3 カミラの憂鬱
兄の前を辞して休憩のためということで別室に通されるなり、カミラはさっとルクレツィオの方を見た。
「ルクレツィオ様。私、何がなんだか一体……」
「私のことはどうか、ルークとお呼びください」
開口一番そう言ってから、ルークはソファに腰を下ろして前髪を掻き上げた。
「……私も、状況についていくので精一杯です。婚約解消の話を聞かされてから、パメラ様に会うこともできず……」
「そう、パメラ! あの子は今、どうしているの? アッシャール帝国に嫁ぐなんて……」
途端に妹のことが心配になり、カミラはおろおろと部屋の中を歩き回る。
アッシャール帝国は、ラプラディアより南にある大国だ。アッシャール帝国は男子皇族が複数人の妻を持つのが当たり前らしく、王太子は確か十八かそこらだったと思うが既に正妃も側室もいるはずだ。
(うんと年上じゃなかっただけよかったけれど、帝国の皇子との結婚なんて可能性もなかったはず。パメラは、どう思っているのかしら……)
ルークは意味もなく部屋の中を歩き回るカミラをしばらく見ていたが、やがて小さく息を吐き出した。
「……申し訳ございません。私も、国王陛下の命令には逆らえず」
「えっ、いえ、そんな、むしろ謝るべきなのは私の方ですよ」
そう言ってから、カミラは八つも年下のルークの方がずっと落ち着いていることに気づいて恥ずかしくなり、しおしおとソファに座った。
「……申し訳ございません。パメラのようなかわいい子じゃなくて、私のような売れ残りと結婚なんて……」
「売れ残りなんて――」
「それに、妹と結婚するなら伯爵になれる予定だったでしょう? それなのに男爵位まで落ちたのは、私が国王陛下から嫌われているからなのです」
ジェラルドや先の王妃である太后はカミラのことを嫌っていたが、むしろそれが正しい反応でパメラの方が変わっていたのだ。
ジェラルドがルークを妹の夫にしようと考えているのは彼に価値があるからで、先ほど宣誓させたようにルークが王国に忠誠を誓うのなら他はどうでもいいのだ。
カミラが言うと、ルークは鼻に皺を寄せた。
「……爵位なんて、別にいりません。自分の力でどうにでもなります」
「ルクレ……ルーク様」
「様もいりません。……せめてあなたに不自由がないようにだけはしますので、ご安心ください」
そう言うルークの目に、光はない。四ヶ月前、夏のガゼボでパメラと話していたときにはあんなに元気そうだったのに。
(私は腐っても王族だから、忠誠を誓うしかないのよね)
先代国王の死さえなければ、年齢も近くて気の合う美しい王女と結婚できるはずだったのに、握らされたのはとんでもないはずれくじの行き遅れ姉王女だった。
それでも彼は騎士として、誠意を尽くそうとしてくれるのだろう。
(……ルークにもパメラにも、申し訳ないわ)
飴色のテーブルに視線を落とし、カミラはこっそりとため息を吐き出した。
その後でパメラと会えたのだが、なんと彼女は婚約解消も帝国の皇子の側室になることも、けろっとして受け入れているという。
「なんというか、わたくしとルークはそもそも好きで婚約したわけではありませんもの」
どういうことなのか、大丈夫なのか、と詰め寄ったカミラに対して、パメラはあっさりと言ってのけた。
「結婚するからには、仲よくするつもりでしたよ? でも、恋とか愛とかではありませんでしたし」
「そう、なの?」
「そうですよ。それにアッシャール帝国の皇太子殿下って、正直かなりわたくしのタイプなのです! 正妃だと煩わしいことも多いでしょうが、側室の一人なら気楽にやっていけます!」
楽しそうに笑うパメラに、いよいよカミラは絶句してしまった。臨機応変に動けてしたたかな妹だとは思っていたが、これほどだったとは。
「……わたくしは大丈夫ですよ。それより心配なのは、お姉様の方です」
ふっと真剣な表情になったパメラが、カミラの肩にそっと触れた。
「お兄様の前でのやりとりについては、ルークからも聞きました。……せめて子爵位にして領地を持てるようにしてほしいとわたくしもお願いしたのですが、お兄様もお義姉様もどうしてもうなずいてくれず……申し訳ございません」
「何を言っているの。あなたが気にすることではないわ」
急ぎカミラは言って、妹の手を握った。
「私なら大丈夫よ。そもそも修道院では質素な生活を心がけていたのだから、むしろ領主夫人になんてなったら忙しさと環境の変化で体を壊してしまっていたわ。男爵夫人になって、ルークを支えるくらいがちょうどいいわ」
「お姉様……」
「でも、さすがにルークには申し訳なくて……ほら、私、八つも上でしょう? 見た目も地味だし」
「そんなことありません!」
パメラは声高に言い返して、ぐっと距離を詰めてきた。
「それに、ルークのことなら大丈夫です! だって、彼――っと」
「何?」
「……いえ、何でもありません。ルークのことなら心配することはありませんから、お姉様はお兄様に気をつけてください。細々とした嫌がらせをしてきそうなので……」
そう言ってパメラは、唇を噛む。優しい妹は兄と姉の仲が悪いことを気にしており、せめて兄が姉に嫌がらせをしないようにとやんわりと口添えをしてくれていたのだ。
(これから大国に嫁ぐパメラに、心配されるなんて……)
カミラは背筋を伸ばし、パメラを優しく抱きしめた。
「わかっているわ。私なら、大丈夫。パメラこそ、気をつけて帝国に行くのよ」
情けない姉、頼りない姉のままでいたくない。
せめて妹が何の気兼ねもなく嫁げるように、強くいなければならない。
パメラはカミラの背中にそっとしがみついてから、こくりとうなずいた。
「……わかりました。お姉様、お互い結婚しても、仲よくしましょうね。お手紙交換もして、お誕生日には贈り物もしましょう」
「ええ、もちろんよ」
「それから、もしわたくしに子どもが生まれたらすぐに知らせます。だからお姉様もルークとの子どもができたら、絶対に教えてくださいね! たくさんお祝いしますから!」
顔を上げたパメラが笑顔で言うので、カミラは表情が崩れないようにするので精一杯だった。
パメラがルークとの間に子どもを産むことは想像していたし、側室といえど後の皇帝の妃になるパメラが異国で子どもを産むだろうことも考えていた。
だが、自分がルークの子どもを産むことなんて、これっぽっちも思い至らなかったし――
(大丈夫よ、パメラ。きっとそんなこと、起きないから)
妹の背中を撫でながら、カミラは小さく笑っていた。