表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/22

藪の中

 その後は悪夢も見なかった。というより、疲れ果ててしまい、夢どころではなかった。

 翌朝、俺が目を覚ましたときには、すでに鐘捲雛子も餅も捜索に出ていた。


 食事を終えた俺は、特にすることもなく自室で窓の外を眺めた。

 やわらかな春の陽光に包まれた田園風景。木々をゆするスズメたち。しかして本日もせわしくヘリコプターが飛び回り、職員が右往左往している。せっかくの雰囲気が台無しだ。

 もちろん試験どころではないから、なにもせずとも、座っているだけで一日が終わる予定だ。


 スマホを手に取り、世間の反応を確認した。

 画面が眩しいだけで、収穫は特にナシ。


 契約によれば、研究は一週間。今日で六日目だから、明日が最終日となる。

 終わったら素直に解放してくれるのだろうか。まさか封鎖を理由に軟禁されたりしないだろうな。いや、是が非でも帰してもらう。これが終わったら、鬼塚明菜とデートする予定なのだ。


 内線が鳴った。


 *


 主任の執務室は雑然としていた。

 資料ファイルが乱雑に置かれ、ゴミ箱には弁当の容器などがあふれんばかり。片付けている余裕もないのだろう。思えば二階の廊下も血だらけのままだ。

「ご用というのは?」

 俺はソファに腰をおろした。もはやコーヒーさえ出てこない。

 主任はろくに寝ていないらしく、げっそりしていた。体脂肪は減っていないのに、筋肉だけがやつれたような顔だ。

「用……。そうです、今後のことについて……」

「契約は明日で満了ですよ」

「まさか帰れるとでも?」

「ええ、なにがなんでも帰ります。大事な予定があるんで」

 すると主任は、血走った目をカッと見開いた。

「予定? それは国の事業より大事なことなの?」

「大事だろうがそうでなかろうが、契約は明日まででしょう? 延長にあたいする正当な理由があるならまだしも、あんたの尻拭いに付き合わされる筋合いはないって言ってるんですよ」

 いつもならこちらが強気に出れば、彼は少し引く。が、今日はそうではなかった。

「あなたねぇ、いつまで傍観者のつもりでいるんです? この状況、分かってます? 危機的状況なんですよ?」

「誰にとってどれだけの危機だと?」

「国家! 日本全体の危機ですよ! そんなこと、いちいち言わせないでくださいよ!」

 完全に頭がおかしくなっている。仕事をミスって出世コースから外れるという個人的な事情が、世界の危機かのように感じられているのであろう。しかし今回の事案は、脱走者が見つかればそれで解決する話だ。こいつがどうなろうと関係ない。

 仮に脱走者から民間人に感染したところで、フェスト患者が増えるだけだ。薬を過剰摂取するのでなければ、あんな怪物になったりはしない。これまで通り行政が対応する。

 俺が黙っていると、彼は興奮した様子でこう続けた。

「なにをボヤボヤしてるんです! 早く下山田さんを見つけてきてください!」

「もっと丁寧に頼んで欲しいなぁ」

「金が欲しいんでしょ? 既定の額を出しますから」

「既定の額? 二万円でしょ? あんた、いくら給料もらってんの? 同じ仕事やれって言われて二万で受ける?」

「いくら欲しいんだ!」

 逆ギレしてきやがった。

 まあそういう態度ならそれでもいい。価格設定に上乗せするだけだ。

「三千万」

「は?」

「こっちは死ぬかもしれないんだぜ? それくらい払ってくれてもいいだろ」

「さ、三千万? 正気ですか?」

「逆に聞くけどさ、三千万払うって言ったら、あんたやるのか? 自分がやりたくなるような額を言えよ」

「わ、私はタダでもやりますよ」

「そういうジョークが聞きたいんじゃない。俺はあんたの誠実さを問うてるんだ。よく考えてみてくれ。ここで薬が過剰投与されたという事実や、地下に危ないブツがある事実を、俺は知ってるわけだよ。いや、別に脅したいわけじゃない。一方的にあんたが有利ってワケじゃないことを理解して欲しいだけだ。その上で、どうしたら俺が動きたくなるのか、もっと真剣に考えてみてくれないか。ハシタ金でコキ使うんじゃなくてさ」

