09:8月17日
立ち尽くす俺の背後に大島さんが立って、家からもってきた新しい広角ライトで掛け軸のはいった箱を照らしていた。
「誰かが入って片付けたんだろうねぇ」
言いながら俺の前に出て、無造作にバラリと掛け軸を広げる。
「ははぁ」
「なにか分かりますか?」
俺はしゃがみ込んだ大島さんの肩越しに掛け軸を覗いた。
不気味だった。
だが…それだけだ。前に見た時は、もっと頭の芯に迫るような狂気があったように感じたのだけど。
『抜けている』
と言った大島さんの言葉が思い返される。
そういうことなんだろうか?
「こりゃ~、ちょっとばかり重いね」
大島さんは唸った。
「この掛け軸のさ茶色いの。あんた、なんだと思う?」
「さぁ」
俺は正直に首をひねった。
「血、だよ」
大島さんは俺を振り向くことなく言った。
「全面、血で塗り込まれれてるんだ、これ」
鼻がツンとした。
殴られでもしたみたいに、恐怖で涙が薄くにじんだ。
「こいつを1人で霊視するのはキツイ。あんた、合力してくれないかい?」
「え?」
体が強張る。
「なにも死にゃーしない。ただ、あたしと一緒にこの掛け軸のなかに飛び込むだけさ」
「俺が嫌だって言ったら?」
答えることなく、大島さんはニヤニヤと笑う。
「わかりましたよ!」
破れかぶれの気持ちだった。
俺は大声を出して自分を奮い立たせながら受け入れた。
こうなっちまったのも俺の責任だった。
それに、掛け軸については恐ろしいのもあったけど、こうとなってしまっては同じくらい苛ついていた。
こんなことに巻き込みやがって!
てな感じだ。
こうなったら、最後まで付き合ってやんよ!
「それで? どうしたらいいんですか?」
「あたしと背中合わせに座ってくれたらそれでいいよ」
とのことなので、俺は胡坐をかいている大島さんの背中に背中で寄りかかるように体育座りをした。
「いくよ」
大島さんが言って。
途端、俺の視界が真っ暗になった。
なんだ!?
と思う間にも、視界が薄明るくなる。
俺は村に居た。
ただし、現代じゃない。
それは村人の服装をみれば分かった。
あまりにも草臥れた着物を誰も彼もが着ているのだ。
それに家々も現代風ではなく古かった。
村人は爺さんの寺……なのか? それにしては鳥居がある、仏教と神道がまぜこぜになったような場所の境内に集まっていた。
それから彼等はぞろぞろと移動した。
班目の屋敷のあった場所だ。
しかし、そこは広大な池だった。
『白蛇様。白蛇様』
村人が額づいて祈っている。
やがて。
ヌロリと池に蛇が頭をもたげた。
デカい蛇だった。成人男性ぐらいならひと呑みにしてしまえそうだ。
それに、真っ白だった。
真っ白で巨大な蛇は、村人が捧げていた犬や猫や鳥を丸呑みすると、ズルズルと池へと戻っていく。
なるほど、と俺は思った。
村人は、あの白蛇を祀っているのだろう。
不意に場面が変わった。
またしても境内だ。
若い男女ばかりが集まって、その輪の中心に洋装をした気の強そうな顔つきをしたこれまた若い20代前半と思しい男が仁王立ちしていた。
『村長の息子』
『東京から帰ってきた』
そんなヒソヒソ話が俺の耳に届く。
村長の息子は言った。
『時代は文明開化だ! 明治も終わって、今や大正となった。何時まで、あんな畜生を敬わねばならんのだ!』
若い衆の顔色は優れない。
賛同はない。
『あの蛇めを殺して、皮を剥げば、東京で良い値になるぞ!』
『金になるだか?』
若い衆の心が動く。
金があれば。新しいベベが買える。
