あなたにドレスを
本編終了後しばらくした頃の、カミラとディアドラ(+ルーク)のお話
十五年の石化から目覚めたカミラは、少年だった夫が立派な男性になり、赤ん坊だった娘が美しい令嬢になったりしていた驚きに見舞われながらも、ベレスフォード伯爵夫人として伯爵領の屋敷で暮らすことになった。
「お母様! 今日は仕立屋を呼んでおります!」
朝、ゆったりと紅茶を飲んでいるとご機嫌なディアドラに言われたので、カミラはきょとんとしてしまった。
「仕立屋?」
「ええ! これから涼しい季節になるのだから、冬物のドレスを早めに準備しておきたくて」
父親と同じ黒灰色の髪に、シャムロック家によく顕れるという青色の目を持つディアドラは、愛らしい顔に喜色を浮かべてそう言う。我ながら、地味な自分が産んだとは思えないかわいらしい娘だ。
「それにほら、お母様がご存じなのは十五年前の流行でしょう? 今流行っているデザインのドレスも、色々見ていただきたくて」
「……それもそうね」
相槌を打ってから、カミラははっとした。
(本当なら、母親である私が率先してディアドラのドレスを仕立てさせなければならないのに……!)
ディアドラはみっちり淑女教育を施されただけでなく、実質女主人不在の屋敷を切り盛りする力を持っていた。対するカミラは男爵夫人になって二年経って石化してしまったので、女主人として大きな屋敷の指揮をした経験がない。
ディアドラがしっかり者に育って嬉しいのは確かだが、自分の頼りなさが浮き彫りになるようだ。
それでも楽しそうな娘の前だからと、カミラは笑みを浮かべた。
「今の流行がどんなものなのか、気になるわ。ディアドラのドレスも、とても素敵だものね」
「ありがとうございます。これ、お父様が買ってくださったのです」
ディアドラは今着ている水色のドレスの裾を翻してターンし、きれいなお辞儀をした。
ルークは眠る妻と成長する娘に注ぎ込む金に糸目はつけなかったようで、カミラは石化しているというのに横に伏せた状態でも脱ぎ着できるドレスや寝間着を仕立ててメイドに着替えさせていたらしいし、ディアドラはいつも新しいドレスを着ていられた。
(ドレスのデザインは仕立屋がするけれど、女主人……母として、私もちゃんとディアドラのドレス作りに参加しないと!)
そう、カミラは意欲を燃やしたのだが。
「きゃーっ! とっても素敵ー!」
「お嬢様、次はこちらを……」
「まあっ! まるでお花畑の妖精のようだわ!」
「次は是非、こちらを。奥様はご結婚されるまで、修道院の司祭だったとのことで……」
「あらっ、神官服風のドレスね。これも素敵じゃない!」
「……あのー、ディアドラ?」
仕立屋と一緒にきゃっきゃとはしゃぐディアドラに、カミラはおずおずと声をかける。そして手を伸ばそうとしたのだが、「まだ動かないでくださいませ」と、まち針をくわえた仕立屋見習に注意されてしまった。
カミラはてっきり、ディアドラの冬用ドレスを仕立てるのだと思っていた。
だがいざ仕立屋たちが来るとディアドラは「じゃあ、お母様のことをお願いね」と皆をカミラの方に寄越し、自分は布見本を見たり参考用の既製品ドレスの観察をしたりし始めた。
つまり、ドレスを着せられているのはカミラの方だった。それも、何着も。
「お母様って赤系も青系も似合うわね。私は赤が全然似合わないから、うらやましいわ」
「奥様の柔らかな色合いの御髪は、どんな色とも調和しますからね」
「そうよね! ……あっ、これいいわ。お母様、次はこれを……」
「待って、ディアドラ」
レースたっぷりでふりふりしたドレスを手に振り返ったディアドラに、カミラはとうとう待ったをかけた。
「私のドレスを仕立ててくれるのは嬉しいけれど、あなたも自分がほしいものを探しなさい」
「えっ、大丈夫ですよ。秋用も冬用も、もうたくさんお父様が買ってくださっていますもの」
ディアドラはけろっとして言い、ふりふりドレスのハンガーを揺らして見せた。
「それより、お母様の方が急ぎ必要でしょう? ああ、秋物はもう今から新しいものを仕立てることはできなくて残念だわ」
「ご安心ください、お嬢様。ベレスフォード伯爵夫人のためでしたら、工房を全力で回して秋物ドレスをお作りしますよ」
「本当!? ありがとう。それじゃあ、秋物も探さないと……」
「ねえ、ディアドラ」
目をらんらんと輝かせる娘に、カミラは優しく呼びかけた。
「私のために色々考えてくれて、本当にありがとう。……でもね、私もディアドラのドレスを仕立てたいの」
「でも……」
「十五年前……あなたは知らないかもしれないけれど、実はあなたのために赤ちゃん用の服を編んでいたのよ」
ディアドラのために何かできることをしたいと思ったカミラは、編み物が得意なメイドに教えてもらって子ども用のセーターを編むことにしたのだ。
縫い針はともかく長い棒針を持つのは初めてで、途中で編み目が飛んだり糸が団子状態になったりしながら一着作った。思ったよりも大きめのサイズになったので、ディアドラが二歳になる冬に着せてあげられたらいいな、と思っていた。
