2 兄の策略
国王が、崩御した。
「持病はおありだったそうだけれど、急だったわね……」
「心臓発作ですって? 侍医が到着したときにはもう、息をしていなかったとか……」
国主の服喪期間であるため黒い布があちこちに張り巡らされた修道院もその噂で持ちきりだったため、黒い修道服姿のカミラは小さくため息をついた。
元々、健康とはいえない父だった。好きなものしか食べないので、体は丸々と太っていた。昔はまだましだったはずだがカミラが王都を離れている数年の間に丸さが加速していったようで、侍医も注意はしていたという。
国王が死去し、王太子だった兄のジェラルドが即位した。だが国王の死後三ヶ月間は国全体が喪に服することになっているため、華やかな戴冠式などを行うのは喪が明けてからになる。
父親が死んだ、という知らせが届いても、カミラはあまり動揺しなかった。不摂生でいつ体調を崩すかわからない状態だったということもあるし、そもそも国王のことを父と慕う気持ちがなかった。
(もう少し若ければ、違ったのかもしれないわね)
黒いレースのベールを掻き上げて、夏の終わりの空を見上げながらカミラは思う。
パメラとルクレツィオが婚約報告のために来てくれてから、まだ一ヶ月しか経っていない。今の段階では結婚式の準備などは進んでいないだろうし、向こう三ヶ月間はあらゆる行事が中止になったり延期になったりする。
となると当然、妹夫婦の結婚式もその分後ろ倒しになるだろう。
(いえ、そもそも無事に結婚できるのかしら……)
嫌な予感が湧いてきて、カミラはそっと口元を手で覆った。
兄は、妹が平民出身の騎士の嫁になることにひどく反対していたという。そのときは国王という絶対権力者がいたから婚約がまとまったが、王位を継いだジェラルドなら妹の婚約を破棄することもたやすいだろう。
既に兄夫婦には世継ぎとなる王子も生まれているので、欲深いジェラルドは自分の権力を強めるためにパメラを使うかもしれない。むしろ妹のことを愛しているからこそ、よりよい嫁ぎ先を用意するのではないか。
(二人は、とてもお似合いだと思ったけれど……)
同じ年頃で、まるで友人のように気軽に話のできる二人に見えた。叶うことならこのまま結婚してほしいし……もしそうならなかったとしても、うんと年上の男のところにパメラを嫁がせる、なんてことにはなってほしくない。
(神様。どうか、私のたった一人の家族に祝福を……)
両手を組み、カミラは神に祈った。
……その願いは叶ったようだとカミラが知るのは、三ヶ月後、喪が明けてすぐのことだった。
「パメラは、アッシャール帝国皇子の側室にすることになった。だからカミラ、おまえがあの平民騎士の妻になれ」
久しぶりに会うなりそう言い放ったのは、異母兄のジェラルド。
急使からの知らせを受けて急ぎ王城にやってきたカミラは、兄を見上げて呆然としていた。
急ぎ王城に馳せ参じるように、と言われたときから嫌な予感はしていたが、見事に的中してしまったようだ。
(……なん、ですって?)
「あの、陛下。おそれながら、わたくしがルクレツィオ様の妻にと?」
「あのようなやつに敬称などつける必要はない。おまえも腐っても王族なのだから、その自覚を持て」
ふん、と小馬鹿にしたように鼻で笑う兄の隣には、穏やかな微笑みを浮かべた兄嫁――王妃がいた。
名門の出だという王妃はおっとりとした優しげな貴婦人だが、彼女が夫に物申すことは決してないという。彼女はいつも微笑みを浮かべ、兄の言うことなすことを見守っているだけだそうだ。
パメラと同じ金髪に先代国王譲りの青い目を誇りに持つというジェラルドは足を組み直し、傍らにいた侍従から受け取った書状を目の前で広げた。
「パメラと平民騎士の婚約は、既に解消している。私としてはあのような者を城に置くことすら厭わしいのだが、どうもやつには武術の才能だけでなく兵士を動かす力もあるようで、放逐することはできん」
「……それで、わたくしの夫にと?」
「ちょうどよかろう。売れ残っていたおまえと平民騎士なら、釣り合いも取れるはず」
とんとん、と勅命が記された書類を指で叩き、ジェラルドは冷めた眼差しでカミラを見下ろしてくる。
(……冗談じゃないわ。王家の勝手な都合で婚約解消しただけでなく、その後釜に私を宛てがうなんて……!)
カミラは秋の初めに、二十四歳になった。一方のルクレツィオはやっと十六歳になったばかりだという。
王侯貴族が年齢差のある結婚をすることは珍しくないが、たいていは夫の方が年上だ。妻の方が八歳も上なんて、あんまりだ。
「陛下。騎士ルクレツィオが参りました」
「通せ」
近衛騎士の言葉に面倒くさそうにジェラルドが応じると、一人分の足音が近づいてきた。だが、振り向くのも怖い。
(ルクレツィオ様……)
そっと横目で見ると、カミラの隣に黒灰色の髪の少年が並んだ。四ヶ月前に会ったときとは別の意匠の騎士団服姿の彼はこちらを見ることなく、ジェラルドに向かってきれいなお辞儀をした。
「騎士ルクレツィオ、参りました」
「話は聞いているな。ラプラディア王国国王の名において、おまえたちの結婚を命ずる。騎士ルクレツィオにはベレスフォード男爵位を与え、王女を妻とすることを条件にその剣と誠の心をラプラディア王国に捧げよ」
(ベレスフォード男爵位……ですって!?)
兄の言葉に、カミラは何度目かわからないショックを受ける。
現在のルクレツィオは家名を持たないので、結婚するにあたりベレスフォードの姓と爵位をもらうということはパメラから聞いていた。王女の嫁ぎ先としては、妥当だと言えよう。
だがそのときに聞いていたのは、『ベレスフォード伯爵位』だ。パメラに甘い先代国王は、娘が不自由しないために若い騎士にぽんっと伯爵位を与えると宣言したのだ。
もはや気前がいいのか無謀なのかわからないが、少なくとも伯爵夫人ならパメラも十分ゆとりのある暮らしができるだろうと思っていたのに。
(ルクレツィオ様のことを、軽んじている……!)
めらっと胸で怒りが燃えるが、それは隣のルクレツィオもだったようだ。
彼の表情が崩れたことから、伯爵位だった予定が男爵位に格下げになったことを彼も今初めて聞かされたのだろうと想像できる。
ラプラディア王国では、領地を持てるのは子爵以上だ。男爵位はその気になれば平民が金を積んでも手に入るくらいで、戦争の立て役者だというルクレツィオへの結婚祝いとしては安すぎる。
だがルクレツィオはすぐに表情を戻し、深く頭を下げた。
「感謝いたします。この剣と誠心を国に捧げ、カミラ様を妻として大切にすることを誓います」
ジェラルドとしては後半はどうでもいいのだろうが、彼は「頼んだぞ」と言い、書状にサインするよう言った。
勅命による結婚の旨が書かれた書状の最後に、ルクレツィオが迷いない手つきでサインする。
次に書状を差し出されたカミラは、震える手でペンを受け取り……少し歪なルクレツィオの名前の隣に、結婚後の名前である『カミラ・ベレスフォード』とサインした。
こうして、カミラは否の声を上げることもできず、妹の婚約者だった男と結婚することになったのだった。