リーク
俺はその場に椅子を置き、助手もそのままにして、主任の執務室へ向かった。鍵がかかっている。
「主任、二宮です。開けてください」
「早川くんは?」
「誰です? 助手のこと? それなら上でへたり込んでますよ」
「もう安全なの?」
「ええ。どちらも死にました」
するとほっとしたらしく、ドアが解錠された。
こんなドアなど、モンスターが暴れたら簡単にぶち抜かれると思うのだが。
「ご苦労さまです。のちほど指定の口座に、規定の額を……ひっ」
乱暴なことは好きじゃない。しかし今回ばかりは抑えられなかった。俺は主任の胸ぐらをつかみ、壁際に押し付けた。
「なぜ殺した?」
「は、離して! 警察呼びますよ!」
「警察? 来るんですか?」
「自衛隊とか……と、とにかく公務執行妨害ですから……」
「なんでもいいよ。殺した理由を教えてくれ」
26号は、俺を信じ切っていた。「認証」とやらで洗脳されたのだ。だから俺のために、ボロボロになりながら戦った。
主任は過呼吸になっている。
「な、なんでって、もともとそういう設備なんですよ! 放っておいても危ないだけだし! 分かるでしょそれくらい!」
「クソ野郎が……」
手を離した。
床に投げ倒してやりたかったが、いまこの男と対立するのは得策ではない。それでも許しがたいことに変わりはないが。
主任は必死になってネクタイを直している。
「あなたねぇ! 問題ですよ、こういうこと!」
「人殺しが倫理を語るのか?」
「私は殺してない!」
「部下に殺させただろう。あんた、ホントに理解できてないのか? それとも理解できてないフリしてるだけか? そもそも、あのモンスターだって、あんたらが薬を出さなかったら変異しなかったはずなんだ。ぜんぶあんたらのやったことだ」
「うるさい! ガイドラインに書いてあるんだ! 私はそれをやってるだけ! それが私の仕事なの! そういう人間がこの国を動かしてるの! あなたみたいな……民間人とは違うんですから!」
なんとか言葉を選んだようだが、聞いた人間を怒らせるようなことを言うつもりだったようだ。
まあいい。
俺はソファへ腰をおろした。
「中央から派遣されたエリート官僚さまの経歴に傷がついたらマズいってのは、民間人の俺にもなんとなく分かりますよ」
「ですから! いまは協力し合うべきでしょう!」
どんなに頭がよかろうが、限界まで追い詰められると皮肉すら通じなくなってしまうものらしい。もっとも、こんな汚れ仕事をさせられている時点でほぼ左遷みたいなものだし、彼もギリギリなのだろう。起死回生を狙って足掻いている。だから平気で一線を越えてしまう。
俺は話を進めた。
「例の三人のうち、ひとりが変異して、ひとりが殺されたようですが。あとひとり残ってますよ。どうするんです?」
「また警備ロボットを使うしかないでしょう。あなたも協力するんです」
勝手なことを言いやがって。
「あれはロボットじゃない」
「ロボットですよ! いちおう人間みたいな姿で出てきますけど、起動するまではただのマテリアルなんですから」
「マテリアルとは?」
「マテリアルはマテリアルです。専門家は、たしか無精卵みたいなものって言ってましたけど」
「は?」
さすがに聞き捨てならない言葉が聞こえた。
無精卵だと?
