変化の季節
予定通り鐘捲雛子とジョン・グッドマンを回収し、センターへ戻った。
生活スペースに入る前に、まずは各務珠璃の執務室でミーティングとなった。
「まずはアイシャさん、運転代行ありがとうございます」
「いいよ。暇だからいつでも呼んで」
スタイル抜群のモデルのような女だ。相変わらずクールで結構だが、暇ということは、彼女はいまだ無職なのだろうか。莫大な借金を背負っているらしいが。
まあいい。
各務珠璃は、続いて俺たちに目を向けた。
「今回の件は、こちらの不手際でした。皆さんには迷惑をおかけしまして、大変申し訳ありません」
両手をそろえて、深々とお辞儀。
しかしきっと彼女は悪くないはずだ。政府内部でも対立があったらしいから、俺たちをハメた黒幕はそこにいるんだろう。
俺は凝り固まった首をバキバキ鳴らした。
「オーケー。問題ない。話を次のステップに進めよう。お仕置きすべき相手が政府内部にいることは分かった。そいつらが誰なのか教えてくれないか。例の対策本部? それとも別の誰か?」
各務珠璃は目を丸くした。
「あの、ちょっと待ってください。政府と戦う気ですか?」
「別に暴力でなんとかしようってんじゃない。その派閥にいる政治家に、次の選挙で投票したくないってだけだ」
残念ながら、俺は投票権でしか戦えない。警察にさえ勝てないのに、政府とドンパチやるほどバカじゃない。
立ち上がりかけていた各務珠璃は、ほっと腰を落ち着けた。
「あの、ちょっと複雑なのですが、警察を誘導したのは対策本部で、釈放を手伝ってくれたのも対策本部なんです」
「連中の内部で意見が割れてるってことか……」
オメガ・プロジェクト――。人間を変異させ、強制的に進化させるという計画があった。
管轄しているのは、特定事案対策本部。
そこへ参加していた官僚の五代大がプロジェクトに娘を差し出したことで、研究は一気に加熱してしまった。娘の名は五代まゆ。実験のため、彼女の遺伝子からは大量のクローンが製造された。シスターズもその派生だ。
五代大の背後には、宗教団体「進化の祝祭」もついていた。彼らは人類の進化が新たな時代を作ると信じ込み、かなり強引に政府へ圧力をかけていたようだ。
プロジェクトは進行し、それなりの成果を上げもしたが、裏では多くのミスを重ねていた。
やがて、とにかく事態を隠蔽しようとする消極派と、とにかく成果を上げようとする過激派の対立が激化し、結果として日本中に奇病「フェスト」を蔓延させてしまった。
フェストが人体に与える影響は深刻だった。感染すれば、ときに人間性までも失い、正常な行動がとれなくなってしまう。
治療法の確立は急務であった。
研究を任された主任は、しかし過剰な薬物投与で、民間人を変異させてしまった。のみならず、ヤケになってみずからも変異体となる始末。最初からそういう計画だったのか、あるいは過激派にそそのかされたのかは不明である。
ともあれ、特定事案対策本部の内部に、市民を巻き込んででも実験を進めたい一派がいることは間違いなかろう。
俺たちの口を封じようとしたのもそいつらだ。彼らは好き放題に実験しておいて、主任と一緒に、俺たちをも闇に葬り去ろうとした。
*
「では拙者、車をチューンナップ致すゆえ、これにてご免」
執務室を出るなり、ジョン・グッドマンはそう言い残して帰ってしまった。
あのバンをいじくり回しているのだろうか。
まあ好きにしてくれとしか言いようがないが……。
二階の生活スペースに入ると、シスターズはこちらには目もくれず、互いにじゃれあっていた。肌触りのいい餅に、アッシュと機械の姉妹が群がっているのだ。サッカーボールになっていないだけマシだが。ちょっとしたペット扱いではある。
ともあれ仲がよさそうでなによりだ。
新メンバーの自称五代まゆは、壁際のベンチで孤立している。しかしムリに参加させることはあるまい。そこが彼女の居場所なのだ。
佐々木双葉が駆け寄ってきた。
「お帰り。ちゃんと出られたんだ? よかったね」
まだ住んでいたらしい。
しかし鐘捲雛子は返事もせず、ひとりで奥へ行ってしまった。釈放されたばかりだというのに、もう通常業務を始めるつもりらしい。
代わりに俺が返事をした。
「住めることになったの?」
「ううん。なんも言ってない。追い出されるまでは居座ろうかなって」
