伯爵夫人、誘拐される②
「……なんですか、この下品なお手紙は」
父から渡された手紙を読んだディアドラはかわいらしい顔をゆがめ、それがまるで汚いものであるかのように爪の先で摘まんだ。
「私、誘拐なんてされておりません」
「……そう、だよな」
娘の無事な姿を見て一気に冷静さを取り戻したルークは、うなずいた。
可憐でか弱い雰囲気のあるディアドラだが、ルークは彼女に武術を教えていた。
ディアドラは物心つくより前に、王家の姫を狙った者に攫われそうになったことがある。そいつは激怒したルークが始末したのだが、そのことをきっかけにルークは娘に護身術を身につけさせたいと思った。
ルークにとって女神に等しい存在である妻が産んでくれたディアドラを、ルークは守り通すつもりでいる。だが彼だって万能ではないし、四六時中ディアドラのそばにいられるわけでもない。
だから、体に必要以上の筋肉がつかない程度に抑えつつもディアドラに自分の身を守るための術を教えていた。彼女がその気になれば新人兵士を投げ飛ばすことくらいならできるので、そこら辺にいる破落戸程度がディアドラを誘拐できるはずもないのだ。
「それにこの文面、おかしくありません?」
「……確かに。身代金が目当てであるのならば普通、『準備しろ』だけでなくて、その後の指示も書くはずだな」
娘にゴミ扱いされる手紙を返してもらい、ルークはそれを読み返す。
ディアドラのためなら金貨百枚くらい惜しくもないが、ではその身代金をどこに持っていけばいいかの指示がない。誘拐犯は被害者が慌てて冷静な判断ができないうちに事を進めたがるものだから、金だけ準備して次の指示待ちをさせるのは不自然だ。
「……だがおまえが無事だったとしても、おまえの名を使って脅迫状を出すなんて許せるはずがない。カミラ様にも、ご報告しなければ」
「そうですね。お母様ならお庭にいらっしゃるはずですが……」
「庭? 先ほど馬を停めたときには、見えなかったが」
そう答えた瞬間、ルークとディアドラは同時に互いの顔を見つめた。
もしかして、という予想の内容はおそらく、父と娘の間で一致していたのだろう。
一方その頃。
「あの、どうやら人違いで誘拐されたようです」
カミラが説明すると、木刀を手にした青年が鼻の横をひくつかせた。
男たちに襲われそうになり、この青年に助けられた。だが彼は最初こそ囚われの姫を助け出すヒーローのようにきらきらしい笑顔だったのに、カミラを見た瞬間にすんっと真顔になっていた。
「……どういうことだ。このようなはずでは――」
「その、私は――」
「うるさい、女! ……おい、おまえたち、こっちに来い。女はそこにいろ!」
カミラの言葉を遮った青年は男たちに言うと、ずかずかと部屋を出ていった。細身の男と丸い男も慌てて部屋を出ていき、カミラはごくっとつばを呑む。
(外で、何をするのかしら? 聞き耳を立てるべき?)
と思ったのだが。
「……この馬鹿どもが! 話が違うだろう!」
わざわざドアの近くまで行かずとも、青年の怒声が聞こえた。
身なりがよかったのでどこかの金持ちの息子なのかもしれないが、ここは実家のように壁が分厚くないのでいつもの調子で話すと丸聞こえだ。
「僕が誘拐を命じたのは、十六歳のディアドラ嬢だ! 髪も目の色も、命じたものと違うだろう!」
「す、すんません。色、すっかり忘れちまって」
「だからといってあんな年増とディアドラ嬢を間違えるか!? 可憐で愛らしい姫君だと言っただろう!」
「俺はあのお姉さん、十分かわいいと思ったんスけど……」
まんまる体型の方が情けない声で言うので、不覚にもカミラはちょっとだけ嬉しくなってしまった。
「とにかく! これでは作戦が台無しだ! 脅迫状まで送ったのに……」
(えっ、脅迫状!?)
