魔物討伐の前に
『……天使?』
私と同じ黒い瞳を揺らしながら、彼は呆けたように呟いた。
――ねえ、大丈夫? あんなに高い所から落ちて、怪我とかしてない?
『落ちてきた? 俺が……えっと……俺は……どうなったんだ?』
混乱しているのだろうか? 彼は自分が何処にいるのか、いや、何処から来たのか全く覚えてないようだった。
ただ彼は顔を赤くして、できるだけ私と目を合わせないようにしていた。
……嫌われちゃったのかな? いやいや。まだ初対面だし、流石にそれはない……ないよね?
やがて彼は私に膝枕されていることに気付いて、慌てて私から距離を取った。
『ご、ごめん! 動揺してて……今まで気付かなかった。えっと、看病してくれたのかな……ありがとう』
私がショックを受けて涙目になっていると、彼は今まで一番激しく動揺して何度も頭を下げてきた。そして最後に、照れくさそうに笑ったのだ。
――なんか、放っておけないなぁ。
感情豊かな少年は何処か頼りなさげで、ちょっぴり可愛かった。
これが俗に言う母性本能というものなのだろうか。なぜか構ってあげたくなる。
とにかく、私は右も左も分かっていなさそうな彼を助けてあげようと思った。
この時の私はまだ恋なんて感情を知らなかったけど、少なくとも彼の傍にいたいと思うようになったきっかけはこの出会いだった。
ただし、この時点でも言えることが一つだけある。
それは私の停滞し続けていた物語が、ここから動き始めたということだ。
そう。白紙だった物語には文字が綴られ始め、私という人生が動き出した。
――私の旅は、ここから始まったんだ。
*****
「け、ケイスケがいない!? もしかしてまた逃げたの!?」
目を覚ましてから一時間。
メリーはずっとケイスケの枕に顔を押し付けて、これでもかと言うほど彼の匂いを堪能していた。
しかし、いくら目先の欲望に囚われようともいつかは本物が欲しくなるもの。
メリーもまた、荒い息を上げてケイスケを捜索している途中だった。
「でも甘いよケイスケ。【マーキング】!」
メリーはメニュー画面を呼び出し、事前に登録した相手の居場所を把握するスキルを発動した。
するとメニュー画面に王都全域を示した地図が展開され、その一箇所に赤く点滅する光が現れた。
この赤く点滅する光こそ、メリーがこっそり登録しておいたケイスケの現在位置である。
「なるほど。コーヒーブレイクってやつね」
現在、光が点滅している場所は『黒猫屋』の中。ケイスケが贔屓にしている喫茶店だ。
彼がこの店に寄る時は大きく分けて三つの理由に絞られる。
仕事を終えたご褒美か、カフィ豆を購入する時か、静かに考えごとをしたい時だ。
カフィ豆は昨日買ったばかりだからこれは理由にならない。そして彼が仕事を終えるのはどんなに早くても午後以降の話だからこれも可能性は低い。
そうなると最も可能性が高いのは、彼が何かを考える為にこの店に寄っている、ということだろう。
まあ理由なんてどうでもいい。要は彼がここにいるという事実が大切なのだ。
早速ケイスケの元に向かうべく、メリーは全速力で『黒猫屋』まで走った。
「――でさ、ドリップさんにアドバイス貰おうと思って」
「構いませんよ。そうですね……まずはバーサクゴブリンから倒した方が良いでしょう。あれは色んな意味で放っておくのは不味い魔物ですからね。次にキラーウッドですが、あれは夜行性ですので倒すなら朝や昼の方が良いと思います」
「紅蓮の魔石は? 火属性の魔物を倒せばいいんだっけ?」
「いえ。それだと高確率でただの赤い魔石しか落とさないでしょう。紅蓮の魔石を手に入れたいのでしたら、やはり爆発系の魔物を倒さないと」
ケイスケは冒険者のベテランだったドリップから、魔物討伐について様々なアドバイスを貰っていた。