図太い神経をしている。
彼女がサイキウム欲しさにシスターズを切り裂かないという保証があるなら、いてもいいかもしれないが。
アイシャは「ちょっとお餅触ってくるね」と行ってしまった。
俺は佐々木双葉とともにベンチに腰をおろした。
「とんだ災難だったよ。デートもすっぽかすハメになったし。これが公権力のすることかよ」
「危ない仕事に手ぇ出すからじゃん。もうやめたら?」
「そうするよ」
政府のご指名だからと浮かれて応じるんじゃなかった。思えばあの指名からして、センターの事情を知る人間を逮捕してやろうという意図だったのであろう。
どう考えても投票権で戦うだけでは納得いかない。悪人どもにはしかるべき罰を受けてもらわないと。
主任と同じ道を辿れとは言わないが、せめて留置所にぶち込まれて番号で呼ばれる経験くらいはして欲しい。
*
夜、俺はひとり屋上へ出て、鉄柵に寄りかかって夜景を眺めた。
きらびやかな光景ではない。住宅街から距離のある郊外だから、近くの工場を行き来するトラックのヘッドライトくらいしか光がない。
ぼんやり霞む春の月を朧月というらしい。いま俺が見ているのがそれだ。
しかも満月ではなく、少し欠けている。それでも、もやの向こう側にありながらも、煌々と美しく輝いている。
空気を吸い込めば、新緑のにおい。
かすかに肌寒さもありながら、それでいてぬくさも感じる空気。
なにもかもがハッキリしない変化の季節だ……。
部屋へ戻ると、まだ餅は囲まれていた。というより、三人寄り添って熟睡している。こうしているとじつにかわいらしいものだ。
明るさはだいぶ落とされているが、消灯されているわけではない。それでも寝るには眩しすぎるが。
アイシャは、各務珠璃と一緒に帰ったようだ。
一階へ行くと、佐々木双葉がテレビを見ていた。タフな捜査官がひとりで巨悪に挑む映画だ。しかし退屈そうな顔をしているところを見ると、特にエキサイティングできる内容ではないらしい。
俺も茶をいれ、ベンチに腰をおろした。
鬼塚明菜と連絡を取りたいところだが、私物が押収されているせいで手元にスマホさえない。おかげで連絡先も分からない。警察が返却してくれるのを待つしかない。
ふと、佐々木双葉がこちらを見た。
「二宮さん、どう思う?」
「えっ?」
「この映画。ムキムキのおじさんが鉄砲バンバンやって悪いヤツ倒すの。こんなこと現実にある?」
「さあね」
ムキムキのおじさんが鉄砲バンバンやって、悪いヤツを倒すところまでは可能かもしれない。が、その後別のヤツからハチの巣にされるか、永遠にムショにぶち込まれるかのどちらかだろう。現実は非情である。
局所的な戦闘に勝てるからといって、むやみにケンカを吹っかけるべきではない。その報復としてもっとデカいヤツが来る場合もある。そこも含めて勝てるならいいかもしれないが、ムリなら絶対に衝突は避けるべきだ。
どうしても避けられない戦いになるのなら、搦め手を使い、戦闘以外の方法で対応するのがいい。今回の俺の例でいえば、それは選挙権ということになるか。効果のほどは想像したくもないが。
佐々木双葉は静かに茶をすすった。
「あたしムリだと思うな」
「ムリだろうね」
「ホントにそう思う? 気を悪くしたらごめんだけどさ、二宮さん、意外と暴走しそうだからさ」
「俺が? 見ての通りムキムキじゃないし、あんなに激しく動けないよ」
ブチギレて政府に乗り込むとでも思われているのだろうか。
まったく頭をよぎらなかったと言えばウソになるが……。
それにしても、ここは本当に辺鄙な場所だ。
ビールでも飲んで寝たいのに。近くにコンビニさえないってんだから。
*
翌朝、シスターズたちのはしゃぐ声で目を覚ました。といっても騒いでいるのはアッシュだけだが。今日も飽きず餅に群がっている。
時刻は八時をすこし過ぎたところ。俺以外、みんな起きている。
顔を洗って部屋へ戻ると、機械の姉妹が近づいてきた。
「おはようございます。少しお話しが」
さっきまで餅とじゃれていたこともあり、顔が上気している。
いつもは冷静ぶっているが、子供らしい一面もあるということだ。
「オーケー。場所はここでも?」
「はい」
並んでベンチに腰をおろした。
話が長くなるようなら、先にメシを済ませたいところではあるが。