金があれば。新しい牛だって買える。
金があれば。
金があれば。
明るい月の晩。
村長の息子に率いられた若い衆は、白蛇の住まう池へと遣って来た。
『白蛇様。白蛇様』
額づいて祈る。
やがて。
ヌロリと白蛇が頭をもたげて、ザブザブと池を泳いで、捧げられた犬や猫や鳥を喰らって。
『ギァァアアア』
魂消るような叫びをあげて身悶えした。
毒が盛ってあったのだ。
騒ぎに村中の人間が起きて、松明をもって遣ってくる。
『なんてことを!』
死んだ白蛇を見て、遣って来た村の衆は愕然とし。
反対に、白蛇を討ち果たした若い衆は昂然と胸を張っていた。
金。
金。
金。
金。
けれど翌日。
村長の息子は死んだ。
寝床でもがき苦しんで死んだ。
まるで毒でも飲んだように死んだ。
充血した眼は半ばまで飛び出て。
もがき苦しんで畳を掻いた手足の指は真っ赤に染まって。
掻きむしった喉は裂けて。
血の泡を吹いて、村長の息子は死んだ。
『白蛇さまの呪いじゃ』
噂はたちまち広まった。
次の日にも、村の若衆の1人が同じように苦しみぬいて死んだ。
その次の日も。
次の日も、次の日も。
白蛇を殺した20人の男女が死んだ。
そして。
白蛇の怒りは治まらなかった。
若衆が死ぬと、次には産まれたばかりの赤ン坊が死んだ。
母親が朝起きると、赤ん坊は全身が紫になって、骨が粉々になって死んでいた。
『イケニエを捧げるほかに手はありませぬ』
そう断言したのは、白蛇を祀っていた寺の住職だった。
『室賀さま。どうしようもありませぬか?』
『このままでは、村人は祟られて死にたえるだろう』
ここに至って、村長は白蛇を鎮めるためにイケニエを捧げることを決意した。
犬や猫や鳥じゃない。
人間だ。
人間の乙女だ。
村にあった10戸からそれぞれ1人づつ未通女の娘が差し出された。
彼女たちは嫌がった。
それはそうだ。何で自分たちが犠牲にならないといけないのか!
それでも後ろ手に括られて、1人、1人、池の端で首を落とされた。
『ゆるさない!』
『呪ってやる!』
流された10人の血で掛け軸を染め上げる。
すると、腐乱した白蛇の口からニョロニョロと小さな小さな白蛇が出てきた。
小さな白蛇は鮮血に塗り込められた掛け軸のうえでしばらく悶えていたが、フッと掻き消えた。
『終わりました。これで白蛇さまは封されたのです』
視界が暗くなる。
「喝!」
という声と背中に走った衝撃に、俺は目を覚ました。
大島さんがいた。
「見たか?」
「見ました」
俺はうなずく。
「あれはいったい?」
「白蛇の怒りの祟りを、10人の娘たちの恨みでもって封じたのだろうさ。まったく、恐ろしいことを」
大島さんは何かを考えこむように親指の爪をかじっていたけど
「そういうことか」
得心したように呟いた。
「何か、分かったんですか」
「これはあくまでも推測だけどね。白蛇は、その掛け軸のなかで娘たちの恨みと怨念を餌に成長したんだろうさ。そうして龍となって、日本全国を呪で覆うほどに成長していた。んだと思う」
「それを俺が解き放ってしまったんですね」
俺は責任を感じて項垂れたのだけど
「いいや」大島さんは否定した。
「きっちり封印されてたのなら、掛け軸を広げたくらいで解けるはずがないし、そもそも白蛇が成長したのがおかしい。おそらく…」
ギシリ、と階段を上がってくる物音がした。
大島さんと俺は息を殺して、そっちを見た。
ギシリ、ギシリ。
誰かが上がってくる。
ライトが向けられて。
上がってきたのは……。
見直しもせずに、ずんどこ行く!