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茜というひと

伊藤茜。

俺が高校時代キャプテンをしていたバスケ部のマネージャー。

マネージャーは学年をまたいで何人か居たが、茜は俺と同じ学年でふたり居たうちのひとりだった。

黒髪ストレートのロングで大きな猫目にぽってり厚い唇に通った鼻筋。当時出始めだった歌手そっくりの美人だった。おまけに身長もオンナにしては高い方で、180センチとデカい俺が首を傷めずに喋れる数少ないオンナだった。


例えて言うなら、茜は俺の脳みそ、ブレインだった。


緻密(ちみつ)さのカケラもなく勢いだけで突き進む俺のそれを補う相手であって、猪突猛進型の俺のブレーキ役でもあった。

大勢へ向けてのアナウンスが得意な俺に対して、茜はそれが苦手。表に出るのが俺なら、茜は必ず裏方に徹した。柔らかい物腰に人当たりも良く敵は作らないタイプだったが、先輩マネージャーに次いで唯一俺に対して物申せる相手だった(俺はデカい図体で威圧感があったのか、俺と対等にやり合えるマネージャーは少なかった)。


茜は美人でありながら、けど他のマネージャーよろしく部活に色恋沙汰を持ち込むことはなかった。

茜はいつも凛として、そこに立ってた。今思えばいつも俺の直ぐ隣に。


当時の俺はアタリが悪かったのか、俺の周りに来るオンナはいつだって俺の顔色を伺った。ゴマをすられる感じがいつだって気に食わなかったし、そんな彼女たちと何かを語り明かそうなんて考えたこともなかった。


男女の間に友情なんてない。

あるのは下心と書く恋心だけ。

それが当時の俺の定説だった。


けど茜は違った。


いつも同じ高さから物を言う茜は、誰よりも女性的な容姿ながらオトコみたいな潔さがあった。

男女差別する気は毛頭ないが、例えて言うなら情緒的なオンナというよりも論理的なオトコ、という形容の方がピンとくる、ある意味たくましいオンナだった。


茜となら俺は、男女の友情アリ派になれた。


直哉が「侍らせてた」と言ったように俺にはちょくちょく彼女と呼べるオンナがいたわけだが、茜は誰と比べても常に別次元に居た。

男女の友情とやらにかこつけて言うなら友だち以上恋人未満、性別なんて気にも留めない親友みたいな相手だった。


茜には絶対の信頼を置いていたし、多分向こうもそうだったと思う。


あんなに隣に居るのが当たり前だったのに。けど気付いたら、茜は俺の前から姿を消した。

部活を引退してからは、制服姿の彼女がいつも隣に居た。家の方角が一緒だった茜とは、一緒に帰路に就くのも日常だっのに。

受験勉強やら入試やら卒業やらにかこつけて、気付いたら疎遠になってた。俺はそれを特に気にすることもなく、大学進学という新しい道に進んだ。彼女は長く、俺のアタマから姿を消した。


彼女が俺の隣から居なくなった本当の理由なんて、考えもしなかった。




「デザイナーか…」


定時もとうに過ぎた夜。

俺は今日、正しくデスクの上に置き去りにされた提案書を右手でパラパラとめくりながらひとりごちた。

左手には顎と重心をしっかり預けて、人差し指でトントントントン…とリズムを刻む。貧乏揺すりの簡易板だ。


俺が座る営業の席が集まる島には、課長が大分前に退社したおかげでどことなくのんびりした空気が漂う。昼間の電話の音が鳴り止まない慌ただしい喧騒はなりを潜めて、誰かが打ち込むキーボードの音しか耳に入らないくらいだ。

だから俺の独り言も、文字に起こせるなら6ptくらいの小さな小さなものだった。チマ過ぎて目を細めながら読むような、けど確かに目に入る、そんな感じ。


俺は席を立った。提案書と小銭と、事務所への再入室に必要な社員証をパソコンから引き抜いて事務所を出た。パソコンの画面はカードが抜かれたと同時にログイン画面に切り替わる。事務所の出入り口手前で非接触のICリーダーに社員証をかざすと、ピッという機械音と同時に出入り口の扉の鍵がカシャッと回った。

どいつもこいつも仕事が早くて羨ましい限りだぜ…。

今度は心の中でひとりごちて、少し重たい扉を引いて事務所を出た。


長く続くビルの共有スペースである通路のセンサー付照明が、突然現れた俺に反応して照度を上げた。ウェーブ式に照度を次々と上げていく照明に付き添われながら、少し通路を歩いて直ぐに広いエレベーターホールに向かって向きを変える。両側に4基ずつあるその間を突っ切って、更に奥の休憩室に向かう。

喫煙しない俺の休憩のお供は、専ら仕事の資料とビタミンC入り炭酸飲料と決まっている。ビンが茶色いアレだ。あの飲みきりサイズ感が堪らない。

休憩室に入って(俺歩幅で)4歩先の正面に2台あるうちの右側壁際の自販機に向き合う。

百円玉を一枚放り込み慣れた動作で目的のブツを手に入れると、左手窓際に設置された背の高いカウンターテーブルに資料をバッサと(乱暴に)置いた。

次いでコトッと丁寧に茶色いビンを置いてから、よっこいしょとスツールに腰を下ろした。

眼下には、地上19階から眺める街並み。

他にタワーオフィスビルが見当たらない住宅街や小規模オフィスビル街の中に佇むこのビルからの景色は、全体的に高さが低い。近くを流れる川に、街灯のオレンジがゆらゆらと揺らめいているのが小さく見える。静寂に包まれた夜のこの眺めが実は結構スキだった。

