宵
「ふたりとも、さっきから私のことチラチラ見てたでしょ? なんなの! なんの話ししてたの?」
餅はビチビチ跳ねながら、やかましくがなり立ててきた。といっても口がないのでサイキック・ウェーブでの発言だ。
五代まゆは不快に思ったらしく、ムキになって眉をひそめた。
「ウザ……。会話に入ってこないで」
「はぁ? なにその態度! 二宮さんは私のものなの! 勝手に会話しないで!」
「あなたのものじゃないでしょ?」
「いーえ、私のものよ! 所有物! 分かったらもっと離れなさいよ!」
機械の姉妹も「いえ、私が雇用しているのだから、私のものなのでは?」と余計なことを口走る始末。
たぶんモテているのに、まったく嬉しくない……。
いや、そんなことを言っている場合じゃないな。
俺は咳払いをし、こう切り出した。
「ストップ。そうじゃない。君たちは互いに仲良くしたいはずだよな? だったらケンカなんかしてる場合じゃないだろう」
しかし逆効果だった。
五代まゆは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「だ、誰が仲良くなりたいなんて言ったのよ! 勝手なこと言わないで! 少しも仲良くしたくないんだから!」
すると餅が愉快そうに身をくねらせた。
「はぁん? これはお笑いね。毎日『寂しい、寂しい』言ってたのはどこの誰だったかしら?」
「言ってないっ!」
これに機械の姉妹は「言ってますよ。ログも残ってます」と容赦ない。
五代まゆは少し涙目になっている。まあそれだけならかわいいのだが、サイキック・ウェーブが不安定になっている。ここを花だらけにされるわけにはいかない。
俺は慌てて割って入った。
「待った。ケンカはナシだ。発言はひとりずつ。手を挙げてすること」
すると餅から抗議が来た。
「ちょっと! 私のどこに手があるって言うの! ひいきよ! ひいき! 私をいじめて楽しいの? そういうプレイなの? 私、優しいほうがいいわ!」
「悪かった。代わりに『はい』と返事してくれ。発言するのは、俺が指名してからだ」
まるで学校の先生になった気分だ。
さて、素直に黙ってくれたのはいいのだが、しかし今度は誰もが口を閉ざしてしまった。アッシュなどは餅の背中にしがみつくのに夢中で、参加する素振りさえ見せない。
姉妹が互いに譲り合っているので、俺はまず五代まゆに発言を促した。
「みんなに謝りたいんじゃなかったのか?」
「べつに」
「まあ強制するつもりはないけど……。ただ、もう少し優しく接してやったらどうなんだ?」
「だって駄肉がいきなり来るから」
この言葉に、餅も「はい! はい!」と反応した。
「では餅の発言を許可する」
「みんなには謝らなくていいけど、私には謝って欲しい! 勝手に体使ってたんだから! 謝らないと使用料を請求するから! 裁判よ!」
機械の姉妹からも「私も使われました。集団訴訟としましょう」と口を挟んだ。
話をややこしくするな。
五代まゆは発言したいのか、じっとこちらを見ている。
「では五代さん、反論を」
「体を借りたことは……まあ感謝してる。新しい体をくれたことも。でも、そんなにみんなで言ってこなくてもいいじゃない」
怒りではなく哀しみの波が出ている。
姉妹たちも察したらしく、同調して急にしゅんとしてしまった。
互いに追い詰めたいわけではないのだ。少しこじれてしまっているだけで。
餅の言葉も「はい」と力ない。
「餅、どうぞ」
「うん。私もちょっと言い過ぎたかも。こっちもケンカしたいわけじゃないし。でもさ、言いたいことあるなら言ってくれないと分からないから」
俺は五代まゆにどうぞと手でジェスチャーした。
「どうしたらいいのか分からない」
ごまかしているわけではなく、本心からの言葉だろう。