つまり俺がサイキック・ウェーブを与えることで有精卵のような状態となり、その時点で「誕生」するのだ。俺の子供みたいなものじゃないか。
主任はぶんぶん手を振った。
「ち、違います! 違います! ですから、あくまで無精卵『みたいなもの』であって、ただの素材なんですってば! 工業製品なんです!」
「キャンセラーで保護しなきゃならない工業製品とはね……」
「それは、誰かが勝手に上書きするから……」
「誰かって?」
「知ってるでしょう? 地下から干渉されてたんですよ。もうおさまりましたけど……。でもまた同じことが起きるかもしれないから……」
地下からの干渉、か。
おそらくは、地球に堆積している死者のサイキック・ウェーブのことだろう。普段はおとなしくしているのだが、誰かがつつくと途端に騒ぎ出す。
その誰かは、前回はアメリカの衛星だった。とんでもない出力だから、認証なんて突破して、カプセル内部の肉を変異させてしまったのかもしれない。シリアルナンバーにも欠番が出るわけだ。
しかし衛星は俺たちが初期化したから、それで干渉も止まったのかもしれない。
「どこで製造してるんです? まさか、ここで?」
「そんなわけないでしょう。アメリカに買わされたんですよ。使い道も決まってないままね! しかもキャンセラーのない施設じゃ保管できないから、ここへ押し付けられて……。私だって困ってるんですから!」
自分のことしか考えていない。
被害に遭った参加者はすでに死体になっているから、困ることさえできなくなっているというのに。まだ困れるだけありがたく思ったほうがいい。
俺は立ち上がった。
「次からは協力できませんよ。ほか当たってください」
「えっ?」
「サイキストでも自衛隊でも、なんでも呼べばいいでしょ? 俺はこんな人殺しには加担できない」
「そんな勝手なこと……」
しかしその苦情は、最後まで続かなかった。
職員が駆け込んできたためだ。
「主任! 大変です! 参加者の一部が脱走しました!」
「はい?」
「対応はどうします?」
「敷地の外に出たの?」
「はい。付近の農家へ向かっていると見られます」
「すぐ追って!」
「それが、田畑に入り込んでまして……」
「それがなんなの? とにかく追いかけて!」
「住民から苦情が来るのではと……」
「いいから追うんですよ! 早く!」
田畑に自動車で乗り込んだら、農家の人たちはカンカンになるだろう。ヘリはないのだろうか?
参加者の脱走なんて想定内の事態だろうに、対策マニュアルさえ用意していないと見える。この主任という男、じつはただの無能野郎かもしれないな。
すると別の職員が駆け込んできた。
「下山田さんが! 下山田さんが脱走してます!」
どこかで聞いた名前だ。
主任もテーブルの資料をたぐった。
薬を過剰摂取していた参加者のひとり。下山田莉煌斗。例の雰囲気イケメンだ。脱走したとなると、きっと外部で変異することになる。
主任は頭を抱えた。
「やだぁ! もうダメじゃないのぉ! これ逃したらダメじゃないのぉ!」
ぶっ壊れて来たな。
彼はしかしハッと我に返った。
「あ、所長は!? 所長はいまどこ?」
「それが、まだ出張で……」
「はい? まだ行ってんの? とっくに帰ってきてなきゃおかしいでしょ?」
「それが、予定が延期になったと……」
「絶対わざと! わざとだよ! 私にぜんぶ押し付けようとして! もうダメぇ! ぜんぶおしまぁい!」
これがプロフェッショナルによる模範的な幼児退行か。珍しいものを見せてもらった。
ま、彼ならどこへでも転職できるだろう。自分で思ってるほど優秀ならな。
このクソ話に巻き込まれたくなかったので、俺はそっと部屋を出た。
あとで好きなだけ怒られるといい。
*
二階の休憩所には、佐々木双葉がいた。
血まみれの患者着で、外の景色を見ながら缶コーラを飲んでいる。
「あ、二宮さん。見てよこれ! サイキウム! 二個も手に入っちゃった!」
無邪気にはしゃいでいる。
林檎だけでなく、26号の遺体もサバいたということか。
俺は缶コーヒーを買って椅子へ腰をおろした。
「あの天使みたいなのが地下にいた子だよ。君の言ってた神さまだ」
すると彼女は不敵な笑みを浮かべ、小首をかしげた。
「いやだなぁ、二宮さん。あんな肉人形が神さまなわけないじゃん。神さまは、もっと深いところにいるよ」
「そいつは手に負えないな」
「まあまあ。それよりさ、さっきの約束おぼえてる? あたしの命令聞くってやつ」
「俺が了承する前に行っちゃったからな……」
「でも聞いて。あの弁当屋のお姉さんにさ、ちゃんと好きだって言うこと。それが命令」
