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Itan 番外編 善光  作者: 三千
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side 善光 4

俺はその日、珍しく早めに職員室に戻った。


生徒たちが登校してくる時間、新任の教師が校舎の入り口で生徒に向かって挨拶をするのが決まりとなっていたから、その時間はいつも校舎の入り口に立っていた。


瑠衣もそこを通るし、瑠衣がこんな俺にもおはようございますと声を掛けてくれる。

俺はそれが嬉しくて、自ら率先して立つようになっていた。


けれど、その朝は珍しく寝坊をしてしまい、その日の授業の予定を決めていなかった俺は、瑠衣が来る前に早めに切り上げて職員室に戻った。


すると、いつもの席に竹の姿がない。


コーヒーでもいれてるのかと思い、給湯室に一歩入ろうとしてそこで、俺は足を止めて固まってしまった。


給湯室は狭いけれど、運動場側に窓がある。


ぞろぞろと登校してくる生徒たちがここからでも見えるのだ。


竹はその窓から、マグカップを手にして外を伺っていた。


そして。

微笑んでいた。


その愛情が溢れて零れてしまうような表情。


慈しんでいると分かる、その視線の先の存在。


俺は見てはいけないものを見てしまったと後悔した。


もちろんその視線の先に誰がいるのか、分かり過ぎるほど分かっていた。


竹は毎朝、そうやって愛しそうに瑠衣を見つめていたんだ。


静さんを愛していたはずの竹が、今瑠衣を愛している。


俺はもうそれを知ってしまった。


馬鹿みたいに嫉妬で狂っていたあの頃の若さを通り過ぎて、心からの愛情の正体が、どういうものかを知ってしまっているというのに。


それからは俺は、瑠衣と竹を一緒に見るようになっていた。


それは見れば見るほどに、俺から二人が離れていってしまうような感覚に囚われた。


二人の間にある、揺らぐことのない信頼関係。


それが容易に見て取れて、否応なしに俺の中へと捻り込んで入ってくる。


いつの間にか俺はもう、二人を見ていられなくなった。

正視できなくなっていた。


✳︎✳︎✳︎


決定的だったのは、ある日の放課後、俺はまだ校門を出ていないはずの瑠衣の姿が見えなくて、学校内を探し回っていた時だ。


まだ教室に居るのかと思い、階段を駆け上がる。


階段の踊り場の窓から、瑠衣の姿が見えた。


廊下をぐるりと回って、近づいていく。


瑠衣が一人なら、声を掛けられる。

誰か友達と一緒なら、早く帰れよと言えば良い。


もし、一人なら、何て声を掛けよう。

もう一度、俺と付き合ってくれ、と冗談っぽく伝えてみようか。


そんな風にぐるぐると思い巡らせながら、廊下を近づいていった。


すると、廊下には見当たらない。


教室かと思い、開いているドアからひょいと覗く。

すると、瑠衣は窓側に立っていた。


俺は声を掛けるのを止めて、その姿を見ていた。


ずっと遠くから見守るだけだった瑠衣が、こんなにも近くにいる。


その事実だけが。

俺を歓喜させ、幸せにする。


そうなんだ、これが至福というやつなんだ。


身体中が喜びで満ち溢れている。


手を伸ばせば直ぐに触れるんだ。


俺はしばらくの間、瑠衣の後ろ姿を見つめていた。


すると瑠衣が、窓の鍵に手を掛けて、窓を開け放つ。

風がぶわりと入ってきて、カーテンを揺らしている。


少し、窓から身を乗り出した。

危ないぞと注意しようとしたその時、


「先生え‼ ︎せーんせ、今から帰るのー? ばいばーい‼︎」


そう言って、手をぶんぶんと振った。

嬉しそうに、身体中でそれを表現しながら。


相手は分かっている。


俺は今からでも、後ろから瑠衣を抱き締めて、それを竹に見せつけてやりたいという衝動に駆られた。

瑠衣は俺のものだと叫んでやりたいと思った。


竹が何かを叫んでいる。


「分かったー‼︎ 先生もねー‼︎」


何だろう、気をつけて帰れよ、とかそういう類のことだろうか。


「分かったってー、こたつねー、出しとくから‼︎ 分かったってばあー」


こたつ、そう思ったら、もう駄目だった。


俺は踵を返して廊下を早足で歩いた。


こたつに入る二人を想像して、俺はもうそれだけで駄目になった。


くそっ、くそっ、俺は職員用のトイレに入って、手洗いの前でうろうろとした。


そして鏡を見て、愕然とする。


何だ、俺は泣いているのか。

馬鹿みたいに、俺は。


蛇口をひねって水を出す。


そして、顔を乱暴にバシャバシャと洗うと、滴る水と一緒に、涙も流れていった。


✳︎✳︎✳︎


いつものように、瑠衣が家へと帰るのを見送る。


残りの仕事を片付けるために学校へと戻る。


そしてその日は、仕事を終わらすと、何となく虚しい気持ちを抱えながら、いつもの道を逆へと歩いて行った。


街はクリスマスの飾り付けが施されていて、店はそれぞれが赤や緑で綺麗に着飾っている。


ふと目に留まった店に入る。


アクセサリーがたくさん置いてあり、それぞれが光り輝いている。


瑠衣に初めて会った日、その瞳を宝石のようだと思った。


この店の中のどんな宝石だったら、瑠衣の瞳に似ているだろう。


探し回ったその中に、シンプルなシルバーの腕輪があった。


この前やったリングに似ているな、お揃いでつけてもおかしくないようなデザインだ、そう思うと、瑠衣に買ってあげたくなった。


