第四章
呂布軍は兵糧をさ迷いいずこかに去り、我が軍は麦を刈りに繰り出した、
我が軍は殆どが麦を刈りにでて、守備兵力は少なかった、
が、それも問題は無いはずだったが…
なんと呂布軍が曹操様の居城を攻めて来た、
我々の部隊は殆どが麦を刈りにででおり、無論、私も近くにはいなかった、
守備兵力は僅かに千以下、
絶体絶命である、
しかし、曹操様は慌てずに婦女子を城に立たせ、兵には敵兵に全力で当たることを命じた、
するとどうだろうか、
敵兵は兵が少ないのを見て、西の林に伏兵がいるのでは無いか、と警戒し、十里も兵を引いた、
敵は我が方が麦を刈りに出ていたことを知らないのか、
とにかく、一日凌いだだけでは敵兵が引くわけも無く、我が部隊も城には程遠かった、
翌日、呂布軍は曹操様の居城に迫る、
敵軍は西の林に伏兵がいないのは確認したことだろう、
呂布や陳宮は曹操様の兵が少ないのを見てほくそ笑んでいることだろう、
だが、曹操様は上を行っていた、
今度は林に伏兵を置き、呂布軍を徹底的に打ち破り、本陣まで攻め寄せた、
その後も合流した兵力を使い、曹操様は呂布軍を徹底的に打ち破った、
奇襲、夜襲、伏兵、待ち伏せ、
この戦は類い稀な戦略家、曹操の名を世に知らしめる戦となった、
そして、我が軍は遂に本拠地であるエン州のほぼ全土を奪還するに至った、
土地を失った呂布は陶謙が病死し新たに徐州刺史となっていた劉備のもとへ落ち延びていった、
そして首謀者の一人である張バクは弟、張超に一族を連れ城に篭るように命じた、
我が軍は早々にこの城を打ち破り、曹操様は張バクらの三族を皆殺しにした、
また、張バク自身も暫く後、使者として呂布軍から南の有力者、袁術へ行く際、部下の裏切りにあい、あえない最後を遂げた、
そして、一つの報があった、
長安で李カクや郭シの傀儡皇帝となっていた献帝が長安を脱出して、洛陽に逃れて来た、
曹操様はこれを直ちに迎え入れ、新たに許昌を都となされた、
そしてもう一つ、献帝を迎え入れた少し後になるのだが、
呂布が劉備を裏切り徐州を乗っ取り、劉備は我々を頼り、曹操様のもとへ落ち延びて来た、
賛否両論あったようだが…結局、曹操様はこれを受け入れた
今、もはや皇帝の権威は地に落ち、世は群雄割拠している、
東の徐州には呂布が虎視眈々と我が軍を狙っており、
北の河北には袁紹が北の雄、公孫サンを追い詰め、ゆうに天下の半分と言われる膨大な領地を得る寸前であり、
西には李カクと郭シが互いに争ってはいるが、莫大な兵力を有し、
さらに西の涼州には馬騰や韓遂と言う辺境の騎馬民族をも従える強敵がおり、
南東には袁紹の異母兄弟、二袁と並び表された、肥沃な大地を持つ袁術がおり、
さらに先の江東に鬼神の如き進撃を見せ、古の勇将、項羽になぞらえられ、小覇王と呼ばれる孫堅が長男、孫策が圧倒的な勢いで領地を広げ、
すぐ南には董卓軍の生き残り、天下の奇才、奇策縦横の参謀を有す賈クを配下に持つ難敵、張繍が隙を見せるとすぐに攻め寄せる気配を見せ、
その先には張繍と同盟を結び、天下の要所、荊州刺史、劉表が広大で肥沃な領地、多大な人材、膨大な兵力を集め、
南西西の漢中には宗教の教祖、張魯が支配し、
遠く南西、益州の地には劉焉…そして劉璋が天下の要害を有する、
一体天下に平和はいつ訪れるのか…
それをわかる人物は、いない、