあ! だぁぁあぁ! ぼきゃ……ぼきゃ……ちがぁあぁ!」

 さすがに身の危険を感じる。

 ここで選択をミスれば、あっけなく殺される可能性もある。


 キャンセラーが効いているから、相手に映像ヴィジョンを浴びせかけることはできない。となると、身体能力と知恵だけがモノを言う。

 もちろん俺にはどちらもない。勝算もない。

 俺はこれまで銃と映像ヴィジョンを使い、一方的な優位が見込める状況でしか戦ってこなかった。逆に、ビルで強大な敵に挑んだときは、まるでなにもできず、餅を置き去りにして敗走するというクソダサい戦果を残した。


 すなわち結論はこうだ。

 他人のことはどうでもいいから、とにかく窓から外へ避難する。

 これは緊急時の鉄則だ。身の危険を感じたら、まずは自分自身を守ることが大事。誰か守りたい相手でもいるなら別だが。みんなが逃げれば、被害は最小限で済む。

 ま、こんな発想だから、俺は友達も少ないんだと思うが。


 部屋には、病院や学校にあるような、わりと大きめの窓がついている。そこを開けば、下へ降りられる。

 カーテンを開くと、まずは朧月が見えた。

 しかし風情を感じている余裕はない。むしろ、雲に埋もれそうになった月が、不穏な雰囲気をかもしてるようにしか見えない。

 まあいい。上に用はない。行くのは下だ。

 ここは二階。真下には植え込みがある。こちらはスリッパだから、ヘタに落ちたら足に枝が刺さるだろう。いっそ背中から落ちるか。いや、少し勢いをつけて、植え込みの向こうの、平らなアスファルトに着地したほうがいいかもしれない。

 風は穏やか。春の夜のなまあたたかい空気をなでつけてくる。

 サイレンはやんでいるから、外はしんと静まり返っている。パトカーも来ていない。おそらくは事前の合意で、近隣住民が通報しても警察は動かないことになっているのだろう。このセンターに警察は来ない。


 俺は窓から身を乗り出し、目測で検討をつけた。

 ずいぶん高い。

 思えば人の頭上より高い位置から飛ぶのだ。こんなことは滅多にない。学生時代、高いところから飛んで遊んでいる連中を見て「危ないことやってんな」と思ったものだが、いま俺は同じことをしようとしている。

 じっと見ていると体が震えた。

 時間をかけるほどダメになる。すぐに飛ぶしかない。


 足に力を込め、ぐっと前へ飛んだ。

 たぶん死ぬような高さではない。なのだが、いくら理屈で分かっていようと、本能は「危険」を訴えていた。全身の毛細血管がぞわぞわと動き出し、色彩が消え、音が消え、スローモーションのようになった。

 なかなか着地しないと焦っていると、植え込みの枝が足に触れた。飛距離が足りなかった。のみならず、植え込みにぶつかったせいで、俺の体は斜めになり、上半身から地面に落ちそうになった。これじゃ自殺だ。

 本能が、ぐっと俺の体を丸めた。

 自分でも体をどう動かしたのか分からないが、おそらくは空中で体をひねり、頭を守って上半身の側面で着地したようだ。


 しんとした暗闇の駐車場だ。

 ぽつんと立った街灯が、なんとか一部を照らしている。そこへ虫の群がっているのが、遠目にも見える。


 俺はアスファルトに寝転んだまま、自分の体のダメージを確認した。枝に当たった足が少し痛む。が、それ以外は、びっくりするほどなにもなかった。ほぼ無傷。

 本能ってのは、よくできている。

 いや、体を起こそうとすると、さすがに着地した脇腹がビキッと痛んだ。だがその程度だ。極度に緊張しているほかは、特に支障がない。


 立ち上がり、とりあえず体をほぐした。

 いまも施設内では凄まじい音がしている。が、とりあえず自分だけは助かった。運のいいことに、エンジンのかかったバイクまで放置されている。アルミ製の岡持ちが搭載されていることから、出前のバイクであることが分かる。

