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7  別れと出会い

 ルークが王都で過ごす五日間は、あっという間に過ぎた。


 相変わらず彼は忙しいらしく、また朝早くに出て行って夜に帰ってくる生活に戻った。あの日彼が夕方に帰宅したのは、カミラに遠征の話をするためだけだったようだ。


 使用人たちは皆ルークに恩義や友誼があるため、彼が二年間もいなくなることをとても寂しそうにしていた。この屋敷でルークが不在になることを一番気にしていないのは、カミラなのかもしれない。


 最後の五日目も相変わらずルークは夜になって帰ってきたのだが、いつもはカミラが寝付いた頃に戻ってくるものの今日は寝仕度をしている頃に帰宅した、とメイドが教えてくれた。


(さすがに明日に備えて、早く寝たいのかしら)


 彼におかえりとおやすみを言おうかと迷ったが、一分でも長く睡眠時間を取ってほしいので、やめておいた。


 そうしてメイドを下がらせてカミラが寝ようとしたとき、部屋のドアがノックされた。


(メイドかしら?)


 何か言付け忘れたことでもあったのだろうかと思ってドアを開けたカミラは、驚いた。そこにいたのは小柄なメイドではなくて、寝間着用のシャツ姿の夫だったからだ。


「ルーク……?」

「夜分遅くに失礼します、カミラ様」


 既に寝仕度ばっちりらしいルークが言ったので、カミラは彼に就寝の挨拶をしなかったことを後悔した。やはり彼にわざわざ足を運んでもらうのではなくて、カミラの方から挨拶に行くべきだった。


「いえ、大丈夫よ。ごめんなさい、挨拶に行けなくて」

「気にしないでください。それに、まだ寝るわけではないので……」


 そこでルークは言葉を切り、そして視線を逸らした。


「……カミラ様。私は翌朝、屋敷を出ます。次にここに帰ってくるのは、二年後になります」

「……ええ」

「だから、というわけではありませんが。二年間、任地で頑張るためにも……その、今夜、寝所で一緒に過ごしませんか?」


 何を言われるのだろうか、と身構えていたカミラは、ルークがまごつきながら告げた言葉にぽかんとしてしまった。


 薄暗い廊下ではわかりにくいが、ルークの頬が赤いことに今気づく。頬だけでない、首まで真っ赤だ。

 彼のそんな様子や話し方からして、『一緒に過ごす』というのがただ単に同衾するだけではないことくらい、容易に想像できた。


「……あの?」

「二年間もずっとおあずけは、さすがに辛いです。それに……初夜も、まだですし」


 いよいよルークが恥ずかしそうに消え入りながら言ったため、彼の言わんとすることは確定した。


(……あ、白い結婚計画、終わったわね)


 照れと緊張でおろおろしているルークと違い、カミラの方はどこまでも落ち着いていた。人間、驚きやらの感情が募りすぎると一周回って冷静になれるものなのかもしれない。


 カミラはそっと手を伸ばし、ルークの頬に触れた。ぴくり、とその皮膚が引きつったのを、少しだけ悲しく思う。


「私は構わないわ。でも、あなたはいいの?」

「……私は、旅立つ前にあなたのことを知りたい。他の誰も知らないあなたを見てみたい」


 カミラとしては、「明日に備えなくていいの?」という意味だったのだが、別方面で解釈したらしいルークがきりっとした顔で言うので、なんだか気が抜けてしまった。


 夫に求められたのなら、従順に応えるのがよい妻である。


「わかったわ。……案内してくださる?」

「……はい。喜んで」


 諦めの気持ちで差し出したカミラの手を恭しく手に取ったルークは、そこにキスを落とした。















 翌朝、カミラがベッドで伸びている間にルークは静かに屋敷を後にした。

 あっさり終わるかと思いきや明け方まで離してもらえなくてカミラの方はへとへとなのに、メイドたち曰くルークは「とてもきりりとしたお顔で出発なさいました」とのことだったそうだ。体力が化け物なのは、彼が若いからなのかそれとも鍛えているからなのか。


