第二章/ep09
僕らが驚いていたのは、ほんの数瞬の間だっただろう。
しかし、それはアビスが僕らに攻撃を仕掛けるには十分すぎる程の時間だった。
「っぐ!」
ニヤリと笑ったアビスが一瞬で僕へと接近した。全身に凄まじい衝撃。
僕は、咄嗟に衝撃を受け流して受け身を取ると、すぐに体勢を整えた。
衝撃を受け流すのは、ヴィンセントさんと特訓していたかいがあったようで、殆どダメージは無い。どちらかといえば、先程アビスが僕の胸を貫いた時の消耗の方がキツイ位だ。
結構距離が空いたので、僕は傷の深さを測ろうと胸に手をやる。
しかし、そこには何の傷も無かった。
「これは……」
わけのわからない現象に疑問が湧き出すが、今はそれどころでは無いことを思い返す。僕は慌ててミスリルソードを構えようとして、右手にある筈のそれがない事に気が付いた。
驚いてアビスを見ると、僕のミスリルソードは彼の左手に納まっていた。
「また、さっきみたいな事になるのは面倒なんでね。 これは、破壊させてもらう。 『イロウション』」
膨大な闇の魔力によって浸食されたミスリルソードの刀身に罅が入る。
ミスリルは、その強力な魔力親和性故に侵食系の魔法に弱い。
対魔力加工を施さなければ、即座に崩壊してしまうだろう。
僕は咄嗟に腰のピックを三本抜き取り投擲する。
更に僕は思考を分割して魔力を圧縮し、七つ程打ち出した。
「『ダークネスショット』!」
「どうした!その程度の攻撃が効くか!」
アビスは、肘の辺りまでを黒い金属で覆われた両手を軽く振るうだけで魔力弾を全て弾いた。
硬質な金属音が響く。
僕は、その音の響き方から黒尽くめが両手に装着している鉤爪の材質、硬度を測る。
「硬度は、ダマスカス鋼クラス。魔力耐性は、ミスリル以上……。
当て嵌まる性質を持っているのは、劣化アダマンタイト、超硬質ミスリル、風化オリハルコン、レアメタルドラゴンの鱗、極圧縮魔力石。
色から判断するに、極圧縮魔力石かレアメタルドラゴンの鱗……。
入手難度から考えて、極圧縮魔力石か!」
極圧縮魔力石というのは、魔力を圧縮していくと物質化する、という性質を用いた魔力石という鉱石の一種で、加工は困難を極める。
通常の粗製魔力石すら作るのに苦労するのに、それを更に圧縮するのだから、その難易度は推して知るべし、である。
レアメタルドラゴンというのは、火山帯に棲息する竜種の一種であり、天然の溶鉱炉と化している巣に金属を持ち帰り、粉末状に砕いて全身をコーティングするという稀有な性質を持ったドラゴンの事だ。
その鱗は、人間では殆ど再現不可能な合金と化し、歳を重ねた個体の物程堅牢な鱗となる。
その討伐難易度から殆ど出回らない希少品でもある。
よって、こちらは除外しても構わない。
それを聞いたアビスが、にやりと笑った。
「さあ、どうだろうなぁ!『ダーク・エクスプロージョン』!」
「『コネクト』、『リーク』……」
アビスが放とうとした闇属性爆発魔法を、爆発設定点に魔法を割り込ませる事でなんとかキャンセルする。
爆発魔法のメカニズムは、空間内の魔力を圧縮して破裂させるのが一般的だ。 つまり、魔力的に密閉された空間を作らなくてはならない。
僕は、密閉された空間と別の空間を繋ぎ、圧縮されかけていた魔力を漏出させる事によって爆発の現象を不発にする。
別にキャンセルするだけならば空間接続だけでも良かったが、今は戦闘中。 折角集めてくれた魔力を使わない手は無い。
それを見計らい、アビスの左右からケイとユウが接近する。
「『ダークネス、ジャベリン』」
僕はタイミングを計ってダークネスショットの上位互換に当たる闇の長槍を一息で投擲する。
「ちぃ!」
左右をケイ達に囲まれた上で僕の長槍を避けようとしたアビスが、予定通り上空へと跳ぶ。
「頼んだ、リック!」
「おおお!『ブリッツクリーク』ゥゥゥゥ!」
跳んだアビスの背後へと一瞬で迫ったリックが、両手の剣で奴を切り裂く。
そして、それによって怯んだアビスに、ユウが追い打ちと言わんばかりにナイフの刃を投擲し、レティさんもパニッシャーを撃つ。
だが、アビスもこんなに簡単にやられはしないようで、魔力で足場を作ると更に上方へと跳ぶ事で回避した。
アビスが、そのまま空中で静止する。
僕は大きく息を吸い込み、ポーチの中からスライムの核晶を一つ取り出して齧った。
ほんの少しだが、体力が回復する。
僕はダガーを構えて、上空から見下ろすアビスを睨み付ける。
丁度そのタイミングで、結界の端に罅が入った。
時間的にも冒険者ギルドの増援だろう。
武装した人間が、十数人入って来る。
「先行の!無事か!?」
「なんとか、負傷者はいません!」
レティさんが、パニッシャーを構えながら後ろの方から現れたリーダーと思しき金髪の男に答える。
僕は素早くレティさんの後ろに移動すると、後発隊のリーダーに状況を大雑把に纏めてから伝えた。
その間にもアビスが魔法を打とうとするが、話している時間はリック達が稼いでくれている。
「……現状の報告は以上です」
「了解した。 エルザ、トーマス君を運んでくれ。
他の者は全員で悪魔憑きを叩く!」
