第八章
戦いは長期戦となった、
敵軍は我が軍の数倍とも、十数倍とも言われた、
事実、私が戦う敵も倒しても倒しても限が無い…
なんとかこの地は守り切っているとは言え…このままでは…
現在は互いに塹壕を掘り合い、知恵比べの様相をていしてきた、
塹壕を地下から攻めようと掘ると気付き、埋める、
敵が井蘭(移動式高み台みたいなもの)を作れば、我が軍は参謀の劉曄殿が霹靂車(巨大投石器、霹靂[ヘキレキ]は雷の意味)と呼ばれる兵器を作り、対抗する、
と、言った具合に時ばかりが過ぎ去って行った、
この膠着状況を打ち破ったのは敵の許攸と言う参謀、
この参謀は画期的な兵器を発明したわけでは無い、
状況を打開できる策を袁紹に献策したわけでは無い、
ただ、我が軍に降伏して来た、
そうして、一つの策を曹操様に示した、
大軍を動かす際の一番のネックは…兵糧、
そして、袁紹軍は兵糧を烏巣と言う地に集積し、淳于瓊と言う将を配置しているらしい、
この淳于瓊と言う将、
この将は過去には曹操様や袁紹と同じ西園八校尉と言う皇帝の力を高める為、黄巾賊討伐で功を上げたものを集め、新設された近衛軍に選ばれている、
ただし、烏巣の防御は不完全で兵は多くはない模様だ、
勝機、
すぐに曹操様は夜襲を計画された、
この判断の冷静で素早い計画、実行、他の君主には真似出来まい…
そして実行の日、
曹操様は自ら少数の兵を率い烏巣を急襲し、淳于瓊は善戦虚しく楽進と言う将に捕らえられた、
また、返す刀で援軍の将、蒋奇をも斬り悠々と帰還なされた、
無論袁紹も手を拱いて見ていたわけでは無い、
袁紹は高覧と張コウと言う将を差し向けて来た、
共に名将で名をしられた将で、顔良、文醜がいない今、袁紹軍最強と言っても良いのではないだろうか、
敵軍の攻撃は苛烈だった、
だがこれは想定済みの攻撃、充分の備えをし、大多数の兵を残している、
守り切れないはずはない、
やがて、敵兵の攻撃も衰え始め、降伏した、
その裏には敵参謀郭図の讒言があったという、
とにかく、我が軍はその後も攻撃を加え、敵は壊滅状態になり、袁紹は僅か800騎に守られ引いて行ったという、
最初は数十万兵があったと言うのに…
そして淳于瓊は曹操様の前に鼻を削がれ引き出された
曹操様が
どうしてこうなったのだ、
と聞くと
勝敗は天の定め、どうして聞くことがあろうか
と答えた
曹操様は降伏させたがったらしいが許攸が
淳于瓊は鏡を見る度に憎悪が増すだろう、
と進言したため結局処刑された、
こうして、官渡の戦いは幕を降ろした、
だが、まだ袁紹は諦めないようだ、
なんとまた数十万の兵を率い、進軍し、黎陽と言う地で対峙したが…
鎧袖一触、我らが参謀、程イク殿の策、十面埋伏の計で敗退し、心労も重なり袁紹は病死した、
その後も袁紹が息子、袁譚、袁尚らが戦を挑むも後継者争いの隙をつき、あっという間に北は占領された、
袁紹の息子たちも遼東太守の公孫康の元に逃げたが、やがて公孫康は袁紹の息子たちの首を送ってきた、
ここに袁紹は滅び、北は我らがものになった、
これで、ゆうに天下の半分を得た、
また、私も功を認められ、偏将軍に任命された、
次に狙うは南の荊州の劉表、そして南東、江東の孫堅が息子で、孫策の弟、孫権の地だ、