 ルークは自分の資産の全てをカミラに預けていったようで、執事から教えてもらった資産高を聞いたカミラは仰天した。『あなたが不自由しない程度の蓄えはあります』とは言っていたが、カミラ一人なら何年も豪遊できそうだ。


 ルークはカミラのことを城の騎士にも頼んでくれたようで、何かあれば護衛のために数名来てくれた。ルークは年若くて騎士になってから日が浅いというのに、既に騎士団内で味方をしっかり見つけているようだ。やはり、亡き父には人を見る目があったようだ。


 ルークの任地は、王国の東の端の山間部だった。とはいえ彼も言っていたように郵便もきちんと整備されているようで、日数はかかるものの手紙のやりとりもできるという。


 そうはいうものの、ただでさえ親しい仲ではない夫にどんな内容の手紙を書けばいいかわからなかったし、ルークからも手紙は来ない。何か特筆するべきことが生じたら、近況報告ということで書けばいいだろうと思っていたのだが。


「……妊娠?」

「はい。今年中には生まれるかと」


 おめでとうございます、と笑顔の医師に言われて、カミラはそっと自分のお腹に触れた。


 去年の冬の終わり頃から、体調が優れない日が多くなっていた。また月のものも止まっているので、もしかしたらと思いつつ屋敷に医師を呼んで診察を続け、春の初めになって妊娠が確定した。


 まだお腹の膨らみはほとんどないが、ここに小さな赤ん坊がいる。医師は夫不在であることを少し気にしていたようだが、出産予定日を逆算するとルークがまだ王都にいた頃に懐妊したとわかったため、彼も安心していた。


 もちろん、カミラはこれまでの人生でルーク以外の男性と関わりを持ったことはない。だがまさかあの別れの前夜にたった一度だけ夜を共にしたことで、妊娠していたなんて。


(ルークから逃げないで夫婦として生きていきなさい、とこの子が教えてくれたのかもしれないわね)


 医師が帰った後で、果実水を飲みながらカミラは考える。


 ルークが遠征に出ると聞いたとき、カミラは二年間の白い結婚を理由に彼と離縁しようと考えていた。だが結果として、カミラは妊娠した。生まれる子が男の子でも女の子でも、もうルークから逃げることはできない――いや、してはならない。


「奥様。旦那様にお手紙を書かれますか?」


 そう尋ねるのは、カミラの身の回りの世話をしてくれるメイド。彼女もルークに拾ってもらった縁で採用されており、きらきら輝く目からは「書きますよね?」という威圧さえ感じられてカミラは苦笑した。


「ええ、もちろんよ。……でも、教えたことでお仕事に支障を来したりはしないかしら」

「大丈夫ですよ! 旦那様のことですから、奥様とお子様のためにいっそう身を粉にして頑張るに決まっています!」


 メイドが力説するので微笑みを返し、彼女に筆記用具を持ってきてもらったカミラはインクにペン先を浸した。


 カミラの妊娠を知らせると、屋敷の者たちは皆大喜びだった。コックたちは今から離乳食について考えているし、メイドたちはどこで産着を買おう、ベビーベッドはどんなのがいいだろうか、と大騒ぎしている。


 なお王城にいる兄夫婦にも知らせているが、特に返事はなかった。アッシャール帝国にいるパメラにも送ったが、あちらに届くのはルークへの手紙よりもずっと先になるだろう。


 ひとまずカミラは、妊娠しており今年中に出産予定であること、少し気分が悪い日はあるが現在のところ健康であること、屋敷の皆がカミラ以上に喜んでいることなどを記して、執事に発送手続きを頼んだ。

 執事もまた、まるで自分の孫が生まれるかのように涙を流しながら大切そうに手紙を受け取っていた。

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