金髪さんの言葉に、入って来た人達が応、と返し各々の得物を構える。
金髪さんの周囲に、凄い量の魔力が放出された。
僕がその奔流に気圧されているのを尻目に、金髪さんはそれを一気に解き放ちリックと鍔迫り合っているアビスに肉薄……できなかった。
「が……ふっ……」
金髪さんの胸部から、黒く染まった腕が生えたのだ。
金髪さんは、力無くその場に崩れ落ちた。
「ありえないなぁ……。 敵を一人だけだ、みたいな勘違いをするなんて。 五百年前からちっとも変わらないどころか、退化してるんじゃない?」
声の主は、金髪さんの背後に立っていた。
初めに見えたのは、特徴的な烏のような翼。
そして、次いで見えたのは、黒い髪と爬虫類のような紅い瞳。
男が、ゆったりとした声で言葉を放つ。
「『平伏せ』」
それと同時に、今まで感知した事の無い濃度を持った魔力が放出される。
僕は咄嗟に後ろに飛ぶ事で回避に成功したが、隊長格であった金髪さんを中心に広がっていた増援の人達はもろに喰らったらしく、何か重い物に押し潰されるようにして地面へ倒れこんだ。
全員、立ち上がる事ができないようだ。
見た事のない超常現象。 様々な予測を立てるが、どれも状況に合致しない。
「さぁて、今は外したけど、次は外さないよ?『平伏せ』」
再び魔力が放たれたのと同時に、僕は頭上の空間に違和感を覚えた。
僕は即座にその違和感から逃れるように後方へ跳ぶ。
僕の目の前を、上から下に向けて何かが通過した。
そこまできてようやく、僕はその事に気が付いた。
これは、超常現象でも何でもなく、僕らの良く知る『魔法』による現象に他ならない。
目を凝らして見ると、倒れた人達の背中の空間が若干歪んでいるのが解った。
「重力魔法……。 失伝した筈の魔法が、何で」
「ありゃ、ばれちゃった。 おかしいな、今の時代にコレを理解できるような奴は居ないと思ってたのに」
興味深いなぁ、と男が愉快そうに笑った。
重力魔法は、僕が概念を理解できなかった魔法の一つだ。
拘束系の魔法に付随させる形で重力場を形成し、より強力な拘束を実現する魔法は普通にあるのだが、それはあくまで対象に掛かる重力を増減させるだけ。こちらは加重魔法という風に別のジャンルとなっている。
また、重力魔法と言う物には、魔力により構成された物に付与する形でしか対象に効果を及ぼせない加重魔法と違ってそう言った制限が殆ど無い。 物質・非物質を問わず、あらゆる対象に干渉できる。
しかし、彼のように重力そのものを操作し、対象に干渉する魔法は失伝している筈である。
僕が読んだ本でも、概念にのみ触れられていたが理論までは載っていなかった。
僕は集中力を高めて、アビスと男の両方に気を配りながら、すぐに動ける状態にしておく。
「まあ、解った所で範囲を広げれば……」
男は、そう言った直後にその場を飛び退く。
すると、次の瞬間にはその場所が砕け散っていた。土煙が舞う。
それから数秒遅れで、何かがすごい勢いで飛来したのだと気付いた。
その飛来物は、最近毎日見ていた物……というより、人だった。
土煙が晴れると、銀色に輝く剣を携え、その顔に憤怒の形相を浮かべたヴィンセントさんが立っていた。
「アルヴァンティ・ロックベルト……久し振りだな!」
「おいおい、騎士団長。 何であんたがこの時代に」
「黙れ!貴様に殺された我が君、同僚、民草の恨み!思い知れ!
『我が身に力を』!」
特殊な言語で構成された文の一文節からなる魔法。
古代神聖魔法と呼ばれる形式の魔法だ。
聞きなれない、古代神聖言語でその『呪文』を唱えたヴィンセントさんの体を、金色の魔力が覆った。
僕がヴィンセントさんが魔法を使うのを見るのは、これが始めてだった。
「ちっ!君が相手ってのは分が悪い。勝つのに時間が掛かってしまう」
「それは、ヴィンセント単独の場合よね?」
苦い顔をして言った男の横から、圧縮された魔力弾が飛来した。
「裏に誰か居ると思って警戒しておいて正解だったわ。まさか、アルヴァンティ・ロックベルト……いえ、貪欲のアヴァルス。貴方のような大物が釣れるとは思わなかったけど。
貴方が今回の元凶というのなら、優先すべきは貴方の排除よね?
エリックさん、貴方はアビスの方をお願い。 頼んだわ」
「解りました!」
先程までアビスと睨み合っていたレティさんが、パニッシャーを携え此方に歩いてくる。
僕は、レティさんの言葉に素早く返事をし、みんなと合流するべく移動する。
男は、軽く舌打ちすると、何処からか杖を取り出し、構えた。
先端に複数のリングが付いている、妙な形の杖だ。
男……アヴァルスがその杖で地面を突くと、しゃらん、という透き通った、しかしながら背筋が凍るようなおぞましい魔力が篭った音が響いた。
「肉弾戦はあまり得意では無いんだけど……仕方が無いね」
アヴァルスが疲れたように言う。
「君達から得られる事は無いに等しいだろうけど、無謀な弱者に現実という物を教えるのも強者の仕事、だよね。
さあ、この六百年で君達がどう成長したのか、見せておくれよ」
アヴァルスが、その言葉とともにもう一度杖を打ち鳴らす。
それが合図となり、僕らの、この事件における最終決戦が幕を開けた。




