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9  楽しくないお誘い

 ディアドラと共に過ごす時間は、穏やかに過ぎていった。


 年末に、ディアドラは一歳の誕生日を迎えた。その頃にはよたよたしながら歩けるようになり、積み木を積んだりボールを転がして遊んだりできるようになった。


 定期的に検診に来てくれる医師が言うにはディアドラは健康そのものらしく、既にカミラを「かーた」と呼べるようになっていた。

 カミラはディアドラを抱っこしてルークの肖像画の前に立ち、「この人が『お父様』よ」と教えてきたので、カミラはルークの絵を見ると「とーた」と言えるようになった。


 相変わらず兄夫婦はディアドラには無関心だったが、パメラからは大量の贈り物が届く。それに屋敷の者たちも皆小さなお姫様にメロメロで、ディアドラはたっぷりの愛情を注がれてすくすくと育っていた。





 そして冬の終わりに、とうとうルークからの嬉しい知らせが届いた。


「旦那様がお戻りになるのですね!」

「ええ、春の頭に帰還予定よ」


 カミラが言うと、ディアドラを抱っこするメイドは「まあ!」と喜んだ。


 ルークは多忙な業務を順調にこなし、ついに来年帰ってくることになった。まだわからないものの成果も上々で、これにはさすがの兄国王もルークに褒美をやるのではないかとのことだった。


(やっとディアドラを、ルークに会わせてあげられるわ)


 ディアドラが生まれて、一年。

 ディアドラはやっと絵でない本物の父親に会えるし、ルークは手紙だけでしか知ることのできなかった娘と会うことができる。


 爵位やら昇叙やらなんて、正直どうでもいい。

 父と娘を会わせられるのが、カミラにとって何より嬉しかった。


「……あの、奥様。実はもう一通、手紙が」


 メイドと一緒に喜ぶカミラに申し訳なさそうに言うのは、執事。

 彼が差し出した手紙はルークが送ってきたものより上質で、その送り主名を見たカミラはげっと言いたくなった。


「これは、お兄様……」

「さすがにお嬢様がお生まれになって一年経ちますし、伯父として何もしないわけにはいかないのでしょう。お嬢様は傍系といえど王族ですし、一歳の祝いだけは義務でするべきだとお考えなのかと」


 おそらく、執事の言うとおりだろう。


 兄からの手紙の内容は要約すると、「姪の一歳の誕生日を祝ってやるから、城に来い」とのことだ。祝うといってもせいぜい晩餐会の末席に招かれる程度だろうが、断ると後が面倒なことになりそうだ。


(それに、ルークが帰ってくるよりも前だからちょうどいいかもしれないわ)


 ジェラルドはルークのことを嫌っているようだから、ルークが昇叙されることを念頭に置くと兄からの印象はよくした方がいい。晩餐会に出席して兄の機嫌を損ねないようにすれば、後々にとってもいいことになるだろう。


(これも最低限の義務だと考えて、割り切らないとね)


 カミラの心の内を悟ったのかディアドラがじっと見上げてきたので、カミラは兄からの手紙をぽいっとテーブルに放ってメイドから娘を受け取った。


「大丈夫よ、私のかわいいディア。お母様はこれからちょっと怖い人と会うけれど、お父様と再会するためなのだから頑張るわ」


 そう言ってふにふにの頬にキスをすると、ディアドラは嬉しそうな笑い声を上げた。


 ……この子のためなら、カミラは何でもする。

 何だって、やってみせる。











 翌年、カミラはディアドラを連れて王城に向かった。


 ここに来るのも二年以上ぶりだが、懐かしいとは全く思わない。一応ここで生まれ育ったのだが、カミラにとって王城で過ごした幸せな思い出は母やパメラと一緒に過ごした時間で、その二人はもうここにはいない。

 カミラの故郷は司祭として過ごした修道院で、帰る場所は男爵家の屋敷だった。


 結婚により男爵夫人となったカミラだが、国王の妹であることに違いはない。

 カミラが抱っこするディアドラもまた国王の姪、先代国王の孫にあたるため、二人の護衛のために城から騎士たちが派遣された。


 その騎士たちの大半は仕事のためと硬い表情だったが、数名はこそっと近くに来てカミラに挨拶したり、ディアドラをあやしたりしてくれた。彼らはルークの仲間たちらしく、「お嬢様にお会いできて光栄です」と喜び、護衛のときにもそばにいてくれたのでカミラも安心できた。


 やはりジェラルドは晩餐の席に呼ぶことでディアドラの誕生日祝いとすると考えたようで、カミラはげんなりとしつつも背筋を伸ばして王城の廊下を歩いた。

 カミラがあからさまに嫌そうな顔をしたり猫背になったりして恥ずかしい思いをするのは、ルークやディアドラだ。夫や娘のためにも、カミラが妻として母として、強くありたい。


 王族のみが同席することを許される晩餐の間に入るのも、久しぶりだ。母が存命の頃からここに通されることはほとんどなかったから、最後にここで食事をしたのはもう二十年近く前のことになるだろう。


