暴力的な最期
自分も転生もの書きたいなー、ということで書いてみました。も、もう一つの連載も、もう少ししたら書くよ! 載せるよ!? と思いつつ……何事も我慢しちゃ、上手く進めませんからね。うん、発散ですよ。
一話目は残酷描写、R-15と思われる描写があります。(たぶん)数話後には触れますので、なんでしたら飛ばしてください。
ぽちゃん。
天井から落ちてきた水滴が水面に落ちて、一瞬だけ王冠の形になって消えていく。別の大きい水滴が、頭上で一つくくりにした髪の中まで染み渡って、私は一つため息をついた。どうせ裸なのだから、そんなところに落ちなくてもいいのに、と誰にともなく思ってみる。
(気づいたなら、私がやればいいのか)
体育座りの姿勢から足を伸ばす。たっぷりと張っているお湯が動きにつられてお風呂の壁にぶつかる。行って帰ってきた波が鎖骨あたりまで打ち寄せるのを感じながら、ぼうっと上を見上げた。視界は比較的良好だけど、ちょっとだけ感覚はあやふやだった。
床付近は暖かく、そして天井付近は寒い冬場、長時間に渡って保温していると、入浴中に結露した水滴が落ちてくる。たぶん乾きが遅いのも関係しているのだろう。それを防ぐための掃除は、共働きの夫婦と大学とバイトの二足草鞋で忙しい大学生の娘では、どうしても後手に回ってしまう。実際にこの一週間と少しは、結露しているにもかかわらず、誰もどうもしない。もしかすると両親が何かしているのかもしれないけど、お風呂の状況は相変わらずだった。
(週末はバイトが入っているけど、今週あたりに吸収率のいいスポンジで掃除をしよう。あと、換気扇だけでは不十分なうようだし、扉も開けておいたほうがいいな)
予定を考えて、目を閉じる。身体も洗い終えてただ浸るだけの時間は、体温が半分融けているようだ。熱いと感じる神経はあって、喉も確実に渇いていく。だけど外の音が遮断された空間は、自室よりもよほど完璧に孤立化させていた。どこか虚しさを内包しながらも、優しい陶酔。攻撃性を削ぐために、また身体を丸めて、結露の落ちる音を聞いた。俯いて顎に触れた水の温度は、やっぱりよくわからない。
それが、ひどく居心地がいい。
ほふっと吐いた息が水面を揺らして膝頭に当たる。それがこそばくて、体育座りをといて勢いよく立ち上がった。これ以上は頭がぼうっとするどころではないからだ。
「……? お母、さん?」
荒々しく洗面所の扉が開く。普通の家庭と同じく、洗面所とお風呂を隔てる擦りガラスの戸越に、黒い人影が見えた。その人影も洗面所の扉を閉めることはせずに、こちらに向かってくる。無言で、黒い塊として。
「こんばん、は」
「! ひゅぅ」
戸が開く。黒いパーカーがまず目に入って、次いで異様な表情が網膜に焼きつく。顔全体は小さいのに大きな目が、らんらんと輝いていた。瞳孔が開いているようにも見える黒々とした瞳が、嬉しそうに細くなる。口裂け女をほうふつとさせるほど釣りあがった口の端には、血がついていた。
いや、男の顔形以前に、男の黒いパーカーにも、その中に着ている青いプリントシャツにも、そして顔にも、赤い血がべっとりとついていた。どこからか調達して、それを塗りたくったかのように。一番ひどい状態の右手には、万能包丁より少し大きめの包丁を握っていた。こっちに狙いを定めて。
場違いな銀色が、網膜をまた焼く。動けなくする。何があったのかを脳がはじき出す。気持ち悪い。吸い込んだ空気が苦しい。逃げたい。死にたくない。
(お母さん、お父さん)
泣き出しかけた私を、男が引っ張った。浴槽の中にいたために足が引っかかって仰向けになって床に転がった。
頭がぶつかり、背中が衝撃にしなる。どこもかしこも鈍い音がして、浴槽の縁にぶつかったらしいふくらはぎが痛みを追い上げる。骨が痛い。茹で上がりそうだった頭がふらついて、恐怖も溢れてくる。痛い!
「君も殺さないと、僕を殺しにくるんだろ? さっきのやつらもそうだったけど、みんな僕をいじめる。だから殺さないと、殺られる前に殺らないといけないんだ。わかるよね? 君も僕を見て『殺そう』って思っちゃったんだから、僕が殺したって正当防衛だよね? ねえ、そこの風呂に僕をつっこんで殺そうと思った? みんな僕を殺そうとする! 僕の隙をいつも狙ってる――――卑怯者!」
わけのわからないことを言う男が、私に馬乗りになって両手で包丁を掲げた。手で止めるのも恐ろしくて、ただ見ているだけだった刃が、白っぽい軌跡を残して視界から消えていく。薄皮をやすやすと裂いて、縦ではなく横に入った刀身が肋骨を掠める。
「ああぁぁぁ――――!」
鳩尾に入った刃が冷たいのに熱い。ズブ、ジュチュ、と臓器が濡れた音を立てて喘いでいる。痛い。頭も痛いのに、身体が、肺が、心臓が痛い。苦しい。
「卑怯者が! 僕を殺そうとするから、こうなるんだ!!」
刃が体内から出て行って、少し離れたところにまた埋まる。骨がガリガリと音を立て、内臓を突き刺していく。濡れた音を立てて、血がもれていく。涙がいくらも出て、痛みを緩和するために横を向いた口元から涎がたれて落ちる。
同じ場所を、違う場所を、ぬるついた刃が襲う。耳の中が痛みと音で埋まる。
ズチュ、ブズ、ジュズ、ガリ、ガリ、ジュゥ、ズチュ、ブジュ……ズチュ、ズチュ、ズチュ、ズチュ
「ああ、そう、だ。抵抗しないようにしないと、ねえ。殺され、ちゃう」
頭が割れるほどに痛い。酸欠なのか。わからないけど、男は傷口に直接手で触れながら、そう言った。かすれた笑い声も聞こえる。けれど、遠い。全身の痛みに比べたら、いくらも、遠い。
「!! ぁ、ぁぁ、ぁぁぁぁ!」
ゴリゴリ! とひときわ耳障りな音を立てて、骨に刃が入る。折れてはいなかった。身体の傷に比べると、腕の傷は浅かった。
だけど切られた筋肉が、両腕を使い物にならなくする。抵抗も、できなくなる。
死ぬしか、なくなる。
そう思った私の顔を、男がのぞいたようだった。涙の膜でか、顔は判別できない。恐ろしくて、それはそれでいい。男もそれ以上はしないつもりなのか、包丁を置く音が聞こえた。
それにしても、頭が痛い。
男は私の顎を撫ぜて、首から胸へと手を滑らせる。男の片手が胸をつかみ、鎖骨付近に鼻を近づけたのが、感覚でわかった。もう片方の手は、胸ではなく全身をまさぐっている。水滴よりも湿っぽい感触が、血まみれの身体を這いずり回る。徐々に狭まっていく視界と別に、触覚と聴覚は割りと機能していた。
痛みとは違うものに侵されながら、その触覚も徐々に鈍くなっていく。男が口にしたくもない場所を舐める感覚が遠のき、ズゥ、という音がかろうじて聞こえる程度になった時。
指一つ満足に動かせない身体を使って、まぶたを閉じた。
真っ暗闇を、追いかけるものはいなかった。
そのことにだけ、安心して。