伯爵夫人、誘拐される①
本編終了後のお話
安心してください、コメディです
3話構成
【おまえの娘はあずかった。帰してほ■しければ、金貨■百枚を準備しろ】
「……なん、だと……!?」
ぐしゃり、とルークの手の中で手紙が握りつぶされる。
本日、ルークは領内にある小さな町を訪問してそこの町長と会談したり町の視察を行ったりしていた。
一通りのことを終えて町長の屋敷で休憩していると、「こちら、領主様宛てです」と言って町長の屋敷に仕える使用人が手紙を持ってきた。
なぜ自分宛ての手紙がここに届くのだろうか、と訝しみつつ開封したのだが、それはあろうことか脅迫状だった。
コテコテの定型文で字も汚いし間違いを修正した跡だらけなのだが、娘が誘拐されたと知ったルークは普段の落ち着きもどこへやら、顔面蒼白で手紙を凝視している。
「……領主様? そちらの手紙は――」
「すまない。すぐに帰らねばならなくなった」
心配そうな町長に言うが早いか、ルークは立ち上がって上着を引っかけた。本当ならこの後で昼食もご馳走になる予定だったが、そんなことしていられない。
町長はルークの様子からただならぬものを感じたようで、「お気になさらず」と言って玄関まで見送ってくれた。ルークは彼に礼を言い、既に準備万端の愛馬に跨がって脇腹を蹴った。
ディアドラが、誘拐された。
世界でたった一人のルークの娘が、大切な宝が、奪われた。
妻のカミラが石化してから、ルークはディアドラを立派な淑女に育てると己に誓った。そうして十六歳になったディアドラは妻そっくりの美貌を持ち、正義感が強くて心優しい令嬢に育った。
カミラとディアドラは、ルークの世界全てと言ってもいい。
ルークの愛する人を奪った者を――許しはしない。
「ディアドラ!」
屋敷に戻るなり、ルークは喉が痛みそうなほどの大声を上げた。主人の帰宅が夕方になると聞いていた使用人たちはおろおろしており、彼らを押しのけてルークはリビングに向かう。
「ディアドラ――」
顔面蒼白でリビングに入ったルークは、
「……なぜ、いるんだ?」
「いたらいけませんの?」
まったりとお茶を飲む娘を、見つけたのだった。
(……ん? ここは……)
ゆらゆらゆらめく意識を引っ張り上げ、カミラは目を覚ました。
体を起こそうとしたが、目の前がくらりとしたため再び床に倒れ込んでしまう。まるで自分が方位磁石の針になったかのように、天井がぐるぐる回転している。
(私、庭でお花の手入れをしていたのよね……)
ぼんやりとする記憶をたぐり寄せながら、カミラは思い出す。
今日は夫のルークは早朝から近くの町に行っており、帰るのは夕方くらいになると言っていた。
多忙な夫と違い、まだ休養期間ということで屋敷内でゆっくり過ごすよう言われているカミラは、今日は天気がいいので庭に出て土いじりでもしようと思っていた。心配性の夫も、庭くらいなら一人で散策してもいいと言ってくれていた。
だが、冬に咲く花たちのために雑草を抜いていたはずなのになぜか、どこかの部屋に転がされていた。幸い手足は縛られていないが、変なものでも嗅がされたのか頭の中がふわふわしている。
「おう、お目覚めか」
なかなか体を起こせないカミラのもとに、野太い声がかかる。
なんとか頭だけを起こしたカミラは、部屋のドアが開きそこから人相の悪い男二人が入ってきたことを知る。
片方は痩せ型で、もう片方は坂道を転がり落ちやすそうな体型をしている。おそらくカミラよりも若いだろうがどちらも小汚い格好をしており、にやにや笑いを浮かべていた。
「どなたですか。私に何の用ですか」
温室育ちのカミラでも、今の状況がとてもよろしくないことはわかる。
(私はもしかしなくても、誘拐された……?)
王侯貴族の誘拐は、悲しいことに昔からたびたび聞く話だった。たいていの目的は身代金で、金惜しさに人質を見捨てることもあるとか。
まさかルークとディアドラがカミラを見捨てることはしないと信じたいが、戦闘能力皆無のカミラではこの危機を脱することはできない。助けが来るまで粘って待つためにも、相手を刺激しない方がいいだろうと思われた。
カミラが丁寧に尋ねたからか、男たちの笑みが深くなる。
「おうおう、深窓のご令嬢にしては肝が据わってんなぁ」
「だが残念だな。これは誘拐ってやつだよ」
「……」
「残念だが、諦めてくれよな。ディアドラお嬢様!」
「違います」
思わず即答してしまってから、カミラははっと口を手で覆った。
だが男たちはカミラのその反応を別の意味で受け取ったようで、げらげら笑い始めた。
「しらを切っても無駄だぜ!」
「あんたがベレスフォード伯爵の愛娘だってことはわかってんだ!」
「……ですから、人違いです」
二度目の否定をしてから、もしや、とカミラは気づいた。
(この人たち、私をディアドラだと勘違いして誘拐したの!?)
何をどう間違えたら二十六歳のカミラを十六歳のディアドラだと勘違いするのかはわからないが、不安と恐れの中にほんの少しの安堵が生まれた。
つまり、彼らの本来の狙いであるディアドラは怖い思いをすることなく、安全な屋敷にいるのだ。
(ディアに何もないのなら、それだけで安心できるわ……)
カミラがほっとしたのもつかの間、ふくよか体型の方の男がずかずかとやってきてカミラの腕を引っ張った。
「きゃっ……!」
「へへ、やっぱりかわいい顔してるじゃねぇか」
「お兄さんたちと遊ぼうぜ」
細身の方もやってきたため、カミラはぎゅっと目をつむった。
怖い。
何をされるのかわからないほど、カミラは鈍感ではない。
それでも。
(大丈夫、大丈夫。私なら、平気。ディアドラさえ無事なら……)
相手側の勘違いだろうとなんだろうと、娘の笑顔を守れるのならカミラは平気だ。
そう自分に言い聞かせたのだが――
「そこまでだっ、汚らしい悪党め!」
ドアがバンッと開き、誰かの声が響いた。
カミラを掴んでいた腕が離れ、「うわあ!」「何するんだ!」という若干間抜けな声が聞こえてくる。
(何……?)
恐る恐る目を開けたカミラは、小さく息を呑んだ。
カミラを庇うように、誰かが立っている。彼の手には木刀があり、先ほどカミラに迫ってきた男たちが壁際に転がっていた。
「ふう……この程度か。もう大丈夫だよ、ディアド――」
前髪を掻き上げながら振り返った男と、カミラの視線がぶつかる。
二人はそのまま、数秒見つめ合い――
「……誰だおまえ!」
顔色を変えた男に怒鳴られたが、こちらの台詞だ、と言いたかった。