5 空回りの想い①
ベレスフォード男爵夫人としての日々は、単調だった。
志願兵から騎士になったルークは早朝に屋敷を出て、王城に出仕する。男爵位はお飾り程度で、彼の本業は騎士だった。
約束どおり、ルークはすぐに女性使用人を雇ってくれた。
いずれも夫を亡くした若い寡婦だったり田舎から働きに出たばかりの少女だったりで、ルークが苦労しながら使用人を集めてくれたのだとわかった。彼女らも自分を採用してくれたルークに恩義を感じているようで、妻であるカミラにも敬意を払ってくれた。
そしてルークの元仲間だという男性使用人たちも、気さくで優しい人たちばかりだった。
彼らは「あのルーク坊やが、こんなにきれいな奥さんを迎えるなんて!」と機嫌がよく、ルークが子どもの頃や戦争で兵士として従軍していたときのことなどを教えてくれた。
それによればルークは異国の平民出身で、戦争で家族を亡くしたことで傭兵になったという。そして十歳の頃にラプラディア王国にやってきてその後に志願兵になり、戦闘能力だけでなく味方を指揮する方法も学んだ。
一年前に国境で勃発した異民族との戦闘で、敵対勢力は太古に失われたとされる魔法具を持ち出していた。
かつて存在していた魔術師たちが作った魔法具は大量殺戮兵器に等しく、魔術師が絶滅した現在ではどの国でも使用を禁じられている。
異民族は魔術師の末裔だったようで、魔道具を使ってラプラディア王国を滅ぼし乗っ取ろうとしたようだ。
まさか相手方が魔法具を持っていると思わず混乱する王国軍に対し、十五歳という若さでありながら卓越した剣技で敵を葬り、また兵士たちに的確な指示を出して戦いを勝利に導いたルークが、国王の目に留まったそうだ。
皆としても、ルークが国王に目をかけてもらって騎士になったのはとても喜ばしいことだったという。皆は戦での怪我などで退役したが、あのルークの屋敷の使用人になって彼とその妻に仕えられるのなら何も不満はないと思っているという。
(皆様、私にも優しくしてくれるわ)
仕事の合間に過去の話をしてくれたコックと厨房下働きたちを見送り、カミラは窓の外を見やった。
結婚して、早くも半月が経った。いわゆる新婚期間ではあるが、夫は多忙で朝早くに屋敷を出て夜遅くに帰ってくる日々でなかなか会えない。初夜も先延ばし状態で、カミラはずっと女主人用の部屋で一人で寝ている。
(避けられている……のかしら)
情けない、とカミラは胸を押さえた。
パメラを心配させないためにも、カミラはルークのよき妻でいなければならない。それなのに自分の言うことはいちいちルークを不快な気持ちにさせるようだし、ルークもルークでカミラと最低限の会話しかしない。
使用人たちは、「ルーク様はお若いので、美しい奥様を前に緊張されているのですよ」と言うが、彼がたまに見せるあの鼻に皺を寄せる表情はどう見ても、緊張なんてかわいいものではない。
……パメラの前では赤くなったり焦ったりふて腐れたりと表情豊かだったのに、カミラでは彼を笑わせることはおろか、穏やかな表情さえさせられない。
(そういえばパメラは、結婚したらしばらくの間ルークに仕事を休んでもらうと言っていたわね)
パメラと結婚したら、ルークは伯爵位と領地をもらうはずだった。高位貴族に仲間入りすることになるので、社交界に馴れるためでもあり新妻との蜜月を過ごすためでもあり、しばらくは屋敷で過ごす予定だと語っていた。
だが今のルークは毎日城に出向いている。騎士にも休日制度はあるはずなのに、彼が屋敷で休む日は今のところ一日もない。
だがラプラディア騎士団では十日に一度は必ず非番の日を入れなければならないと決められているから……ルークは、休みの日もあえて屋敷を離れているのだ。
カミラに、会いたくないから。
(本当に……だめね、私)
ふ、と枯れた笑い声を上げて、カミラは窓辺に肘を乗せてそこに身を預けた。
ある日、ルークが夕方には帰ってくると聞かされたカミラは驚いた。
「ということは、夕食も一緒に食べられるのね!」
「そのようです。我々も気合いが入ります!」
そう言うのは、がたいのいいコックたち。
普段はカミラが先に食べ、夜遅くに帰ってきたルークが温め直したものを食べるという流れだったので、ルークにできたてを食べてもらえるから彼らも嬉しいのだろう。
いつもはカミラが寝付くか寝付かないかという頃に帰ってくるルークが、夕方には帰宅する。夕食も一緒に食べられるし……きっと、たくさん話ができる。
(そうよ。私たちに足りなかったのは、時間よ)
厨房を後にしたカミラの足取りは、軽い。なんだか、見慣れた屋敷の廊下さえいつもより美しく輝いているように思われた。
(ルークとゆっくり過ごしたら、彼が何が好きで何に気が障るのかわかるはずよ。それに、私のこともわかってもらえる……)
自分はパメラのように美しくないから、気が利かないから、年上だから、とうじうじしていては何も始まらない。
ルークに頼るのではなくて、自分から彼に歩み寄ろうと決めたではないか。
(そうだ。今日の夕食で、この前贈ってもらったネックレスをつけようかしら)
ルークはまめな性格で、女性使用人からカミラのサイズを教えてもらうなり仕立屋にドレスの注文をしたし、宝石類も贈ってくれる。
どうやら彼は先代国王が没する前にかなりの褒美をもらっていたようで、それらをカミラのために惜しみなく使ってくれている、とメイドが教えてくれた。
ルークは口数こそ多くないが服飾センスはあるようで、ドレスもアクセサリーも靴もカミラの好みにぴったりのものばかりだが、惜しむらくは彼と生活リズムが合わないので身につけたところを披露できていない。
(今日はただの夕食ではなくて晩餐なのだから、おめかししたいわ!)
