2話 サルタス王国ラウディア領
固有名詞考えるのって難しいですよね。
門では、行商人が3馬車ほど並び、検閲を受けている。
明次は商人ではないものの、身元不明人がいきなり門をくぐって大丈夫なのかと不安げに門の前で様子を伺っていた。
「そこの君! そんな所で何してるんだ?」
武装した2人の男たちが明次のほうに歩いて来た。
ここで逃げるのは流石に悪手、出来れば兵士みたいなまともな職についている人であって欲しい、ならず者だったら門までダッシュだな。と、思案する。
ただ彼の中には、呼びかけ方から前者であると予測していた。
「すみません、憲兵の方を探していて……」
明次は憲兵という言葉が通じなければ他になんと呼べばいいか、いくつかの単語を思い浮かべていた。
「憲兵? 街の外でか? 待ち合わせってわけじゃないんだろう?」
そう聞いてくる男は不審を感じているような目を向け、隣の男は明次の背後を見渡していた。
一方で明次は憲兵がいること、そしてこの男たちが憲兵に対して警戒する気配がないことから逃げるより情報獲得を優先し愛想笑いを浮かべつつ会話を続けた。
「ええ、そうなんですけどね。街の中に入る前に話したかったので…… ちなみにあそこの門の前にいる人も憲兵なんですか?」
明次は憲兵は憲兵でもなるべく親切そうな人がいいな、などと門の前にいる人達を見た。
「あぁーあそこにいるのは税務官と傭兵たちだ。君のお目当の憲兵さんは目の前にいるぜ?」
不審がっていた顔から急にドヤ顔に変わった男たちは、2人揃って首元からかけられたカードらしきものを明次に見えるよう手に取った。
運が良い。思わず愛想笑いから喜びの笑みへと変えた明次はそのまま会話を続けようとしたが、
「待て、何か言いたいことがあるのは分かるが、まずは門まで一緒に来てもらう。別に緊急事態ってわけじゃないんだろう?」
会話をしていた男はそう言って明次の隣に回り、門の方へ促した。
拒む理由もない為、素直に歩き出した明次の2歩ほど後ろに、まだ声を聞いたことのないもう1人の憲兵が続いた。
何故その場ではなく、門に行ってからなのか分からない明次は、話しかけるまでは黙っている方が無難だと、門の中に見える街の景色を眺めていた。
隣で歩く男は明次を横目で見つつ、門の両脇にある3メートルほどの兵士像を注視した。
「ようこそ、サルタス王国ラウディア領へ。……反応なしか。精霊反応は?」
不意に明次の隣でそう発した男は、ふぅ、と短く安堵の息を漏らした。
「……精霊反応も正常です。隠蔽の可能性も低いかと。ただ、彼の精霊色は王国全てで未登録のようです」
明次は自分が何かの魔法で試されたのだと内心で焦る。特に、後半部分に関しては当然憲兵に良い印象を与えないだろうと冷や汗を流す。
「なるほどな、お前、ヴェントか?」
これはさっさと自分の状況を説明した方がいいと判断した明次は、早口に答えた。
「すみません、そのヴェント?と言うのが分からないんですが…… というか、ほとんど何も覚えていないんです。記憶喪失になったっみたいで、自分の名前くらいしか……いや、自分の名前すらあやふやなんです」
明次は自身の名前を伏した。
何故なら、ここは異世界であり。
そして会話の中で出てくる固有名詞の雰囲気。
須田明次という日本人ネームがこの世界で変な名前である可能性が非常に高いと判断したからだ。
「お前、それは……ダッティ、病院へ行くぞ。この間の侵略による被害者かもしれん。記憶喪失も精霊色も魔人の干渉の恐れがある。いくらヴェントでも王国全てで登録ない奴なんてそう多くないしな」
