代理人
ニュースにはならなかったが、次第にネットも騒がしくなってきた。参加者の流した動画に、ユーザーたちが気づき始めたのだ。しかしまだ一部。たまたま動画に接した人間たちが「なんだこれ?」と拡散させている最中だ。
誰も事実には到達していない。
この動画、参加者ではなく職員が撮ったもののようだ。しかも昨日の、72点おじさんの残骸。まわりで職員たちが掃除している。
のみならず、あまりのグロさに何度か削除されており、現在拡散されているのは誰かが勝手にコピーしたもののようだ。
今日の林檎もそのうち出回るだろう。俺が見つけていないだけで、すでにアップロードされている可能性もある。
*
翌朝、ヘリコプターのやかましいプロペラ音で目を覚ました。
カーテンを開いて確認してみたが、マスコミに囲まれているわけではなかった。カメラを持った人物がひとりだけいたが、警備員に囲まれて威圧されている。
大手マスコミは動いていない。もしかすると圧力がかかっているのかもしれない。紛れ込んでしまったカメラマンは、どこにも属していないフリーの人間だろう。
となると、朝からフル稼働しているヘリは、マスコミの空撮ではなく、行方不明者の捜索ということになるか。
まだ定時前のはずなのに、泊まり込んでいたらしい職員たちは忙しそうにしていた。
俺は軽い朝食を済ませ、ふたたび部屋へ戻った。
センター側からはなんらの通達もない。というより、脱走者の対応に追われてしまい、もはや研究どころではないのだろう。
ま、暇なのが一番いい。
なにがいいって、鬼塚明菜と会話する時間がもてる。向こうにその気がなくてたっていい。結論はすぐに出る。
彼女が昼食を運んでくるのは十一時過ぎだから、そのころ搬入口に行けばいい。
佐々木双葉が部屋へ乗り込んできた。
「いやー、ヤバいわ。バッドトリップだわ」
朝食のときから元気がなかった。朝に弱いせいだと思っていたが。思えば、虚無を見つめるウサギのような目でサンドイッチを食っていた。
「また神さまでも見たのか?」
「見たよ。正体知りたい?」
「ぜひ」
正体なんてものがあるのだろうか。
とはいえ、俺は偶像崇拝について厳しくないから、それが人間の姿をしていたところで苦情を言うつもりはない。そもそもキマってるヤツが見る幻覚だ。怒ったら可哀相だろう。
彼女はジロリとこちらを見た。目の下にクマがあるから、顔つきが怖い。
「あたしを殺そうとしてたヤツと同じ顔してた」
「へえ」
俺は生返事をしたが、内心穏やかではなかった。
つまりは「五代まゆ」だ。研究者たちがオメガ種を作り出すため、犠牲にした少女。
ただし五代まゆ本人は利発で、性格も穏やかな少女だ。たくさんのコピーが作られた。人格形成に失敗した個体もいる。失敗というか、大人たちに人格を上書きされて、めちゃくちゃにされてしまったのだが。
佐々木双葉が言っているのは、おそらくはプルートという個体のことだろう。五代まゆのクローンだ。正確には「五代まゆ」のクローンである「衛星の少女」のクローンである「ガイア」のクローンが「プルート」だ。あくまで俺の認識では。
佐々木双葉は顔をしかめている。
「分かってる? あいつ、神さまだったんだよ?」
「それが地球の奥にいたの?」
「そう」
「どっちの記憶? 林檎のほう? それとも26号?」
「林檎。26号のほうは意味不明な映像しかなかった。たぶんこいつのせいでバッドになったんだと思う」
林檎のモンスターは、例の中年女性が変異したものと見て間違いない。彼女は、いったいどこで五代まゆの顔を見たのだろう。
まさか、本当に地球の底で?
