第一話 白真珠の間
第一話 白真珠の間
「それでは褒美をとらそう――」
――ハッ!?
「……、そちは何を望むのじゃ?」
悪魔のように暗い海の底から、一気に浮遊する様な感覚に、突如として意識が明瞭になる。今の今まで何をしていたのかまるで判らなく、それどころか自分が何者であるのか思いだせない。明瞭になったはずの意識が、不安と混迷で再び混沌としてしまう。
「…………わたしは、いったい……」
「そちは死んだのじゃ」
「――――はぁっ!?」
「……それはもうよい」
気づいたら、目の間に一人の老人がいた。
中世ヨーロッパの王侯貴族が好みそうな絢爛豪華な椅子に悠然と座り。ギリシャ神話で月桂冠と呼ばれる冠によってその白銀の頭を飾り。床まで届く程長く伸びた黄金の髭をたずさえた、大柄な白人――。
その神様の様な容貌をした老人が、「おまえは死んだ」と言っている。
(――わけが分からないっ!?)
そうして、体感時間にして十分ほど頭の中でぐちゃぐちゃと考えていると、
「…………自分の身体を見てみるがいい」
と、ご老人が、いい加減に草臥れたと言わんばかりに投げやりな態度で言った。
「自分の身体を見ろなんて言われたって……」
「………………んっ」チラっ。
仕様もなしに老人の言われた通りに手を前にかざし見た。
「えっ!?」
「…………す、透け、て……る」
眼前にかざした手のひらが、薄く煌めき。
映画のスクリーンの様に、目の前の老人の体躯を写していた――。
「は……、うそ……。わた、し……死んだ、の?」
そう言って驚愕するわたしの手のひらには、今まで暗然とした様でニコリともしていなかった老人が浮かべる、いたずらが成功した悪ガキのような様なしたり顔が写っていた。
「…………かかっ! だから言ったじゃろ?」
「…………え、
えええええええええええええええっっっ!!!」
//・・・・・・//
「かかっ! これだから若い人間をからかうのは辞められんのぉ!ふぉ、ふぉっ」
「……あれ、わたし……ホントに、……死んじゃったの? …………なんでそんなことに。…………まだXXもしてないのに…………、△△△だって……いつかは………」ブツブツ。
「これこれ、いつまでウジウジしとるのじゃ。死んだものは仕方ないじゃろ?」
「いやまて……? これが夢だとしたら何の問題もないじゃないか!? そうだ、これは単なる白昼夢で…………!!」
ゴツンッ。
「あいたっ!?」
突然頭を襲った鈍痛に外聞もなく悲鳴を上げてしまう。
痛む頭部を擦りながら顔をあげると、老人が先程はなかった、これまた絢爛豪華な装飾を施された黄金の剣を持って佇んでいた。
「往生際の悪いヤツよのう。この剣は本来こんな使い方はしとらんのじゃぞ?」
そう言って、いかにも重そうな黄金の剣を軽々と持ち上げる老人。
「……すみません
…………って!? それでぶったんですか!? ひどいっ!?」
「はははっ、すまんすまん。そうじゃな……なら」
そう言って、豪快に笑う老人の表情は全く悪びれてない。それと、同時にこの老人は良くも悪くも豪放磊落なのだと知る。
だから、
「褒美をとらそう」
そんな老人がいきなり真面目な口調で語り始めたので面食らってしまう。
「そちの死因は飛行機事故。事故原因は典型的なバードストライクじゃな。普段からよく整備された船に腕のよい操縦士だったから、機体が半損という大事故にもかかわらず、被害は少ない」
「…………」
「しかし、運悪く救命具がダメになり一つ足りなくなってしまう。しかも、そのダメになった救命具を使うはずじゃった者が妊婦じゃった。周りの乗客は自分が助かるために必死で彼女を助けようとはしなかった。しかし、そちはそのような状況の中でも周りを気遣い励まし、更には自分の救命具を妊婦に譲ってしまう」
「結果、機体が海上に不時着し、救命具を着ていた乗客は全員無事。ただ一人救命具を着てなかったそちと機長、ただ二人が太平洋のド真ん中に沈んでいったというわけじゃな」
老人がつらつらとわたしの死因を語っている。
彼の言葉を聞いていると、わたしの脳裏に鮮明な映像が写った。
海外での仕事が無事に終わり、日本の実家に帰る途中の飛行機の中、突然の爆発音。機長のアナウンスに飛び交う怒号と悲鳴。青い顔をしているキャビンアテンダント。
その映像のすべては、わたしが経験した紛れも無い現実だった。
「…………あ」
「そちがそのときにとった行動は紛れもない英雄行為じゃ。生命の極限状態において、助かるはずの自分の命を投げ出して弱き者を救う」
老人は慈しむ様に語りかける。
「それだけが理由ではないがのう。じゃから、そちに褒美をとらそうと、言ったのじゃ」
「本来なら、離宮にある政務官の元に向かう魂を、この白真珠の間に呼び寄せるのは実に数百年ぶりじゃよ」
//・・・・・・//
「そうか、わたしは死んだんですね……」
改めて思い出す。機体が半分以上吹き飛んだあの状況で、わたしは極寒の海の底に沈んでいったのだ。
「そうじゃ、そうじゃ。ようやっと認めおったわ」
人間は素直が肝心じゃぞ、と老人は笑う。
「うむ。改めて言うぞ。そちには異世界に転生してもらう」
へっ!?
