第五章
曹操様は戦の傷を癒すと共にほかの群雄が誰ひとりとして行っていないあることを始められた、
屯田(兵に田畑を作らせる)だ、
戦になると戦があった場所は荒れる、
それは戦の直接の被害だけでは無く、軍司令官の多くは略奪をするからだ、
兵糧が減った場合の略奪は常識と化していた、
しかし、略奪は安定して兵糧は得られないし、住民の怨みもかう、
それに、平時も大量の兵を無駄なく活用が出来る、
この時我が軍はほかの群雄の一歩先を歩いていたと言っても過言では無いように思える、
戦の傷も癒え始め、献帝様を迎え入れ安定し始めた我々は、南の張繍を討伐することとなった、
近々、北の袁紹と戦になることは明白で、挟撃は避けねばならない、
張繍は名参謀、賈クを擁し劉表の支援を受けていた、
強敵だ、
曹操様はまず徐州の呂布に官職を授け手なずけておいて、張繍の討伐に向かった、
難敵と思われた張繍討伐戦はさほど苦労せずに終焉を迎えた、
張繍軍は降伏した、
張繍は元々戦う気が薄かったのでは無いか、
そう思えた、
我々は張繍軍の本拠地の宛城に駐屯することになった、
そこで我々は戦後処理をしていた、
そんな中、曹操様は張繍の叔父で、張繍と劉表が戦っていた時に戦死した張済の未亡人、鄒氏を見初められ、
夜な夜な、密会を重ねられた、
それが面白く無いのが張繍である、
張繍は怒り心頭で、夜な夜なひそかに賈クとあっている、と情報があったが、曹操様は既に張繍には力が無いと見たのか歯牙にもかけていない御様子、
私も特別行動を起こすとは思えず、賈クに愚痴を零しているのだろう、と言う程度しか思っていなかった、
だが、我々は張繍、ひいては賈クを甘く見ていた、
ある晩、張繍が軍を率いて夜襲をかけて来た、
これは完全なる奇襲となった、
完全なる敗北…この戦は曹操様の数少ない敗戦となった、
人的被害は言うにしれず、
また、将では曹操様の甥の曹安民様、
曹操様の嫡男の曹昂様は馬を無くされた曹操様のために馬を差し上げられ、戦死、
親衛隊長とも言える、典韋殿も曹操様を守って亡くなられた、
壮絶な最後であったと言う、
曹操様は典韋殿の死を深く悔やまれた、
だが、死人は生き返られない、
私も何とか百ほどの手勢を集めることができた、
我が軍は追撃を逃れるため許昌への撤退を開始することとなった、