勇者ディアドラと囚われの姫君
ディアドラが三歳の頃の、父と娘のお話
「おとうさま、おとうさま。ディアのおとどけにまいりましたー!」
ある日、書斎で書類仕事をしていたルークのもとにかわいらしいお届け物がやってきた。
それまでは眉間に深い皺を刻んで書類――義兄である先代国王の後始末に関するものだ――を読んでいたルークだが、鈴の鳴るような音を耳にした瞬間、ぱっと破顔した。
「ああ、入ってくれ」
「おじゃましますー!」
気を利かせた執事がドアを開けると、そこにはルークの最愛の娘がいた。
ディアドラも三歳になり、周りの大人たちの言葉をすさまじい速さで吸収しては、皆をどきりとさせるような発言を躊躇いなく発するようになった。
屋敷の者たちは「旦那様似ですね」と口を揃えて言うが、ルークからするとディアの真っ直ぐなところや弱い者いじめを許さないところは母親のカミラから譲り受けたものだろうと思っている。ただ、たまに非常に気が強くなるところや口が達者なところは誰に似たのだろう、とも思っている。
「おとうさま、おしごと?」
「ああ。でもディアに用事があるのなら聞こう」
書類を脇に押しのけて椅子から立ち上がったルークがしゃがんで腕を広げると、ディアドラは喜んで父の腕の中に飛び込んできた。それを見て、執事やディアドラ付のメイドたちがおやおやまあまあと相好を崩す。
ディアドラは、ラプラディア王国でも格別の身分を持つ姫君だ。
現在ラプラディア王国を治める王は傍系だが彼はつなぎの王で、王太子が即位すると再びシャムロック家の血統となる。
だが現在、シャムロック家の血を継ぐ者は少ない。というのも、先代国王退位後にいろいろと制度を見直した結果、多くの傍系王族の不祥事が見つかった。
それらを洗い出し芋づる式に引っ張り出し処罰を与えたりしていると、王家の血筋のものがかなり消えてしまった。さらに王太子の安全のためにも、先々代国王……つまり王太子やディアドラの曾祖父の血統のみを直系とすることになった。
その結果、現在存命でかつ独身の王族は王太子とディアドラだけとなった。正確にはアッシャール帝国に嫁いだ元王女パメラが産んだ皇子がいるのだが、面倒ごとを避けるためにも帝国側と協議して皇子にラプラディアの王位継承権は与えないことにした。
ディアドラは、ルークのもとに降嫁した元王女カミラが産んだまごうことなき王家の姫君だ。
妻が石化して眠って、二年。
ルークは妻の分もディアドラを最高のレディに育て、そして自分は王家の騎士として妻と娘を守ると己に誓っている。
そんなルークなので、娘にはめっぽう弱い。
めっぽう弱いものの、基本的に仕事漬けで寝食も忘れるルークがディアドラに「いっしょにねよ!」とねだられると全ての仕事をぶん投げて添い寝してくれるので、使用人たちも実は助かっていた。
義兄が残した負の遺産の始末に関する書類なんかより、ディアドラと過ごす時間の方がよほど大切だ。
そう思ってルークが問うと、ディアドラは「うん!」とうなずいた。
「ディア、おとうさまとあそびたい!」
「そうか。もちろん、一緒に遊ぼう」
娘にお願いされたルークが断るはずもない。
妻子持ちとはいえ、ルークはまだ二十歳だ。若くて夜遊びでも火遊びでもしたい年頃ではあるが、元々真面目で欲のない彼は妻と娘に注ぎ込む時間を全く惜しまない。
三歳女児の遊びは二十歳男性にとっては少々精神面できついものもあるが、娘の笑顔ならなんのこれしき。うさちゃんごっこだってままごと遊びだって(先日は、なぜか『ペットのコロ』役をさせられたが)、頑張って付き合う。
ディアドラは「やった!」と両手を挙げて喜んだ。
「それじゃあね、ゆうしゃさまとおひめさまごっこしよ! おうじさまがゆうしゃさまになって、おひめさまをたすけるおはなしよ!」
「ああ、この前メイドに絵本を読んでもらったんだったな。いいだろう。このルーク王子がディアドラ姫を助ける格好いい勇者になるからな!」
「んー、ちがうの」
「ん?」
「おとうさまが、おひめさまになるの!」
娘の無邪気な笑顔に。
「……なん、だと?」
これまでどんな戦場でも動揺しなかったルークが顔面蒼白になったのを、元志願兵である執事は感慨深く見守っていた。
