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決壊する心

 どれくらいの時間が経っただろうか、それともどれくらいと言うほど経っていないのだろうか。決して気絶はしていなかったにも関わらず、意識があったとは言えない状態にあった。門の柱に打ち付けられて、地面へと転がったまま動けないでいる。

 もう何かを考える余裕はなく、ただただ一点を見つめるのみ。まだ身体のいたるところがズキズキと痛むけれど、こんな事態になってもなお、そんな感覚が残っていることに苛立ちを覚える。

 しかしそれもすぐに意識の外へと追いやられて、結局心は無のままとなった。そしてゆっくりと瞼を閉じる。

 ここはどこで俺は何をしていたんだっけ。

 何が起こったのか分からない。

 きっとこれは夢なんだ。

 今に覚める。

 ほら。

 目を開けば。

 寝坊は厳禁なんだから。

 早く起きて朝の特訓をしないと。

 早く早く早く早く早く早く早く早く早く。

 ………………。

 ……て……。

 …お…て……。

「起きて‼」

「―――っは」

誰かに身体を揺さぶられて意識が覚醒した。横たわったままの姿勢で、頭だけ上げると、そこには今までに見たことのないような顔をした幼馴染の姿があった。

 なんだ、どうしたんだよそんな顔して。何か事件でもあったのか?

 それならこの俺に任せとけ。

 俺は…おれ、は……人類さい――。

「エルってば‼」

 意識が覚醒したと思ったのはまるで勘違いで、彼の思考はぐちゃぐちゃになっていた。目の焦点が合っておらず、口は開いたり閉じたりを繰り返している。

 トートに身体を起こされて、柱にもたれかけさせられても、それは変わらない。肩を掴まれて前後に揺すられるが、その目はどこか遠くを見ているようであった。頭が動くのと同時になびく灰色の髪の毛は砂に汚れてより暗く見える。

 トートはどうしようもなく焦っていた。


 彼女はいつものように自分の作業を終えた後で、兄弟の働いている畑へと向かう。しかしそこに二人の姿はなく、もう家に帰ってしまったのかと思った。

 いつもなら私が向かうのを待っていてくれてたし、早く終わったのなら私のところへ来てくれた。そうやって三人で話をしながら家に帰っていたのに、今日はどうしたんだろう。思いのほか仕事が早くに終わってしまい、私を待つにも長すぎるから先に帰ったのだろうか。でも、早く終わったのならそれはそれで別の仕事をさせられる気がする。

 それならば、他のところにいるのだろうか。

 彼女にとっては、少し日常と違っただけで、ことを深くは考えなかった。畑のすぐそばで散乱している作物を見ても、だから何だろうと言った気分である。誰かが倒してしまったのだろうか、それなら後で大変な目に合うだろな。

 そんなことをぼんやりと思いながら、その畑をあとにした。これからどうしよう、とりあえず二人のお家へ行ってみようかな。きっと今頃またあの棒きれでも振っているのだろう。

 私はあの二人が隠れてこそこそやっていることを知っていた。でもだからってそれをどうこう言うつもりはないし、向こうから話してこない限り聞かないつもりでもいた。

 どうせ彼らのことだから、いつかこの村を飛び出していこうとか考えているんだろうな。そしてそのことを話してくれないのも、私を置いていこうとか思っているからか。

 まったく、おおかた危険だからとかそんな理由なのだろう。舐められたものである。確かに私は戦えるような子じゃないし、特別な力があるわけでもない。それでも生まれてからずっと一緒にいるんだから、置いてけぼりなんて絶対に嫌。

 それに私がついてないと、すぐに無茶するんだから。エルは当然として、エムだって時々危なっかしいことをする。そのあたりはさすが双子って感じ。

 さすがなんて言ったけれど、別に褒めてはいない。別に、ではなく決して、か。

 そうして二人の愚痴を呟きながら歩き、兄弟の家へとやってきた。木でできた扉の前に立ってノックをする。

 …………返事がない。

「こんにちはー」

 …………返事はない。

 おかしい。

 ここへきてやっとトートは何かが起きているんじゃないかと思った。

 二人の母親はあまり身体が強くない。仕事も家ですることがあって、外で行う場合も長時間は出来ないはずだ。

 逸る鼓動を抑えて扉に手をかけた。しかしすんでのところで手を止める。何故か猛烈にここから離れたくなった。

 扉から離れて振り返る。きっと少し出かけているんだろう、そんな日もあるさ。それなら村の方を探さないと。そう思って歩き出す。その足が自然と早くなっていることに、彼女は気づいていなかった。


