純喫茶『黒猫屋』
私の名前はドリップ・マケドニア。ここ、純喫茶『黒猫屋』のマスターです。
年老いた今でこそ温厚だという印象を持たれていますが、こう見えても昔は鬼のような冒険者だったんですよ。
迷宮の階層主を見つけた時は、そりゃあもう嬉々として相棒の大双刃を振り回したものです。
……おっと。少し話が逸れてしまいましたね。
この喫茶店は、マスターの私が言うのもなんですが、とても小さなお店です。
カウンター席は七つもあるのですが、テーブル席は四人座りの物を二つしかご用意しておりません。私一人で営業していることを考えると、どうしてもこれが限界なのです。
それにお客様に対する文句ではないのですが、ここは迷宮都市。言うなれば冒険者の街です。気性の荒い人達はカフィよりもお酒の方が好ましく思えるそうで、『黒猫屋』のように落ち着いた雰囲気と酒を出さない店にはあまり来てくれません。
そういう意味では、この店の大きさは身の丈に合っているのではないでしょうか。……ま、お客が来ないのでは商売にならないのですがね。
そう思った直後に、店の扉に取り付けてあるベルが鳴りました。
「……ごめんくださーい」
「えへ! ごめんくださーい! えへ!」
おやおや。数少ないお客様だと思って見れば、あれはケイスケ君とメリーちゃんではないですか。
二人はこの国の中でも珍しい黒髪なので、とても印象が強いです。一目見て分かりましたよ。
特にケイスケ君は私の淹れたカフィを美味しそうに飲んでくれるので、名前も顔もばっちり把握しています。とても親しみやすい人です。
どうして皆さんは彼を【臆病者】なんて呼ぶのでしょうか?
この店は迷宮都市にそぐわない構えをしています。物寂しい雰囲気がありますし、陽気な方には少々息苦しいかもしれません。そんな店に躊躇なく入れる彼は、むしろ他のお客様よりもずっと勇敢な人なのではないでしょうか。
……おやおや。またしても話が脱線してしまいましたね。どうやら歳を取ってからは思い耽ることが多くなったようです。気をつけなければ。
「いらっしゃいませ。ケイスケ君、メリーちゃん。こんな朝からこの店に来てくれるなんて珍しいですね。もしかして、カフィ豆が切れてしまったのですか?」
「お、流石ドリップさん! 分かります?」
「ええ。ケイスケ君は朝からカフィを飲むのが好きだと前から言っていましたからね。もしかしたらと思ったんですよ」
「むぅ……」
ケイスケ君はカウンター席に座り、嬉しそうに笑っています。
ん? 隣でメリーちゃんが不機嫌そうに頬を膨らませていますね。もしかして嫉妬しているのでしょうか? だとしたら可愛いですね。
そのまま大人しくしていれば、きっとケイスケ君も振り向いてくれると思いますよ。
「わ、私だってケイスケのことはよく分かってるもん! むちゅー!」
「おっわ!? てめっ、あぶねーだろーが!」
「何で避けるの!? さっきの約束忘れたの!?」
「間接って話だっただろうが! というかいきなり襲ってくる意味が分からん!」
ああ、言ってる傍から……。
ケイスケ君は大人しい女性が好みのようですからねぇ。あんまりがっつく女の子は遠慮したいのでしょう。
メリーちゃんが必死に唇を突き出して猛攻撃に移りますが、ケイスケ君はそれを軽々と避けて見せます。
その動きはまるで第一級冒険者――冒険者ランクA以上を彷彿させます。彼はしがないフリーターだと言っていましたが、本当は何者なのでしょうか?
……おっと。いけません、いけません。お客様の深い事情に興味を持つなど失礼です。ですが、元・冒険者の一人としてはやはり興味が尽きませんね。
「はぁ……はぁ……くそっ! 朝食も食べてないのに無駄な運動させやがって!」
「だって……だってぇ!」
「だっては許しません!」
「でもぉ……!」
「でもじゃない! あ、ドリップさん。モーニングセットを二つお願いできますか? それと、カフィ豆もお願いします」
ふふふ。お二人はなんだかんだで仲良しなんですよね。
きっと私など遠く及ばないほど、お互いのことを理解し合っているのでしょう。喧嘩するほど仲が良いとも仰いますし。
さて。どうやらケイスケ君はお腹が空いているご様子。腕によりを掛けましょう。
私はベーコンエッグとポトフを用意し、熱々のカフィをカップに注ぎます。
ついでに焙煎済みのカフィ豆を紙袋に詰めて、保存用の魔法【キーピング】を掛けておきました。これで豆が酸化することもないでしょう。
「おお! 美味そう! 流石ドリップさん!」
「……むぅぅ!」
ふふふ。喜んでもらえて幸いです。それとメリーちゃん、どうか睨むのをやめてもらえませんか。心臓に悪いです。
まあ、そんなメリーちゃんもケイスケ君と頻繁にカップの交換を行うことで機嫌を取り戻してくれたようですが。
……しかしおかしいですね。二人に淹れたカフィはどちらも同じ種類の物なのですが。もしかすると何処かでミスをして、味に違いが生まれてしまったのでしょうか?
「カフィのお味はいかがでしたか?」
「いつも通り美味しかったですよ」
「……美味しかった……」
良かった。もしかするとミルクの入れ方が不味かったのではないかと疑ったのですが、どうやらミスは無かったようですね。
「ごちそうさまでした」
食事が終わると、ケイスケ君はそう言って財布を逆さまにひっくり返しました。
私の手に収まったのは七五〇マルク。お代ちょうどですね。
何故かケイスケ君が絶句していたようですけど、まあ何かしらの事情があったのでしょう。
「またのご来店をお待ちしています」
私はそう言って、お店を出て行く彼らに頭を下げた。
次からちゃんとお仕事に行きますよ。
次回、『アーサーちゃんと遊ぼう』です。