ただいま
作戦当日、午前七時。
遠方にうっすらもやがかかっている。
俺たちは黒の防護服を装着し、腕に腕章をつけ、ぞろぞろとバンに乗り込んだ。
参加メンバーは五名。
なかば強制参加の俺、そして餅、鐘捲雛子、青村放哉、運転手のジョン・グッドマンだ。
他のメンバーは都合がつかなかった。なにせ招集が急すぎる。
俺は窓際の席に腰を下ろした。隣にはなぜか青村放哉。スパイキーなツンツン頭の自称ロッカーだ。いろいろウザいが射撃の腕だけはいい。
「聞いたぜ、ホントはデートの予定だったんだって?」
さっそくウザい。
無視するのも悪いので、俺は窓の外を眺めながらもこう応じた。
「まあね」
「どんな感じよ? 写真は?」
「ないよ」
「ケチだな。で、どこで知り合ったんだ? まさかナンパじゃねーよな?」
いやー、もうウザすぎる。
これから命を張った仕事が待ってるってのに。
「そういう青村さんこそ、いいの? 小田桐さんは……」
「オメーは腕利きの拷問官か? その話はするなっツったろ」
「あんまり軽い気持ちで女の子に手ぇ出さないほうがいいと思うよ」
「ふざけんなよ。どの口が言ってんだ」
あくまですべて合意の上だ。倫理的に正しいとまでは言わないが。
さて、青村放哉を黙らせることには成功したが、デートという単語が出たせいで、餅が満面の笑みでこちらを見ている。しかも邪悪なサイキック・ウェーブを放出して。
頼むから殺意だけは抑えて欲しい。事情はあとで説明する。
*
現地に到着。まだ早朝だ。まばゆい朝日が床一面の惨状を照らしている。カラスや野ネズミだけでなく、野良猫までもが死体を食い漁っているのは見たくなかったが。
みんな死んでいるわけだから、片付ける作業員もいないのだ。このまま仕事を続けるほかない。
ちなみに、かなりの数の警察官が遠巻きに待機している。脱走した警備ロボットに対応するためのバックアップ部隊かもしれない。
生きてる相手に「ロボット」呼ばわりは違和感があるが、もともとロボットは強制労働を意味する語なので、あながち間違っちゃいないのかもしれない。
センターから放出されるサイキック・ウェーブ量は膨大で、詳細な情報を読み取れない。密集したエリアに強いのがたくさんいるとこうなる。
ともあれ、作戦を始めねば。
本日のリーダーは、敏腕エージェントの二宮渋壱。自分で言ってるわけじゃないが、政府から熱い支持を受けている以上、そう名乗らざるをえまい。
「事前に確認した通り、正面エントランスから入って、受付を突破し、最短で主任の執務室を叩く。そんなに広くないし、邪魔が入らなければ一分もかからないと思う」
俺がそう説明している最中、さっそく邪魔が入った。窓から警備ロボットのひとりが顔を出したのだ。
どこも見ていないガラス玉のような青い瞳。絹糸のようなつややかな髪。天使のような見た目をしている。が、凶暴なのは間違いない。オーナーに絶対的な忠誠を誓い、命を賭して敵へ挑みかかる。
敵意がないことをサイキック・ウェーブで伝えるが、まったく受け入れてもらえない。のみならず、最初の一体が仲間へ信号を送ったらしく、各部屋の窓から次々と顔を覗かせた。十体以上いる。
青村放哉が小さく咳払いした。
「えーと、あいつらが駆除対象の変異体ってことでいいのか? いいならもうおっぱじめねーとマズいような気がするんだが……」
その通りだ。
鐘捲雛子とジョン・グッドマンが同時に抜刀した。
戦闘は避けられない。まだ突入してもいないのに総力戦とは……。
俺もホルスターからCz75を抜いた。
「始めましょう」
そう告げるや、パァンと音がして青村放哉のレイジングブルが火を噴いた。窓から顔を出していた個体の肩口に命中。小さくうめき、奥に引っ込んだ。
サイキック・ウェーブでつながっている仲間同士、痛みや怒りはまたたくまに伝染する。警備ロボットたちは一斉に凶悪な顔つきになり、一階から二階からわっと飛び出してきた。
展開が迅い。
背中からガスのようなものを噴出し、滑るように機動する。
俺は銃で迎撃しようと思うのだが、スピードが速すぎて狙いをつけられなかった。あの青村放哉でさえ発砲を躊躇するレベルだ。
こちらがまごついているうち、いつのまにか囲まれてしまった。まるで獣が狩りをするみたいに、こちらの周囲を集団でグルグル回っている。
ふと、接近してきた一体へ、鐘捲雛子が刃を振るった。しかし信じられないことに、Uターンされて避けられてしまった。なんとか追い返すことはできたが……。あのカウンターでの一閃を回避するとなると、人間の反射神経では対応できない。
数日前に俺が認証した個体よりも強い。もっとも、俺のときは生まれた直後での戦闘だったから、まだ体を自由に使いこなせていなかったのかもしれないが。
