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因縁

 その後、心理学というほど高度ではないが、感情コントロールのための講習を受けた。感情が高ぶると、サイキック・ウェーブが暴走する可能性があるからだ。

 とはいえ、自動車教習所でやる心理テストのような、じつに内容の薄いものだった。誰でも簡単に合格できるレベル。これは運営が「ちゃんと基準を設けて適正にやってます」と言い張るためのものだから、内容は「そこそこ」でいいのだろう。

 あるいは俺たち感染者が、「自分たちは人より気をつけて感情をコントロールしなきゃいけない」と再認識するための、ちょっとした啓蒙のようなものかもしれない。

 ゆっくり深呼吸しろだとか、日頃からストレスを溜めるなだとか、どこでも聞くような話だった。


 ただ、気になったのは、研究者が終わり際に言った内容だ。

「もし不安定などありましたら、別途カウンセリングなども受け付けております。場合によってはお薬も処方されますので、お気軽にご相談ください」

 薬と来た。

 まともなブツならいいのだが。


 *


 午後三時で解放され、自由時間となった。

 とはいえ、勝手に外出してはいけないことになっている。もし出たければ申請書を出す決まりだ。

 外部とは連絡してもいい。コンセントもWiFiも使い放題。ただし通信内容は傍受されている可能性がある。暗号化しておかなければ。


 俺は個室へ入り、スマホでアダルトサイトへ接続した。

 といっても、ただのアダルトサイトではない。俺の雇用主である「機械の姉妹」が運営しているサイトだ。データ通信量が多くても怪しまれないし、暗号化もされているから、秘密の通信をするにはうってつけだ。

 ページを開いただけで上下左右にアダルトな広告が出てくるのは勘弁して欲しいところだが。


 俺はチャットのページへ移動し、フレンドの「ミシンちゃん」へコンタクトをとった。

「いる?」

「います」

 返事はすぐに来た。常時張り付いているのだろう。なにせ体からケーブルが生えているような女だ。

「これ平気? 他人に見られてない?」

「心配ご無用。誰に見られても平気なよう、偽装に偽装を重ねていますから。誰かが解析したとして、ダミーデータの内容にドン引きして終わるでしょう」

「ダミーデータ?」

「いまあなたは、都内在住の四十代女性に対し、執拗かつ粘着的に下着の色を訪ねている設定になっています」

 こいつ、俺のことそんなふうに思ってたのか。

 彼女はさらに追撃してきた。

「ご不満ですか? ロリコンだってこと、バラされたくないでしょう?」

「ロリコンじゃない。仕事の報告はいらないのか?」

「ええ、いつでも報告してください。あなたが0点だったことと、佐々木さんが52点だったこと以外に、なにか報告すべきことがあるのだとすれば」

「は?」

 なんで俺が報告する前に状況を把握してるんだ?

 彼女の返事はこうだ。

「セキュリティがザルのようですね。職員の中に、このサイトにアクセスしている情弱がいましたので、バックドアを仕込んでPCに侵入させていただきました。とはいえ、すべてを見通せるわけではありません。せいぜい職員の共有ファイルが覗ける程度で」

 だったら俺より詳しいんじゃないのか。

「点数以外にはなにかあるか?」

「ええ。あなたの備考欄には『潜在レベル5』とありますね」

「まあ主任には顔がバレてるからな」

「佐々木さんにも同じような記述があります。しかしあとはなにも」

「分かった。またなにか分かったら教えてくれ」

「逆にあなたが教えてくれると嬉しいのですが」

「じゃあまた」

 俺が悪いんじゃない。彼女が優秀すぎるのが悪いんだ。


 スマホを放り投げ、ベッドに仰向けになっていると、ノックもなしにドアが開いた。

「ちょっといい?」

 佐々木双葉だ。

 こいつはマナーというものを知らないのか。もし俺が服を一部脱いでいたらどうするつもりだったんだ。

「なにかご用?」

「いや、ご用ってか暇じゃん! なんか話そうよ」

 まるで友達みたいに接してきやがって。

 こっちは来る前にゴタゴタしていたせいで、頭の中がぐちゃぐちゃだってのに。いや、あるいは彼女と談笑していたほうが気も紛れるか。しかしどこかで心の整理をつけておかないと、寝る前に思い出して大変なことになりそうだが……。

