07:8月17日
日々が戻った。
あれから1週間。
俺は勉強をしていた。
僧侶になるためだ。
僧侶になって、育枝さんを迎えに行くのだ。
我ながらキモイ考えだった。
育枝さんとは1度契っただけの関係で、それ以上でもそれ以下でもない。
大学時代なら『遊び』で割り切ってしまうような関係だ。
それなのに、俺はストーカーめいた考えで育枝さんに拘泥していた。
育枝さんとは村を追い出されて以来、遣り取りをしてない。電話番号すら知らないのだから仕方ない……というのは言い訳だろう。なんだったら村に忍び込めばいいのだから。
それをしないのは、土蔵のなかにあるアレのせいだった。
正直に言おう。
恐いのだ。
アレに近づくのが。
村に近づくのさえ。
とはいえ、俺は育枝さんを忘れられなかった。
同時に、彼女も俺を忘れてないだろうという確信に近い想いがあった。
だから、俺は育枝さんを迎える生活の下地を作るため、僧侶になるため、勉強をしていた。
育枝さんは母親と祖母の為に村から出られないといっていた。なら、その家族ごと俺が迎え入れてやればいいのだ。
幸い、家の寺は檀家も多いし、相応して収入もある。
サラリーマンをしているよりかは、寺を継いでしまったほうがいいと考えたのだ。
安易な考えだ。
しかし、現実的なはずだ。
とりあえず、親父に相談したところ
「大学に行け」
とのことだった。
「いやいや、4年間も行ってられねーから」
そんなに育枝さんを待たせておけるはずもない。
「だったら、宗派が主催してるテストに合格するしかねーな」
ということで俺は勉強をしているのだ。
このテストに受かったところで、さらに修行が待っているのだけど、とりあえず目前のテストに受かることこそが先決だった。
「ふあぁぁ」
欠伸がでてしまう。
いかんな、集中力が欠けてきた。
俺は座ったまま伸びをすると、そのままゴロンと寝っ転がった。
真夏のはずなのに、今年は冷夏だとかで涼しかった。
あの日。
土蔵を閉めに行った日から、暑さは何処かへ潜んでしまったのだ。
「いやいや」
馬鹿な。
俺はアレと冷夏とを結びつけている自分を無理に笑って、目を閉じた。
幾ら何でも、壮大すぎるだろ。
眠気が襲う。
俺は逆らうことなく、眠ることにしたのだった。
「剛志」
そう俺を呼んだのは双子の兄の丈志だった。
「あれ? 丈志?」
若い。あの頃のまま。高校生の丈志だ。
「はやく、はやく」
焦った顔をして
「はやく、はやく」
丈志が急き立てる。
「もうオモテに出てしまう。はやくしないと…」
「何が出てきてるって言うんだ?」
そんな俺の疑問に丈志は答えない。
「はやく、はやく」
急き立てる。
「はやくしないと、間に合わなく」
なる!
そこで俺は目を覚ました。
「またかよ…」
丈志の夢は、あの村から戻って見るようになっていた。
「なんだよ、丈志。死んじまったくせして、俺に何を言いたいんだよ」
そう。丈志は死んでるのだ。
俺が僧侶の資格をとってないのは、双子の兄の丈志がいたからだった。
あいつがこの寺を継ぐと思い込んでいたのだ。
けれど、丈志が大学2年生の時に死んじまった。
無理心中だった。
若い女と一緒になって海に浮かんでいたのだ。
水死体、ってのは腐乱すると水膨れる。
おかげで、まるで丈志じゃないみたいだった。
それでも歯型と大学の身分証で丈志だと分かったのは良いほうだった。
女のほうなんて、結局、何処の誰だか判明しないままだったのだから。
女は顔を魚に食い荒らされて、歯型すら判別できない有り様だったのだ。
ノロノロと上半身を起こす。
分かってる。
「分かってんだよ、ホントは」
声に出して言う。
丈志に聞こえるように。
あいつは。丈志は、あの村に戻れと言っているのだろう。
あの掛け軸をどうにかしろと訴えているのだろう。
けど、怖いのだ。
どうしようもなく、怖いのだ。
ふとした拍子に思い出してしまいそうになるアレが……。
「すいませーん」
訪なう声が聞こえた。
「どなたか居られませんか?」
酒焼けした女の人の声が尋ねている。
俺は重い腰をあげた。
そういえば、チャイムが壊れていると親父が言っていた。
「はーい、今行きます!」
親父は急な法事で出かけている。
冷夏とはいえ夏。
老人が倒れる季節なのだ。
自然、残された俺が対応に出ないといけないわけで。
居留守は使えない。
檀家さんだったら、えらいことになるからだ。
玄関の引き戸をガラガラと開ける。
「お!」
と、その女性は俺を見て、1歩だけ退いた。
50歳前後だろうか?
何処にでもいるようなオバサンだ。
スーツを着ている。
保険の勧誘だろうか?
「何か御用でしょうか?」
俺が訊いても、オバサンはマジマジと俺を見詰めていた。
「あの」
と俺が声を出すのと
「凄いな」
ボソリとオバサンが呟くのとが同時だった。
オバサンは汚物を目にしたように顔をしかめて言った。
「あんた、とんでもないもんを起こしたみたいだね」
「はぁ?」
思わず喧嘩腰の声がでてしまっても仕方がないだろう。
初対面なのだ。
それなのに、顔をしかめられて、変なことを言うのだ。
「あなた、誰なんですか」
俺は再び訊いた。
これでまともな答えが返らなかったら、問答無用で玄関を閉めるつもりだった。
「あたしは、大島聡子」
「大島さんですか?」
檀家さんに大島なんていただろうか?
そう頭のなかを漁っていると
「霊能者をやってるんだけどね、ちょっと話を聞かせてもらっていいかい?」
そんなことを言ったのだった。
お茶をすすった大島さんは、テーブル越しに座っている俺をまたしてもマジマジと見詰めた。
「こりゃー」
と言ったきり絶句している。
「あの…霊能者なんですか?」
訊くと、大島さんは馬鹿にしたようにヘラリと笑った。
「胡散臭いと思ったでしょ?」
「正直に言えば」
寺に生まれ育って24年。霊能者なんて、見たことがない。
「わかるよ、あたしだって霊能者なんて自称する輩は胡散臭いと思うからね」
でも。
と大島さんは続けた。
「少なくとも、あたしはあたしのことを霊能者だと思ってる。あんたも、そう思ったからこそ、あたしみたいな得体のしれないのを家にあげたんでしょ?」
その通りだった。
この女性は、俺を見るなり『起こした』と言った。それで思い浮かんだのは、アレのことだ。
「俺、憑かれてますか?」
単刀直入に尋ねる。
「いいや、あんたは憑かれてないよ」
「だったら、何で俺を見て顔を顰めて……いいや、それよりも、どうして俺のところに?」
「ん~、あんたには呪の残り香が凄まじく強くまとわりついてるんだよね。それこそ、大蛇に巻き締められてるみたいにね」
蛇。と聞いて思い出したのは、アレ……掛け軸に掻かれていたモノだ。
「で、どうしてあんたのトコに来たのか、ていうとさ。それを説明するには、コッチ界隈のことを話さないといけなくてさ。長くなるけど、聞くかい?」
俺はうなずいた。