餅がやれやれとばかりに溜め息をついた。
「私に助けて欲しいなら素直に言ったら?」
あきらかに俺に向けて言っている。
「なにか策でもあるのか?」
「あるわ。この体を変形させてもいいならね」
「変形……」
俺は敵の動きを警戒しつつ、なんとか頭を回転させた。
まだ敵が様子を見ているからいいものの、俺たちに手がないことはバレて一斉に襲い掛かられたら、おそらく甚大な被害が発生する。その前に状況を打開したい。
しかし餅の身体が変形するとなると、すぐにはうなずけない。
彼女はふっと笑った。
「大丈夫よ。もとに戻せるから」
「本当か?」
「議論してる時間あるの? あの子たち、かなり焦れてきてるけど」
放たれるサイキック・ウェーブからも彼女たちの焦燥は読み取れる。
「分かった。ただし、終わったらちゃんともとに……」
俺が言い切る前に、餅の防護服が弾け飛んだ。肉体が風船のように膨張したかと思うと、どろどろの粘液となって崩れ落ち、足元に広がった。さながら白い肉のカーペットだ。
警備ロボットも警戒して散開。
すると肉の表面から、ニョキと黒い芽が飛び出した。ひとつやふたつじゃない。グロテスクな黒い点が次々に発生し、そこからチューリップのような花が咲いた。
それだけじゃない。職員たちの死骸に絡みついて、栄養を吸い取っているようにも見える。
トラウマが蘇る。
圧倒的な殺戮の罠だった。花園に足を踏み入れたものは、確実に命を奪われる。彼女が生かそうと思った相手以外は。
俺たちは、結局これを戦闘で攻略できなかった。エネルギーの供給源を断ち、衰弱させて仕留めただけだ。
当時現場に居合わせた鐘捲雛子も、青村放哉も、だいぶ複雑そうな表情を見せている。これにはいい思い出がない。
好奇心に寄せられたらしい警備ロボットの一体が近づいてきて、目にもとまらぬスピードで心臓部を貫かれてしまった。凶器は、蠢く黒い花から伸びた芽だ。少女はそのまま硬直し、オブジェのように掲げられることとなった。
当然、警備ロボットたちは警戒感を強める。
状態は膠着。
青村放哉が発砲するが、ことごとく回避されてしまう。見てから避けているとは思えないから、こちらの動きを先読みしているのだろう。
「クソ、この俺さまの弾が当たらねーだと……」
ぼやきたくなる気持ちは分かる。俺だって、この男が外しているのを見るのは初めてだ。
俺はまだ二発しか使っていない。しかも、もちろん当たってない。まあそれはいつものことだが。五発しか撃てないニューナンブと違って、もっと撃ってもいいはずなのだが、ただでさえ当たらないのに、殺してはいけないという条件までついてしまい、完全に委縮していた。
とはいえ、当の餅が、堂々と殺しているように見えなくもないが。
かと思うと、オブジェが苦しそうにバタバタもがき始めた。助けを求めるサイキック・ウェーブを悲鳴のように放っている。まだ生きているというのだろうか。
いや、これは囮だ。彼女の身体は、すでに花に支配されている。仲間をおびき寄せて、片っ端から取り込むつもりなのだ。
事実、そうなった。
俺たちが手を下すまでもなく、一体、また一体と引き寄せられて、次から次へ花の餌食となった。ぐねぐねと気味悪く動く悪魔の花だ。これが心臓をぶち抜き、血液を飲む。まっしろな肉は歓喜に打ち震えている。
このまま見ていていいのだろうか。彼女が力を取り戻したとき、また前回のようにならないだろうか。今度は衛星からのリモート・コントロールではなく、本人が直接この体を動かすわけだから、無尽蔵に湧き出すエネルギーを断つことができない。
もちろん彼女を信じたい。身体を与えてやりたいとも思う。ただ、こうして躊躇なく生命を蹂躙するサマを見せつけられると、次第に不安が募ってくる。
かくして十二の遺体が掲げられた。彼女たちの体内に仕込まれていた爆発物だけは器用に排出され、床に転げ落ちている。
全十八体という話だったから、見当たらない残りの六体は主任の近くに配置されているのかもしれない。
白い肉は微細な蠢動を繰り返している。
かと思うと、ひときわ大きな芽がもこりと盛り上がった。いや、芽というよりは蕾だ。その折り重なった花弁が一枚ずつひらいてゆき、中から少女が現れた。膝を抱えた五代まゆだ。
少女はすっと空気を吸い込み、静かに目を開いた。なんとも言えない表情をしている。清冽なしずくを指先で拭い、静かに腰をあげた。
「あの子たちの記憶が入り込んできて、少し憂鬱になったわ。けど、体はまあまあってところね」
黒い花弁を一枚ひきちぎり、体に巻き付けた。ドレスのつもりだろう。
目的をひとつ達成できたのは分かった。
が、餅はどうなった?
