気分は出陣前夜
茜。
俺は、つなぎ止めておくことの大切さを解ってなかった。
あんなに一緒に居たのに。
あんなにしっくりきてたのに。
あんなに、補え合えてたのに。
………なぁ、茜。
あの時疎遠になってなかったら今の俺たちには、どんな未来が待ってたんだろうか。
「………」
俺は移動中の地下鉄車内でまた携帯の画面を眺めていた。あの茜の載った専門学校のページだ。
「………ほんまにデザイナーやってんやなぁ………」
ひとりごちる。
そのページに記載された茜が書いたんであろう彼女自身の略歴の文章は、読み込めば読み込むほどに生き生きしていた。
その生き生きした感じがひどくキラキラしているように感じて、羨ましかったり眩しかったりした。
そしてまた、目指すものが何ひとつない自分が情けなくなった。
同時に、目的の駅で電車は停まり、扉が開くと同時に雑踏に押し出されてホームに降り立った。携帯は手早くスーツの内ポケットに押し込んだ。ビジネス鞄はやっぱり重たい。
今日の俺も、疲れた背中で冴えないヘタリーマンに明け暮れる。
優しいのんびりしたお前だから、お前はもう忘れているかも知れない。
優しいけど決して信念を曲げない強いお前だから、お前は今でも気を悪くしているかも知れない。
けどもうどちらでもイイんだ。ただ俺は今、お前に会いたい。
突然仕事場に行ったりしてお前に会えるだろうか。会いに行ったらお前は驚くだろうか。………お前は、会ってくれるだろうか。
上期末の追い上げの忙しさの合間で、俺のアタマの中は毎日そんなことがぐるぐると回っていた。
運命なんて考えたことなかった。そんな非現実的なものに焦がれるようなガラじゃない。大の男が聞いて呆れる。
だが今回は、その運命ってのを感じずにはいられなかった。
普通に生活するにはどう考えたって必要ない膨大な情報が渦巻くインターネットの世界で、俺は茜を見つけた。
あんなに容易く(たやすく)、あんなに一瞬で。
さらに彼女は今の俺の担当エリア内で(専門学校の)学生生活を送り、今の俺の担当顧客に就職した。
配属は東京だったようだが、それでも(この東京オンチの)俺が(でも)ひとりで赴ける場所に勤めている。
こんな偶然あるだろうか。まるで彼女にたどり着くために全てが仕組まれたような偶然。ささいなことでも数が揃えばそれだけでひどく特別に感じてしまう。そうさ、俺はやっぱり単純な生き物なんだ。
彼女の今までを垣間見てからは、仕事でこれまでと同じ街を歩くのもなんだか重みが違って感じた。
茜が居た専門学校を見た。
茜が見ていた景色も。
茜が歩いていた道も。
茜が確かに居た、このまちも。
あいつはこのまちで、毎日なにを考えていたんだろう。
こんなに想いを馳せて、これで会いに行かなかったらマジで男が廃る(すたる)ぜ。
むしろ正真正銘のヘタレ確定だ。ヘタレなのは仕事だけで充分(イヤ、全然良くないんだが)。
そんなこんなな日々を過ごすうちに、あっという間に季節は進んだ。
「哲平、お前センター来週か?」
いらっしゃーい、何名様?と直ぐ後ろで、威勢の良い店員の声が響く。
店員の声に負けじと、どこのテーブルでも楽しそうな声が上がっている。金曜の夜らしぃ、どこか緊張感から解放された緩くて平穏な空気だ。
「ぁ、ハイ。水曜朝は出勤して、昼過ぎには事務所出て前泊します。木金と研修で、後泊して週末に帰ってきます」
生ビールをくいっとひと口飲み込んで、俺は少し肩をすくめた。
高架下にひしめく古い飲み屋街の中、この店の天井は低く、俺にはいささか窮屈だった。
季節は冬。
「そうか、ほな来週ほとんどおらんのか。まぁもう年内は挨拶まわりしかせんやろ、ゆっくり休んで来いや」
研修に行くというのにひどく呑気なこの言いぐさは例の気の良いオッチャン、山田さんだ。例によって今、俺はまた山田さんと立ち飲みに来ている。今日は串カツだ。
「週末はしっかり向こうで呆けて(ほうけて)来るんかいな?」
シシトウの串を口に放り込みながら言う山田さん。
「いや。金曜夜帰って来るんは面倒なんで後泊しますけど、別にやることもないんで土曜にのんびり昼バスで帰って来ようと思ってます」
少し語弊がある。
土曜にのんびり、の前には、本当は「茜に会えなかったら」が付く。もちろん俺はそれを心の中でひとり飲み込んだ。
