6 空回りの想い②
(……褒めてもらえなかったわ)
残されたカミラは肩を落とし、その場にいた使用人を慌てさせてしまった。
(歩み寄るというのも、簡単な話ではないのね……)
誤解が生じでも、その都度情報のすりあわせをすればいい。
だがこうも何度もすれ違いが生じると、歩み寄ろうとすることにも躊躇いができてしまう。ルークの方も、扱いづらい妻だと思っているのではないだろうか。
(そういえば、ルークはどこへ?)
見たところ彼は仕事の後で着替えているようだったから、行き先は風呂場などではないはず。
先に行くようにと言われたものの少し気になったので廊下をうろうろしていると、厨房の方からルークの声が聞こえてきた。
(元仲間だということだし、お話をしているのかしら?)
カミラの前では表情の変化に乏しいルークも、旧友たちとなら気兼ねなくおしゃべりできるのだろう。邪魔するのも悪い、と思ってカミラはきびすを返そうとしたが。
「……だ。あの袖では、満足に食事もできない」
ルークの声に、カミラの足が止まる。
何やら怒っているかのような夫の声に、ひやり、ひやり、と冷たいものが胃の奥に落ちてくる。
「あんなひらひらした服なのだから、邪魔になるだけだ。もっとよく考えてほしい……」
(……あ)
漏れそうになる声を、カミラは口元を両手で押さえることで耐えた。
邪魔になるだけ。
もっとよく考えてほしい。
(ルークは皆に、私の愚痴を言っていたの……?)
押さえた口から震える息が漏れ、そして、ふっ、とうめきそうになるのを堪えた。
目尻が熱いと感じるのは、きっと、気のせいだ。
カミラは食堂には行かず、二階の自室に駆け上がった。そこで部屋の片付けをしていたメイドが、驚いた顔でこちらを見てくる。
「お、奥様? 旦那様がお戻りになったのでは?」
「え、ええと……ええ、そうよ。でもちょっと暑いから、ガウンだけでも脱ごうと思って」
自分のために頑張って着付けをしてくれたメイドにも申し訳なくて、カミラは笑顔を取り繕ってそう言い、刺繍の施されたガウンを脱いだ。
正直少し肌寒いくらいだが、この下のドレスは袖が手首にぴったりしているし襟元もすっきりしているので、食事の邪魔にはならないはず。
うつむき顔が見られないようにしたからか、メイドは特に不思議がることなく「確かに、今日は秋にしてはちょっと温かいですね」と納得してくれた様子で、カミラが渡したガウンを受け取ってくれた。
彼女は「手入れをしておきますね」と笑顔で言ったが、残念ながらあのガウンに袖を通すことはもう二度とないだろう。
食堂に降りると、もうそこにルークがいた。彼はカミラが入ってくると、椅子の音を立てて立ち上がった。
「カミラ様、どちらにいらっしゃったのですか? その、服は?」
「待たせてごめんなさい。少し暑いから、上だけ脱いできたの」
カミラが笑顔を努めて言うと、少しそわそわしていたらしいルークは「そうでしたか」とうなずき、カミラを席に案内した。彼がカミラのことを不審に思っている様子は、特には見られない。
夫と向かい合って座り、給仕が運んできた料理に手を伸ばす。だが二人の間に会話らしい会話はなく、たまに顔を上げて視線がぶつかってもついカミラの方から逸らしてしまった。
話したいと思った。
年上なのだからカミラの方から歩み寄らねばと思った。
でも。
『もっとよく考えてほしい』
呆れたような、怒ったようなルークの声が耳の奥に蘇ると指先が震え、それを悟られるまいとカミラは機械的にナイフとフォークを動かすしかなかった。
気まずい夕食の後で、カミラはルークに呼び止められた。
「今日のうちに話しておきたいことがあります。そのために、早く帰ってきたのです」
真剣な目で言われると、嫌ですとは言えない。
渋々カミラはルークについてリビングに移動し、二人分のお茶を淹れたメイドが下がってから、ルークが切り出した。
「単刀直入に申しますと、これから二年ほど遠征業務に出向くことになりました」
「……えっ?」
あまりにも突然すぎてカミラが絶句する中、ルークは淡々と語る。
「長い間王都を離れることになりますが、その間あなたが不自由しない程度の蓄えはあります。交通の便もあるので、手紙のやりとりも可能です。それに――」
「ま、待って、ルーク」
確定事項を淀みなく話すルークに待ったをかけて、カミラは混乱する頭に手をやった。
(遠征業務? 二年? そんなの聞いていないわ!)
「私たちまだ、新婚でしょう? それなのに二年も遠征に出るの?」
「……はい。カミラ様には寂しい思いをさせるかもしれませんが、必ずや成果を上げて帰って参ります。それに国王陛下がおっしゃるに、この遠征業務で活躍すれば昇叙の機会もあるとのことで」
「昇叙……」
「はい。伯爵位は難しくとも、子爵位ならば手に届くかと」
ルークの言葉に、カミラは目の前が真っ暗になった。
(そうだわ。ルークは男爵位を授けられると聞いたとき、明らかに不満そうにしていたわ……)
もし結婚相手がパメラだったら、彼はベレスフォード伯爵になれた。毎日仕事漬けになることもないし、パメラは王族として内政の教育を受けているから妻と協力して領地経営をしつつ、のんびり新婚生活を送れたのだ。
だが結婚相手がカミラになったことで、彼の身の回りの全てがランクダウンした。今の稼ぎは全てカミラに捧げ、自分は少しでも爵位を上げるために長期間の遠征に出向かなければならない。
カミラと、結婚したせいで。
(私は、この若くて将来有望な夫に余計な苦労しか与えられていない……)
「……出発は、いつになるの?」
もはや彼が遠征に行くのは決定しているようなのでそれだけ問うと、ルークは指を折って日数を数え始めた。
「確か、あと五日で出発だったかと」
「五日しかないの?」
「遠征部隊が、急に組まれたようなので。本来ならばこういうこともあなたと相談するべきなのでしょうが、遠征人員の決定まで余裕がなかったので独断で決めました。……申し訳ございません」
「……謝らないで」
謝るべきなのはむしろ、カミラの方だ。
仕事だけではなくて遊んだりもしたいだろう年頃の彼を仕事漬けにさせているのは、カミラの方なのだから。
五日経ったら、ルークは王都を離れてしまう。次に彼が帰ってくるのは、二年後。
本当は、子爵位なんていらないから行かないでほしかった。
もっと話したいし、もっと一緒にいて、お互いのことを知る時間を持ちたかった。
(でも……無理よね)
ルークの固い決意が感じられる目を見ているとわがままを言うことなんてできなかったし、ふと、別の考えが湧いてきた。
(結婚して二年間も白い結婚が続いたら、きっと離縁のきっかけになるわ)
二年経ったら、カミラはもう二十六歳だ。それに比べてルークは十八歳で、これからますます魅力的になっていく年齢だ。
二年間白い結婚状態なら、離縁できる。ルークを解放することができる。
(……もうそれくらいしか、私にできることはないのかもしれないわ)
だからカミラは微笑んで、うなずいた。
「わかったわ。あなたが決めたことなら、私からは何も言いません」
「カミラ様……ありがとうございます」
「ただ、どうか無事でいてね。あなたが元気でいたら、私はそれで十分だから」
ルークさえ無事なら、パメラもきっと安心するだろう。
そのためにも、カミラは二年後にルークを自由の身にさせたい――と思っていたのだが。