いや、この施設に集められたのはフェスト感染者ばかりだし、ここへ来る前にすでになんらかの映像に触れている可能性が高い。
そして以前は、各地でサイキック・ウェーブが観測されていた。衛星でも、ビルでも、五代まゆのクローンたちが暴れていたのだ。彼女たちは地中に堆積したサイキック・ウェーブを刺激しまくっていたから、その反動で五代まゆの容姿がサブリミナル的に拡散していてもおかしくはない。
*
佐々木双葉が部屋から出ていったので、俺はしばらくネットで時間をつぶした。
参加者の流した動画はじわじわ拡散していた。しかし大手が取り上げないから、まだ気まぐれな「発見」に留まっている。ネットユーザーのほとんどは、意味不明なグロ動画として受け止めているようだ。音声がないから、海外の動画だと思い込んでいるユーザーもいる。
そう考えると、ここへ乗り込んだカメラマンの推察力はなかなかのものだ。ネット上の断片的な情報から、ここへたどり着いたのだから。あるいは以前からこのセンターを狙っていたか。
ふと、ペテペテとバイクのエンジン音が近づいてきた。
まだ十一時にもなっていなかったが、弁当屋が配達に来たのだろう。俺は慌てて階下へ降りた。
搬入口で待っていると、弁当の配達員が来た。しかし鬼塚明菜ではない。長い黒髪の清楚な女性だ。体は細いのに、ビニール袋いっぱいの弁当を苦もなく持ち運んでいる。
配達の邪魔をしては悪いので、俺は帰り際に声をかけることにした。
「あの、すみません」
「ハイ?」
眩しいくらいの笑顔だ。
エプロンには「丸山弁当」の文字。
「あのー、鬼塚さんは……」
「オニヅカサン? コナイヨ。アー、アナタ、ニノミヤサンカ?」
少し日本語が怪しい。
海外の出身だろうか。
「そうです。二宮です」
「ヤパリネ。スグニワカタヨ。デンゴン、アルヨ。デンゴン。ワカル? キクカ?」
「聞きます」
すると彼女は演技じみた様子で、腕組みをした。
「ドシヨカナ。イウカ、イワナイカ」
「教えてよ」
「デモアナタ、オニヅカサンニイジワルネ。ワタシ、ソレ、ダメオモウ」
「反省してる」
「ハンセー?」
「悪いと思ってるよ」
なぜ俺は彼女に説教されているのだろう。意地悪したからか。
彼女はうなずいた。
「ヨシ。ワルイノ、ダメネ。オニヅカサン、ゲンキナイナルデスカラ。デンゴン、イウネ」
「うん」
いったいなにを言い出すつもりだろう。
なるべく楽観的な予想を立てようとしてはいるのだが、どうしても悪い予感ばかりが勝ってしまう。この予感が外れてくれるといいのだが。
はたして彼女はこう告げた。
「スキナオニギリノグ、オシエル」
「えっ?」
「スキナオニギリノグ、オシエル。オシエルクダサイ。ワカル? スキナ、オニギリノ、グ。グ。ナカニハイテル。ウメボシ、オカカ、シャケ。ドレ? ワタシ、ツナマヨスキネ」
「……」
俺のどの予想も裏切って来たな。
難問過ぎる。
「いや、俺はおにぎりの具にはこだわらないよ」
「コダワラ? ナイ? ナニガナイ?」
「なんでもいいってこと」
「ナンデモハダメ! オニヅカサン、ソレイチバンナヤムネ! アナタ、ダメナヒト! ソノウチ、ワタシモオコルデスヨ!」
もう怒ってる。
「彼女の得意料理はなんなの?」
「トクイリョウリ? ソンナノナイヨ! オニヅカサン、リョウリダメ! マトモニチャーハンモツクレナイ。ドシヨモナイヨ!」
よく弁当屋で働けてるな。
まあ仕込みの手伝いとか、荷物運びとか、そういうので貢献してるのかもしれない。
「じゃあ梅干しで……」
「ウメボシ? ウメボシ、スキカ? クチノナカ、スパイナルケドイイカ?」
「いいよ」
「ワカタ。ジャネ、ワタシ、オニヅカサンニ、デンゴンスルネ。イイカ?」
「いいよ」
「アイ」
彼女は納得したらしく、そのまま行ってしまった。
なかなか勢いのある女性だった。
*
部屋へ戻ると、すでに佐々木双葉が陣取っていた。
「どうだったかな、二宮くん」
上司みたいなツラだ。
いったいどういう立場なんだ、彼女は。
「鬼塚さんじゃなかったよ」
「は?」
「代わりの人。中国人かな。でも伝言もらったよ。好きなおにぎりの具を教えろってさ」
「胃袋を掴みに来たか。料理の得意な女ってのはこれだからよぉ」
いや、ちっとも得意じゃないらしいぞ。
とはいえ、話の通じないヤツにはメシでも食わせとけ、という雑な意気込みは感じる。これを母性本能だ、などと評すると、昨今袋叩きにあいかねないが。まあメシで落ちるヤツは男女問わずいるからな。戦術としてはクレバーなのかもしれない。