そこで俺は、ふ、と笑った。


今までは見ているだけで、側に寄ることも、触れることも出来なかったのに。


それが出来るようになって、箍が外れたように、何かをしてやりたい、何かを買ってやりたい、何か喜ぶようなことを、と貪欲になる自分を持て余す。


腕輪を買う。


プレゼントですか、と聞かれる。


俺は違う、と苦笑いで答えると、店員はシンプルな小箱にだけ入れて、渡してきた。


これを渡したら、瑠衣はどう思うのだろう。


喜ぶだろうか、それとも俺からの贈り物なんて、困らせるだけだろうか。


俺は小箱をポケットに突っ込むと、次の土曜にでも渡そうと、そのまま家路に着いた。


土曜日、俺はシルバーの腕輪を渡そうと、瑠衣の家の玄関でチャイムを鳴らした。


はあい、と言って、玄関で出迎えたラフな格好の瑠衣の後ろに、見覚えのある靴。


瑠衣と竹。


そういう風景を見ても、もう嫉妬とかでぐるぐるすることもなくなっていた。


拳をぐっと握れば、耐えることが出来る。

まだ、耐えられる。


けれど、瑠衣が腕輪をつけると言ってくれて。


それだけでもう俺は、我慢できなくなって、腕輪を奪うようにして瑠衣の手から取ると、手首に無理矢理はめ込んだ。


そして、たまらなくなって、瑠衣の頬に、指先でそっと触れた。


俺は、その指先をポケットに入れ大事に仕舞って帰った。


今頃は暖かいこたつに入り、竹の横で座って笑う、瑠衣を思い出しながら。


✳︎✳︎✳︎


丸井のじいさんに呼ばれた時には、嫌な予感しかなかった。


それは重く重く、俺を泥の中へと沈めていった。


じいさんが、竹と瑠衣二人の様子を聞いてくる。


俺はついに口に出して言ってしまった。

彼らが両想いだと。


じいさんは、まずは俺に問うた。


お前は大丈夫なのかと。

それを俺は鼻で笑った、どういう意味だよって。

俺には関係ねえって。


すると、じいさんは思っても見なかったことを口にした。

では、二人が結婚するのには賛成できるんだね、と。


結婚、俺はその言葉を頭の中で繰り返した。


何度も何度も反芻した。


嫉妬も焦りも怒りも、ありはしない。


もう、俺の出番はない。

俺の場所はない。


俺には二人を邪魔することもできない。


瑠衣が竹を、愛しているんだから。


俺は賛成です、とだけ言って、じいさんの屋敷を後にした。

ぽっかりと空いた、心だけを持って。


瑠衣を愛している。


瑠衣を幸せにしたい。


瑠衣に笑って貰いたい。


けれどそれは、俺の役目じゃない。


瑠衣は竹を愛している。


両想いなんだ、どうしようもない。


竹と話している時の、瑠衣のあの表情。


俺は瑠衣を泣かせるばかりで、あんな風に安心しきった顔にすることが、今までにできた試しがないんだ。


当然だろう、瑠衣は竹を頼っていて、俺なんかは、俺なんか、何も。


自分が情けなく、でもこんな風に思うのももう止めよう、思ったって仕方がない。


それで、瑠衣に振り向いて貰えることなど、絶対にないのだから。


自分以外の人とデートしないで、と言われた時は、もしかしたら少しは想われてるのかもって、嬉しくて嬉しくて舞い上がってしまって。


あれはいつだったか、新年の祝賀会にじいさんが瑠衣を連れてきた時のことだ。


逃げ出した瑠衣を探し出した時、俺の腕の中で眠ってしまって。


何だこの幸福感はと、俺はこのまま時間が止まればいいのにと、瑠衣を抱き締めながらそう考えた。


ずっと想い続けてきた瑠衣が、近づくことすら許されなかった瑠衣が、この腕の中で眠っている。


頬に涙の跡をつけ、すうすうと細い息をして、俺のこの腕の中で息をして存在している。


そんな寝息の一つでも、愛しくて仕方がないと言うのに。


このまま時間が、止まればいい。

こうやって、瑠衣を腕に抱いたまま、俺だけのものにしたまま、世界が消えてなくなってしまえばいいのに。


俺は初めて、そんなことを願った。


そして。

あの日。


ドームで各務とやりあった時。


瑠衣が、


鼻血で真っ赤になった唇が、


先生愛してるって、


そう、言った。


たとえそれがうわごとでも、

瑠衣が言う「先生」ってのは、竹のことなんだ。


そんなことは、分かっている。


けれど、本当は。

そんな言葉、聞きたくなかった。


これでもう、引導を渡された気分になっちまって。


聞きたくなかった。

分かっていても、聞きたくなかったんだ。


けれど、それと同時にやっと思い切れた、っていうのもあって。


あの時、鼻血で血まみれになった瑠衣が、死んじまうかもって思った時、気づいたんだ。


こんな風に瑠衣を持っていかれるなんて、そんなことは耐えられない。


俺は、こんな風にあっさりと瑠衣を失うことはできないんだ。


だったら、竹に渡した方がよっぽど良い。


竹なら守ってくれる、竹なら任せられる。

何より、瑠衣が竹を愛しているんだから。


本当だ、竹の言う通りだった。


もう瑠衣の側には居られない。


二人を見守っていくなんて、そんなの俺に耐えられるわけがない。


耐えられないんだ。


大切なんだ、愛してるんだ。


初めて逢った、あの日からずっと。


宝物のように、想ってきた。


これからも想い続ける。

離れていても、想い続ける。


たとえ、俺のものじゃなくても。


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