床に広がった白い肉は、役目を終えたようにのびきっている。サイキック・ウェーブもいまいち感じられない。まるで抜け殻だ。
俺が尋ねるより先に、鐘捲雛子が詰め寄った。
「餅ちゃんは?」
「さあ」
その返事と同時に、刃が突き付けられた。俺も便乗してCz75を構えた。事と次第によっては、対応を変更しなければならない。
五代まゆはふっと笑った。
「ずいぶん露骨に殺意を向けてくるのね。私、信用されてないんだ?」
「信用したいよ。でも、できない」
鐘捲雛子の手は震えている。
餅は彼女の妹ではない。それでも、あれだけ仲良くしていた相手が、こんな理不尽な死に方をしてしまったとしたら……。
俺は銃をおろし、彼女の肩をポンポン叩いた。
「いや、大丈夫だ。生きてる」
花々は急速にしおれていた。それらは内側から押し出されるように抜け落ち、最終的にはただの白い肉だけが残った。その表面に、ギョロリとふたつの眼球が浮いた。
「あの、戻してとは言ったけど、ここまで戻すなんて聞いてないんだけど……」
口はないから、サイキック・ウェーブでの抗議だ。
五代まゆはかすかに笑みを浮かべただけで、返事さえしない。
ともあれ餅だ。
この懐かしい姿も、リアクションの感じも、間違いなく俺の知ってる餅だ。
俺はあまり恐怖心を与えないよう、声を張らずにつぶやいた。
「おかえり」
ふたつの目がこちらを見た。はんぺんで作ったヒラメのようだ。
「あら、ただいま。それはいいんだけど、どこ見てるのかしら? えっちね」
「……」
ふざけやがって。最初の返事がそれかよ。俺がどれだけ心配したと思って……。なんだか知らないが鼻水が出てきた。
鐘捲雛子も察したらしく、刀を捨て、その場にしゃがみ込んだ。
「生きてるの? 私のこと、分かる?」
おそるおそるといった様子ではあるものの、なんとか返事を聞こうとかなり顔を近づけている。ついさっきまで鬼神のような形相だったのに、もう姉の顔になっている。
しかし残念ながら、通常の会話はできないのだ。
それをいいことに、餅はこんな返事をした。
「分かるよ、お姉ちゃん。なんてね」
ジョークを言えるなら心配なさそうだ。
眼球がギョロギョロ動いているから、生きていることは鐘捲雛子にも理解できたろう。
すると五代まゆが、むんずと餅の肉をつかんだ。
「力を使いすぎたから、私はこの駄肉と一緒に車に戻ってるわ。しばらくは戦えないし、いても邪魔になるだけだと思うから」
「誰が駄肉よ! あんた性格悪すぎるのよ!」
「うるさい」
「もっと丁寧に運びなさいよ!」
「暴れないで」
ビチビチ跳ねる餅を重たそうに引きずりながら、五代まゆは車のほうへ行ってしまった。
あの花を使うのは、やはりエネルギーの消耗が激しいということか。
残された俺たちは、なんとも言えない気持ちで互いの顔を見合わせた。
ひとまず、餅関連の目的は達成できた。あとは残りの変異体を処分すれば任務完了だ。
残業代が出るような仕事でもないし、さっさと片付けてしまおう。
「じゃ、当初の予定通り、エントランスから突入ということで」
ちっとも予定通りではないが、俺はあえてそう告げた。
ここからは格段に仕事がやりやすくなる。室内は狭いから敵の機動力も殺せる。生け捕りにする必要もない。一気にカタをつけさせてもらう。
(続く)