憲兵は焦ったように歩き出し、ダッティと呼ばれたもう1人の憲兵は指示を受け別行動をするようだった。
「キミ、色々すまなかったな。実はこの近くで魔人騒動があったせいで魔人の変装を疑っていた。まぁもしくはヴェントかもしれないってな…… あぁ、ヴェントってのは風来の民とも呼ばれる、4王国や他の国々に属さない奴らで、盗賊だったりする奴も多い。疑って悪かったな。あぁ、俺の事はリルドと呼んでくれ」
焦ってることを証明するかのようにリルドと名乗った憲兵は一気に謝罪と説明を言うと、街の大通りへと足を進めた。
事態が大きくなりすぎたかと少し不安に思う明次であったが、ここで下手に身を引いてはまた不審者に成り下がらないとも言い切れないと判断し、流れに身をまかせることにした。
「ところでキミ、さっき自分の名前があやふやだって言ってたが、少しくらい覚えてるのか?」
明次はスダもミョージもこだわって名乗りたい名だとは思っていない。
何だったらこれを機に新たな自分になってみたいとも思っていた。
「そう……ですね。ミから始まったような…… リルドさんはミから始まる名前って何が思いつきますか?」
「ミ? あー、そうだな…… ミケル、ミリダス、ミラトフ、ミシェル、ミカド、ミスド、ミロミロ、あとは……」
「いいです、たぶんミシェルが近いです」
恐らくこれ以上は名乗りたいと思える名前が出てこないと確信した明次は、そう自分の名を決めた。
「そうか! それじゃあミシェルと呼ばせてもらおう! それでだミシェル、俺たちはこれから病院へ行く。そんで上級治癒士に診てもらう訳だが……改めて聞くぞ? 本当に記憶喪失なんだな?」
明次はここにきて再度疑われる事に疑問を抱きながらも、賽は投げられたと肯定する他なかった。
「そうだと思います。……ただ、何か違う世界を見てきたような……すみません、やっぱりよく分からないです。その上級治癒士に記憶を戻してもらうんですか?」
明次は迷う。
言葉を重ねれば記憶喪失ではないかもしれない、というほけんをかけることもできる。
しかしながら、嘘というものは重ねれば重ねるほど、その後の自身の振る舞いや言動に制限がつく。
そのため彼は今の段階でこれ以上の嘘を控える選択をした。
「そうか、何度もスマンな。記憶が呪いや魔法干渉による封印や一時的喪失なら治る。が、同時に上級治癒士であれば隠蔽なども看破できる。その様子じゃあ特に魔族のスパイではないか……」
後半は独り言のように呟くリルドはふと、白を基調とした他の2倍はありそうな建物の前で止まった。
中に入り受付嬢と思われる人物に事情を説明すると奥の部屋で待つようにと促された。
現代日本の診察室とは違い、机と椅子、そして1つひとつは小さいが数が多い引き出しのある棚があるだけだった。
明次が物珍しそうに周りを見ているとさほど時間を開けずに白衣の老人が入ってきた。
リルドが説明を始めようとするが、
「よい、そのままに。まずは、《リムミクロ》ワシは治癒士のディカナンじゃ」
ディカナンが詠唱を唱えると、リルドと明次の体が薄く光った。
「さて、ミシェルと言ったか。その様子だと一般的に使われる魔法すら覚えてないようじゃな。今のは汚れ落としの魔法じゃ」
明次は感動した。
あの訳の分からない激痛魔法と知らぬ間に調べられた憲兵の魔法を例外として、初めてファンタジーらしい魔法を直視したからだ。
「では次に、これはなんじゃ?」
と言ってディカナンが差し出した物はもはや明次にとってトラウマとなった魔法陣だった。
「魔法陣……ですか?」
少し言い淀んだのは、その魔法陣が彼が唯一知るものよりも遥かに単純な模様だったからだ。
