両手に花です
八、両手に花です
航はひたすらに、山頂を目指し進んでいた。決して長距離は苦手ではない。専門種目こそ、今は千五百メートルという中距離であるが、中学一年のときには五千メートル走で部内三位になったこともある。それに登り坂を苦にしないフォームなので(先輩からそう言われた)、ロードでの山登りには適していると言えた。
しかし、この男坂はかなり険しい道のりだ。所々に狭い段差や滑りそうな急坂もある。航はふと、後から来る博仁たちのことを考えた。
あいつらは、三人仲良く、山登りを楽しみながら登っているんだろうな。俺も真奈美と二人並んで登りたかったのになあ。そんなことを考えながら、未だに理由がわからない特訓のため、航はひたすらに山頂を目指した。
そのころ博仁たちは、航の通った男坂を三人で揃って登っていた。ここまででもなかなか辛い道のりではあったが、由紀も真奈美も平気な顔をしている。
博仁が由紀に尋ねた。
「少し休憩してもいいんだぞ?」
すると、笑って由紀が答えた。
「あんまり遅いと、二往復する渡辺君が大変でしょ?私たちは大丈夫。ねえ真奈美?」
由紀が真奈美に問いかける。
「うん、大丈夫だよ」
真奈美が元気よく答えた。
「じゃあ、しんどくなったら言ってくれな。すぐ休憩するから」
博仁が二人を気遣い、声を掛ける。
「ありがとう」
真奈美が博仁に向かって返事をした。
三人も休憩することなく、黙々と山頂を目指した。
そして、ようやく航が山頂に到着した。ここまで全力で登ってきたので息が苦しい。ふもとよりも酸素が薄いせいかもしれないな。航はそんなことを考えていた。
さすがに山頂の景色は最高だった。眼下に広がる山々の尾根、新緑の絨毯、遥か彼方に見える街並み、一面に広がる青い空。天気も快晴で、この景色は山頂まで登ってきた者を癒してくれる最高のご褒美だ。
航はふと腕時計を見た。山頂での休憩は十分だけ。そうしたらまた登ってきた道を戻らないといけない。あいつらどのあたりまで来てるかな?この素晴らしい景色を真奈美と一緒に見たいな。航は岩こぶに座り、雄大な景色を眺めながら、後から来る三人のことを考えていた。
航が山頂に着いたその頃、博仁たちは八合目付近まで来ていた。由紀と真奈美が、休憩も取らずに頑張って登っているおかげで、かなり速いペースで登って来ていた。これなら航の二度目は短くて済むな。博仁は少し残念がった。
すると、由紀が博仁に声を掛けてきた。
「向井君、私たちがこんなに頑張るなんて意外でしょ?」
博仁が答える。
「おう、こんなに頑張るとは、正直思わなかった」
「私たちも特訓だからね」
由紀が真奈美を見て言った、
「特訓?」
博仁が由紀に聞き返す。
由紀が答える。
「そう、特訓。真奈美のね。真奈美も一か月後に大きな大会があるの。それの特訓」
博仁が真奈美に聞いた。
「弓道でも山登りが特訓になるのか?」
真奈美が答える。
「弓道だって、体力が必要なのは変わらないわよ。特に持久力は重要なの」
「へえ、弓道って、瞬発力だけだと思ってた」
「どのスポーツだって持久力は必要よ。だから山登りはいい特訓になるの」
博仁が納得したように答える。
「へえ、そんなものか」
すると、由紀が意地悪そうに博仁に言った。
「何も知らないのね」
博仁がむくれて由紀に言い返す。
「悪かったな」
由紀がえへへと笑みを浮かべる。博仁も由紀につられて笑顔になった。真奈美はそんな二人を見て、なんかお似合いの二人だなあ、と思っていた。