彼女は自分のスマホをこちらへ向けた。
「勝手ながら、鬼塚明菜さんと連絡を取らせてもらいました」
「えっ?」
「所用でデートに行けなくなったため、代理で連絡をとっていると。あのままデートをすっぽかすことになったら、どちらにとってもよくありませんからね。特に、あなたにとっては人生で最後のデートかもしれませんし」
「……」
とんでもない侮辱を受けている。が、本題はそこじゃない。いったいどういうつもりなのだ。そこまで世話を焼くこともなかろうに。
彼女は顔をしかめた。
「ジョークを言ったつもりなので、つっこんで欲しいのですが」
「いや、けどさ……。ホントに? どう言ったらいいんだ……。俺の全財産つぎ込んで、君の像を建てたほうがいい?」
「要りません。それより、これを無期限でお貸ししますので、彼女との連絡に使ってください。ただし、午前中はずっと忙しいようですので、適切なタイミングでお願いしますね」
「ありがとう。恩に着るよ」
最高の雇用主だ。金払いがいいだけでなく、福利厚生までしっかりしている。回ってくる仕事はどれもグレーだが。
*
どこの業者から仕入れているのかは不明だが、倉庫には例のレトルト食品が大量にある。それをあたためてパンと一緒に食うのがここでの朝食だ。
メシを終えてぼうっとしていると、今度は五代まゆが来た。
「みんなはしゃいじゃって、バカみたいね。あんな駄肉のどこがいいんだか」
「君は混ざらないのか?」
「イヤよ。子供っぽいし」
「なかなかの触り心地だぞ」
「それセクハラ」
「……」
そんな言い方をされると少し傷つくな。
彼女は少し距離をあけてベンチに腰をおろした。
「二宮さん、あの子のことどうするの?」
「どうって?」
「私が植え付けた恐怖心は、もうほとんどなくなってるはず。だからいつ話しかけても平気」
「なぜ分かるんだ?」
「あの子の中にいるとき、いっぱい話し合ったの。ほかに話し相手もいなかったし。とにかく待ってるんだから、行ってあげなよ」
この子も人の世話なんて焼いて、いったいどういうつもりなんだか。
俺は壁に後頭部をあずけ、深く呼吸をした。
「いいんだ。こうして同じ部屋で、同じ空気を吸ってるだけでさ」
「なにそれ?」
「君だってそうだろう。互いに干渉しなくたって、近くにいるだけでいいんだ。こうして姉妹を眺めているだけでもさ」
「……」
返事はなかった。彼女は、ただまっすぐ餅たちを見つめている。
会話は途絶えたが、おかげで部屋の様子を眺めることができた。
餅がびちびちと床で跳ね、アッシュがワーワー言って、機械の姉妹もじっとしがみついている。それを赤ん坊と、母親役の少女がゆらゆらしながら見守っている。
佐々木双葉が暇そうにスマホをいじる横を、洗濯物を抱えた鐘捲雛子が通り過ぎる。
みんなそれぞれに過ごしている。
俺は彼女へ目を向け、こう続けた。
「みんな君の家族だよ。いいもんだろう? こんなに贅沢なことはないよ。まあ毎日だと飽きるかもしれないけどね。そこは工夫のしどころでさ」
「……」
この提案はお気に召さなかったか。
すると彼女はこちらも見ずに応じた。
「本当は私もそう思ってる。みんなといると心地いいの。うるさいなって思うこともあるけれど……」
「そういうもんさ」
「でも、みんな私を警戒してる。私が悪いことしたから……」
「もし本当に君を嫌ってるなら、宇宙から救い出したりしないよ」
「それは分かるけど……。どうしたらいいか分からないの。もっと素直になれたら、きっと仲良くできると思うけど」
「悪いと思ったことは、きちんと謝ったほうがいいだろうね。そしたらみんな許してくれるよ」
「そうかな?」
「あせらずじっくり時間をかけて仲良くなればいい。みんなだって君のことを待ってる」
「うん……」
ここは隔絶された宇宙とは違う。
姉妹の声もあるし、顔も見える。手を伸ばせば届く距離にいる。
互いに仲良くなりたいと思っているのは間違いないのだから、同じ場所で同じ時間を過ごしていれば、いずれ打ち解けることができるだろう。
急がなくていい。
時間はいくらでもあるのだ。
という感じでふわっと軟着陸させたかったのだが、なぜか餅がぐねぐね蠢動しながらこちらへ迫ってきた。上にアッシュと機械の姉妹を乗せながら。
いったいなにを仕掛けてくる気だ……。
(続く)