これを言うのは少し勇気がいる。
アッシュがぺちぺちと餅の表面を叩いた。
「とりあえず触ってみたら? 気持ちいいよ?」
唐突だな。
いや、一見バカげた提案に聞こえるが、ボディランゲージは言葉とは違った効果を持っている。あらゆる動物は声だけでコミュニケーションをとっているわけではない。人間同士でいきなりやったら問題だが。互いの合意があるならいいだろう。
餅も受け入れるつもりはあるようだ。
「ま、私の美肌が万人を虜にしてしまうのは認めるわ。好きなだけ触っていいわよ。ただし上には乗らないでね。これ以上乗られたらたぶん吐くから」
昨日からずっと乗られっぱなしだもんな。
五代まゆはチラと見るが、触ろうとしない。前に鷲掴みにしていたから、すでに感触は分かっているとは思うが。
俺もベンチから移動し、餅の近くにしゃがみこんだ。
「せっかくだから、俺も久しぶりに触らせてもらおうかな」
「いいわよ。でもなんかえっちね!」
「えっちではない」
餅の表面をなでると、サラサラとなつかしい肌触りがした。おしつけるとしっとりしている。こう見えて、いちおうは人間の肌なんだろう。
すると五代まゆも来た。
手を置いて、こねこねとなで始める。
なんだか集団で餅をなでくりまわす不審者の集まりみたいだが。
餅は満足げに、猫のように目を細めている。
「もう病みつきのようね。いいわ。いまのうち好きなだけ堪能しておきなさい。私が美少女の体を取り戻すまでの期間限定だから」
そうだ。
このままだと代謝が早すぎて寿命が短くなってしまうから、いずれ人間体に変異させねばならない。ハーモナイザーを使って情報を書き換えるのだ。書き換えのためのメッセージは機械の姉妹が持っているし、ハーモナイザーも各務珠璃に言えば揃えてくれるはず。
俺はそっとその場を離れ、インスタントのコーヒーをいれた。
姉妹たちに会話はないものの、ぺたぺたと触れ合っているから、そのうち打ち解けることだろう。
*
午後、俺はベンチに腰をおろし、スマホを取り出した。
鬼塚明菜に事情を説明しなければ。
「こんにちは。二宮です。こないだはごめん。事情があって知人のスマホからアクセスしています。よかったらもろもろ釈明したいんだけど、時間とれる?」
そう書いて一方的に送り付けた。
無視されるかもしれない。
が、それは仕方ないことだ。とにかく悪意がなかったことだけは伝えねば。
しばらくすると返信があった。
「じゃあ今日ね」
一文だけ。
「場所は?」
「駅前。夕方七時。遅刻したら絶交!」
「分かった」
すると謎のおじさんが親指を立てている絵が送られてきた。オーケーということだろう。
*
タクシーで駅へ向かった。
寂れてはいないが、そんなに賑わっているという感じでもない、ちょっとした駅だ。
少し早めに来たので、鬼塚明菜はまだ来ていないだろう。俺はガードレールに寄りかかり、スマホで「ついたよ。そっちもついたら連絡して」と打ち込んだ。
するとメッセージによる返信でなく、本人が駆け寄ってきて「よっ!」と気さくに声をかけてきた。さすがにジャージではなく、レギンスにパーカーだ。金髪のせいか、顔立ちのせいか、やはりちょっとヤンキーっぽい。
もっとも、上下カーゴで作業着みたいな格好の俺に、印象をどうこう言われたくないとは思うが。
「早いね。仕事はもういいの?」
「うん。女将さんがあがっていいって」
「そうなんだ。それより、悪かったね。勝手に延期しちゃって。こっちはいろいろあってさ……」
俺がどう説明しようか口ごもっていると、彼女は眉をひそめた。
「知ってる。逮捕されたんでしょ? しょうがないよ。あ、でも無実だってことは分かってるから安心して」
「え、そこまで……」