店の中はこの二人以外に誰もいない。その為、今だけはドリップも仕事を中断し、純粋にケイスケとの会話を楽しんでいたのだ。
「まあ、どっちにしても魔物を倒すなら何処かの迷宮に入らないといけないよな」
「そうですね。それにより上位の魔石を手に入れるなら、それなりに大きな迷宮が望ましいでしょう」
「そうそう。魔力濃度の関係があるもんな。だけど、それだと冒険者達に遭遇しやすそうなんだよなぁ」
ケイスケはそう言って悩ましげに唸った。
冒険者達はケイスケに対してあまり良い感情を抱いてはいない。もしかすると迷宮内で面倒臭い問題に巻き込まれるかもしれないのだ。
例えば相手も自分と似たような依頼を受けていた時、もしくは討伐すべき魔物が被っていた時、少なからず諍いが起こってしまう。
その時話し合いで解決できればいいのだが、残念なことにこの国の冒険者は皆脳筋だ。ほぼ九割の確率で決闘という馬鹿げた厄介事になるだろう。
ましてや、今のケイスケは周囲から【臆病者】扱いされている。決闘と証する弱い者いじめの対象にされてもおかしくなかった。
「ふふふふ。ケイスケ君、本当は分かってるんじゃないですか?」
「……え?」
片手で頭を抱えるケイスケに対して、ドリップは優しげに微笑む。
そしてその直後、店の扉に付けられたベルが荒々しく鳴り出した。
「その話、聞かせてもらったぁああああああああああああああああああああ!」
「うおっ!?」
「ほら。やっぱり来ました」
ケイスケが慌てて店の入口を振り向くと、そこにはやる気に漲ったメリーが立っていた。
良く見ると、彼女の耳には可愛らしいモコモコ仕様のヘッドホンがしてある。
それは『盗聴ホン』と言って、盗賊系のスキル【盗聴】の効果を格段に上昇させるアイテムだ。
おそらくメリーはそのアイテムとレベル補正による聴力で、遠くからケイスケ達の会話を聞いていたのだろう。
「迷宮探索、地形把握、隠蔽、索敵、なんでもござれ! 私がいればケイスケの心配事は全て解消だよ!」
「……はぁ」
ケイスケは微妙に嫌そうな顔でドリップさんの顔を見る。
そんな彼に対して、ドリップは朗らかに笑いながら頷いた。まるでこれからケイスケが何を言おうとしているのか見通しているかのように。
「……今日はとりあえず準備だけだ。仕事は明日から始める。だからその……まあ、アレだ。こういう時は割りと本気で、頼りにしてる」
「――ッ! 分かった! 私、頼りにされる!」
ぎゅっと拳を握り締めて頷くメリー。今の彼女にはまだ純粋だった頃の面影がある。
そのことにケイスケは半ば驚き、「そう言えば仕事には真面目な奴だったな」とすぐに納得した。
それは長い付き合いから分かる、ケイスケなりの信頼の証である。
「よし。それじゃ、ひとまず飯でも食うか。奢ってやるよ。今の俺の財布はパンパンだ」
「やたっ! それじゃあ、ドリップさん。ナポリタンとアプルの実のタルトを下さい!」
「了解しました。……あの、メリーちゃん」
「?」
カウンター席に座ったメリーの耳元で、ドリップさんは小さな声で囁いた。
「暴走しないように気をつけてください。そうすれば、きっと彼も好印象を抱いてくれます」
「――ッ!?」
驚いて目を見開いたメリーに対し、ドリップは得意げに片目を瞑った。
メリーは少しだけ頬を赤く染め、隣に座っているケイスケの横顔を盗み見る。
すると途端に動悸が激しくなり、どうしようもないくらいに触れ合いたいという感情に襲われた。
「……ん? 俺の顔に何か付いてるか?」
「え? ううん! なんでもないよ! なんでも! えへへへへへ」
「そうか? あんま変態なこと考えんなよ?」
「ぎくりっ!」
「……考えんなよ?」
密かに湧き上がってきたイケナイ欲情を看破され、メリーの表情が強張った。
そんな彼女を見てケイスケは呆れたように溜息を吐き、ドリップは不安げに苦笑を浮かばせた。




