おまじないチョコレート
「ねえ、この高校の噂って知ってる? 女子の間で広まってるんだけど」
「ああ、バレンタインデーの奴ね。自分の血を混ぜたチョコレートを食べてもらうと、両想いになるっていう」
去年のバレンタインデーから言われていたことだが、今年もその時期が近づくにつれ、こんな噂が教室内を包み込んだ。
私は別に好きな人もいなかったし、そういう噂話に流されるのが嫌いだった。だから特に気にしていなかったが、今年はそれが気になって仕方ない。
「でもあれって、ネットで広まった単なるおまじないでしょ? そんなので両想いになるんだったら苦労しないって」
「たしかに、ネット上ではそうだけど、この学校では特別なの」
「え?」
「私も一年の時は信じなかったけど、それを信じて血を混ぜたチョコレートをあげた女子の告白成功率は百パーセントなんだって」
その話を聞いて、私は思わず話をしている女子たちのグループに参加した。
「それって、本当なの?」
「あれ、オトハも興味あるの?」
「え、うん、まあ。それでセイコ、その話本当なの?」
私は噂の提供者、セイコに尋ねた。
「去年だって、ハナコやマユミ、ナナコが成功してるし、先輩でも何人か成功してるんだって」
「それって、たまたまじゃあ……」
「でも、貰った相手の様子が、前と随分と変わるんだって。ハナコの彼氏は本ばかり読んでたのに、よく外に出るようになったし、ナナコの彼氏なんて、あれだけサバサバしてたのにもうナナコにべったりでさぁ」
そういえば、去年のバレンタインデー前後では、男子の中で様子がおかしい人が何人かいた。普段寝ている男子が授業に集中していたり、普段真面目な男子がぼうっとしていたり、そういう状況が続いていた。しばらくすると徐々に元通りになっていったのだが、一体あれは何だったのだろうか。
「だからさ、私も今年はチャレンジしようかなって。好きな人出来たし、こういうのって、本当かどうか一度試したくならない?」
「でも、そんなの欲しがる人、いるのかな」
「それなのよねぇ」
セイコははぁ、とため息をつくと、後ろで話している男子の集団の方を見た。
「去年の様子を知ってか、さすがに男子も警戒しているらしいの。手作りのものは受け取らないっていう人が結構いるって話も聞くし。だから、受け取ってもらうまでが難易度が高いんだって」
「まあ、普通は変なもの入った食べ物なんて、欲しくないわよねぇ」
当たり前だ。最近では異物混入事件や、原料の偽装問題などが大きく取り上げられているくらい、誰もが食に関して敏感なのだ。ましてや、手作りなんて何が入っているかわからない。
「そうよねぇ、手作りはまずいのよねぇ。でも手作りじゃないと意味がないし……」
やはり受け取ってもらうだけなら、市販品が一番だろう。とはいえ、どれくらいの物を渡せばよいのかが困る。金額の問題ではないが、やはり安物をあげるのといいものをあげるのでは、気持ちが違うのではないだろうか。
「オトハだって、好きな人がいるんでしょ?」
「え、ま、まあ……ね」
確かに、二年生になってからずっと好きな人はいる。ただ、彼はクラスの中でも一番人気のイケメンで、倍率は高い。
「やっぱりタカシ君かぁ。クリスマスの時に前の彼女と別れてから、いろんな女子が狙ってるんだけど、ずっと前の彼女のこと、引きずってるらしいよ」
「だから、どうしようかなって。同じこと考えている人、多そうだし」
「私はジン君かな。おもしろいし、一緒にいたら楽しそう」
ジン君はタカシ君の友達で、いつも面白いことを言って笑わせてくれる。タカシ君ほどではないが、女子からは人気だ。
「まあ、お互いバレンタインデーは頑張ろうよ。大人気のタカシ君でも、もしかしたら、受け取ってくれるかもよ」
そういって、セイコは私の肩を叩いて自分の机に向かった。
確かに、思いを伝えなければ相手からの答えも聞けないし、渡さなければ受け取ってもらえない。しばらく悩んだ末に、私はタカシ君にチョコレートを渡すことにした。
せっかくだから例の噂も試してみたい。しかし、手作りだと受け取らない人もいる。
どうしたものかと、帰りにとりあえずスーパーに寄ってみる。
バレンタインデーコーナーには様々なチョコレートが置いてあり、中には数千円もするものもある。確かに、これだけでも、貰ったら喜んでもらえそうだ。
わざわざ手作りでなくても、こういうものでも十分気持ちは伝わるはず。そう思った時だった。一つの考えが頭をよぎった。
そうだ。チョコレートを作って、市販品と同じように包装すればいいんだ。
私は早速、市販のハート型のチョコレート一つと板チョコを一枚買い、家で作ることにした。
市販のチョコレートと板チョコを一緒に湯煎にかけ、滑らかに溶かしていく。
ここに血液を混ぜる……のだが、一体どうすればいいのかわからない。女子によっては、生理中の経血を取っておいて混ぜるというとんでもない人もいるようだが、残念ながら生理からは程遠い。ひとまず痛みをこらえて、左人差し指をカッターで傷つける。
傷口からにじみ出る赤い液体を、指先からポタリポタリとチョコレートの中へ。そして、固まらないうちに、しっかりと混ぜ合わせる。
傷口の血が固まったところで入れるのをやめ、チョコレートを市販のチョコレートの型に流し込み、表面を滑らかにする。あとは、これを冷やして固めれば出来上がりだ。
果たして受け取ってもらえるのだろうかという不安を持ちながら、私は心を込めて包装をした。
バレンタインデー当日、私は朝早くから登校し、タカシ君を待った。彼は朝早めに来て勉強をしているので、その時間より早く来れば会えるはず。こんなに早く登校する人は少ないから、二人きりになれるかもしれない。
昇降口で待っていると、タカシ君がやってきた。今は他に誰もいない。タカシ君が靴を履きかえたところで、勇気を持って声を掛けた。
「あの、これ、受け取ってください」
告白の言葉は使わず、シンプルに告げる。目をつぶって顔を下に向けていたが、すっと持っていたチョコレートが手から離れていく感触がした。
「ん、ありがとう。貰っておくよ」
そう言って、タカシ君は教室に向かった。
タカシ君と私以外いない教室の中で、私は昨日やってなかった宿題をすることにした。そのうち女子の友達が集まって来て、バレンタインデーに渡しただの渡してないだのの話を始める。チャイムが鳴って担任の先生が入ってくると、慌てて全員席に着いた。
授業中、前を座るタカシ君が気になっていたが、タカシ君はいつも通り、授業を受けていた。それよりも、後ろの席にいるジン君が、こちらを見ているようで気になって授業に集中できなかった。
放課後、私はタカシ君に聞いてみることにした。
「あ、あの、タカシ君、私のチョコ、食べてくれた? それとも、まだ……かな」
そう言うと、タカシ君は頭を掻きながら言った。
「今朝くれたやつ? ご、ごめん。中身開けようとしたら、ジンの奴に奪われちゃって。手作りだったら無理やり取り返そうかと思ったんだけど、市販のなら一つくらいいいかと思って。気が付いたら開けて食べてたし、本当ごめん! せっかくくれたのに」
「えっ……」
それを聞いて、私は膝から崩れ落ちた。そして後ろを振り向くと、ジン君がチョコレートに添えてあった手紙を片手に、こちらを向いて立っていた。
高校全体に伝わる噂話は、今も成功率百パーセント継続中である。