「ひめよ、ごあんしんください! わたしがきたからには、あなたをおまもりします!」
「……あ、ああ、勇者様が来てくださったわ」
紙を丸めて作った剣を手に、堂々と登場するディアドラ。
そんな娘を前に、体にブランケットを巻き付けてお姫様の格好をしているルークは舌も噛みそうになりながら必死に演技をしていた。
ディアドラは何を思ったのか「えほんのゆうしゃさまになる!」と主張し、囚われの姫ルークを助け出す勇者様になりきった。
なお、姫をさらった魔王役は護衛のクレイグが担当し、勇者様にお姫様の救出を依頼する侍女はちょうど手が空いていたベラにお願いした。
勇者様に助けに来てもらえたというのに今にも死にそうな顔をしているルークと違い、従者二人はノリノリだ。
「ひめ、おさがりください。ここはわたしにおまかせを!」
「あり、ありがとうございます、勇者ディアドラ様――」
「おとうさま、ちがうの! わたしのなまえはプリンス・ナイスミドル・ディアドラなの!」
果たして彼女は、ナイスミドルの正しい意味を知っているのだろうか。そして一体誰が娘に、ナイスミドルという言葉を教えたのだろうか。
今から彼女に成敗されるはずのクライドがぶほっと噴き出すのを尻目に、ルークは演技を続ける。
「あ、ええと……お願いします、プリンス・ナイスミッ、ミドル・ディアドラ!」
「ああ!」
途中で噛みそうになりながらルークが言うとディアドラは紙の剣(ディアドラ曰く、『ゆうしゃのつるぎ』)をクライドの太ももにぱこーんとお見舞いした。
クライドは「ぐっふぉおおおおあがぁぁぁぁ!!」とやけにリアルな悲鳴を上げながらよろめき、ずしーんと後方に倒れた。なお彼の後ろには、ベラがあらかじめクッションを敷いておいてくれている。
「はっはっは! このプリンス・ナイスミドル・ディアドラにかかれば、なんてこともない! さあ、がいせんだ!」
クライドを倒した衝撃で先端がへたってしまった剣を手に、ディアドラは意気揚々と去っていくが。
「……お姫様、置いていっていいのか?」
そのまま座り込むルークを見てクライドが大の字になったまま爆笑するので、ひとまず彼に向かって丸めたブランケットを投げつけておいた。
「なあ、ディア。どうしておまえは今日のごっこ遊びで、お姫様じゃなくて勇者様になったんだ?」
その日の、夕食の席にて。
勇者様に放置されたお姫様ことルークが尋ねると、昼間のお転婆っぷりはどこへやらナイフとフォークを使って行儀よく肉料理を食べていたディアドラが微笑んだ。
「だって、ゆうしゃさまってかっこいいもん!」
「だからって、俺をお姫様にするのはどうなんだ。ベラでもよかっただろう」
「おひめさまは、くらくてこわいところでつかまっちゃうの。ベラがそんなところにいたら、かわいそうだもん」
では、父はかわいそうではないのかと問う言葉が喉まで出かけたが、大人げないとわかっているのでスープと一緒に飲み込んだ。
「わたしね、ゆうしゃさまみたいになりたいの」
ディアドラが言うので、ルークはゆっくり瞬きする。
「……お姫様を助けるために魔王と戦う勇者様になりたいのか?」
「うん! ディア、おおきくなったらたくさんのひとをたすけるおとなになりたいの。おとうさまや……おかあさまみたいに」
「ディア……」
ぐっ、とルークの胸が熱くなる。
やはりディアドラはカミラの娘であり――自分の娘でもあるのだ。
我が子が三歳でありながら、こんなに強く優しい子に育ったことが嬉しくてたまらない。
「……そうだな。でもディアはきっと、剣を持つことはないだろう」
「んー、やっぱりだめ?」
「適材適所があるからな。……だが、その気持ちは立派だ。ディアドラなら、たくさんの人を助けられる淑女になれる」
「ほんと!?」
娘がきらきらした目で問うので、ルークは力強くうなずいた。
さすがに王家の姫である我が子を女騎士にするつもりはないが、ディアドラにはディアドラなりの正義があり、彼女なりの方法で皆を助け幸せにできるはず。
ルークは、そんな娘を応援したいと心から思った。
「じゃあわたし、おおきくなったらせいぎのみかたのナイスミドル・ディアドラになるね!」
「……ナイスミドルは、やめておきなさい」
ひとまず、そう言っておいた。