だが、カミラが手編みのセーターをディアドラに着せてあげる日は来なかった。
カミラはセーターをクローゼットの奥に入れていたので、メイドたちでは探し出せなかった。王都の男爵邸を取り壊して引っ越しするときになってようやく見つけられたそうだが、その頃にはもうディアドラは大きくなっていた。
カミラの言葉に、ディアドラの眼差しが揺れた。
「……いえ、知っています。メイドが見せてくれたのです。次の冬には私に着せてくださる予定だと、お母様がおっしゃっていたと」
「そう……」
「ごめんなさい、お母様。セーターは大事にとっておいたのですが、それでもぼろぼろになってしまって……」
「いいのよ。だからね、ディアドラ。私、娘のためのドレスを考えたいの」
ドレスの仮留めを終えた仕立屋見習が下がったので、カミラはディアドラのもとに向かってそっと娘の手を取った。
「ディアドラは、ルークと同じ肌の色をしているのね。きっと、濃い色も淡い色もうまく着こなせるわ」
「っ……お母様」
「ね、だめ?」
「だめじゃありません!」
ディアドラは大きな声で言うと、ぐすっと鼻を鳴らした。
「……嬉しいです。私も、お母様が選んでくださったドレスを着たいです……!」
「ふふ、よかった。それじゃあ私はもう十分ドレスを着させてもらったから、次はあなたに似合うものを探してもいい?」
カミラが笑顔で問うと、ディアドラははにかんでうなずいた。
「……はい。ありがとうございます、お母様」
数日後、王都にいたルークが帰ってきた。
ベレスフォード伯爵領は、王都のすぐ東側にある。ルークが子爵位を授かったときに領地をもらえることになったのだが、彼は頑として「王都から片道一日かからない、景色のいい場所」を希望して譲らなかった。
そのため、面積が狭くてこれといった特産物はないものの風光明媚で王都からも近い地域が、ベレスフォード領になった。おかげでルークは妻と娘がいる領地の屋敷と王都を素早く往復でき、今日も馬を駆って急ぎ帰宅したのだった。
「ただいま戻った」
「おかえりなさい、お父様!」
執事に荷物を渡していたルークのもとに来たのは、ディアドラ。よく見ると彼女は、ルークが贈った覚えのない新しいドレスを着ていた。
「なんだ、また新しいドレスを買ったのか。言えば私が買ってあげたのに」
「ふふーん。残念、お父様。これはお母様が選んでくださったのですよ」
「……なに?」
「しかも……ほら、こっちに来てくださいな、お母様!」
ディアドラが振り返り、廊下の奥に呼びかける。よく見ると柱に隠れるように、妻の姿があった。だが顔を半分覗かせるだけで、体は全て壁に隠れている。
妻の姿を見られて、ルークの顔がぱっと明るくなる。だが、いつもならはにかみつつも「おかえりなさい」と言って近くに来てくれるはずのカミラが、やけにもじもじしている。
「カミラ様、ただいま戻りました。……どうかなさいましたか?」
「もう! 恥ずかしがらないで来てください!」
夫に心配そうに言われ娘に急かされたからか、カミラは観念した様子で出てきた。
――ディアドラが着るのと、全く同じドレス姿で。
「なっ……!」
「どう? せっかくだから全く同じデザインのドレスを二着作ってもらいましたの」
ディアドラが自慢げに胸を張っている。カミラはあまり奇抜な発想を持たないから、間違いなくこれはディアドラの発案だろう。
ディアドラと同じ、ワインレッドの布地に金色の差し色が入った秋物ドレスを身につけるカミラは、恥ずかしいらしくて顔が真っ赤だ。彼女は十六歳の娘に似合うようにデザインしたので、まさか二十六歳の自分も同じものを着せられるとは思っていなかったのだろう。
ルークはしばらくの間黙って娘と妻を交互に見ていたが、とうとう耐えられなかったようでカミラが顔を手で覆ってしまった。
「わ、私の年齢では似合わないとわかっているわ! ああ、もう、ディアドラが変なことを言うから……」
「そんなことはない! とても……よく似合っています」
ルークは娘の前を通り過ぎ、恥ずかしがる妻の肩を抱いてこめかみにキスを落とした。
「あなたは髪も目も温かい色合いをしているから、濃い赤色を纏うとまさに秋の精霊のようです。ああ、もっとじっくり見たい。……上に参りませんか?」
「えっ……」
真剣な目の夫が言わんとすることを察したカミラは、さっとディアドラの方を見る。だが娘は手をひらひらさせ、笑っていた。
「どうぞごゆっくり。でもこれから夕食なのですから、ほどほどにしてくださいね?」
「ディアドラっ!?」
「ディアの許可ももらえたな。さ、行きましょう。あなたのかわいい姿を、もっとよく見させてください」
きらっきらの笑顔のルークに言われると、嫌ですとは言えなくなった。
真っ赤な顔のまま夫に手を取られて二階に行くカミラを優しい眼差しで、調子のいい父をやれやれと言わんばかりの眼差しで交互に見たディアドラは、上機嫌に歩きだした。
「ほんっとうに……お父様は、お母様に弱いんだから」
『あなたにドレスを』おしまい