「ちょっ……、なんですかそれっ!? 異世界転生って小説じゃないんだから!!」
「ふむ、転生ぼ~なすもつけるぞい?」
「ぼ~なすって言われても……」
「今ならもてもて特典もつくぞい?」
もてもて。
その言葉に心が疼く。
生きてる時は、女性と付き合ったことは一回もなかった。ほとんど女性としか付き合わない職業のくせに、仲良くなるどまりで恋愛関係の相談はよくされていたが、恋愛対象になったことは一度も無かった。恥ずかしながら、37歳で未だ童○でした。
「え、えとっ、生まれ変わっても、いいかな~。もう、死んじゃったし。というか、死んだらすることないしね」
そんな、欲望丸出しのわたしの態度も気にした様子でもなく老人は言う。
「よいよい。は~れむは男のろまんじゃしな」
「…………うぅ」
自分の願望をはっきりと言葉で聞くと、浅ましいきがして恥ずかしくなってしまう。
でも、この神様っぽい老人の言うことが本当なら今のわたしは引き下がるわけには行かない。37年間生きてきて、女性と付き合うこともなく死んだ。告白しても玉砕し続けたあの不名誉は来世で雪げばいいのだ。
「え~、うほぉん。それで、そのぼ~なすと言うのはどれぐらいの特典なのですかねっ」
欲望をごましてすように丁寧な口調で喋るわたし。
「ほっほ。語調がごまかしきれてないぞい。 ……ん~、そうじゃな。まず貴族にしてやる。あと、前世の記憶と技術の継承じゃな。容姿はかなり期待してよいぞ? 家庭にも恵まれるようにしよう。あとはそうじゃな~、……そうじゃそうじゃ、これははずせんな」
「ドキドキっ」
「男の娘にしてやる。極上のな」
ありえない言葉を聞いた。
千の黄金を鉛に変えてしまう、悪魔の劇物。
そう、男の娘。
生前わたしが持っていた属性の一つ。
物語の世界では、立派な主人公属性なのだが、現実でそれを冠すると言うことは生涯消えぬ枷をはめるようなもの。わたしがもっていたもう一つの属性と掛けあわせるとさらに洒落にならない。しかも、先程いっていたのだ、前世の記憶と技術を引き継ぐと――。
「え゛っ!? ちょっ、……それじゃ今と変わんなっ……」
神じーさま(もはや疑いはない)に抗議しようと声を荒げた瞬間、白真珠の間と呼ばれていた部屋の底がズっと抜けたみたいになり、身体が床を透化して落ちていった。
「うわわああああぁぁぁっっっっっ!!?」
そんな非現実的な状況の中、一仕事終えたような満足気な声がぼそっと聞こえた。
「ふむ。せいぜい頑張るのじゃぞ、月詠 瑛歌よ」
「おおおぉぉぉぼぉぉぉえぇぇて、うわわぁあああああぁぁ、…………」
人生で経験する二度目の自由落下状態で、意識が遠ざかるまでわたしは叫び続けた。
第一話了。
二話投稿です。