 俺は身を起こし、立ち上がった。

「休憩所でも行く?」

「分かった。じゃあ先行ってるから」


 休憩所といっても、テーブル席がふたつあるだけの小さなスペースだ。喫煙所ではない。ほかにあるのはジュースの自動販売機だけ。

 ここは施設の二階。景色もたいしてよくない。静岡市内だってのに、田畑しか見えない。のどかと言えばのどかではあるが。桜も咲いている。


 俺は缶コーヒーを買い、椅子へ腰をおろした。

「まあたしかに暇だけど……。君は友達とかと連絡とったりしないの?」

 すると彼女は顔をしかめ、コーラの缶をガンと置いた。

「は? 友達? みんなあんたが殺しちゃったじゃん? そんなこと言うなら生き返らせてよ」

「えぇ……」

 周囲に立っていた参加者たちが、ぎょっとした顔でこちらを見た。

 この説明だと、まるで俺が殺人鬼みたいではないか。彼らは勝手に破裂して死んだのだ。俺のせいじゃない。いや、あるいは友達だったヤツを撃った可能性はあるが……。最後はもう変異体ミュータントになっていた。彼らのことはノーカウントにしていただきたい。

「あの、俺が言ってるのは、そのー、外部のお友達というか」

「外部ってなに? いるわけないでしょ」

「でもこの話は、ちょっと控えめにしたほうがいいと思うな……」

 なぜなら周囲の視線が痛いので。

 彼女は身を乗り出してきた。

「じゃあさ、ちっちゃい声で話すから、いい?」

「いや、普通でいいよ。いいけど、大声出さないで」

「えとさ、あのメガネの人、まだ仲いい?」

「メガネ? 白坂さんのこと?」

 白坂太一以外に、メガネのメンバーはいなかった気がする。

 彼女はにこりと満足そうに笑った。

「そう、その人。白坂さん。また会いたいなぁ。セッティングできる?」

「セッティング……」

「もしかして、彼女いたりする?」

「いや、聞いたことないな」

「じゃあ聞いといてよ。てか、いま聞いて」

「スマホ置いてきた」

「なにそれ。全然使えない。じゃあ帰ったら聞いて。そんでセッティングしといて。可愛い女の子が会いたがってるって言えば来るから」

 勝手に決めるな。なんだ「可愛い女の子」って。どこにいるんだ。

 しかし反論するとうるさそうなので、俺はうなずいた。

「分かった。伝えておく」

「あ、画像欲しかったら言って? いちばんキマってるのあるから」

 キマってる……。

 いや、いい。余計なことは言うまい。

「じゃあそのときは頼むね」

「ヤバ、楽しみ。なんかさ、あの人、すっごく優しいじゃん? キャンセラーくれて、使い方教えてくれて。『分からないことあったら言って』なんて。ほんとヤバ。あたし、運命感じちゃった」

 あの男、機械いじりが趣味だからな。その話には熱も入ることだろう。

 キャンセラーというのは、サイキック・ウェーブを逆位相で打ち消す装置のことだ。スイッチをオンにしておけば、デカい波が襲ってきても体が変異せずに済む。


 さて、この施設にもキャンセラーがあり、それがずっと起動しているのは感覚で分かった。脳をふんわり押さえつけられているような錯覚をおぼえる。

 まあこれだけ感染者を集めているわけだし、当然の対策ではあるんだろうけれど。

 ランプの点灯試験のときだけはスイッチが切られていた。おそらくは手動で切り替えているのであろう。


 缶コーヒーを飲み干したところで、白衣の連中が近づいてきた。職員も休憩タイムだろうか。

 などと悠長に構えていると、そいつらはぐいぐいこちらへ近づいてきた。

「二宮さん、少々お時間よろしいですか?」

「え?」

「主任から、お話がしたいと……」

「あー、はいはい」

 これまで互いに挨拶さえ交わしてこなかったが、さすがに気まずくなったか。いや、そんなセンチメンタルな理由ではなさそうだな。もっとビジネスライクな話題のはずだ。


 *


 一階の執務室へ案内された。

 壁一面の本棚、そして作業用デスク、応接用のソファとテーブルという、いかにもな個室だった。あまり広くはない。

 スーツ姿の中年男性が、なんとも言えない表情で待っていた。例の主任だ。あまり特徴のない顔立ちだが、いまは困惑していることが分かる。

「休憩中にお呼びしてすみません。どうぞおかけください」

 いちおう俺は政府に協力している民間人という格好なので、客のような扱いだ。

 俺は言われるままソファへ腰をおろした。

 助手のような男が茶を出して、すぐにいなくなったから、部屋には俺と主任のふたりきりになった。

「お話というのは?」

「大変申し上げにくいのですが、この研究への参加を辞退していただきたいのです」

「辞退?」

 俺は半笑いで返した。

 これは想定済みの展開だ。まあ俺が想定したのではなく、機械の姉妹が事前シミュレートした結果だけど。

 彼はさらに苦々しい表情になった。

「えーと、ですね、今回の研究は、政府の後押しする重要なプロジェクトでして……。絶対に失敗するわけにはいかないのです。そこへあなたのような……あー、当事者がいるとですね、各種試験などに影響が出ると……」

