ある少女の献身①
本編途中からの、ある不幸な少女のお話
5話構成
きっと、今この国で一番不幸な女は自分だろう、と少女は思った。
「……どうしてですか!? お屋敷に行くのは私だと決まったのでは――」
「相手方からの要望なのよ。……申し訳ないけれど、わかってちょうだい、ベラ」
顔を真っ青にして訴える少女ベラに対して、院長先生の態度は素っ気ない。口では「申し訳ない」と言うけれど、彼女がベラの訴えを本気にしていないのは明らかだった。
ベラは、院長先生が経営する私営孤児院で育った。
十六年前のうだるような暑さの夜、生まれたばかりの赤ん坊を抱えた若い女性が孤児院にやってきて、我が子を置いて去っていった。彼女には名前がなかったので、他の孤児たちが話し合ってベラという名前をつけてくれた。
ベラは、器量よしではなかった。むしろ、容姿の点では並以下だろうと自分でも思っている。
顔にはラプラディア王国ではあまり好かれないそばかすがたくさん散っており、目は細くて小さい。肌が白いのだけは密かな自慢だったがそれでも、七難隠すには至らなかった。
だが、ベラは勉強熱心で真面目な子どもだった。
誰よりも手伝いを頑張り、誰よりも早く読み書き計算を身につけ、皆が嫌がる仕事も請け負った。そのせいで面倒くさがりなボス的立ち位置の孤児からは雑用を押しつけられたりもしたが、文句を言わずに黙々と取り組んだ
その成果が、実を結んだのだろう。
先日孤児院を訪れた裕福な家の主人が、孤児を一人使用人として引き取りたいと申し出た。彼は「ここで一番家事が得意な少女がほしい」と言ったため、ベラが推薦された。
主人はおどおどしながら出てきたベラに、詩の朗読や筆記、計算や食器の扱い、薬草の種類などについての試験を行った。そしてどれも満点とは言えずとも十分な結果を出したベラを、使用人として引き取ると言ってくれたのだ。
ベラは、嬉しかった。
容姿には優れなかったけれど、自分は自分の力で勝利を掴み取った。自分の能力を認めてくれる人に、出会うことができた。
この孤児院で面倒を見てくれるのは成人するまでで、十六歳になった翌月までに卒院しなければならない。ちょうどベラは十六歳の誕生日を迎えたところなので、とてもよいタイミングで卒院して就職できる。
きっとこれから、ベラの最高の日々が始まるのだ。
……そう信じていたのに。
「悪いわね、ベラ。旦那様が、あたしの方がいいって言ってくれたの」
院長先生との話の後で、まるで廊下でベラが出てくるのを待ち構えていたかのように立ち塞がり、鼻高々に言うのは孤児院仲間のマリアだった。
マリアは、六歳の頃に孤児院にやってきた。どこかの貴族の私生児だったらしく、愛人だった母親が亡くなったために厄介払いとして連れてこられたそうだ。
ベラと違い、マリアは孤児院でも格別の容姿を持っていた。彼女を巡り、孤児院の男の子たちの間で何度も喧嘩が起きていた。
顔かたちがかわいらしいだけでなく体つきも豊満で、噂ではかなり前から孤児院の男の子や近くの町の男性と関係を持っていたとのことだが、ベラは詳しくは知らないしそういう話題が好きではないので興味もなかった。
まな板同然のベラとは真逆の豊かな胸をこれ見よがしに見せつけながら、マリアは高らかに笑う。
「そんな顔でにらんでいるけれど、むしろ感謝してほしいくらいよ? あんたみたいなブスが勘違いしないようにしてあげたんだから」
「……勘違い?」
「あんたって男慣れしていないから、旦那様の家に行ったら旦那様や若旦那様に恋するかもしれないでしょう? そうしてクビになるに決まっているもの」
マリアは馬鹿にするように言うが、ベラの方はそんな発想すら思い浮かばなかったのできょとんとしてしまう。
ベラに試験をした旦那様は、若く見積もっても四十代後半くらいだった。おじさんと呼べるような年齢の既婚者と、なぜ恋をするというのだろうか。
「……お馬鹿なベラに、教えてあげる」
マリアはすっとベラのもとに寄ってきて、耳打ちする。
「旦那様はね、あたしのことをとーっても気に入ってくださったのよ。旦那様って、奥様と不仲らしくてね。掃除も洗濯もしなくていい、そばにいてくれればいい、って言ってくれたの」
そこまで言われてやっと、初心なベラにもマリアの計画がわかってぞっとした。
元々奔放な娘だったが、マリアは自分の体を旦那様に気に入ってもらったのだ。
「な、なんて、はしたない……」
「はぁー、出た出た、正論しか言えないウザいベラ。あんたみたいなモテないブスにはわからないのよ。いくらあたしがうらやましいからって、見苦しいからひがまないでちょうだい」
マリアは悲劇の主人公のようにため息をついてから肩を落とし、にっこりと悪魔の笑みを浮かべた。
「……ということで、あんたの代わりにあたしが行くことになったの。院長先生も喜んでくれたわ。旦那様が、契約違反のために迷惑料としてかなりの献金をしてくれたそうだから」
そういうことか、と先ほどの院長先生の態度も腑に落ちた。
院長先生は決して悪人ではないが、日和見主義で儲け話に弱い。孤児院から巣立った子に「これまで世話をした分、必ず仕送りするように」と言っているのもうなずける話だ。
院長先生は、ベラを見捨ててマリアを選んだ。
掃除も洗濯もできない、自分の名前さえ書けないけれどとびっきり愛想がよく、金を送り込んでくれるマリアを。