第一章/ep03
目を開けると、何故か緑髪の女性に膝枕をされていた。
瞳は綺麗なエメラルド。額には赤い色で何かの紋様が描かれており、その耳は一般的なそれと比べて尖っている。何処か人間離れした美貌に、僕は息をするのも忘れて見入ってしまった。
「目、覚めたですか?」
女性の澄んだ、どこかのんびりした雰囲気を漂わせる声が聞こえ、僕はハッと我に返った。
「すいません、ありがとうございます」
僕はそう言って立ち上がった。
それと同時に女性も立ち上がる。身長は彼女の方が拳一つ分程上にあった。
服装は一見簡易な貫頭衣のようだったが、よく見れば表面に複雑な幾何学模様が刻まれている。僕はその模様に見覚えがあった。
女性は貫頭衣の裾を軽く手で払う。
凝り固まった肩を解して、僕は周囲を見回す。辺り一面には先ほど崩したばかりの本が散らばっている。 図書館の機能で本が片付けられるのは一定範囲に人が居なくなってからだから、効果範囲から外れた場所の本だけはすでに片付いていた。
大量の本が僕らの周りだけ、無作為に散乱している様は何とも異様な光景だ。
僕は直様思考を分割し、魔法を発動。使うのは、先ほども使っていたサーチャーだ。
ばらばらになっていた本達は再び宙を舞い、まるで意思を持っているかのように動き出す。
僕がその本を適当な場所まで飛ばしてやると、本は唐突に姿を消した。図書館の機能で元の場所に戻ったのだ。
女性が感心したようなため息を吐いた。
「さっきも思いましたけど、やっぱりすごいですね〜。 独立した七つの魔法を同時に使うなんて、久々に見ましたよ〜」
「さすが、精霊様は格が違う。さっきはどうして隠れてたんです?」
僕が言うと、女性は数秒の間固まっていたが、やがてくすりと笑い声を上げた。
「あらあら、どうしてそう思うんですか〜?」
「濃厚な風の魔力。額には精霊の証たる霊刻。衣服に刻まれた現界の聖刻……。これだけのものを、ただの人間が持てるとは思えませんから。それに……」
図書館のあちこちには第一階層のカウンターに設置されているものと機能的に同じ事ができる端末が置かれている。僕は近くにあった水晶の埋め込まれた台座に寄り、その表面を軽くなぞった。ふ、と空中に光の板が浮かび、図書館の利用者数が表示される。その数は、1。
「確かにここにいるのに、図書館が認識していない。あなたが人知の及ばない精霊種からだとすると、全て合点がいく」
言うと、女性はぱちぱちと小さく手を叩いた。
「ご明察です、お見事。私の名前はノエルというです。
あなたのお名前もお聞きしてよろしいですか?」
「エリックといいます」
僕が軽く頭を下げると、ノエルさんは機嫌良さそうに頷いた。
「エリックさん、ですか。よろしくお願いしますね」
その後、僕らはしばらくの間談笑した。
僕はこの図書館で読んだ話のことを。ノエルさんは彼女自身が経験した昔の話を。
やがて大きなベルの音が鳴ると、僕は慌てて立ち上がった。
この学園の寮生は夕食の時間には寮に戻らなくてはならない。懐中時計を確認すると、時間はすでに夕刻。今のベルが丁度、夕食前の最後のベルだったようだ。今すぐ戻らないと、夕食を食いっぱぐれる。
「ええと、すいません。そろそろ時間ですので、僕はこれで」
「あー、確かにそろそろ遅いですね。私も戻らないと」
僕の懐中時計を覗き込み、ノエルさんが言った。
僕らは二人で図書館の入り口前に移動し、僕は自分の寮の前へ繋がる、ノエルさんは一般棟へ繋がる転移陣の前に向かうとのことだった。別れ際、僕はふと思い出してノエルさんに聞いた。
「そういえば、ノエルさんはどうしてここに? 見たところ契約者と思しき人はいないようですが……」
「ええ、まあ。この学園であの子を害せるような存在はいないでしょうし、他にも色々いますからね。丁度暇だったので散策がてら寄らせて貰ったんですよ。
今日は楽しかったです。また会う機会があれば、是非」
そう言って手を振ると、ノエルさんはふわりと消えた。遠くの方で転移陣が発動した光が見えたのでそこから帰ったのだろう。
僕は寮に続く転移陣の起動を見ながら、ノエルさんの言葉を反芻した。
『丁度暇だったので、散策がてらに寄らせて貰ったんですよ』
こういう考え方は学園の生徒の精霊にしては珍しい。
精霊を従えた生徒はこの学園にも何人か在籍しているが、その精霊はだいたい彼らに付き従うようにして近くに居るのが常識だからだ。
実際、ここアルガンツァーでは精霊は人に使役される存在だ。関係性は当然、契約者が上で、精霊が下。魔力を対価に精霊を従えるのは一部貴族のステータスになっていると聞いた事がある。
しかし、ノエルさんの言い分が正しいとするなら、彼女と契約者との関係は対等。そんな関係があるとすれば、それは……。
そこまで考えた僕は稲妻に打たれたような気がした。
「ヴィマニア、第六王女……」
僕は今まで話していたあの精霊がいったい、何者だったのだろうかと、今更ながら考えた。




