8 祝福の名前を
ルークからの返事が来たのは、夏になってからだった。
なかなか返事が来ないのでやきもきしたり諦めたり、もしかしたら配達員が道中で襲われたのかもと思ったりしたので、無事に返事が来ただけでほっとできた。
その頃にはカミラのお腹は膨らんできており、妊婦用の腹部がゆったりとしたサマードレスを着ていた。
ルークの文字を見るのは、結婚の際にサインをしたとき以来だ。彼は字があまり上手でないようだし便箋の紙質がよくないのもあって字はカクカクしていた。
だがそこには、カミラの妊娠がとても嬉しいこと、無理をしないでほしいということが書かれていた。決して長い手紙ではなかったが、丁寧に綴られた文字を見ていると言いようもなく胸が温かくなった。
(本当に、この子のおかげで私たちはちゃんと向き合えそうだわ)
お腹を撫でながら、カミラは思う。
ルークと一緒に過ごした時間より、この屋敷で一人で過ごしている時間の方が長い。そしてもしカミラが妊娠しなければ、カミラはずっとひとりぼっちでいただろう。
この子が来てくれたから、カミラはルークとのつながりができた。
まだ生まれてもいない我が子に「しっかりして!」と叱られているようだが、きっとこの子はとても頼もしい性格なのだろう。
「大丈夫よ。お母様はちゃんと、お父様と仲よくなるわ」
お腹の子に呼びかけてから、カミラは窓辺の椅子に座って子守歌を口ずさんだ。
ずっと前に亡くなった母が、幼い頃のカミラのために歌ってくれた歌を。
秋になり、カミラのお腹は誰が見てもわかるくらい大きくなっていた。
この頃になってやっとパメラからの返事も届いたのだが、それは小説本かと思うほど分厚かった。
パメラは姉とルークの子ができたことに大喜びのようで、狂喜乱舞する内容がずらずらと何枚にもわたって書かれていた。
また彼女がアッシャール帝国で楽しく過ごしていることも記されていたので、カミラもほっとできた。パメラは後宮の妃たちの中では一番若いのだが、先輩妃たちを「あねさま」と呼び、かわいがられているという。つくづく、妹の処世術と人心掌握力の強さに舌を巻いてしまう。
そしてパメラの手紙に「名前は決めたのですか?」とあり、カミラははっとした。
(そうだわ。ルークに子どもの名前をつけてもらわないと)
ラプラディア王国では生まれる子どもの名前は夫主導、もしくは夫の実家で決められることが多い。ルークは親兄弟を全て亡くしているため、子どもの名付けをするのは彼の役目だ。
(それに私自身、ルークに名前をつけてもらいたいと思っているもの)
カミラには半分といえど血のつながった兄妹がいるが、ルークにはいない。年末に生まれるだろう我が子が、ルークにとって唯一の肉親になるのだ。
だからカミラは手紙で、「子どもの名前を決めてください」と書いた。ルークの性格だと「あなたが決めてください」と言うかもしれないが、ここは是非ルークの意見を聞きたい。
手紙の返事が来たのは、冬になってからだった。
大きなお腹を抱えたカミラは緊張する手で便箋を取り出し、そこに書かれている夫の文字を見てほっと安心できた。
ルークは、自分が名付けるなんて畏れ多いがとても誇らしいと述べていた。
そして。
「……アーネストと、ディアドラ」
便箋に書かれた男女一組の名前を、そっと指でなぞる。
男の子なら、アーネスト。
女の子なら、ディアドラ。
ルークが考えてくれた、我が子のための名前だ。
(とても素敵な響きだわ)
「アーネスト、ディアドラ」
カミラがお腹に向かって呼びかけると、少しだけ中で赤ん坊が動く気配がした。
この子も、父がつけてくれた名前を喜んでいるのかもしれない。
連日降り続いていた雪がまるで奇跡のように途切れて青い空が王都を包み込んだ日、カミラは屋敷で出産した。
通常の妊婦より少しだけ妊娠期間が長めでなかなか陣痛が来ないので医者たちはやきもきしていたが、お産自体はすんなりと進んだため皆安堵の息を吐いていた。
生まれてきた子は、女の子だった。頭部に生えたふわふわの毛は夫と同じ濃いグレーで、その泣き声は庭にまで響くのではないかというほど大きい。
娘が生まれて三日後、大事を取ってベッドで休んでいたカミラのもとに教会の女性神官がやってきた。かつてカミラが司祭だった頃に後輩だった彼女は娘の誕生を祝福し、「ディアドラ・ベレスフォード」と書かれた書類を大事に受け取ってくれた。
「ディアドラ。あなたの名前は、ディアドラよ」
まだふにゃふにゃした体の娘を抱き上げてカミラが囁くと、ディアドラはにゃあ、のような声を上げた。
(ディアドラ……私とルークの、大切な娘)
生まれた娘にディアドラと名付けたことを、カミラはすぐにルークに伝えた。正直まだペンを手に取ってきれいな字を書くのも苦しかったが、どうしても自分の手で書きたいと代筆を申し出るメイドに我がままを言った。
その返事は、年明けに届いた。ルークは娘の誕生を喜び、自分が考えた名前をつけてくれたことに感謝していた。
彼が王都に戻ってくるのは来年の頭になるそうだが、これから少し忙しくなるため手紙の返事を書けないだろうとのことだった。だがルークは妻と娘のために頑張る、と相変わらず少しカクついた力強い字で書いた。
『ディアドラに会える日を、楽しみにしています』
ルークからの返事を、カミラはベビーベッドで眠るディアドラのもとに持っていく。
「ディアドラ、お父様があなたに会いたいって言っているわ」
カミラが話しかけると、ディアドラはしょぼしょぼと瞬きして便箋を見上げた。
先日目が開いてわかったのだが、ディアドラの目は青色だった。カミラの茶色でもルークのハシバミ色でもないが、青色の目は先代国王であるカミラの父と同じだから、隔世遺伝したのだろう。
祖父である先代国王と同じ青色の目と、父と同じ濃いグレーの髪。誰が見ても、カミラとルークの娘だとわかる子だ。
「ディアドラ、ほら、この人がお父様よ」
カミラはそう言って娘を抱っこし、子ども部屋の壁に飾っている肖像画を見せた。これは数少ない、ルークの姿が描かれたものだ。
ルークは絵の題材になるのを嫌っていたようで、騎士に就任したときにも絵などを描かれるのを遠慮していた。だが今後のためにも一枚くらいは描いてもらえとパメラにせっつかれたらしく、渋々モデルになったのがこの絵らしい。
ここに描かれているのは、まだ十六歳になったばかりの頃のルークだ。去年の秋に別れたときよりも幼い顔立ちをしているように思われるので、今の彼とは全く顔立ちが違うかもしれない。
でもルークと会ったときにすぐに彼が父親だとわかってほしいので、カミラは夫の肖像画をディアドラの部屋に置いていた。
肖像画の前に立つと、ディアドラが絵に向かって手を伸ばしてあうあうと声を上げた。まるで目の前にいる父に話しかけているかのようで、カミラの胸が温かくなる。
(ルーク。あと一年間、私がこの子をしっかり育てるわ)
だからどうか、ルークも無事に帰ってきてほしい。