01:8月8日
途中から車が通れない舗装もされてない山道になった。
しかたなく親父に借りたレクサスLSを降りて、ヘーコラ運動不足の我が身を嘆きながら、蝉しぐれの山をすすむ。
8月8日。夏真っ盛りだ。
誇張じゃなく、頭から水を被ったように汗をかく。
というか、汗がしょっぱい。気のせいか脂っぽい。
「こりゃー、まじめに運動しないと」
成人病まっしぐらだ。
なんてことを考えながら、最後はほとんど無心で道を歩いて
「ここか」
道の途中の高台から、俺は村を見下ろした。
山間の猫の額ほどの土地にへばりつくようにしてある村だった。
遠目から見て、どの建物も古びている。住まいとしてよりも、むしろ文化的保護を名目に保全すべきじゃないかと思えるような、そんな純和風の瓦屋根が
「ひの、ふの……」
10棟ほど見える。
「すげぇな」
事前にスマホで上空からの映像を見てはいたけど、こうして実際に目にするとホントに現代日本なのかよと感嘆するしかない。
こんな探偵ものの小説で殺人事件でも起きそうな、山奥の鄙びた村こそが、俺のルーツなのだ。
もっとも、そんな事実を知ったのはつい2日前。
24歳の俺が、無職になってから3か月めのことだった。
思い出す。親父との遣り取りを。
「爺さんが亡くなってな。お前、暇なんだろ? 行って来てくれや」
「はぁ?」
労わりの欠片もない親父の言葉に、俺は思いっくそ不満な顔を向けた。
「好きで暇してんじゃねーし」
何時ものように会社に行ったら、潰れていたのだ。嘘のようだがホントの話。鍵のかかった入り口に、社が潰れた旨の書かれた貼り紙がしてあったのだ。
その時は『漫画みてーだ』なんて他人事みたいに考えていたっけか。
「でも、お前暇だろ? 日がなスマホ弄ってるだけだし」
無職の俺は収入がない。
収入がなければ、家賃だって払えない。
ということで、俺は実家に戻っていた。
で、実家は寺だ。
親父は基本的に家にいて読経をあげている。
だから、俺が外出もせずにスマホばかり覗いているのを知っているのだ。
これは分が悪い。
俺は「つーか」と咄嗟に話題を変えた。
「爺さんがいたのかよ?」
「そりゃ、居るだろ? 俺だって人の子だぜ?」
「いやいや、爺さんも婆さんも死んだって…」
「言ってねーぞ。婆さんはお前が産まれる前に亡くなったとは言ったがな」
そうだったろうか? なにせ、うんと昔のことだ。
小学校の時、普通の子なら田舎があって帰省する。それが俺には無かったから、てっきり田舎がない=祖父も祖母も亡くなっている。そう関連づけていたのだ。
ん? 母親の実家?
母親は、俺が物心つく前に家を出て行っちまってるんだ。
「わかったか? わかったなら、行ってこい。俺は、誰かさんと違って忙しいからよ」
おいおい、何があったかは知らないけど、実の父親だろ?
とは思ったものの、俺は居候。強く言えるはずもない。
それに夏場の親父が猫の手も借りたいほどなのは重々、承知していることでもある。
「へーい」
諦めた俺は、親父に聞いた住所を検索したのだ。
そうして、ようよう遣って来たわけだ。
村の入り口はハッキリと分かった。
何故なら『ここから先が村だぞ!』と言わんばかりに道祖神が祀ってあったからだ。
ちょっと異様な道祖神だった。
俺の腰丈ほどもある岩塊に掘られているのは、トカゲ? いいや……
「ヤモリか?」
なのだ。
しかも何か大口を開けて警戒しているような…?
「つーか、何で?」
掘られているのが人の形をしてないんだ?
普通はお地蔵さんとか、そんな感じのを掘るんじゃねーの?
そもそも、だ。道祖神はその名の通りに道の半ばに祀るものだ。
村の境界に置く物じゃない……と思うんだけど?
疑問に思っていると。
「おめぇ、何だ?」
声をかけられて、俺は「ひゃ!」なんて情けない声が出てしまった。
わざと曲げてんのか? ってぐらい腰の曲がった婆さんがいた。
畑仕事か庭いじりでもしていたんだろう、薄手の防災頭巾にひさしのついたような帽子を被って、下半身はモンペで、上半身はアディ〇スのジャージを着込んでいる。
そして手にはカマ……なんて握ってなかった。
持っていたのは片手であつかう小さなシャベルだ。園芸コテとかいうヤツだ。
婆さんは俺を見定めるみたいにジロジロ見ている。
まぁ、こんな辺鄙なところに俺みたいなのがいたら、明らかに不審だものな。
「えーと、ですね。俺…わたしは室賀と言いまして」
とまで言ったときだ
「あんれ、室賀さまンとこのお人かね」
婆さんが一転してニコニコと笑顔になった。
「そうです、室賀剛志って言います」
「ほーけ、ほーけ」うんうん、と婆さんがうなずく。
「そういえば、似てらっしゃる。してみると、あんたは健太さんの息子さんかや?」
健太、てのは俺の親父のことだ。
「そうです」
「んじゃ、健太さんは後から来るのかや?」
「それが、ですね。父は来れなくて。わたしが、父の代わりというわけでして」
「ほーけ、ほーけ」
婆さんはうなずくと
「そりゃー禁忌を犯したんだもの、来れんわな」
喉の奥から絞り出すみたいに…。
気のせいか? 空耳か?
蝉がうるさいぐらいに鳴いている。
「今…なんか言いました?」
訊いたのだけど、婆さんはモソリと踵を返した。
意外と早く歩いて行く。
婆さんの足が止まった。
俺を振り返る。ひさしの下の顔が陰になって見えない。
「案内しちゃるけ、付いといで」
何でもない風に、婆さんは言った。
やっぱり空耳だったんだ。
俺は無理くりに自分を納得させると、小走りに婆さんに追いついたのだった。
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