事実、俺も彼女の塩にぎりが恋しくなっている。
料理が不得意なのに、おにぎりを作ってくれるなんて、本当に可愛いではないか。
佐々木双葉はうなずいた。
「ま、いいや。夕方また来るはずだから、そのときアタックするように。これは命令だからね。あなたのために言ってるんだから」
「そんな言い方すると、パワハラになるよ」
「パワハラで結構。いまのあたし、ブラック双葉ちゃんだから」
「こっちが結構じゃないんだよ」
ブラックなのは認めるけど。
*
だが、俺の一日は平和には終わらなかった。
内線で執務室へ呼び出されたのだ。
「やらないと言ったはずですが」
いま俺はソファに腰掛け、テーブルを挟んでクソ主任と向かい合っている。
彼は渋い表情だ。
「あ、いえ、じつはそちらもお願いしたいところではあるんですが、今回は別件でして」
「別件?」
「えー、そちらのセンター長とですね、打ち合わせの席をもうけていただきたく……。つきましては、二宮さんにお取り次ぎ願えないものかと」
「センター長? 各務さんのこと?」
彼の言うセンターとは、「進化ダイバーシティ研究センター」という第三セクターのことだ。機械の姉妹らもそこで保護されている。各務珠璃はセンター長。
主任はいまにも手もみしそうなほどの低姿勢で来た。
「そうです、そうです! 各務さんです! ぜひお願いできませんか?」
「なんで俺なんかに言うんです? 直接やり取りすればいいでしょうに」
「いえ、それが……私、どうも避けられてるみたいで」
当然だろう。シスターズを釘で打ち付けて平気なツラしてるようなヤツだ。避けられていないほうがおかしい。むしろ、まだ誰にもぶん殴られていないというのが不思議で仕方ない。
「ちなみに、どんな用件で?」
「もろもろ今後のことです」
「はぁ。いちおう連絡とってみますけど……。俺もべつに職員ってわけじゃなく、仕事もらってるだけの立場なんで、なにも約束できませんよ?」
「そこをひとつ」
各務珠璃は政界ともやり取りをしている。このクソ主任は、そのパイプを利用して形勢を逆転させたいのかもしれない。
ま、事態を改善するつもりがあるのなら、こちらも手を貸すのにやぶさかではないが。
*
部屋へ戻り、俺はひとまず機械の姉妹にチャットを投げた。
「ここの主任が、各務さんと打ち合わせしたいそうだ」
きちんと返事をしてくれるだろうか。また別人格だったら困るんだが。
するとレスが来た。
「無茶を言いますね」
「なぜ?」
「彼、各務さんに嫌われてるんですよ。自分の肩書を使って、しつこく飲みに誘うから。私も好きになれませんね」
まぎれもないクソ野郎だったようだな。
「それじゃあ仕方ない。俺からキッパリ断っておく」
「ついでと言ってはなんですが、火に油を注いでおきましょうか。二宮さん、主任からの依頼を受けて、変異体に対処してきたと思います。その報酬の額、確認しましたか?」
「いや」
「一日二万円です」
「は?」
「センターが定めた危険手当の額です」
二万?
命を張って、あのモンスターと戦って、二万?
機械の姉妹はこう続けた。
「なお、うちにサイキストの派遣を依頼すると、一回出動するだけで二百万円、一時間の超過ごとに百万円という契約になっています」
ふざけんな。
あの野郎、俺を使ってずいぶん節約してるじゃねーか。
「あいつ、いっぺんぶっ殺したほうがいいのかな」
「オススメはできませんね。止めもしませんが」
なんなら無料でもいい。
故意にそんなことをすれば、俺だって普通に逮捕されるはずだけど。しかし納得いかねぇ。
俺も脱走しようかな。
いや、そうすると今度は二千万を逃すことになる。
我慢せねば。
チャットを終えた俺は、主任への報告もせず、ただベッドに突っ伏して時間を潰した。
構内アナウンスによれば、脱走者のうち何名かは帰ってきたようだった。
しかし問題の下山田莉煌斗は行方不明のまま。ニュースにもなっていない。いまごろどこかの山中で変異しているかもしれない。生態系に影響を及ぼさなければいいが。
日が暮れるころ、バイクのエンジン音が近づいてきた。
俺の心のオアシスのご登場だ。いや、砂漠そのものかもしれない。
ともあれ俺は飛び起きた。
会わなくては。
なんだか恋をおぼえたばかりの中学生みたいだが、もうなんだっていい。
フるなら盛大にフッてくれ。
(続く)