「来たか、ベレスフォード男爵夫人」


 久しぶりに会う兄は、相変わらず意地の悪そうな顔をしていた。隣に座る王妃は相変わらず何を考えているのかわからない笑みを浮かべており、一番愛想がいいのは今年四歳になった王太子だった。


 金髪に緑色の目を持つ彼はカミラとディアドラが来ると明らかに目を輝かせ、話しかけたい、もっとよく見たい、と言わんばかりに首を伸ばして傍らにいる侍従に窘められているのがかわいらしかった。


 カミラのことを名前ではなくて男爵夫人の名で呼んだジェラルドは、空いている席を雑に示した。


「そこに座れ。それから、ご息女の一歳の誕生日、おめでとう」

「……ありがとうございます、陛下」


 愛想のない言い方にもカミラは微笑みで応じ、抱っこしていたディアドラを子ども用の椅子に座らせたのだが。


「……ん? おまえの娘、珍しい目の色をしているな」


 いきなり興味を引かれたようで、ジェラルドが身を乗り出してきた。それまではカミラの胸に顔を寄せていたディアドラが正面を向いたため、顔立ちがよく見えたからだろう。


「青い目……? なるほど、父上譲りか」

「そのようです」

「ふうん。おまえの娘にしては、器量もよさそうだ。肝も据わっていると見える。いずれ、私の側近の子と縁組みさせてやってもよさそうだな」

「陛下のご提案に感謝いたします。ディアドラが成長しましたら、またご相談させてください」


 あからさまにディアドラに興味を向けてきたジェラルドに、カミラは淡々と応じる。


(ディアドラを政治の駒にすることだけは、絶対に防ぐわ)


 王家の姫は、政略結婚の材料になる。パメラがいい例だろう。

 現在兄夫婦には王太子しか子がいないため、いざとなったら姪であるディアドラを使う気のようで気分が悪い。国王の命令となったらたかが男爵夫妻のカミラたちでは太刀打ちできないが、限界まであがいてやる。


 晩餐会は、予想どおり微妙な空気で進んだ。幸いディアドラ用の離乳食がちゃんと用意されていたし乳幼児の扱いに慣れている使用人が手配されていたので、娘の食事には困らなかった。また王太子が「ぼくのいとこだね?」「よろしくね、ディアドラ!」と人なつっこく接してくれるので、ずっとぴりぴりしているわけではなかった。


(もしこの王太子殿下が今のお心のまま成長されたら、ディアドラのことも丁重に扱ってくださるかもしれないわ)


 正直兄の方は全く期待できないから、真っ直ぐなまま大人になった王太子がさっさと王位を継ぎ、ディアドラのよき理解者になってくることを願いたい。


 ジェラルドが言ったように、ディアドラは知らない大人たちばかりの場所であるのに泣いたりわめいたりせず、大人しくご飯を食べていた。

 それがますますジェラルドは気に入ったようで、「男児だったら、息子の側近にしてやったのにな」なんて笑いながら言っているのが鬱陶しかった。


 王妃の方はずっと笑顔だったが、何もしゃべらなかった。余計なことを言わないのはありがたいが、だからといってディアドラに誕生祝いの言葉を贈ったりすることもない。

 国内の高位貴族の令嬢だったとのことだが、正直カミラは兄以上に兄嫁のことも不気味で近寄りがたいと思っている。








 料理はおいしいもののあまり楽しい雰囲気とは言えない晩餐が、やっと終わった。


 王太子は「こんどまたあそぼうね」とディアドラの手を握り、それにディアドラも笑顔で応じたのでよかったとして、カミラは相当疲れてしまいディアドラを抱えてさっさと帰ることにした。


 屋敷に帰るとメイドにディアドラを預け、温かい湯にじっくり浸かる。寒い時期なので、温かい湯がとてもありがたい。

 なお残り湯は使用人たちが入浴のときに使えるので、主人一家が温かい風呂に入るというのは誰にとっても嬉しいことだった。


(ルークが帰ってくるまで、あと十日くらいね)


 予定表を確認してから、カミラは二階に上がった。まずは子ども部屋にいるディアドラの様子を見に行き、お腹いっぱいでうとうとしている娘の頬にキスをしてから自室に向かい――その途中ふと、夫婦用の寝室の方に目をやった。


 カミラは女主人用の部屋で寝ているため、あの寝室を使ったのはルークと別れる前の夜だけだ。そして今は無人だが、ルークが帰ってきたら彼はあの部屋で休むことになる。


(……また、あの部屋に呼ばれることがあるのかしら)


 ぎゅっと寝間着の胸元を掴むカミラの頬は、少しだけ温かい。それはきっと、湯上がりだけが原因ではないだろう。


 あの夜は色々と初めての経験ばかりで体も心も翻弄されっぱなしだったが、あれから二年経った今は気持ちとしてはかなり落ち着いている。

 ルークのことも夫婦として、家族として共にありたいと思えるようになったし、もしあの部屋に誘われたとしても二年前のような諦念やらを感じることはないはず。


(ルークも同じ気持ちだったら……嬉しい、かも)


 そんなことを考えるとますます顔が熱くなりそうで、カミラは逃げるように自分の部屋に向かったのだった。

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