 俺がそう告げると、主任は陸にあげられた魚みたいな顔になった。

「し、しかし予算が……」

「サイキストには二百万払ってるらしいね。半額でいい。その代わり、銃を貸してくれ。それで受けてやる」

「半額? 百万で?」

「これ以上の値引きはナシだ」

「しかし予算が……」

「そのセリフはさっきも聞いたよ。百万くらい、裏金調整するなりして、なんとか捻出できない? 不正は得意でしょ?」

「分割で……」

「話をこじらせるのが得意だな。あれこれ条件をつけるようなら、俺は降りる」

「出す! 出しますから!」

 テーブルをバンバン叩き始めた。ずいぶん情緒不安定になっているらしい。

 ただ、主任はすぐ我に返った。

「た、ただ、現金はないので、あとで振り込む形で……」

「いいよ。俺もここの秘密を暴露したいわけじゃないしね。互いに誠実である限りは。じゃ、銃貸して」


 *


 というわけで、久々に私服に着替えて外へ出た。

 じつにいい天気だ。なのに花粉も飛んでいない。いや、飛んではいるが、まだ症状が出ていないだけかもしれない。

 ともかく素晴らしい。春の陽気に包まれる解放感。常時キャンセラーに圧迫されて部屋にこもっているのとは比べ物にならない。これでヘリがうるさくなければ最高なんだが。


 俺は田畑と小川に挟まれた畦道を進んだ。

 まっすぐ行くと山へ入る。サイキック・ウェーブを感じるから、行方不明者はそこにいるはずだ。餅の波じゃない。別の誰か。

 ともあれ、捜索そのものはイージーなのだ。特に薬でバキバキに強化されたフェスト患者は、自分から居場所を知らせてくれる。

 なんなら俺より先に餅が発見している可能性さえある。中身は餅じゃないから、真面目に仕事をしない可能性もあるが。

 ともあれ真の問題は、会ってからどうするか、なのだ。

 生きたまま連れてこいとは言われていない。もし変異していたら殺すしかない。しかし変異していなければ、なにか理由をつけて殺すか、あるいは言葉で説得して連れ戻さねばならない。


 上空を飛んでいたヘリの一台が、群れを離れて俺の進行方向へ寄ってきた。こちらを監視しているのかもしれない。まあ俺自身が脱走しないとも限らないしな。


 *


 落ちていた鎌を拝借し、俺は山へ入った。枯れ枝が垂れ下がっていて歩きづらいから、鎌でバサバサ落としながら進む。ナタと違って扱いづらいが、ぜいたくは言っていられない。

 気配は近づいている。

 あまり深くへは入っていないようだ。


 こんなに分かりやすいのに、なぜ職員どもは見つけられなかったのだろう。そのためのセンサー類だってあるはずだ。まさか予算が足りていないのだろうか。助手の話だと、地下にずいぶんな維持費がかかっているという話だった。予算のほとんどをそちらに取られているのかもしれない。

 もし電力が必要なら、サイキウムで発電すればいいのでは、と思うのだが……。


 さて、そいつはすぐに見つかった。そいつ以外も。

「クソ、なんで来るんだよ……」

 下山田莉煌斗しもやまだりおとだ。二日も野宿したせいか、ご自慢の髪型がボサボサになってしまっている。

 ちなみに彼はひとりではない。といってもすでに死体だが。彼に追いついた二名の職員が、血だまりに沈んでいたのだ。詳述しないが、暖かくなってきたこともあり、すでに傷み始めている。


 そこはちょっとした崖のような、洞窟のような、雨をしのげる場所だった。小川にも近い。生活するにはこの上ない好条件というわけだ。あくまで「遭難するなら」という条件はつくが。

 俺は鎌を捨て、ホールドアップで近づいた。

「待った。敵じゃありませんよ。味方でもないけど。探せって言われて探しに来ただけで」

 あまり刺激してはいけない。なにせ下山田莉煌斗はナイフを手にしている。逃げるときに施設から持ち出したものだろう。刺された職員は運が悪かった。

「それ以上近づくな」

「了解」

「あとこいつらは……正当防衛だから……」

 こちらがなにも言っていないのに、いきなり釈明が始まった。まあ人を殺してしまった以上、なんらかの釈明エクスキューズが要る、というわけだ。

 気まずい空気になったので、俺は話を進めることにした。

「あいつら、下山田さんに帰ってきて欲しいって言ってますよ」

「あ?」

「いや、だって、このまま山にいたってしょうがないでしょ? 戻りませんか?」

「どうせ殺すんだろ? 体もおかしくなってんだからよ……」

 外見はまだ人間だが、彼が怪物になりかけているのはサイキック・ウェーブの振動で分かった。内側から爆発しそうになっている。少しでも気を抜けば一気に変異し始めるだろう。

 というより、俺が来たせいで、余計に興奮させてしまったようだ。精神状態が不安定になっている。

 彼は舌打ちした。

「財布出せよ」

「えっ?」

「金だよ。殺されなきゃ分かんねーのか? 金出せよ。逃走資金にするからよ」

「いや、戻ったほうが……」

「バカなのか? あんまりイライラさせんじゃねーよ。こっちはロクにメシも食えてねーんだからよ」

 自業自得だろう。

 彼はギラついた目で、ナイフ片手にじりじりとこちらへ近づいてくる。

 銃をぶっ放してもいいが、尻ポケットに入れているせいですぐには取り出せない。間に合わないだろう。となると、別の方法を使うしかないわけだが……。

「オラ、とっととしろ」

 自分がどんな能力を有しているのかも忘れて、刃物で脅してくるとは。そう簡単に習性は変えられない、か。

 貧すればなんとやらだ。

 俺は思わず溜め息をついた。

「暴力は感心しないな」

「あ? なんだテメー? 法律にでも守られてるつもりか? いまがどんな状況か、ちっと考えりゃ分かんだろ? その貧弱な頭でもよ」

 無遠慮に刃物を突き付けてきたので、俺は至近距離からフルパワーでサイキック・ウェーブを放った。毎日のように悪い夢を見ているおかげで、陰惨なイメージには事欠かない。それらを集約して脳へ送り込んでやる。