 時々すれ違う村人に二人を見ていないかと聞いても、答えは芳しくなかった。いつの間にか小走りになっていたが、それでも見つからない。不安ばかりが募る。

 しかし一カ所だけ探していない場所、いや、近寄っていない場所があった。

 それは勿論、村の門である。

 彼が立っているであろうあそこには、なるべく近づきたくなかった。それでも、もしかしたらと思って足の向かう先を変えた。

 そして場面は今に戻る。


 彼を発見したとき、一体何がどうなったのか理解できなかった。こんなボロボロの姿になって、意識もはっきりとしない。それになにより、もっと大変なことがあった。

 エムがいない。

 常に二人一緒で行動していたのに、兄がこんな状態になっていてもその姿を現す気配はなかった。もしかしたら村の大人を呼びに行っているのだろうか。

 しかも門に彼がいない。

 緊急事態どころか、異常事態だった。

「エル‼ ねぇ‼」

いくら呼びかけても応えがない。

 どうしようどうしよう。

 自分の声に震えが混じってきた。

 目尻に雫が溜まる。

「エムはどこに行ったの‼」

 今にも零れ落ちそうになった時、彼の動きが止まった。そしてやっと言葉を返す。

「え…む……」

「そ、そう‼ エムはどこっ」

「えむ………む」

 ダメだった。意識が回復したんじゃなくて、ただ名前に反応しているだけのようだ。それでもなんとかしようと声をかけ続ける。

 すると、なんの前置きもなくふらりと立ち上がった。ふらりと、と言うよりも、ぬるりと。なんだかとても怖い。今日もいつもと同じ一日だったはずなのに、何かが決定的に壊れてしまったような感じだ。

 エルは何も言わずに村の方へと歩き出す。腕はだらりと下がっていて足も引きずるようにしている。後ろから慌てて追いかけるけれど、私のことは気配すら気づいていないかのようだった。

 なんで、どうしちゃったの、エムは、あの男は、その怪我はどうしたの、早く治療した方がいいんじゃないの、なんで、なんで、なんで。

 なんで何も言ってくれないの。

 疑問符ばかりが頭を埋め尽くす。

 もうとっくに涙は零れていた。一体自分のどこにこんな多くの涙があったのかと思うほどに流れてくる。大粒の涙を落としながら、それでも声は我慢して。

 村の人がこちらをちらちらと見てくるけれど、それだけだった。面倒ごとには関わりたくないのか、エルのこんな姿を見て戸惑っているのか。

 そんなの私だって戸惑ってる。

 いつもいつも元気で、あの夕日の時にだけ見せる切なそうな顔が愛おしくて、私がなんとかしなきゃって、私ならなんとかしてあげられるって。そう思っていた。

 思って、いた。

 でも何にも出来ない。彼の目に私は映ってない。それが悲しくて悔しくて、涙が止まらない。

 ゆっくりと進むエルの後ろを、ただただついていく。すると曲がり角を目の前にして、不意に後ろから私を呼ぶ声がとんできた。

 振り返るとそこには母の姿があった、どうやら私のことを探していたらしい。何かあったのだろうか、すぐに帰ってくるよう言われた。でもでも、エルが……。

 しかし前を向いても彼の姿はなかった。角を曲がって行ってしまったようである。本当ならここで追いかけるべきだったのだ。それでも、母の言葉と、これ以上エルのあんな姿を見たくないという私の弱い心が、それを止めた。結果的に私が追いかけたところで何かが変わったとは思えないけれど、それでもやっぱり一緒にいるべきだったのではないかと、そう考えてしまう。



 エム、エム、エム。

 帰らなきゃ。

 母さんとエムが待ってる。

 そういえばさっきトートがいた気がする。

 気のせいだろうか。

 気のせいだろうな。

 ほら、もうすぐ着く。

 俺の家だ。

 俺たちの家だ。

 ここから物語は始まるんだ。

 待ってろ世界。

 見てろ魔帝。

 今にこんな現実は終わらせてやる。

 俺と、エムで。

 一人で。

 あれ、一人で?

 おかしいな、一人で、だろ。

 俺とエム。

 うん、一人だ。

 あ、家。

 着いたぞ。

 扉を開けて、と。


 そこで母が死んでいた。


 何やってんのさ、まったくもう。

 エムはどこ?

 もう晩ご飯の時間でしょ。

 しっかり食べなきゃ元気でないよ。

 母さん。

 …………。

 どうしたの?

 胴体から切り離された頭を抱きかかえる。

 人の頭って結構重いんだね。

 はは。

「あはははははははははははははは……―――――――――っ」

 なんて言ったのかはわからないし、きっとそれは言葉という形ではなかっただろう。

 もう何も分からなかった。

 最初から分からなくて。

 最後まで分からなかった。

 そうして。

 俺は。

 壊れた。


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