血まみれの女にそんなことを言われると、少し怖くなってくる。
俺は思わず苦笑した。
「それをしたら、君になにかメリットがあるのか?」
「ハッキリしないのがイヤなだけ。あたしね、あのビルで思ったんだ。サイキック・ウェーブが使えなくなって、いつ処刑されるかも分からない状態になって、ボヤボヤしてたら、なんもできないうちに死んじゃうかもって……。そんなのイヤじゃん? だから、人生楽しめるうちに楽しんだほうがいいって思って」
あのビル内には処刑人が徘徊していた。サイキック・ウェーブを失った仲間を殺害するために。波を浴びせて相手の身体を変異させ、木っ端微塵にしてしまうのだ。佐々木双葉も狙われた。
彼女は死線をくぐり抜けて来た。言葉にも説得力がある。
「分かったよ。ちゃんと思いを伝える。ただし、既婚者でなければ」
「それでいいよ。約束ね。じゃああたし、これからサイキウムやんないといけないから」
「……」
空き缶をゴミ箱へ突っ込み、彼女は颯爽と休憩所をあとにした。
カッコいいセリフでも口走ったような顔だが、昼間からトリップをキメるのはどうなのだろうか。26号のサイキウムなんて摂取したら、どんな映像が見えるか分かったものではあるまいに。
*
俺はしばらく自室でアダルトサイトを巡回していたが、いい加減に飽きてきて、窓から田園風景を眺めることにした。
夕闇だ。太陽が、山の向こうへ沈みかけている。
そして畑のど真ん中に自動車が放置されているが、まさか動けなくなって乗り捨てられたのだろうか。職員の姿は見えないから、逃亡者を追ってそのままどこかへ行ったらしい。これはもう謝って済むレベルの話じゃないな。
スマホでニュースを確認してみたが、まだ世間の話題にはなっていなかった。
昨日だけで、五名の参加者が死亡した。本日はさらに四名。開始時に二十名弱いた参加者は、すでに半数以下になっている。生存者もほとんどが逃亡。研究は失敗と言っていいだろう。まあ失敗なんてことになれば、あのエリート官僚の経歴に傷がつくから、数字をいじってでも成功ということにしそうだが。
少しバタバタ音がするのは、佐々木双葉の部屋であろうか。予告通りにキマっているのかもしれない。
俺も試せば神とやらが見えるのだろうか。
いや、危険すぎる。なにが危険って、自己をコントロールできない状態になると、余計なことを口走る可能性がある。人から嫌われるのは得意だが、その才能がいかんなく発揮されることになる。
暇だったので、俺はすでに事情を把握しているであろう機械の姉妹に報告をした。
「また変異した。二人目。処方された薬の過剰摂取が原因だ。どんな薬かは知らない」
返事はこうだ。
「さびしい」
また発症しているらしい。
俺は会話に応じることにした。
「君は誰だ?」
「ごだいまゆ」
「本人なのか?」
「ううん。にせもの。わたしはあなたにきらわれたしっぱいさく」
該当するのが二名いる。衛星にぶっ飛ばされた少女と、ビルの屋上でガイアを名乗っていた少女。その両者が同一人物という可能性もあるが。じつは俺もよく理解していない。
「ガイアか?」
「それはわたしのにせもの。わたしにはなまえもない」
衛星のほうか。
たしか、初期化されて白紙になったという話だったのだが……。なぜ機械の姉妹の体に入り込んでいるのだろうか。いや、機械の姉妹だけじゃない。他のシスターズにも入り込んでいる。
俺が悩んでいると、さらにレスが来た。
「というのは冗談で、私は『8-NN』です。報告の件は了解しました。引き続き任務の続行をお願いします」
「ちょっと白々しいな」
「余計な詮索をすると、あなたのためになりませんよ?」
「脅すのか?」
「そうです。分かったら私の命令に応じてください。いまあなたを雇用しているのは私なのです。いいですね?」
「了解」
なにせ二千万の大仕事だ。詮索するなと言われれば、その通りにする。少なくとも、仕事が終わるまでは。
それに、消されたはずの少女がみんなの中で生きているということは、俺にとっても朗報だ。歓迎してもいい。なぜ事実を隠そうとするのか分からない。
ま、いまはいい。
それよりも、駐車場の周辺を、あきらかに職員でも逃亡者でもない人物がうろついているように見えるのだが……。望遠レンズを構えて、フラッシュまで焚いている。
まさか、俺を撮ったのか?
誰かがマスコミに情報を流したのかもしれない。
実際、死者が出ているわけだからな。情報がリークされれば、悪事はまたたくまに知れ渡ることになる。だいたい、廊下の死体だってまだ片付いていないのだ。スマホで撮影して動画サイトにでもあげれば、即座に「事件」となる。
(続く)