 本音では強制排除したいところだろう。

 俺はこう応じた。

「契約書は読みましたよ。こちらが自主的に辞退することもできるし、そちらが契約解除することもできる。つまり主任は、私との契約を打ち切りたいと?」

「いえいえ、そうは言ってませんよ。あくまで自主的に辞退していただければ、穏便に話はまとまるのかな、と。もちろん謝礼は規定の額をお出しします」

「いやー、でも来たばっかりだしなぁ」

「ランプの点灯試験も、あまりご興味がなかったようですし……」

「勝手に決めつけないでください。興味はありましたよ。ただ、調子が出なかっただけで」

「いやそう言われましても……」

 俺を排除したいなら、契約を解除すればいい。

 だが、おそらくできまい。特に理由もなくメンバーを切り捨てれば、他の参加者の不安を煽ることになる。今回の研究では、参加者の精神状態がなにより重要となる。むやみに問題を起こしたくはないのだろう。

 それに、俺の雇用主は少し厄介な相手だ。表立って対立したくないのだろう。

 俺は無遠慮に茶をすすった。

「できる限りおとなしくしてますよ。それでもダメですか?」

「ダメってことはありませんが……」

「問題を起こしそうだと?」

「いえ、そういうことではなく、ですね……。なかば手違いで参加させてしまったので、できれば自主的にですね……」

「もし強制的に追い出すつもりなら、俺、デカい声で『やだー、消されるー』って言いながら出てくかも」

「ちょっと待ってください。それは明確な妨害行為ですよ?」

「あなたの行為が、そもそも俺への妨害になってると思うんですが」

「だって、あなた、部外者じゃないでしょ!?」

 いきなり興奮して立ち上がった。

 とはいえ、さすがにキレるのはマズいと思ったらしく、彼は目をしばたたかせ、溜め息とともに腰をおろした。

「すみません。少し興奮しました。しかしですよ、二宮さん、あなたどう考えてもこっち側の人間なんです。少しは理解を示してくれたっていいでしょうに」

 だんだん本音が出てきた。

「いやー、俺だって『感染者』の基準は満たしてると思うんですがね。ここ、税金で運営されてますよね? なのにパブリック・サーバントが、救うべき市民をツラで選別するってんですか?」

「ですから、そういう単純な話ではなく……」

「なにが単純だよ。俺はねぇ、あんたに監禁されて、穴ごと埋め立てられるところだったんだよ。そういう相手に対して、こっちはずいぶん優しく接してると思うんですけどねぇ。このプロジェクトを人殺し野郎が仕切ってるって言ったら、みんな動揺しちゃうと思うなぁ」

「いえ、ですからそれは……私も命令されて……」

「絵に描いたような『凡庸な悪』だな。しかし凡庸だろうが悪は悪だ。そいつをシバかなかったら、誰もシバけないことになる。恨むんなら、その主任って肩書を恨んでくださいよ。あんた、人を生き埋めにしてメシ食ってんでしょ?」

 俺だけじゃない。あの地下研究所で人体実験されていた少女たちも、まとめて埋め立てられるところだった。優しくしてやる義理はない。

 反論がなくなったので、俺は茶を飲み干して立ち上がった。

「問題は起こさないって言ってんだから、それでいいでしょう? 今後は互いに干渉しないこと。もしまたゴネたら、俺も全力で口を滑らせますんで」

 俺たちを生き埋めにしようとしただけでなく、少女が逃げ出さないよう釘で打ち付けたり、サイキック・ウェーブで人格を上書きしようとしたり、とにかくこいつの悪行は許しがたい。まだ生きていて、こうして税金でメシを食っているのが不思議なくらいだ。どんな命令にも従う凡庸男だから、上としても使い勝手がいいのだろう。


 *


 休憩所へは戻らず、そのまま部屋へ直行した。

 まだ頭がごちゃごちゃしている。

 ここへ来る前からそうだった。

 どうせまた悪い夢を見る。

 せめて金だけ稼いで帰りたい。金以外に、俺の人生を助けるものはなにもないのだ。


(続く)

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