02:8月8日
婆さんに案内されたのは寺だった。
「なんだ、爺さんも坊主だったのか」
どうりで室賀さまなんて敬称をつけられてるはずだ。
寺は大きくて立派だった。
高台から見えなかったのは、寺を隠すように大きな木が並んでいるからだ。
それこそ1本1本が注連縄をされてもおかしくないほどの大木だ。
もっとも寺生まれの俺からしたら『落ち葉の清掃が大変だ』なんて現実的な感想しか抱かないのだけど。
「康介さまですけ」
爺さん……康介は既に火葬に処されて、ちいさな骨壺になって本堂に安置されていた。
「勝手をして申し訳のうとは思うたんじゃけ、亡くなったのが4月のことじゃったでの。何時までも、ほおっておくわけにもいかんで」
聞けば、爺さんは本堂で亡くなっていたらしい。
警察を呼んだが、事件性はなし。
そうして遺体を棺に入れて安置していたのだが、そもそもの話
「康介さまの家族のことは、てんで知らんくっての。健太さんも20歳ンぐらいの時に顔を出したっ切りじゃったから、行方も分からんで、連絡の取りようがなかったんじゃわ」
ということらしい。
そこで村のみんなと相談して、お金を出し合って、火葬にして、他の寺から坊さんも呼んで、葬式も上げてくれたのだという。
「それはお世話になりました」
爺さんに線香をあげた俺は、正座したまま婆さんに深々と頭を下げた。
「いんや、いんや。室賀さまにはお世話になったけ」
「このお礼は必ず」
というか。俺は親父からけっこうな大金をあずかっていた。
この大金を村におさめて、火葬代や葬式代、それにお世話になったお礼金にしろというのだろう。
そうかよ、こういうことを予想してたんだな。
伊達に坊主をしてないってわけか。まぁ、生臭だけどな!
「今晩は村の衆を呼んで、お斎のやり直しをしますけ」
お斎、てのはお葬式の時に振る舞われるご馳走のことだ。
正直、面倒くさい。
厚意なのは分かってるんだけど…。もう2度と会わないだろう村の人たちに気を遣うのは、考えただけで気疲れする。
とはいえ、そんなことが言えるはずもない。
こっちとら散々っぱら厄介になっているのだ。
「ありがとうございます」
俺は再び深々と頭を下げた。
「おばあちゃん、いるの?」
辺鄙な村に似つかわしくない若い女性の声が聞こえたのは、ちょうど俺が顔を上げたときだった。
本堂へと上がる短い階段に誰かが立っていた。
逆光なのでシルエットしか分からない。
女性が本堂へと入って来る。
「あら?」
と俺を見て、やっぱり不審そうな顔をした。
本堂は薄暗い。人影があっても、村の誰かとでも思っていたのだろう。
「室賀剛志と申します。この度は祖父がお世話になりました」
挨拶をすると、得心がいったように女性の警戒が解けた。
婆さんの隣りに正座して
「失礼いたしました。私は班目育枝と申します」
一揖した。
Tシャツにデニムのパンツというカジュアルな服装をしていた。正座したデニムのふとももがはちきれんばかりになっている。
太っているわけじゃない。
女性らしい体型だ。
むしろ、都会のスタイルがいいとは言葉ばかりの貧弱な体型の女よりかは、よほど男心をそそる。
化粧をしてないだろう、いわゆるスッピンの顔を視るに、年齢は24歳の俺と大して変わらないんじゃなかろうか? 今どきの若い女性にしては珍しく、眉毛がキチンと残っているのが好感をもてる。
肌も綺麗で、鄙にも稀な、なんていう言葉があるけど、まさにそれだった。
それに。ひと目見て分かった。
育枝さんは、ちょっと前まで都会で暮らしていたはずだ。少なくとも、この山奥でずっと暮らしていたということはないはずだ。
だって、垢ぬけている。
「室賀さんは、ご住職さまの?」
「孫になります。この度は、父が多忙のため、代理としてわたくしが寄越されまして」
「そうですか。遅くなりましたが、ご愁傷様でした」
育枝さんが再度、頭を下げる。
そうするとシャンプーの香りと汗の匂いがほのかにした。
「お気遣い、ありがとうございます」
慌てて、俺も頭を下げる。
頭をあげたのは、育枝さんと同時だった。
お互いの顔を見あって、どちらからともなく苦笑してしまう。
笑うと、微かにえくぼができて可愛らしい表情になった。
「育枝、オレに何か用があったんじゃないのけ?」
婆さんが訊いて
「おばあちゃんが畑に居ないから、母ちゃん」
とまで言いかけて、育枝さんは恥ずかし気に顔を赤くしながら
「母さんが探して来いって」
と言い直した。
う~ん、可愛い!
「ほーけ、ほーけ。んじゃま、帰るとするかい」
婆さんは育枝さんの手を借りて「よっこらしょ」と立ち上がった。
老齢だから、座ってしまうと立ち上がるのがしんどいのだろう。
咄嗟に気を遣えない自分が情けなくなる。
「村の衆には、オレが伝えておくけ。お斎のときに、みんなと挨拶してくれろ。それまでは、ゆっくりしとき」
「失礼します」
婆さんと育枝さんは、光のなかに歩いて行った。
見送って、1人になった俺は、実家でもしているように本堂で大の字に寝転がった。
爺さんが死んだ場所とはいえ、忌避感はない。
俺は寺の子供なのだ。死なんてものは、ほんと身近なんだ。
寝転がったまま。そういえば、と思い出す。
「婆さんの名前を聞いてなかった」
育枝さんが『おばあちゃん』と呼んでいたし、孫と祖母の関係なのだろうか?
「班目育枝、か」
ちょっとした出会い。
もしかしたらの出会い。
俺は年甲斐もなく、ワクワクしていたのだ。
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