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聖女、王族、聖戦。
こんな言葉が続けば誰だってこの話が架空の、十代が好んで読み込むファンタジーの世界だと認識する事でしょう。
けれど、がっかりさせてしまうようで大変申し訳ないのですが、これは色んな人に迷惑をかけて、色んな人を悲しませた【聖女】の物語です。
この聖女はちょっとした特殊能力はあるけれど、勇気も知識もありません。
だから、この物語では何も成せない上に、何も解決しないんです。
ハッピーエンドでもなければ、バッドエンドでもない物語。
それでもよければ、このお話は私――神谷里菜がお話させて頂きたいと思います。
元々は女子高生でしたが、現在は【聖女】という職業に就いております。
* * *
――その日、新しい聖女は多くの人間に披露される事となった。
先代聖女という偽者に奴隷のように扱われていた真なる聖女。
彼女を神殿という偽の聖女の城から助け出したのは、まだ歳若い王族の少年。
少年と真なる聖女は二人で力を合わせて偽の聖女を捕らえ、これを処刑した。
真なる聖女は腐敗した神殿から抜け出し、これからは王族の庇護の元で力を振るう。
王族と聖女、この二つの権力で国に神の光をもたらさん。
そう王都で宣伝された聖女の披露の為の舞踏会には、多くの王侯貴族が詰めかけた。
その騒ぎの中心に居るのはまだ若い少女。
聖女の地位にある事を示す独特の衣装は白地に桜色で彩られていて、それが当代の聖女を表す色合いだと示す。
花を模した紐で結わえられた黒髪に、怯えたように視線を定められない潤んだ黒目。
醜くもないが美しくも無い、どこまでも平凡な顔立ち。
「わ……私が、今代聖女の……」
エスコート役の王族の少年に手を引かれ、まるで珍しい動物を見るように立ち並ぶ貴族の前で出した声は萎縮して、頼りない震えたものだった。
前聖女とは比べものにならない程、頼りなくて小さくて震えるばかりの自信の無い、ただの娘―――それが、今代の聖女だった。
「リナと申します。皆様…あの、どうか…」
隣に立った王族の少年は、困ったような視線をこちらに向けて首をほんの少しだけ傾げた。
けれどもその綺麗な顔立ちに浮かんだ笑みは私を嘲るそれだ。
このままではいけない、と慌てて聖衣を引いて宜しくお願いします、と小さな声で頭を下げると人々の笑い声が耳に届いた。
――あれが本物などとは到底
――本物なのかもしれないが、あの外見では
――随分と内気な
――人前に出せるような聖女様ではないご様子
悪意に満ちた微笑がぐるぐるぐるぐると自分の周囲を取り巻いて――今夜、この場所に助けなど存在しないのだと痛感させられた。
二年間。
そう、二年間も聖女という座は偽りの偶像が飾られていたのだ。
誰もが「聖女」という存在に疑念を抱いていてもおかしくはない。
その上ただでさえ人とのコミュニケーションが苦手な私が新しい聖女だと名乗って登場したのだから、悪意に満ちた反応を示されても仕方が無かった。
挨拶も早々に始まった舞踏会では何人もの人がダンスに誘ってくれたけれど、その誰もが眼に友好的でない感情を浮かべているのがありありと分かってしまい、ついに耐え切れずにバルコニーへと逃げ出した。
王族主催の新しい聖女擁立を祝っての舞踏会は今まで見た事のない程に華やかで煌びやかだったけれど、どこまでも冷たくよそよそしい空気で私の臆病な心を刺そうとする。
誰にも見えない場所で、誰にも話しかけられない場所で、只時間が過ぎるのを待っていたかった。
王族だけには近づかないように――そう心配してくれていた恩人を裏切った。
それが彼の属する組織に利する為に言われた言葉ではなく、真実私を思って発してくれた言葉だったと気づいたのは、彼が死んで、大好きな人を裏切って、聖女として表舞台に出てからの事だった。
「…やはり。聖女としての力量はあるにしても、あの女は頭が鈍重で使い辛い」
「前の聖女は格別でしたから」
「確かに。罪人として処刑されなければ王の妾として後宮で囲ってやったものですが」
柱の陰に隠れて蹲っていれば、そこに聖女が居るとは思いもしない男達が酒を片手に話し始めた。
その中によく知っている声を聞いてしまい、泣いてはいけない、と思いながら目から生暖かい涙が零れて行く。
彼が優しく私に寄り添ってくれた日々を忘れる事は出来ない。
でも、これこそが彼の本性である事を私はもう十分思い知っていた。
悔しい、怖い、近寄らないで、触らないで、誰か助けて。
そんな言葉が頭の中から溢れ出そうになるのに、口から出るのは呻くような醜い声音だけだった。
「なに。前の聖女は有能すぎて扱い難かったのだから、逆に今の無能な方が扱いやすくて良い」
「適当に煽てて宥めてやれば簡単に落ちるでしょうな」
「確かに。あんな人見知りする聖女様なら、殿下がちょっと愛を囁いてベッドに連れ込めばすぐでしょう」
ゲラゲラと嗤う男達の視界に入らないよう、そしてそれ以上の言葉を聞かない為に不可視防音の結界を身の回りに張ったけれど、吐き気がむかむかとせり上がった。
聖女という存在を敬う態度を見せながらも、その実腹では私を食い散らかす事だけを考えている。
此処に居る誰も国を護る聖女を軽んじて、使い捨ての雑巾のような認識でいる。
きっと私も言う事を聞かないようになったら、結界を張れないようになったら、何の躊躇いも無く処刑しようとするのだろう。
味方なんてどこにも居ない。
護ってくれる人なんて、もうどこにも居ない。
あの人は、こんな世界をたった一人で生きていたのか。
私を守る為に、世界を守る為に。
たった一人で。
最後に会った日の、彼女の泣きそうに傷付いた顔が脳裏を過った。
その縋るように伸ばされた手を振り払ったのは、私だというのに――。
零れ落ちたごめんなさい、という言葉は誰にも届かず夜に溶けた。