研修中は研修センター(通称センター)に缶詰めなので動けない。だから、前泊の水曜に東京に着き次第茜に会いに行く。もしその時彼女に会えて且つ向こうの都合が良ければ、土日いずれかに改めて会ってから帰りたい(だから後泊するともいう)。
例え日曜の夜しか空いてないと言われたって、追加でもう二泊して月曜の始発新幹線で帰ってきてそのまま出社したっていい。
茜にこの機会に会えるなら俺は、例えどれだけ出費がかさんだって時間を費やしたって、何でもするつもりでいる。
「昼バス?お前そんなんでケチって、経費浮かせて懐潤わそうとすんなやー」
ツッコミよろしく、山田さんは俺の右腕をバシンとひと叩きした。少し酒が入っているからか若干痛い。
確かに、新幹線の半額程度の昼バス(昼間運行の長距離バス)と聞くとそう思うのは至極当然だ。研修の旅費は新幹線での往復分会社持ちなのだから。
だが重ねて言おう。
俺は今回、カネに糸目をつけるつもりはない。
そもそも無趣味(に等しい読書の時間をなかなかとれない趣味読書)の俺の懐は、基本的にいつでも潤っている。
「まぁそうなんスけどね。昼バスって昔から好きなんですよ、あの無駄な時間が」
昼バスは夜行バスの昼間版。夜行バスは自分の睡眠の間に長距離移動ができるのでなかなかに効率的だろうが、昼バスはそうはいかない。
昼間の活動時間のほとんどをバスの中で過ごすので、夜行バスのように効率的とは言い難い。金さえあれば、やれ新幹線やれ飛行機と昼間に割く(さく)移動時間は短いにこしたことはないだろう。だが休日に基本的に予定がない俺は、研修の際には昼バスを好んで利用する。
そして何度でも言うが、無論、彼女ナシ(ほぼ無趣味に等しい)趣味読書の社会人なので金が無いわけでは決してない。
「そゆ無駄なことに時間を使うって、贅沢やと思いませんか?」
俺は頭をかきながら緩く笑った。照れ笑いするような場面かよく分からなかったが、仕事では見せない自分の価値観を話すことが少し気恥ずかしかった。
「お前、なかなかオモロいこと言うなぁ」
山田さんはひどく上機嫌にウンウンと頷いて、残りのビールを思い切り良く飲み干した。俺はすかさず、右手奥の厨房の店員に向かって追加のビールを頼んだ。
厨房では絶えず串を揚げる音がしているが、ガヤガヤ賑やかな店内では全く気にならなかった。
ドアのない入口直ぐ脇のテーブルを陣取った俺のポジションは、この時期になると結構寒い。俺はコートも脱がずの出で立ちで居た。
「学生ん時なんかは全く考えてなかったですけど、アレまじ良いっすよ。あんなに長い時間ボーっとするなんて、普通に生活してたら有り得ないやないですか」
酒が入ると、俺は口数が増える。社会人になってからだんだん口数が減っただけで、本来の俺は賑やかな人間なのだ。
正にいつか直哉が言った、「イケイケドンドン」である。なにせ昔の俺は、自信の塊だったんだから。
「まぁ確かにな。休みの日は1日趣味かチビの相手やからな、俺は」
そう言いながら、山田さんは携帯を開いた。確か待ち受けは、大きなデジタル時計の向こうに三人の娘さんが居た気がする。ザ、子煩悩パパである。
「俺も学生の頃はそないのんびりしてたんやったんかなぁ」
昔過ぎて覚えてへんわ、と口の中でボヤきながら、山田さんは携帯を握った左手をそのまま腰にあてて小さく背伸びをした。サラリーマンでごった返す狭い店内では、その程度の身じろぎが限界である。
「そういや哲平、いい加減彼女はできんのか」
どういえばそう繋がる。
山田さんは毎度必ず俺の色恋沙汰をこうして持ち出すわけだが、俺の回答はいつも変わり映えしない。俺のココロにはすっかり茜が住み着いてしまって久しいわけだが、そんな今日でも俺のセリフは同じだった。そもそも俺は、不確定なものを他人様に話すことなんてしない。
そういやそんなもの、アイツにしか話したことなかった。
「どっかからイイオンナ、降ってきませんかねー」
はぐらかす。
そんなもん降ってくるわけがない。
むしろ降ってこられても困る。
俺にはラピュタよろしくパズーほどの甲斐性はない。
俺は残っていたビールを一気に飲み干してから山田さんのジョッキを盗み見た。
さっき頼んだビールがまだ来ていないのを確認してから、奥の厨房に向かって自分の分の更なる追加注文のため声をはり上げた。