メイドにも相談すると、「絶対に旦那様は喜びますよ!」と賛成してくれたので、カミラはいつもより早めに風呂に入って髪もきれいにまとめ、ルークが贈ってくれたドレスの中から一番気に入っているワインレッドに金色の文様の入った秋物ガウンに袖を通した。
髪留めもネックレスも、ルークからの贈り物だ。
「素敵です! きっと旦那様も、奥様に見惚れます!」
仕度を手伝ってくれたメイドは、カミラを完璧に仕立てられて満足そうだ。
ちょうどそのとき、階下から「旦那様のお帰りです」と言う声が聞こえてきたため、「頑張ってください!」と応援してくれるメイドに微笑んでからカミラは一階に向かった。
(どうしよう。すごくどきどきしている……!)
裾も袖も長いドレスが立てるさらさらという音がやけに耳に響くようで、頬が熱くなってくる。
(ルーク、なんて言ってくれるかしら? み、見惚れてくれるのかしら……?)
あのルークが見惚れる姿は想像できないが、無口ながら紳士な彼のことだから、絶対に褒めてくれるはず。それでいい雰囲気になってそのまま、和やかな気持ちで夕食を一緒にできれば……。
玄関が見えてきた。使用人に荷物を渡すルークの姿が見える。
――どくん、と打ち鳴らされた太鼓のように心臓が高鳴る。
「ル、ルーク」
おずおずと声をかけると、ルークがさっと振り返った。そのハシバミ色の目が見開かれ、夕食のために着替えたカミラを上から下までじっくりと眺める。
(どう、かしら? おかしくないかしら?)
惚けたような顔の夫に見つめられながら、カミラは緊張と期待で弾けそうになる胸元に手を当てたのだが。
「……これから、どこかにお出かけになるのですか?」
「えっ?」
少し困ったような顔の夫の言葉に、カミラの胸が急速に冷える。
ルークは視線を床に落とし、カミラのためなのか玄関ドアの前から体をずらした。
「外で夕食を召し上がるのでしたら、遅くなる前にお帰りになりますように――」
「ち、違うわ。外出なんてしないわ」
勘違いしているらしいルークに詰め寄り、カミラは言葉を続ける。
「私、あなたが帰ってくると聞いて着替えたの。まだ、あなたから贈られたドレスを着て見せたことがなかったから……」
「……ですがこれから夕食ですよ?」
「夕食用に着替えたのだけれど……」
そこでカミラは、自分とルークに認識のずれが生じていることに気づく。
カミラは腐っても王族であるため、晩餐の前に着替えることは当たり前だった。人生の半分は修道院で過ごしたものの、そこでも上司にあたる司教やよその修道院の司祭などと会食するときには正餐用のローブに着替えていた。
だが平民のルークには、食事の前にわざわざきれいな服に着替えるという習慣がない。
彼にとって女性がきれいなドレスを着るのは外出するときで、自宅で、それも夫と二人だけの食事で正装するという発想がないのだ。
ルークも遅れて気づいたようで、色白の頬がさっと青ざめる。
「……そ、そういうことだったのですか。申し訳ございません、不勉強で……」
「いえ、気にしないで。……ええと、ではそろそろ仕度もできるでしょうし、食堂に行きましょう?」
「はい。……あ、いえ、先に行っていてください」
ルークは途中で言い直し、足早に廊下を歩いて行ってしまった。