side 善光
その子は、俺が想像していた瑠衣とは、全然違っていた。
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彼女に初めて会った日を思い出す。
俺にはいない母親という存在の後ろに隠れて、その子はちっともこちらへ出てこようとしなかった。
だから俺はそれだけで、少しだけイライラしてたんだ。
丸井のじいちゃんが言っていた、特別な能力を持つ子どもってのがどういう子なのかは、興味があった。
けれど、母親とセットで守る対象だと聞かされた時から、俺はもうそれだけで、最初から気に食わなかった。
そんな特別扱いなのに、母親もいるなんて、この上なく恵まれてんな、って。
しかも、その母親は美人らしい、と聞いていた。
俺は同級生の崎にも、お前、ガラが悪いぞと言われるほど、何ごとに対しても捨て鉢になっていたし、自分で言うのも何だけれど、性格も捻くれていた。
生まれつき両親は居らず、丸井のじいちゃんが金を出して育ててくれて食べるには困らなかったけれど、よく悪戯や悪さをして学校の先生やじいちゃんを困らせていたし、崎もよく一緒になって怒られたりしていた。
親がいるというだけで、クラスの奴らを目の敵にし、俺はいつもぞんざいな態度を取っていたから、学校には友達は一人もいなかった。
丸井のじいちゃんのグループには、同じ境遇の仲間がいて、崎も含めて俺はいつもそいつらとつるんで遊んでいた。
何でも自力で解決してきたし、全て自分の頭で考えてきた。
だから、瑠衣が母親と一緒に住んでいると聞いて、恵まれていると思って気に入らなかったし、まだ5歳の子どもなのに、俺ら能力者が数人で他の国から奪われないように守ると聞いて、何甘えさせてんだよっ、母親がちゃんといるんだから母ちゃんに守って貰えば良いじゃねえかって、正直むかついていた。
そんな風な初対面だったから、俺はきっとムッとした怖い顔をしていたに違いない。
瑠衣は母親の背中に隠れて、丸井のじいちゃんが何を言っても出てこない。
噂通りの美人の母親の腕の隙間から、こちらを覗き見ている。
顔は、よく見えなかった。
けれどそこで、パチパチと瞬きする瞳。
俺らが突然訪ねたから驚いただろうし、怯えているような要素が少しはあっただろう、と思う。
けれど、その瞳。
色が何色だったかとか、形がどうとかは、覚えていない。
こぼれ落ちそうなくらいに大きく見開かれ、こちらをじっと見つめている。
俺にはその瞳だけが。
もうそれだけが、とても綺麗な宝石のように思えた。
次には、竹兄ちゃんが腰を折り目線を同じ位置にして話し掛けた。
すると、その宝石のような瞳はすぐに閉じられてしまった。
俺は竹兄ちゃんに、余計なことをするなと言いたかった。
竹兄ちゃんが頭を掻きながら、腰を戻して姿勢を正す。
すると、またぱちっと開いた瞳が、俺の目に飛び込んでくる。
そしてそれは、俺の奥深くへと入り込んできた。
気に入らないとか、イライラした気持ちはあっという間にどこかへいってしまい、その時にはもう俺の心の中は、その宝石で一杯になっていた気がする。
軽い挨拶を終わらせた母親が、すいっと家の中へと誘った。
その後を促されながら、丸井のじいちゃんと竹兄ちゃんがついていく。
瑠衣は、あ、と母親の手が離れて、空中を彷徨った腕をそっと下ろした。
その場に取り残されて、おろおろとした様子で立ち尽くす。
こんな顔なんだ。
赤い小さなリンゴが散りばめられたスカートを両手でぎゅっと握っている。
それはそれは、小さな手で。
下を向いたまま、一度も俺を見ない。
母親の後をついていくのではと思ったけれど、ずっとその場で立っている。
同じようにして取り残された俺は、瑠衣に近づいていった。
あの、宝石のような瞳をもっと近くで見てみたい。
そう思って、ずいっと前に立った。
けれど、その瞳からは突然、涙が零れた。
幾つも、幾つも。
泣くとは思わなかったから、俺は焦ってしまって、どうしたら良いか分からなかった。
いや、ただ見惚れてしまっていただけだったのかも知れない。
瞳は、涙でキラキラと光り、その宝石のような美しさを一層、輝かせていた。
目が離せなかった。
そのうち、啜り泣きが酷くなり、俺はまた焦り出した。
どうしたら泣き止むのかを一生懸命に考えた。
笑わせるのも、楽しませるのも、得意でない。
そういうのは、同い年の崎の方が得意だけど、今ここに崎は居ない。
それに俺が崎になれるわけでもない。
どうしよう、とポケットを探る。
そうだ、これをあげたらどうだろう。
どんな反応をするだろう。
ポケットに入れた手には、俺がここへ連れてこられる少し前に、崎と行ったゲーセンのクレーンゲームで取った景品が握られていた。
こんなの、ガキが欲しがるもんだろ、いらねーと、ポケットに突っ込んだまま、忘れていたものだ。
クマか、犬のぬいぐるみだったような気がする。
俺はそれをポケットから出すと、乱暴に差し出した。
それはやはりクマだった。
瑠衣が俺の手をじっと見る。
目にはまだ大きな涙を溜めていた。
そして、クマを受け取ると、やっと俺を見たんだ。
そして、大きな涙の粒を零しながら、笑った。
笑ったんだ。
俺はもうそれだけで嬉しくなった。
嬉しくて、嬉しくて、けれど瑠衣は家の中から母親に呼ばれて、中へと入ってしまった。
俺はずっと、そこに立っていた。
もう一度、母親と外へ出てくるのを待っていた。
ずっと、待っていた。
その帰り、丸井のじいちゃんに瑠衣を泣かせたことを怒られて、すっげ理不尽な気持ちになったけれど、瑠衣を泣かせてしまったという事実だけが、俺の上に重くのしかかり、俺は帰りの車の中でずっと黙りこくっていた。
丸井のじいちゃんは怒るだけだったが、竹兄ちゃんは何度も大丈夫だろ、と言っていた。
何が大丈夫なのかはよく分からなかったけれど、それで少しは気が楽になったようだった。
丸井のじいちゃんは、ガーディアンとしてはお前はまだ若過ぎるが、と前置きをしてから言った。
俺はその時、まだ小学生だったからだ。
けれど、瑠衣と同じような年齢の方が、瑠衣の周りをうろうろしても怪しまれないだろう、環と協力してお前が瑠衣を守るんだぞ、と言った。
そして、そんなこと誰かに言われなくても、これからは俺が瑠衣を守ると、その時心に決めたんだ。