 となると、運んできたヤツが近くにいるはずだ。

 岡持ちには「丸山弁当」とある。

 いや、待った。晩メシはとっくに食ったはずだが。なぜまた弁当屋が来ている? 職員が夜食でもとったのか? となると、配達員は巻き込まれたことになるな。


 俺は機材搬入口へまわってみた。トラックごと入れるデカい搬入口はシャッターがおろされており、人が出入りに使うドアも施錠されていた。本当に建物自体が封鎖されているようだ。

 前回の教訓を活かし、変異体ミュータントが外に出てしまわないよう、対処したようだな。偉いぞ。褒めてやる。


 さて、逃げたいのはヤマヤマだが、さすがに弁当屋のバイクを盗むほど落ちぶれちゃいないつもりだ。

 仮に盗むにしても、せめて持ち主の許可を得てからだ。

 俺は岡持ちを取り外し、軽く素振りしてみた。なかなかの質量。遠心力で重心を持っていかれる。鈍器としての要件は満たすようだ。


 俺は施設をぐるりとまわり、光のついている窓を見つけ、コンコンとノックした。

 窓際で身を潜めていた職員がビクリと身をすくませた。まあ外から患者着のヤツが岡持ち片手に現れたら、誰だってびっくりするとは思うが。

 事務員らしき中年女性が、おそるおそるといった様子でこちらへ近づいてきた。

「あ、あの……どなた?」

「見ての通り、被検体のひとりですよ。間違って外に出ちゃったんで、また中に入れてもらおうと思って」

 室内には、ほかにも数名の職員がいる。ここは一階なのだから、みんな逃げればいいと思うのだが。業務命令を守って居残っているのだろうか。互いに互いを監視する格好になり、逃げ出せない雰囲気になっているのかもしれない。

 窓をあけてくれたので、俺は遠慮なく中へ入った。

「ありがとうございます。ところで、皆さんは逃げないんですか?」

「ええ、まぁ……」

 逃げ出したいが、他人の目が気になる、といったところか。死んでもラッパを手離さないタイプだな。

 談笑している暇はないので、俺は誰にも断らず勝手に鍵を解錠し、そのまま廊下へ出た。

 ここは一階だから、主任の執務室へはすぐ行ける。じつに気が進まないが、せっかくだからツラを拝ませてもらうとしよう。


 *


 ドアへ近づくと、なにやら口論しているのが聞こえてきた。

「なんで一錠ずつ与えなかったの? こうなることはちょっと考えれば予想できたことでしょう?」

「予想できたからなんです? 私は規定通りに処置しましたよ! 処方する分量についても、以前の会議で決まったはずです!」

「どの会議? 議事録出しなさいよ!」

「いま議事録なんか確認してる場合ですか!」

 こいつらまとめて死んだほうがいいな。

 俺は少し強めにノックした。

「こんばんは! 二宮です! 来ましたよ!」

 急に会話が止まった。

 かと思うと、ドアに近づいてきたらしい職員が、声だけでこう応じた。

「大丈夫ですか? アレはついてきてませんよね?」

「誰もいませんよ。開けてください」

 カタリと解錠され、ドアが開いた。

 彼らの視線は、まっさきに岡持ちへ向けられた。もちろん俺は弁当屋じゃない。中身も空だ。俺は岡持ちを置き、勧められてもいないのにソファへ腰をおろした。

「で、銃ってのは?」

「こ、これです!?」

 ニューナンブだ。弾が入ってない。

「弾は?」

「これです!」

 ボール紙でできた小箱が出てきた。

 フタを開くと、銃弾がびっしりと詰められていた。一発も使われていない。俺はそいつをつまみあげ、シリンダーに詰めていった。

 リボルバーを扱うのは初めてだが、あくまで歴戦のプロみたいな顔で作業を進めた。なにせこの英雄的な行動に対し、彼らは金を払うっていうんだからな。

 五発しか装弾できないから、ミスはできない。左手に岡持ち、右手に拳銃というスタイルで行く。岡持ちは盾にも障害物にも使える。重いのが難点だが、その重量こそが武器となる。

 ホルスターはないから、銃はずっと持っていないといけない。まあ患者着のポケットにいれてもいいけど。

 俺は立ち上がり、主任へこう告げた。

「細かい話はあとでしましょう。キャンセラーは切らないでくださいよ。あっちのほうが、俺より出力あるんだから」

 言いたいことは以上だ。

 まずは生き延びねばならない。


(続く)

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