「あのセンターでなんか事件あったんでしょ? なにあったの? いいお得意さんだったのに、いきなり閉鎖なんてさ」
まあ閉鎖されるわな。
俺は思わず笑ってしまった。
「研究に不正があったんだ。守秘義務があるから詳しくは言えないけど」
「えー、なんで? あたしに言えないようなこと? 教えてよ」
「ま、言える範囲でなら」
手近な居酒屋に入り、カウンター席についた。
個室じゃないから、あまりきわどい内容は話せないだろう。仮に個室でも言うべきではないと思うが。
「まずはビール? それとも日本酒? あ、そもそも飲める?」
鬼塚明菜は飲む前からテンションが高かった。
まあ俺だってかなり浮かれてはいるが。
「とりあえずビールにしよう」
「あー、とりあえずって言った。まあいいけど。じゃあビールね。ビールください! 瓶で! ふたつ!」
まるで友人と飲みに来ているみたいだ。
小ぢんまりとした店だ。カウンターには椅子が六つ。そのうち二つを俺たちが使い、間をあけて会社員が二つ使っている。テーブル席は二つあるが、どちらもまだ空席だ。
俺は店内を見まわしながら尋ねた。
「ここのオススメは?」
「知らない」
「えっ?」
「だって初めて入ったし。言ったじゃん。いろいろ開拓したいって。うちの店、誰も飲まないからさ。一回ユンさんに飲ませたら大変なことになったし。あ、ユンさんってのは中国から来てる人。会ったことあるよね?」
「ある」
見た目からは想像できないほどパワフルな女性だった。
まあたしかに、ひとりで飲み屋に入るのはハードルが高い。俺もひとりで飲むならコンビニで済ます。
「あたし、そんなにお酒が好きってワケでもないんだけど。たまにこういうお店入りたくなるんだ。分かる?」
「分かるよ。俺も誰かと飲むのは久しぶりだから、嬉しいよ」
「あ、お刺身食べようよ。いろいろあるよ。あたしの親、漁師だったからさ。お魚見るとテンションあがっちゃうよね」
「へえ、漁師だったの?」
などと世間話に終始した結果、俺が逮捕された経緯や、センターがどうなったのかについては、一切触れずに済んだ。最初に俺が口ごもったから、あえて話題を避けてくれたのかもしれない。
明日の仕込みがあるからと、十時前には別れることにした。
「ちょっと酔ったかも、なんてね」
悪戯っぽく笑っているが、まったく酔っている気配がない。
むしろペースも考えずに飲んだ俺のほうが酔っ払ってしまっている。軽い気持ちで熱燗に手を出すんじゃなかった。
俺たちはいま、店を出て、駅へ向かって歩いている。通行人はほとんどいない。
「刺身、おいしかったね」
「だよね。やっぱ海近いからね。食べ物がおいしいっていいことだよ」
体温があがっているのに、夜の空気はそれでもあたたかく感じる。遠からずやってくる夏の気配さえ混じっているような。
ジーという虫の声も聞こえる。
「また誘ってもいいかな?」
俺がそう尋ねると、彼女は少し不審そうに目を細めた。
「なんか堅苦しいんだよなぁ」
「生まれつきこうなんだ」
「ま、いいけどね。あたしは基本的に暇だから、いつでも声かけて。また次の店見つけておくから」
「ありがとう。今日は楽しかったよ」
「あたしも」
駅にはすぐについてしまった。
もっと距離があったと思ったのだが、あっという間だった。
「二宮さん、タクシーだっけ? あたし電車だから」
「じゃあここで。気を付けてね」
「そっちこそ。もう逮捕されんなよ! またね!」
「また」
彼女もユンさんも、住み込みで働いているという話だった。高齢の女将さんが仕切っている女所帯なのだとか。
俺も手を振って彼女を見送り、タクシーに乗り込んだ。
静岡に住みたくなってきた。いっそセンターに住み込むか。これじゃあ俺も佐々木双葉のことをどうこう言えないな。
(続く)