「さよう。一般知識で忘れてるものと覚えてるものがあるようじゃな。魔人か魔物に喰われたかもしれんのぉ」
そう言いつつディカナンは明次の方へ手を伸ばす。
「なに、警戒する事もない。これから君の体内の精霊を治癒する。肉体的治癒のようにただ治癒魔法をかけるのではなく、これにはキミの魔法発動も同時に行う。私の後に続いて詠唱せい」
明次はあの激痛をまた味わうのではと恐怖したが、ディカナンの唱えた詠唱が全く別のものであった為、安堵しつつ唱えた。
詠唱したにも関わらず特に何も起こってない事に不審がる明次の後ろで、ディカナンは1人合点がいったようだった。
「なるほど、なるほどのぉ。ミシェルとやら、キミの精霊には2つの力が干渉したようじゃ」
「ディカナン殿、説明が足りず申し訳無いが、恐らくひとつは私たちが」
「よい。言わずとも分かる。ここでいう干渉とは精霊反応を見るだけの小さなものでは無い。2つのうち干渉度が弱い方でも戦術級、魔物100体を殲滅する魔法と同程度の精霊量を有する干渉魔法じゃと思う」
リルドの息が詰まった。
そして明次は鳥肌が立つのを感じた。
1つはいい。
あの激痛魔法使いにこの世界の大まかな情報を与えられたからだ。
ではもうひとつは?
あの激痛で戦術級ですら弱い方だ。
つまりは彼にとってあの激痛以上の衝撃があったはず。
異世界に来てからそれを受けたのではなく、恐らく、異世界に来たことそれ自体がより強力な干渉なのだろう。
問題は、誰が明次に干渉したかだ。
「……ちなみに、神様って、いるんですかね?」
ことの重大さに思考を巡らすリルドとディカナンに場違いと思える疑問が投げかけられた。
「神様? 精霊王がいねぇって言ってんだからいねぇんじゃねぇか?」
リルドは信じてる人達の宗教がある事も付け加えて言った。
「そうじゃのぉ。厳密に言えば精霊王たちは誰も見たことがないとしか言わぬからのぉ」
神はいない? ではその精霊王が転移させた?
明次は幾重にも考えを巡らせるが、こちらから王に接触する事は難しいだろうと結論づける事しか出来なかった。
「ではの、ミシェル君、リルド殿、上級治癒士としての結論を言わせてもらうぞ」
そう言ってディカナンは明次たちを見つめた。
「ミシェル君の精霊は大きな、そう、とてつもなく大きな干渉を受けた形跡はあるが、現在は正常じゃ。つまり正常であるにも関わらず記憶が戻らんということはすでに失われているのじゃろう。旅でもしてミシェル君を知る人物を探すよりほかはないのぉ。それとじゃ、いくらかミシェル君の精霊量が大きすぎる気もするのでな、魔法使いギルドに調べてもらうよう紹介状は書いておくぞ」
そう言いつつ棚から紙を取り出し紹介文と思われるものを書き始める。
「干渉に関してじゃが、ひとつは一時的に強く干渉するが、後遺症などを残すものでは無いと保証するぞ。そしてもうひとつに関して確かな事はサッパリ分からんのじゃ」
そう言うと書き終えた紹介状を明次に手渡しながら頭を掻いていた。
「老人の無駄に重ねた知恵で推測するにの、弱い方ならともかく魔人にこれほどの強大な干渉魔法は使えるはずが無いの。使えたとしたら王国が一気に傾きかねないと思えるほどじゃ」
ディカナンは紐解くように丁寧に推論を述べる。
「これほど強大であるならば、隠蔽すればワシにも誰にも気付かれんかったはずじゃ。それをせんと言う事は、この干渉がすでに終わったものの可能性が高いんじゃ」
長く話すことに疲れた様子のディカナンはため息をつく。
「ミシェル君の言うとおり、神が何かを君に与え給うたのかのぉ……」
誤字脱字や文章の誤りがあれば感想にて教えて下さい。