そんな至福の休憩に今日日の目を見なかった忌々しい提案書をお供として選抜したのは、これをどう処分するか考えるためだ。


(身長相応に)長い脚は器用に折りたたんで、革靴の底のわずかな凹凸をスツールの足掛けに引っ掛ける。両手の平は開いた股の間のスツールに置いて、結構な体重をかけて上半身をゆらゆらと前後に揺らした。

自分としては真一文字のつもりだった唇は、しっかり下唇を突き出している。

さながらいじけてふてくされるガキみたいだ。


「………」


手元の提案書に視線を移して、今日の商談を思い出す。

次回以降に、この哀れな提案書が役立つポイントはあるか(ふてくされてはいるがまだ800万は諦めていない)。なければ、コイツには可哀相だが破棄ということになる。


「………はぁ………」


マチがない細長いカウンターテーブルに突っ伏す。デカい身体を器用にコンパクトに納めるのは得意らしかった。それにしてもアタマが痛い。

思い出せば出すほどに自分がイケてなくて、ただでさえ疲れた身体が更に重たく感じた。

本気で800万が危うい。

ココは恥を偲んで課長を引っ張り出すか?いや、まだ提案段階で職制を出すのはマズい。クローズの切り札がなくなる。なら係長か、………

考えるのがイヤになってきた。


いつだって脳みそが外にあった俺は、やっぱり営業なんて向いてない。

俺は、ひとりじゃ何も出来ないヘタリーマンだ。


少し長めの前髪が絶妙だったバランスを崩して目の前に落ちてくる。

守りの装備をまたひとつ増やすためにも、髪は近いうちに切りに行かなきゃいけない。


「………」


まだ蓋の開いてない茶色いビンをくるくる回して弄ぶ。結露の雫が浮かんでは、指に触れて流れていく。まるで昼間のアイスコーヒーだ。


「そういやアイツ、昔からデザイナーになりたいって()うてたっけ」


じわじわと水が滲みだして来るみたいに思い出す。

バスケ三昧の日々には似つかわしくないあまりに唐突な彼女の告白に面食らった覚えがある。珍しく早く帰路に就けた、秋の真っ赤な夕焼けの日だった。

ふたりで長く伸びる影を背にして歩いてた。

影は俺らの間で一定の間隔を保ち続けて、わずかでも重なることはなかった。

そんな俺たちを山の端で眺める夕陽とにらめっこしながら、俺は汗くさいガッチガチ体育会系なバスケとは程遠い、自分には生涯縁遠そうな煌びやかな響きに感じてた。


「あの時なんて言うてたんやっけ………」


昼間のアイスコーヒーよろしく、今度は茶色いビンとにらめっこだ。身体は相変わらず突っ伏したままである。

26歳にもなった、180センチのデカいヤツがやる図ではない。端からみればかなり滑稽に違いない。今誰かが入って来たら、涼やかな失笑か怪しむ怪訝な視線を送られることウケアイだ。


「やっぱりおったか」


だが送られたのはそのどちらでもなかった。

現れたのは、隣の係の係長。立ち飲み大好きの、気の良いオッチャンだ。

上半身は少し恰幅よく見えるが、中年世代の中では一番カッコ良くスーツを着こなしている。

ズボンのサイズ感がイケてる。

身体を甘やかしてだらしなく見えるゆったりサイズでなく、かと言って20代の脚長スーツよろしくのピッチピチでもない。このスーツのチョイスは本人なんだろうか。奥さんかな。いや、娘さん…はまだそんなに大きくないはずだ。今度機会があったら訊いてみよう。

ともあれその足腰が絞まってカッコ良く見えるのは、趣味でロードレースに出るほどチャリをこぎ回してるかららしい。


「こんな時間にのんびりしてんねやったら、飲みに行くで」


オッチャンは気の良い丸顔をさらに嬉しそうに丸くしてニンマリ笑った。

「行くで」と言うあたり、コレは既に誘いじゃない。ぺーぺーの俺に拒否権はない。

上からの誘いを断ら(断れ)ないあたり、体育会系出身の悲しい(さが)とも言える。しかも提案書をガッツリ頭の下に敷いてジュースのビンを弄んでいた手前、逃げる口実は最早皆無だった。

図らずしてさっそく、「機会」が向こうからやってきたわけだ。正に鴨ネギ状態である。


「ぁ、ハイ…コレ飲んだら、直ぐ行きます」


コレ、はもちろん茶色いビン。

突然の上司の登場にガバッと上体を起こした俺を満足そうに見ながら、オッチャンはウンウン、と頷いてサッサと姿を消した。

オッチャンのこのサバサバしたところはキライじゃない。

むしろ強引さの中に若手への気遣いが十二分に感じられて、アニキ的存在として俺は懐いていた。

ついでに800万も(酒の)肴にして、オッチャンに景気良く笑い飛ばしてもらうことにしよう。オッチャンは若手の愚痴にもしっかり耳を傾けてくれる面倒見の良い、正に気の良いオッチャンなのだ。


「………」


茶色いビンをようやく開けると、ほんの少しぬるくなった中身の黄色い液体を味わうことなく一気に流し込む。これも昼間のアイスコーヒーみたいだ。

今日はなんだかせわしないらしい。


一気飲みしたビンをゴミ箱に投げ入れて、提案書をひっつかんだ。

ガシャン、とビンとアルミ缶だかが喧嘩して耳につく音を無視して休憩室を出た。


提案書の処遇は、結局決められなかった。





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