伯爵夫妻、デートに行く①
本編終了後、カミラとルークの初デートのお話
5話構成
体調の面で問題はない、と医師から言われたのは、カミラが十五年間の眠りから目覚めて半月ほど経った頃のことだった。
赤ん坊だった娘が立派な淑女になるほどの間眠っていたカミラだが、その原因が謎に満ちた魔術関連だったからか、四肢が萎えて歩けないということはなかった。
それでも念のためにと遠出をすることは禁じられていたのだが、ようやく医師からのお墨付きをもらえた。
「よかった! これでお母様と一緒に、王都にも行けますね!」
診察に付き添ってくれたディアドラが嬉しそうに言うので、カミラの頬も緩んだ。
「そうね。新国王陛下にはまだお会いしたことがないし、王太子殿下にもご挨拶をしなければならないものね」
「ええ。陛下も王太子殿下も、お母様とお会いできることをとても楽しみにしてらっしゃるようです。この調子だと、秋の社交シーズンには一緒に行けそうですね!」
ディアドラの言うように、夏が終わるとラプラディア王国は秋の社交期を迎える。
ラプラディア王国では気候のいい春と秋が社交シーズンで、暑い夏や寒い冬の間は領地にこもっていた貴族たちも王都を訪れる。春の社交期は成人を迎えた令嬢令息たちのお披露目や新年度の人事異動に関する行事が多い中、秋の社交期は交流がメインとなる。
(そういえば、ディアドラの成人お披露目はもう終わってしまったのよね……)
ディアドラは去年の冬に十六歳になったので、今年の春の社交期にお披露目を行っている。
成人する令嬢令息たちは両親と共に参加するのが鉄則だが、当時のカミラは眠ったままだったのでディアドラはルークと一緒に参加したそうだ。
だがそれではディアドラが寂しかろう、それに三十三歳になってもなお若々しく魅力的なルークの愛人の座を狙う者が寄ってくるかもしれないということで、なんと遠路はるばるパメラがやってきて、ディアドラの叔母である元王女として同行してくれたそうだ。
帝国の側室であるパメラはルークやディアドラに近づこうとする輩を蹴散らし、「わたくしの大切な姪と義兄です」と国王にもアピールすることで、周りを牽制してくれたそうだ。
新国王の信頼も厚く、王太子との仲も良好。さらには元王女である帝国の側室の後ろ盾もあるディアドラとルークは、春の社交期で国内での地位をいっそう固めたという。
(そんな二人の前では、私なんて飾り立て役にさえならないだろうけれど……もう体調も問題ないのだから社交に参加して、ベレスフォード伯爵夫人としてきちんと振る舞わないといけないわ)
秋の社交期に向けて意欲を高めるカミラのもとに、ドアが軽やかにノックされる音が届いた。
「カミラ様、そちらにいらっしゃいますか?」
ルークの声だ。
今日はカミラの診察の日なので、ルークも仕事を休んでくれていた。最初の診察のときには部屋にいたが、その後は婦人科の問診になったので彼には席を外してもらった。夫婦といえど、分けるべきところは分けたいというのがルークの意見だ。
医師を送ったルークが帰ってきたからか、ディアドラが席を立った。
「それでは私は部屋に戻りますね」
「ええ。ありがとう、ディア」
「どういたしまして。でも、お医者様からああ言われたからって無茶をしてはだめですからね」
ディアドラが、腰に手を当てて口を酸っぱくして言ってくる。
これではまるでディアドラの方が母親のようだが、ディアドラもずっと眠り続けていた母のことを案じてくれているのだろうと思うと、自分のふがいなさより娘が立派に育ったことの方が嬉しく感じられた。
「もちろんよ。また一緒にお買い物に行きましょうね」
「ええ!」
ディアドラが言ったところで、部屋のドアが開いた。ディアドラはドアの前に父親が立っているのを見るとそちらに向かい――なぜか彼の腕を引っ張って、一緒に部屋を出て行ってしまった。
しばらくして、ルークだけが戻ってきた。彼は娘が去っていったのだろう方向をやれやれと言わんばかりの目で見てから、カミラを見て咳払いをした。
「その、本日の検診内容について何も問題はないと聞きました」
「ええ。激しい運動は避けた方がいいけれど、日常生活を送ることには何も問題はないそうよ」
「……激しい運動、ですか」
ルークは少し目を細めたが、まさかカミラが重量挙げをしたり屋敷の周りを何十周も走ったりするわけがないのだから、そんな心配そうな目をしないでほしい。
「私のことなら大丈夫よ。ちゃんと自分の体を大切にするから」
「わかりました。それなら……」
そこでルークは少し目をそらし、そして椅子に座っているカミラの両手をそっと握った。
「その、もし、でよいのですが。あなたの体調に問題がないのなら……」
「ええ」
「……一緒に、出かけませんか?」
そう言うなり、かあっとルークの頬が赤くなる。若い頃から赤面したときの変化がわかりやすかったが、今もそれは変わらないようだ。
「その、私たちは結婚してから一緒に過ごす時間が短くて……いえ、全ては一人で空回りしていた私の責任です」
「それは気にしなくていいわよ」
「ありがとうございます。……だから、その、私たちはまだ一度も……デ、デートというものをしたことがないので」
いつもは流暢にしゃべるルークがまごつきながら言うので、カミラはゆっくり瞬きをした。
デート。
それはカミラにとって、誰かの噂話や物語でしか見聞きすることのなかった単語だ。
デートとは簡単に言うとお出かけで、買い物や散歩なら既にルークやディアドラと一緒に行っている。だがルークが顔を赤らめて言うからには、もっと違う意味があるはずだ。
「申し訳ございません。私もこういったことには疎くて、ディアドラやパメラ様に教わってばかりなのですが……ええと、つまり私はただの散歩や買い物ではなくて、あなたと夫婦として出かけたいし……気持ちとしては夫婦になる前の恋人の気分でいたいと言いますか……」
「まあ」
「……すみません。私、何を言っているのでしょうね……」
「大丈夫よ。あなたの気持ち、よくわかったわ」
緊張のためかじっとりと汗で湿るルークの手が愛おしく、カミラは夫の顔を見上げて微笑んだ。
「そうよね。私たち、恋人とか婚約者の期間がないまま結婚してしまったようなものだものね。……私もあなたとデート、したいわ。こんなに素敵な旦那様と人生初めてのデートに行けるなんて、私は幸せ者だわ」
「くっ……カミラ様……!」
感極まったのか、カミラの両手をぱっと離したルークはそのまま、カミラを自分の胸元に抱きしめた。
「ありがとうございます! 必ず、あなたが満足できるようなデートにします!」
「ふふ、ありがとう。……でも、私だけじゃなくてあなたも満足してもらいたいからね」
「その点は問題ありません。カミラ様と共に過ごせる毎日に、私は満足しておりますので」
体を離したルークが、きりっとして言う。
若い頃はいろいろなことへの関心が薄そうだったが、だからこそ大人になった彼は家族で過ごす時間を大切にしているのかもしれない。
(私も、ルークのために何かできないかしら?)
ルークだけでなくカミラも、最高のデートにするために何かしたいと思えた。