思わず声が漏れそうになったのでなんとか堪え、カミラは必死に考える。
つまりあの三人はグルで、ディアドラを誘拐しようとした。おおよそ、暴漢に襲われそうになるディアドラをあの青年が救出し、惚れ込ませようとしたのではないか。
脅迫状を送ったということは、娘の危機をルークに知らせるものの青年の方が先にディアドラを見つけて助けたという流れにして、『娘を助けた恩人』としてルークからの好感度も得ようと思ったのかもしれない。
(でも、ディアは今日一日屋敷で過ごすと言っていたわ)
ルークは外出中だが、ディアドラ本人が屋敷にいるので脅迫状が嘘だとはわかるはずだ。あとは、一人庭で土いじりをしていたカミラがいないことに早く気づき、もしかしてディアドラと人違いで誘拐されたのでは……とまで推理してルークに知らせてくれればいいのだが。
「ど、どうしますか? あの女、殺します?」
「ええーっ、俺は嫌ッスよ。かわいそうじゃないか」
細身の方は焦っているようだが小太りの方はカミラがお気に入りのようで、相棒をなだめてくれている。だがそこに青年の「馬鹿が!」と言う声が割って入った。
「これだから、誘拐の一つもできない無能は! いいか、こういうのは……」
そこまでは大声だったがだんだん小声になったので、青年のしゃべる内容が聞こえなくなった。
これはさすがに聞き耳を立てるべきか……とようやく体が起こせるようになったカミラが脚に力を入れたところで、ドアが開いた。
青年はカミラの前で取り繕うつもりはないようで、ふん、と鼻を鳴らして見下ろしてきた。
「よく聞け、女。猫を被るのも意味がないだろうから教えてやるが……この誘拐事件を企てたのは、僕だ」
「な、なんですって……!?」
まあそうだろうな、とは思っていたがあえて驚く演技をすると、それが正解の反応だったようで青年は得意げな表情になった。
「ふん、だが女、おまえを殺すのは惜しい」
「……」
「この馬鹿どもは人違いをしたようだが……そもそも、ただの使用人がそのような上質なドレスを着られるはずもない。そしておまえは、伯爵邸の庭にいたとのこと。あの庭は、伯爵が妻のために作ったものだというから下級使用人ではおいそれと立ち入れない」
あの庭の成り立ちを今初めて知ったカミラが目を丸くしたのを別の意味に解釈したようで、青年はますます自慢げになって指を指してきた。
「この僕が推理してやろう。おまえは、ただの使用人ではなく――」
「……」
「ディアドラ嬢の侍女! そうだろう!?」
「違います……」
カミラは即答したが、青年は「あがいても無駄だ」と薄ら笑いを浮かべた。
「侍女ならば、主人から譲り受けたドレスを着ることもあるし、伯爵夫人用の庭に立ち入ることもできるはず。年齢の面でも、ディアドラ嬢の侍女であるとみて間違いない!」
自信満々に解説する彼の背後では、痩せ男と太男が「さすが、ぼっちゃん!」「名推理ッス!」と拍手しているが、もう突っ込む気力さえ起きなかった。
「そこで、だ。ディアドラ嬢の侍女であるおまえを殺すのは惜しいということで、おまえにある提案をしよう」
「……それは?」
「おまえを無事に屋敷まで帰らせてやる代わりに、僕とディアドラ嬢の仲を取り持て」
カミラの胸元を指さしながら、青年は朗々と告げる。
「僕はメイソン子爵の甥だ。ディアドラ嬢とは幼い頃からの仲なのだが、なかなか彼女の一番になることができない。だが侍女であるおまえが口添えをすれば、きっと彼女は僕に振り向いてくれるだろう!」
子爵の甥ということはほぼ平民ではないか、とか、ディアドラの一番はルークだろうから無理だ、とか言いたいことは色々あるが、何を言えばいいのかもうよくわからない。
(でも、もうここまでくると彼の話に乗ったふりをした方がよさそうだわ)
「……そのとおりにすれば、私を夫のところに返してくれますか?」
「なんだ、既婚者か。もちろん、無事に返してやろう」
そう答える青年の背後で、太い方が「そんな、旦那がいるなんて……」としょぼくれていた。
(よし、それじゃあこれでひとまず外に出られたら――)
好機を掴んだカミラは顔を上げた――のだが。