「えっ? えっ? えっ? なに? なになに? えっ? 待って! 違うって! 殺さないで!」

 黒い花々に囲まれて、全身をドリルのように抉られる映像ヴィジョンをご堪能いただくとしよう。落としたナイフは回収させてもらう。

 うずくまってブルブル震えていたので、俺は落ちていたツタで全身をグルグル巻きにしてやった。たいした拘束力はないと思うが、まあちょっとした演出だ。

 俺はナイフ片手に、下山田莉煌斗が正気に戻るのを待った。


「えっ? あれ? 花は……」

「ないよ」

「そ……夢? えっ? いや、ちょっと待って。なんで? あれ? なんで俺、こんな……」

 いつの間にか武器を奪われた上、身体を拘束されているのだ。普通は驚く。俺だって同じことをされたら驚く。なにも恥ずかしいことじゃない。

 彼はいまにも不安に押しつぶされそうだった。そして本当につぶれたら、次は怪物となるだろう。

 俺は静かに告げた。

「だから話し合いたいって言ったんだ」

「待った! 殺さないで!」

「さっきさ、俺の聞き間違えでなけりゃ、法律にでも守られてるつもりか、って聞かれたけど」

「守られてるでしょ! ね? 守られてますよ!」

 こういう低レベルなマウンティングは気分がいい。いいだけに、優越感に酔ってしまう自分がイヤになる。とはいえ、そもそも俺はたいした人間じゃないから、そういうことをやめないわけだが。

 わざとらしくナイフを木漏れ日にかざしながら、俺はこう続けた。

「貧弱な頭でも、ちょっと考えれば分かる、って話だったなぁ」

「いや、それはちょっと言い過ぎたっていうか……はい……すみませんでした……」

 キョロキョロしながら生きてきた経験がいかんなく発揮されているようだな。手のひらの返し方がプロレベルだ。

 俺はナイフを投げ、近くの木へ突き刺した。代わりに尻ポケットからリボルバーを取り出し、下山田莉煌斗へ向けた。

「おとなしく帰る気ある? あるなら聞いてやらないこともないけど」

「あっ、ああっ、あります! ありますよ! でも、帰ったら絶対殺されちゃいますから! 助けてくださいよ!」

 おとなしく帰る気はないということだな。

「薬でおかしくなったんだから、治療薬もあるかもしれない」

「ありますか? ホントに?」

「いや分からないけど。あいつらだって、施設内で変異されたら困るわけだし。そうなると分かってて連れてこいなんて言わないでしょ」

「だから、絶対殺すつもりなんですって」

 言葉で説得するのは難しいか。なにより、あと一押しで変異してしまう。もしそうなれば、どのみち殺さなければならない。

 正直、こんな自分勝手なヤツがどうなろうと知ったことじゃないが、それでも自分の手で始末するのは気が進まない。

 なんとか心を入れ替えてくれると楽なんだが。


 などと思案していると、ふと、異変が起きた。

 まあ異変というか、変異なのだが……。

 あきらかに俺以外の要因によって、下山田莉煌斗は変異を始めてしまった。口を大きく開けて「あああ」と喉奥から声を絞り出し、白目になり、ぶるぶる震えて穴という穴から体液を放出し始めた。

 身体がぶくぶくと膨張を始め、ツタがブツリと弾け飛んだ。


 まあ変異が終わるまでおとなしく待つ義理もないので、俺は途中から銃を撃ち込み始めたわけだが……。パァン、パァンとやかましい音とともに弾丸が肉に命中したものの、どうやら致命傷は与えられなかったようだ。

 ギリースーツのような、全身草まみれの怪物が誕生してしまった。

 弾が切れたので、俺は代わりに草刈鎌を拾ったが、まったく戦える気がしない。

 よって、ここは援軍に助けを求めることにした。

「見ての通りピンチだ。手伝ってくれないか?」

 すぐそこに鐘捲雛子と餅がいることは分かっていた。下山田莉煌斗は、餅の放ったサイキック・ウェーブで変異したのだ。いったいどういうつもりなんだか。

 黒い防護服の鐘捲雛子が、抜刀して前へ出た。

「下がってて」

「了解」

 俺は素直に道をゆずった。

 小柄な女性に戦いを任せるのはダサすぎるが、どう考えても彼女のほうが強いので仕方がない。

 餅は悪い笑みを浮かべている。

 これはあとで教育的指導が必要だな。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